第57話 地獄

 

 今日も今日とて、ハルトはロズの担当区域の畑で作業する。


 土を耕し、石ころを掘り起こして取り除き、均等にうねを立てる。

 ロズの指示を受けて、せっせと畑仕事に精を出していた。これで領主——の旦那ではあるが、大きな括りではハルトも領主である——だというのだから、驚きを通り越し、村人は呆れていた。



「いつまで続くのやら」「どうせすぐにを上げて放り出すわい」と遠巻きに見ていた彼らも、真剣に働くハルトを見ている内に、いつの間にか「そこはこうやるんじゃ」「違う違う、こうだ」「もっと丁寧に」「もっと力強く」「荒ぶる馬のように」「初夜の乙女のように」と皆があーだこーだハルトに指示を出して共に働いた。




 今日はいよいよ秋の種蒔きだった。

 収穫の時を思い描き、祈って、植える。どの神に祈るのか、とハルトが訊ねると、大地に祈るんじゃ、とロズが答えた。


 ここのところは、ロズの冷たい敬語は見られなくなっていた。農民が農民に接するように、お互いに砕けた口調で話す。

 それがハルトには嬉しかった。






 ハルトがしゃがんで土をいじっていると、不意にロズがハルトに訊ねた。



「何故畑を手伝う?」



 ハルトは一瞬ロズに顔を向けるが、すぐに畑に顔を戻した。

 今良いとこだから、と言わんばかりに作業を続けながら、ロズに見向きもせずぞんざいに答える。



「手伝ったら僕に協力してくれる約束じゃん?」


「そんな約束しとらん」


「だよねー。ノリでイケるかと思ったけど、おじいちゃんにノリを求めるのも酷だよね」



 ハルトの軽口に「おじいちゃんではないわ」とロズが呟くが、いつもの通り、その呟きは聞き流された。



 ロズが横から「そこはもっと深くせんか」と指示を出し、ハルトは「はい」と答える。まるで師匠と弟子であるが、その実は領民と領主である。



「この村を捨てて逃げた方が早いと思わんか」ロズがまた訪ねた。


 ハルトはまたロズを一瞥してから「思うね」と答えた。続けて「僕だけが助かるならね」と付け加える。農作業は依然として続けたままだ。

 ロズがふん、と鼻でわらった。



「この村にそこまでの価値があるとは思わんがの」


「価値は関係ないよ」


「なら、何故この村に固執する」



 ハルトは「今日のおじいちゃん面倒くさいなぁ」と嫌そうな顔を見せた。それでもロズの瞳から真剣さを感じ取り、ハルトも作業を止めてロズに向き直る。



「この村が好きだからだよ」とハルトが言った。


「お前さんはこの村に来たばかりじゃろうが」ロズは訝しげに顔を歪めた。


「時間は関係ない。僕はもうこの村と、この村の人達が好きになっちゃったんだよ。だから誰にも死んで欲しくない」



 ロズはぽかんと口を開けて黙り込んだ。というよりも言葉が出てこなかった。

 かろうじて「そ、それだけか?」と訊ねる。それだけの理由で命をかけて戦うというのか、と。



「そうだよ?」とハルトはあっけらかんとしていた。そしてまた農作業に戻った。



 くっく、とロズが笑う。「お前さん、阿呆か」と言うロズの顔はどこか嬉しそうで、「うるさいなぁ」とわずらわしそうにするハルトの横で、いつまでも笑っていた。 






 ♦︎






 カンカンカンと教会堂の物見塔の鐘が鳴ったのは、秋蒔きが完了した翌日の夜明け前。まだ暗い時間だった。

 ハルトが慌てて領主の館マナーハウスを出て、教会堂前に行くと、丁度モリフが教会堂から出てくるところだった。



「モリフ!」と呼びかけると、モリフは「あ、ハルト様〜」と、駆け寄って来た。


「いったい何事だ」


「私も分からないんだよね〜。見張り当番がいることは知っていたけど、実際に鐘が鳴るのは初めてだよ〜」



 ハルトが塔に目を向けると、昨日の見張り当番が必死に鐘を打ち付けていた。

 見張り当番がハルト達に気が付いて、声を張り上げた。



「野盗だァァ!」



 えぇ!?とモリフの声が裏返る。「まだ襲撃には時間があったはずじゃないの!?」



 話が違う、とハルトも焦る。急遽、予定を繰り上げて、襲いかかることにしたのだろうか。

 いや違う、とハルトが気付いたのは、見張り当番がその泣きそうな顔を向けている方向を見た時だ。彼が見ているのは都市ヴァルメルとは反対の方角だった。

 野盗が攻めて来ているのは、隣国シムルド王国との国境方向からだ。



 ——つまり、



「多分、この野盗は都市ヴァルメルからの襲撃とは関係ないんだ」


「だけど、この辺りに他に村も都市もないはずだよ?」


「おそらく——」



 ハルトが答えようとして、くわおので武装した村人が家屋から出て来た。そして、誰かが叫ぶ声が聞こえる。



隣国シムルドの奴らだ!」



 野盗共は皆、みすぼらしい服にやせ細った体をしていた。隣国の農村の人間のようだった。

 確かにこの村の周辺にこの国の他の村や都市はないが、マリアの領地は国境沿いにあるのだ。隣国にはこの近くにも農村がいくつかあった。


 大きな荷さえなければ、密入国など山を越えて簡単にできる。この村がそうだったように、近隣の他の村も収穫が少なく、飢えに苦しんでいるのだろう。おそらくこの野盗共は食料を求めてここまでやって来たのだ。



「女子供は屋内から出ないようにさせろ!」


「戦えるやつは何でも良い、武器を持って迎え撃て!」


「奴ら食料を奪う気だ。畑を守れ!」



 村人の指示や叫ぶ声、怒号が聞こえる。

 それを聞き、ハルトは慌ててモリフに言った。



「モリフ! 村の人に戦わせちゃダメだ、死人がでる! 僕らで食い止めるぞ」



 モリフは珍しく文句の一つも言わずに黙ってうなずいた。

 ハルト達は野盗共の駆けてくる方へ向かう。幸い一方向からしか来ておらず、しかも人数も10人程度だった。

 一応、制止をかけておこうとハルトが息を吸い込んだところで、先にモリフが声を上げた。



「あなたたち! 止まりなさい!」



 普段からは想像もつかない程、張り上げられたモリフの声はよく通った。だが、それでも足を止める者はいない。



「誰の許しがあって来た!」と再度モリフ恫喝どうかつするように叫んだが、やはり野盗たちは聞く耳持たず、といった様子で剣や槍などの武器を構えて突撃して来る。


 モリフがどこからか大鎌をゆらりと取り出した。



「殺るしかないですね〜」とすっかりいつもの口調に戻っていた。



 躊躇ためらいのない野盗たちと早々に戦線が衝突するが、先頭の野盗は叫ぶ間もなく腹が裂かれ、内臓が零れ落ちた。続いてその上に胴体も倒れる。

 モリフの鎌には血が滴っていた。冷たい瞳で再び鎌を振る。次々と肉を切り裂く鎌は、まるで血の刃を飛ばしているようだった。


 えげつないな、とは思うもののハルトにモリフを責める気は一切なかった。これは殺し合い。殺さずに気絶させてだとか、苦痛を与えないようにだとか、余計なことを考えれば、こちらが命を奪われる。


 大事なのはいかに素早く、隙を作らないように敵の命を絶つか。この一点に限る。首には骨があるので、切断には思いのほか力が要る。その点、腹を裂くだけであればそこまでの力は不要だ。モリフの一撃は合理的な判断の結果だと言えた。



 ハルトもクロノスの鍬で素早く野盗の喉を裂いた。横から剣を振り下ろさんとする別の野盗を蹴飛ばして、その間にさらに別の野盗を斬る。

 立ち上がろうとする先ほど蹴った野盗にとどめを刺してから、次の野盗の剣をくわで受ける。


 

 その内、武装したハルトの村の村人たちが戦線に加わると、今度はハルトは野盗たちの攻撃を受けることに集中した。村人たちが攻撃を受けないように、ひたすら剣をはじき、槍を突こうと引き絞る野盗を蹴り飛ばし、村人にとどめを刺そうとする野盗に体当たりした。未だハルトの陣営に死者はでていない。



 いける。勝てる。大丈夫。誰もがそう思った。

 野盗が残り僅かとなり勝利が見えて来た時、それはやって来た。




 野盗たちがやって来た国境の方の森から、黒いモヤが立ち上がる。

 少しずつ形を変えながら、しかし、確実に村の方へ近づいて来ていた。



「なんだあれ……」とハルトが呟く。



 煙のようなそれはゆっくりと動いているように見えて、実際には猛烈な速さで進軍していた。



「おいおいおい……嘘だろ」


「なんだよ、どういう事だよ」


「なんてこと……」



 村人の戦意が次々と喪失していく。それは野盗の方も同じだった。野盗の目が絶望に染まる。「この国にまで……来てやがんのかよ」と野盗が膝をついて呟いた。

 もはや戦う理由はない。なぜなら食べ物は今から根こそぎ食われるからだ。野盗の奪うものなど何一つ残らない。






魔蝗虫まこうちゅう






 誰かが呟いた次の瞬間、大量の羽音が濁流のように流れて来た。

 奴らは人を食べることはない。だが大量の虫が体に張り付く感触は、全身の産毛が逆立つような気持ちの悪さで、ハルトは身を低くしてモリフの手を取って魔蝗虫の大群からとにかく距離を取った。


 畑を守る、収穫した穀物を避難させる、などという次元ではない。ハルト達にできることは村から離れて身を守ることくらいだった。



「なんて光景だ……」



 自分の命に等しい貴重な食料が目の前で、ゆっくりと奪われていく。それをただ見ていることしかできない。

 地獄だ、と思った。



 黒い点に取り巻かれた終わりゆく村を前に、村人達の目から色が失われていく。

 生きる希望を見いだせない灰色の瞳で、皆一様に地獄を眺めた。




 絶望に染まる人々の中で、モリフだけが魔蝗虫に別の意味を見出していた。

 しかし、ハルトがそれに気が付くのはまだずっと先のことだった。

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