第93話 滅び


 脇腹から噴き出る血は、音をたてて大地を赤黒く変色させた。

 ハルトは痛みに目を剥いて、しかし、脇に抱える槍に力を込めて離さない。


(間に合った!)


 ハルトの背後には尻餅をついて後ずさるような姿勢のメロがいた。

 アラクネが槍を引き戻そうとする。ハルトはそれに抵抗するように力を込めた。脇腹に激痛が走る。槍についた羽のような刃がハルトの体をえぐり取っていくように切り裂いたのだ。傷は深い。だが、動ける。


 切り口からは大量の血が滴り落ちた。

 体が悲鳴を上げているのは間違いないが、この瀕死の状態で、何故かハルトの魔力の流れは速さを増していた。

 アラクネは槍が抜けないとみると、ハルトを踏みつけようと蜘蛛足を持ち上げる。


 考えるよりも先に身体が動いた。

 反射的に振られた剣は無駄がなく、綺麗な太刀筋で蜘蛛足を切り離した。緑の体液が飛び散り、アラクネが痛みに悶えるように暴れた。だが、やはりハルトが槍を離すことはない。



 逃がしてなるものか、という執念がハルトを突き動かしていた。

 ハルトが右手に持つ剣を振りかぶった。これで終わらせよう、とアラクネの胴に狙いをつける。

アラクネは槍を離して、後ろに退こうとした。


 ——が、ハルトが素早くアラクネの足を斬って阻止した。1歩下がったところでガクン、と蜘蛛の下半身が傾き、アラクネの動きが止まった。

 再度ハルトは素早く剣を下段に構えた。ハルトの頭上に位置するアラクネの首に、ハルトは剣を斬り上げた。


 剣が首に入る瞬間。

 突如としてアラクネの周囲に黒い炎が燃え上がった。まるでアラクネの体に火が這うように一瞬で炎はアラクネを包み込んだ。


 この一撃で終わるならば、どんな魔法を使おうと関係ない。怯むことなくハルトは剣を振り抜こうとした。だが、戦闘を終わらせるはずの渾身の斬撃は甲高い金属音と共に弾かれた。


(なッ……! これは——鎧!?)


 槍の時と同じように黒炎を物質化した謎の金属で作った鎧がアラクネの体を覆っていた。

 鎧だけではない。既に切断した足も、同様に黒い金属で義足のように補われている。

 ハルトの剣は弾かれ、体は無防備にアラクネに開いていた。次の攻撃を避けることも、剣で防ぐこともできない。

 既にアラクネの蜘蛛足は振りあげられ、ハルトの胸に狙いをつけている。ハルトは死を覚悟した。


(僕の負け——)


 ハルトは歯を食いしばり、迫る蜘蛛足を睨みつけるように捕捉した。諦めかけていた心に鞭を入れる。

 ここで諦めたら、全てが終わる。避けられなくても、致命傷は免れることができるかもしれない。ハルトは身をよじってあがいた。負傷はしても、命は刈り取らせない。たとえ差し違えてでもアラクネを仕留める覚悟がハルトにはあった。



 


 短く鈍い音がすぐ近くで聞こえた。

 ハルトの顔に、跳ねた血が付着する。生温かいが。

 気が付くと目の前にマリアの背中があった。


「マリア、さん」


 マリアは振り向かない。

 ハルトのすぐ隣に、ぼと、とアラクネの白い腕が降ってきた。苦悶の表情を浮かべてアラクネが叫びながら悶えた。マリアはあの一瞬に蜘蛛足3本と、人型の上半身の右腕を切断していた。アラクネは残った蜘蛛足で攻撃しながら、欠損部分をまた黒炎で補修する。


 はっ、とハルトが勢いよく村に振り返った。そして、目の前が真っ白になる。もはや立ち上がる気力も湧かなかった。

 


 マリアさん……なんで——

 


 マリアはアラクネの蜘蛛足をさばきながら、隙をついて、脚を斬り飛ばして行く。

 防戦一方のアラクネは少しずつ後退させられ、表情に焦燥が満ちていく。こんな人間がいるなんて聞いていない、とでも言いたげに醜く顔が歪んでいた。

 マリアが冷たい瞳で少しずつ、少しずつ、淡々とアラクネを斬り刻んでいく。

 


 ——なんで…………なんでだよ。


 

 ギチギチと関節が擦れる音を立てながら、スモッグスパイダーの大群が防壁を登り、村に入り込んでいた。

 一度村に入られてしまえば、もはや対処は不可能。範囲魔法で焼き払おうとすれば村ごと焼いてしまう。個別に仕留めるには数が多すぎる。

 家屋は倒壊し、保存していた食物は荒らされていく。ハルトは村の方を見つめて絶望し、項垂れる。

 


 ——なんで…………なんでこっちに来たんだよ。マリアさん。


 

 アラクネは次々と足を失い、即座に黒炎で補う。アラクネの足はもはや全てが義足になっていた。

 遂にアラクネに我慢の限界が来た。マリアの斬撃に足を斬り飛ばされながらも、コォー、と吸引音を鳴らし始めたのだ。


「ま、まずいです! 爆発します!」とラビィの叫びが聞こえた。


「ハルト! 逃げるよ!」とメロが呆然とするハルトを立ち上がらせ、引っ張って走る。その速さでは到底逃げきれない。だが、あの場に留まるよりかはましだと、メロは振り返らずにハルトを引いて走った。



 マリアは冷静だった。

 大したことではない、とでも言うように平然とその時を待つ。

 アラクネが邪悪に笑った。つまり、全てを吹き飛ばす準備が完了したということだ。マリアが動いたのは、アラクネが魔力粒子を拡散する直前だった。


魔力粒子が拡散する寸前に、一瞬で魔法結界を張った。自分を囲って張ったのではない。アラクネを囲ったのだ。

 多面体の結界の中に、魔力粒子が舞う。アラクネは慌てた様子で結界を叩いた。大きく口を開き、ここから出せ、とでも言うかのような咆哮は結界によって遮られ、こちらには届かない。

 死を悟ったアラクネは絶望に染まった顔を見せた。


 直後、結界内で無音の大爆発が起こる。

 結界の内面が緑の液体で塗りたくられ、アラクネの姿は見えなくなった。


マリアが結界を解くと、結界面に付着していた少量の血液が、ぴしゃ、と落下した。

 結界を解いてもアラクネの姿はそこにはない。その残骸が無残に転がるだけだった。

 


 マリアが村の方に振り向く。


 

 村のそこらかしこから白い湯気が上がっていた。もはや誰も村には入れないだろう。マリアですら高温の蒸気の中に突き進めば無傷では済まない。マリアの強さは、防御力や耐魔力ではなく、その回避力にあるためだ。




 この状況から村を救える者など、誰一人としていない。


 


 マリアは苦しそうに顔を歪めて、全てを諦めるかのようにゆっくりと目をつむった。




 ハルト達はアラクネとの戦いで辛くも勝利をおさめ——



 

 そして村は滅びた。

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