第92話 アシスト


 マリアの神聖魔法が蜘蛛の影を大きく伸ばした。だがそれも一瞬のこと。次の瞬間にはその存在ごと影は消えている。その神聖魔法は爆風が生じることもなく、しかし、その十字の光が走った後は草の根ひとつ残らず焼き尽くされる。

 マリアは途轍もない火力の範囲魔法を絶え間なく放ち続けた。


「化け物……」とラビィが呟いた。その目はアラクネではなく、マリアに向いている。自分の苦労は何だったのか、と嘆くようでもあった。

「アレは神様みたいなものだから、自分と比べちゃダメだよ。比べるんじゃなくて、崇めるものだから」何故かハルトが得意げに胸を張った。

「その神様とキスするとか、どうなのよ」と魔術師メロが口を挟むがハルトは聞こえないふりをした。


 ハルトは、ラビィ、メロと一緒に、大型の魔物アラクネに向かって走っていた。

 一方ウォーリアのダルゴはマリアが打ち漏らしたスモッグスパイダーの処理で城壁付近に留まっている。


 

 前方のアラクネとの距離をハルトが推し量る。

 アラクネはラビィの作り出した幻影で足止めしているため、今のところは一箇所に留まっている。

 ハルトが唐突に止まり、2人に振り返った。


「ラビィとメロはここまでだ。ここからは近寄っちゃダメだよ。ラビィは幻影でかく乱。幻影の数が多すぎると爆発されるから2、3体で。メロは魔弾で遠距離攻撃。奴が爆発魔法を使おうとしたら、メロの魔防壁で防いで耐えて」

「ハルト様は?」

「僕は接近戦」

「はぁ? 死ぬ気? マリアに怒られるのはウチらなんだけど」メロが鋭い眼光でハルトを睨む。余程マリアが怖いらしい。

「大丈夫大丈夫。爆発しそうになったらトンズラダッシュするから」

「全然上手くいきそうなビジョンが見えないんですけど」


 不安そうな2人を置いて、ハルトは単騎でアラクネに突っ込んで行った。その後ろ姿を引きつり顔でラビィたちが見送る。


「全然マリアの言いつけ守ってないじゃん」

「マリア様、可哀想……」

「…………ハルトが爆風で吹き飛んで来たら、その時点で作戦は中止。ハルト抱えて逃げるよ」

「分かりました」




 

 ハルトは剣を構えてアラクネの蜘蛛の前足に近づく。その表情は何故か満面の笑みである。アラクネは黒炎から生み出した槍でその眉間を貫いた。顔面に風穴が空いたというのに、そのハルトは未だ満面の笑みを保っていた。

 そして、今度は怒った顔のハルトが視界の上方に入り込む。そのハルトは跳んでアラクネの上に乗ろうとしていた。アラクネの槍がそちらに向く。同時にアラクネの蜘蛛足に沈み込むように別のハルトが動く。


 一度も攻撃して来ない彼らに高を括っていたのだろうか。アラクネは足元のハルトを無視して、上方のハルトを串刺しにした。怒ったハルトが消える。


 だが、次の瞬間、アラクネは予期せぬ激痛にかすれた喘ぎを漏らした。足元のハルトが攻撃してきたのだ。腕を浅く斬られ、血が垂れた。

 ハルトの青く冷たい目はまだアラクネを捉えている。

 間髪入れずハルトの第2の斬撃が迫る。避けるのはもはや不可能だった。剣を受けようにも槍は上の敵を貫いている。

 アラクネは咄嗟に蜘蛛足を2本上げて防ごうとした。

 


 剣が蜘蛛脚に当たる。当たった瞬間、鉱石でも切ろうとしているかのような痺れる反動が手に返った。それでも力を込めて、ハルトは剣を振り切った。


 蜘蛛脚が1本、ぼとり、と地に落ち、緑の体液が脚の断面から噴き出た。

 アラクネは空気を切り裂くような叫びを発して切断されなかった足でハルトを薙ぎ払おうとする。


 アラクネの足は、後ろに退いたハルトの鼻先をかすめて空を斬る太い音を奏でた。風圧でバランスを崩し、ハルトが尻もちをついた。


 アラクネがコォー、と不気味な音を発し始めたのは、ちょうどその時だった。

 攻撃を入れたことで、ハルトの頭の中に一瞬でアラクネの情報が流れ込んだ。

 こいつは幻魔術で使うような魔力粒子を辺りに拡散して、爆発を引き起こしているようだ。ただ幻魔術師のように瞬間的に魔力を粒子化することはできない。だから蜘蛛尻にその粒子を溜める。そして怒りと共にそれをまき散らし、大爆発させるのだ。

 粒子を噴き出すために、大量の空気を体に取り込む必要があり、その際に、コォー、と独特の吸引音を鳴らすようだ。


「コォー」


 そう。まさに今、聞こえているような——。




 サーっと血の気が引くのを感じた。

 ハルトは全力で後方に跳んだ。青い魔力を足に集中させ、風のような速さで撤退する。


 直後、背後で爆発音が轟き、もわっ、と温かい空気がハルトを包み込む。次の瞬間には激しい爆風にハルトは吹き飛ばされた。

 着ていたブリオーの背中部分が焼けて上半身がはだける。が、一目散に退避していたため、背中に軽いやけどを負うくらいで済んだ。

 ラビィとメロのもとまで転がるように飛んで行ったが、ハルトはラビィ達に捕らえられる前にすぐに立ち上がって、「こうなりゃヒットアンドアウェーだ!」とまたアラクネに向かって走り出した。


「な、なんて勇敢なんでしょう!」ラビィは胸を打たれるが、「いや頭おかしいだけだから」とメロは呆れ顔でハルトを見送る。


 アラクネは向かってくるハルトに向けて、金属を擦り合わせたような耳障りな咆哮を上げ、迎え撃つ構えを見せた。


(蜘蛛尻に粒子が溜まるまでは爆発はない。仕留めるなら、今がチャンスだ)


 ハルトは正面からアラクネに斬撃をお見舞いしようと、剣を振りかぶる。が、槍の方が間合いは長い。先制の権利は向こうにあった。攻撃しようとしていた剣は、必然的に受けに回ることになる。

 アラクネの槍は突きだけでなく薙ぎ払いにも対応した広がった刃の形状をしていた。しかも、思った以上に速い。

 速い上に槍だけでなく、蜘蛛足による攻撃も挟まるため、カウンターを入れる暇など全くなかった。


 槍と剣がぶつかり合う金属音が、アラクネとハルトの間で絶え間なく鳴り続ける。

 防戦一方を強いられ、そろそろ一度撤退か、と思った時だった。


 不意に横からアラクネの頭をめがけて岩石が飛んで来た。メロの土系統の魔弾。火球系よりは物理系が効くと踏んだのだろう。

 アラクネはひょい、と体を逸らして岩石を避けた。続けて岩石が連続して飛んでくる。アラクネは鬱陶しそうに蜘蛛足でそれを払おうとした。

 ——が、払えなかった。その岩石は蜘蛛足をすり抜け、アラクネの頭をもすり抜けていった。


(そうか——幻魔術)


 アラクネの近くにいたハルトにも岩石の幻覚は見えていた。

 別の角度——アラクネの死角——から飛んで来た岩石がアラクネの額に当たる。今度のは幻覚ではなかった。頭を弾かれるようにアラクネの体が傾いた。


 ハルトもそれに合わせて踏み込み、追撃する。

 アラクネはハルトの斬撃を後退して躱した。が、メロの追撃岩魔弾にまでは意識が回らなかったのか、今度はアラクネの胴と肩に岩石が直撃し、よろめきながらさらに後退した。


 トドメ、とハルトが剣を振りかぶるとアラクネは勢いよく顔を上げた。その目は赤さを増し、瞳をすごい速さで左右非対称にぐるぐる回していた。


「キィアアアアァァアアァアアァアアァァァ」


 耳に激痛が走った。咄嗟に耳を押さえる。

 今までの比ではない大声量の金切り声が響く。ハルトは呻き声を漏らすが、それすらも聞こえない。アラクネはハルトを放置して、大地を突き刺しながら、前進しだした。その先にいたのは——


(メロ!)


 ハルトは慌ててアラクネを追った。

 メロは背中を見せて逃げた。だが、遅い。アラクネとの距離はどんどん縮まって行く。メロが走りながら振り向く、その顔は恐怖に染まっている。迫り来る死。メロの口を動かし、何か言う。キィイン、という耳鳴りで声は未だ聞こえない。だが、なんて言っているのかは口の動きで分かった。「嫌! 来ないで、いやァ!」息を切らしながらメロが走る。その差はもうほとんどない。


 ハルトは必死に追った。間に合え、と祈りながら魔力を足に集中させて全力で走った。

 メロがアラクネの間合いに入る。


 瞳を上下左右にぐるんぐるん動かしながら、アラクネは口を三日月型に湾曲させ、ニタア、と嗤った。


 それから槍を引いて、メロに狙いをさだめる。


「メロ!」



 


 ハルトの叫びが響いた直後。






 乾いた大地にぼたぼたッ、と真っ赤な血が跳ねた。

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