第58話 一つ
と言っていいのかは正直分からない。なぜなら、村のいたるところに魔蝗虫が落ちているからだ。ほとんどは息絶えているが、中にはまだびくんびくんと痙攣している者や、元気にのしのし歩いている者すらいる。
だが、大部分の生きた魔蝗虫は去った。
村の被害は甚大だった。
夏畑から収穫したばかりの春蒔き穀物は全てやられた。一齧りでもされれば、その袋の中の穀物は全て毒素に侵される。植物の実や種に対する毒素の汚染速度は異常な程早い。
それに対して、土や石への汚染は魔蝗虫の死体から溶け出すようにじんわりと進む。
村人と共に村の中に戻ったハルトは畑の脇で立ち尽くした。
「畑が…………」
畑は黒く見えた。汚染で、ではない。死骸で黒く見えるのだ。とてつもない量の魔蝗虫の死骸が夏畑、冬畑、休耕地を問わず、畑上に広がっていた。
「終わった」と誰かが言った。
その言葉には感情がこもっていなかった。
目の前の『死』は確定していて、それをただ口にしただけ。何の味気もない言葉で自らの命の終わりを宣言した。感情が壊れてしまっていたのかもしれない。
誰も言葉を発さない。悲しいとか、悔しいとか、そういった次元の話でもなかった。あるのは虚無だ。あれだけ苦労して、努力して、手塩に掛けて育てた畑が、ものの数時間で『死の土地』になってしまったのだ。もはや未来永劫、この土地で人の食べられる作物が育つことはない。育つのは汚染された魔蝗虫専用の作物だけだ。
膝から崩れる者。座り込んでぼーっとする者。ただただ畑をじっと見つめる者。多種多様な彼らに共通するのは、心が折れた、という『絶望』だけだった。
そんな中、ハルトは1匹の魔蝗虫を拾い上げ、『サーチ』をかけた。
既知の情報が頭に流れ込む。ハルトが知りたかったのは、魔蝗虫の生態情報ではない。
知りたかったことはただ1つ。
魔蝗虫の位置情報。
ハルトはまだこの村を諦めていなかった。
絶望が
村人たちは目を見張った。
「あいつ…………正気か?」
「全ての魔蝗虫を拾い集める気か」
「無理だ。そんなことできっこねえ」
「無駄だ。やめろ」
村人たちがハルトを制止するが、ハルトの動きは止まらない。絶対にあきらめてなるものか。この村は僕が守る。
途方もなくゴールも見えない道を、たった一人で、一歩一歩が
ロズが立ち上がった。そして振り返る。未だ村人たちは座って色のない目をしていた。
「
未だに座っている村人をロズが見下ろす。直接声をかけられた村人は、罰が悪そうに顔を逸らした。
「誰よりも強く眩しいあやつから目を背けたい気持ちはわしにも分かる。お前たちの心の痛みもなぁ。だが、あやつはどうだ? 痛みを感じていないとでも思うのか? そう思うなら、もう一度よく見てみィ。あやつの顔を」
村人たちがロズに促され顔を上げる。その色のない終わった瞳が一斉にハルトに向けられた。
ハルトは泣いていた。
ぽろぽろと涙を流しながら、口を堪えるようにきゅっと結んで、しかし、涙は次から次から零れ落ちる。
泣きながらひたすら魔蝗虫をかき集めていた。悔しくないはずがなかった。皆で大切に育てた畑を、こんな
ハルトが畑で働くようになったのは最近だ。だが、村人たちが畑や穀物を、我が子のように扱っているのを見て、そして実際にハルト自身も土に触れ、ハルトも皆と同じ気持ちを共有していた。時間の長さは関係なかった。
ロズが村人を諭すように、優しく発破をかける。
「よそ者のあやつが諦めていないのに、わしらが諦めるのか?」
何人かの村人の目に僅かに色が戻る。
「この村は誰の村だ?」
また何人かが立ち上がる。
「あの畑は誰の畑だ?」
こうなれば残りの者が続くのもそう時間はかからなかった。
立ち上がった農民たちの目には闘志がたぎっていた。戦士かどうかは関係ない。闘う男に戦士か農民かの区別などない。あるのは立ち向かう意思があるか、ないか。
農民たちの心に火がついたのは明らかだった。
「畑はわしらの主戦場じゃ。領主様一人に出張らせるな! 行くぞ!」と誰かが言う。
おおォ! と勇ましい声が上がった。
ハルトが声に顔を向ける。農民たちが雄叫びを上げながら一斉に畑に入っていくところだった。
吠えながら畑に入る男たちを見て、ハルトは泣きながら「何これ」と笑った。それから袖でゴシゴシと顔を拭いて、作業に戻った。心強い仲間に、ハルトの心にも温かい何かが満たされた。
「火を
「生きてるのはちゃんと踏み潰せよ」
「こんな虫けらに終わらされてたまるか。どんどん火に放り込め」
「まだ毒素が溶けだしていない今のうちに、
もはや絶望の色はない。村は息を吹き返した。村人総出の魔蝗虫除去作業がはじまった。
日が暮れるまでぶっ通しで作業し、日が落ちてからも松明を灯して魔蝗虫の除去作業は続けられられた
翌朝、そろそろ日が昇り
「これで…………全部だ。もう畑に魔蝗虫の反応は確認できない。除去完了だよ」
どさっ、と尻から落ちて、ハルトが座り込むのと、「うォォオオオオオオ!」という村人の歓声が上がるのはほぼほぼ同時だった。
眠りもせずにぶっ通しで作業したというのに農民たちははしゃぎ、勝利の雄叫びが村中に響いた。ハルトはそんな彼らを微笑んでぼんやり眺めていた。
隣にロズがやってくる。
ロズは未だ険しい顔で畑を見ていた。そして1歩畑に入ると、土を手に取り、手の中で土を
「まだじゃ」とロズが言った。「畑と共に生きてきたワシには分かる。僅かだが、毒素が漏れておる」
「そんな」ハルトは続く言葉が出てこなかった。ここまでやって、結局無駄だったのか。また絶望の
だが、ロズは動じていなかった。
ハルトの横に置いてあったクロノスの
ロズが耕された土を
ロズが口を開いた。
「助けてくれ。あんたの助けがいる」
ハルトが間髪いれず訊ねる。「まだ間に合うの!? この畑は生きられるの!?」
「ああ。この程度の毒素ならば、魔道具である程度は浄化できる。それでも僅かに毒素は残るが、わしらの畑ならその程度の毒素は自浄できるはずじゃ」
ハルトは立ち上がり、クロノスの
クロノスの鍬にゆっくりと魔力を流す。そして目をつむり、天を仰ぐ。早朝の清涼な風が頬を撫でた。
魔力と一緒に祈りも込める。
(どうか僕らを救ってください)
どのくらいそうしていただろうか。
自分にも分からなかった。ハルトが目を開くと、いつもと違う力がクロノスの鍬に宿っていた。
本来であれば鍬に宿るのは『魔の力』だ。イメージとしては魔力は赤く見える。だが今クロノスの鍬に込められた魔力は青かった。青く清い。濃く深い。
(清くて…………強くて……美しい。まるでマリアさんだ)
ハルトがクロノスの鍬を振りあげ、そして大地にその一撃を落とした。
大地がうねり、一撃で放射状に耕されていく。しかし畑の端までくるとぴたりとうねりは消えた。畑だけを耕していく。派手さはない。優しく静かに、神聖な力が畑を包み込んでいった。
「なんて光景だ」ロズが信じられないものを見た、と首を小さく左右に振る。
畑が薄っすらと光っていた。
まだ日の出直前で薄暗いはずの村がぼんやりとした青い光に照らされる。やがて、光は土に吸い込まれるかのように収束していった。
ハルトはそれを見届けてから、畑の上に倒れた。
「領主様!」
村人が慌ててハルトに駆け寄る。その中にはロズもいた。
ロズがハルトの脈を取り、
「疲れて倒れただけだ。館に運んでくれ」と若い村人に指示を出した。村人3人でハルトを持ち上げ、そのまま領主の館へと運んで行った。
ロズが残った村人に向けて声を上げる。
「あやつは村を救った。この恩はばかでかいぞ? どうやって返す」
村人らは互いに顔を見合わせるが、明確な答えは上がらない。ロズが続ける。
「わしは領主様のために、戦う。この老い
ロズが挑戦的な笑みを見せた。まるで『来ないのか?』と挑発するような笑みに村人は苦笑して、あるいは、やれやれと肩をすくめて、それに応じた。
「爺さんが戦うのに、まだオッサン止まりの俺らが黙ってるんじゃ格好つかないわな」
「ああ。じじいは黙って後ろで見ておけ。俺が武功をあげる様をな」
「あの領主様のためなら、剣持って闘うのも悪くない」
「農民の意地見せちゃるわ!」
村中から雄叫びが上がった。大切なもののために戦う。強いか弱いかは関係ない。守るために立ち上がるのだ。決して脅威に屈さない強さを村人はハルトから学んだ。
村襲撃まであと7日。
ようやく村が一つにまとまった。
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【あとがき】
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