第59話 逆

 

 地下牢からの脱獄は不可能だ、とルイワーツは早い段階で諦めていた。


 出入口は地下牢ちかろう天井に空いた穴のみ。穴は常時は蓋のような重たい鉄の塊が乗せられて閉ざされているし、それ以前にその高さまでたどり着く手段がない。


 上から下に来るときは梯子はしごを降ろして移動するか、あるいは、罪人をゴミのように放り投げて入れるかの2択だ。

 ルイワーツは当然、後者の方法で地下牢に入れられた。


 地下牢は特殊な魔導石で覆われ、地下牢内でも魔法の行使は不可能だった。とは言ってもルイワーツは浮遊魔法を使えないし、分厚い壁に素手で穴をあけるようなスキルを持っている訳でもないので、魔法が使えようが使えまいがあまり関係はない。ただ、マリアのような規格外のバケモノを閉じ込めるには有効な設備だと言えた。




 不意に重たい金属と岩を擦り合わせるような音が上から聞こえた。穴の蓋がゆっくりとスライドして光が地下牢に差し込む。

 そして黒い髭を生やした品のない男がひょっこり顔を出した。



「ほれ。餌だ。ありがたく食えよ」男は薄汚いパンを地下牢に投げ込む。パンは床にバウンドしてさらに薄汚さを増した。


「食べ物を投げるなと教わらなかったのか」


「罪人とは仲良くするな、と教わったものでな」



 男はルイワーツが見たことないの人物だった。ということは、ギルド職員ではないし、冒険者でもないだろう。

 おそらく何か物騒な、あるいは非合法な仕事を生業なりわいとしている輩だ。

 男はパンを適度に汚してから地下牢に放り投げる業務が終わったというのに、まだそこにいた。そのままハシゴでも降ろしてくれるのなら願ったり叶ったりだが、男の顔を見るにただ罪人をおちょくって遊びたいだけのようだった。



「しかし笑えるな。難関な冒険者ギルド専門職員に採用されておきながら、日陰者ひかげものの俺に嘲笑あざわらわれる最後を迎えるとはよ。ははは、ざまぁねえな」



 男は心底楽しそうに目を歪め、黄色い歯を見せて、不潔な笑みを浮かべていた。目上の者が転落していく姿を見て、自分の境遇の悪さを慰める男は一定数、存在する。今上階でわらっている髭男は典型的なその類のゲスだった。



「じゃーねー。ばいばーい」とおどけて男が穴の蓋を閉めると、また暗闇が訪れた。

 手探りでパンを探り当て、一口齧る。カビの臭いが酷い。だが、ここに閉じ込められて2日。与えられた食べ物はこのパンが初めてだった。背に腹はかえられない。



 ヴァルカンに騙されて、不意打ちを受けてから、目を覚ますとルイワーツはこの地下牢にいた。

 罪人を監禁し、放置して、殺す。そんな刑を執行する場所だ。壁にもたれ掛かるように白骨化している前住民が、その刑の残忍さを物語っている。

 ルイワーツは死を覚悟していた。俺も近いうちにこうなる、と。だが、今しがた、僅かな希望が見えた。


 パンを与えられたからだ。


 少なくとも、しばらくは生かしておくつもりらしい。その間にどうにか脱出方法を考えなければ。



 ルイワーツが酷い味のパンをもそもそ咀嚼そしゃくしていると、また鉄の蓋が開いた。

 今度は誰も顔を出さない。

 ルイワーツが不審に思っていると、突然人が落ちて来た。ドサ、と石の床に打ち付けられる。頭からではなかったが、それにしても痛そうだ。

 俺もそうやって放り込まれたのか、と思うと無意識に後頭部に手を当てて、たんこぶがないか確かめていた。



 落ちて来たのは、さっきまで上にいた髭男だった。完全に伸びている。落ちた衝撃で、というよりは初めから意識がないようだった。

 ルイワーツが上を見る。が、やはり誰もいない。



(なんだ? 何が起こっている?)



 困惑していると、不意に声が聞こえた。

 その声は穴のすぐそばから聞こえる。それなのにやはり、そこには誰もいない。



「生きてはいるようだな。ちっ、面倒な依頼をよこしやがって」



 ルイワーツが、聞いたことのある声、と思うのと、マディが透過魔法を解くのはほぼ同時だった。



「マディさん!? なんで?!」


「いいからとっとと上がってこい。開けておくと臭くてかなわん」とマディがくるくると巻いた縄を投げ落とした。



 疑問は尽きないが、まず何よりもこの地獄のような臭い地下牢を脱出するのが先だ。ルイワーツは縄を掴んで腕の力だけで上に上がって行く。



 地下牢から這い出て、早々に「なんで、マディさんが?」とルイワーツが尋ねる。



『深淵の集い』リーダーのマディと今回の件が関係しているとは思えなかった。助けてくれた、ということは少なくとも敵ではないことは分かるが、情報が足りなすぎて、目の前の『救世主』を本当に信用して良いものか、ルイワーツは判断しかねていた。



「フェンテに依頼された。お前をマリアの村まで連れて来いとな」


「フェンテが?」



 俺は信用されていなかったのか?

 助けられたというのに、何故か心は晴れず、もんもんと憂鬱な想像ばかりが膨らむ。

 そんなルイワーツを見て察したのか、マディが「多分、逆だ」と言った。



「逆?」


「お前に何かあるかもしれない、と心配したんだろ。おかげで俺は面倒な脱出劇を演じるはめになったがな。ただ村に連れて行くだけの楽な依頼かと思ったが……あの悪ガキ」



 誰かに心配されたことがなかったルイワーツにはいまいちピンと来なかった。



(まぁ、マディさんも人付き合い下手クソそうだし、的外まとはずれなこと言っててもおかしくないわな)



 と、帰結すると、突然マディにケツを蹴られた。

 痛くはなかったが、「何すんですか」と驚いた顔で振り返る。



「てめぇ、今舐めたこと考えてたろ?」


「……エスパーですか?」と答えたら、もう一度蹴られた。今度は痛かった。







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