第8話 心に決めた人

 

 また、言えなかった。マリアはがっくりと項垂うなだれた。


 周りは魔物の流出スタンピード魔物の流出スタンピードと騒いでいるが、別に魔物の流出スタンピードなど大したことではない。ダンジョンで狩ってた魔物をダンジョン外で狩るというだけのことだ。

 そんなしょうもないことに、私の一世一代の大勝負は邪魔されたのか。



「今から呼ばれた冒険者の方は至急第一会議室にお集まりください」とギルド職員が叫ぶように呼び掛けるが、マリアはそれをあまり真剣に聞いておらず、考え事をしながら、とぼとぼと第一会議室に向かい始めた。どうせ自分は呼ばれる、という確信があったからだ。



(どうすれば、ハルトくんを落とせるのだろう)



 マリアの頭はそのことで一杯だった。

 落とすというのは、男女関係、恋愛関係、婚姻関係、と呼び方は何でも良いが、とにかくハルトを婿として迎え入れ、一緒に領土運営をしてもらいたいということだ。


 それは単に領土運営が不安だから、という単純な理由だけではない。どうしてもハルトでなければダメなのだ。

 それは、今のマリアを作り上げたのはハルトだからだ。

 誰とも馴れ合わず、生きるための殺戮さつりく——それは人も魔物も問わず——を繰り返していたマリアに手を差し伸べ、仲間と引き合わせ、『楽しい』を教えてくれたのはハルトだった。

 そんなハルトに『貴族』としての身分を与えて、恩返しをしたいのも理由の1つだ。



(それに……)



 純白のドレスを着て、ハルトと並び愛の誓いを交わす想像をして、にへらとヨダレが垂れた。それから、えへへへへ、とだらしない笑みが漏れる。




 マリアが歩くその背後では、冒険者の名前が次々と呼ばれていた。

 ギルド職員の声は緊迫感に満ちている。一方で名前を呼ばれる冒険者の方は、だるそうにしていたり、仲間同士談笑しながら歩いていたり、と緊張感の『き』の字もない。

 呼ばれる冒険者は皆実力者揃いだ。彼らにとってはスタンピードなど取るに足らないことだというのは、周知の事実だった。

 不安そうにしているのはギルド職員と中級者以下の冒険者だけだ。





 ギルド職員の呼び掛けは続く。「続いて、『深淵の集い』のマディさん」





 マリアはその声を聞いて、妄想の世界から帰還する。そして『そう。厄介なのはマディ』と心の中でぼやいた。



(私が先にハルトくんを誘ってたのにィ! マディってば、ほんっと空気読めない!)



 苛立ちが顔に出たのか、周りを歩く冒険者が怯えた顔で少しマリアから離れた。

 マリアは心中でボロクソにマディを罵倒するが、自分がまだハルトを誘えておらず、なんならマディの方が先にハルトを誘っているという現実には思い至らない。

 マリアの中では、『誘おうと思った=誘った』という訳の分からない方程式が成り立っていた。



(いや、マディだけじゃない。リラもだった。あの女。あんのくそビッチがァァアア!)



 リラがハルトを誘惑していたことを思い出し、血管が切れそうな程の憤怒が燃え上がった。周りの冒険者の一人から「ひっ」と声が漏れる。



(私が先に、私が先なのにィィイイイ!)



 怒りと共に目に涙が溜まる。マリアはぐすっと鼻をすすって、とぼとぼ歩く。

 笑ってよだれを垂らしたり、怒ったり、泣いたり、情緒不安定なマリアに、もはや周りは『触らぬ神に祟りなし』状態であった。マリアの周辺だけ人気ひとけがなく不自然に開けている。



(やっぱり私もお色気で攻めた方が……)



 マリアは自分の胸に手を当てて、そのなだらか過ぎる勾配に絶望した。

 私にお色気は無理、と結論を下すのに1秒もかからなかった。『おっぱい弱者』という言葉が頭に浮かんで、惨めな気持ちにさいなまれる。

 不幸にも『おっぱい弱者』中のマリアに声をかける者がいた。



「よぉ。どした、幸薄さちうすそうな顔して」



 赤い短髪の男、マリアと同じ『金獅子きんじし』のメンバー、魔導士のレオンだった。

 ぱっちりとした二重で端正な顔立ちは『イケメン』と称して差し支えない。だが、例えイケメンであろうとも、今のマリアはどの角度から話しかけても地雷であった。



「誰が乳薄ちちうすい顔よ!」



 マリアの右ストレートがもろに入って、レオンが吹き飛び壁にぶつかり、ずり落ちた。冒険者ギルドの壁は頑丈でありびくともしない。頑丈じゃないのはレオンの方である。

 吹き飛ぶイケメン、という異常な事態に一瞬どよめきが起こるが、ここは冒険者という荒くれ者の業界。なんだケンカか、とすぐに注意が逸れた。



「言ってない……」とレオンはみぞおちを押さえて、嘔吐しそうな青い顔で弁明するが、既にマリアは先を歩いていた。

 マリアがハルト以外には、すこぶる辛辣しんらつな態度をとることをハルトはまだ知らない。

 レオンは何とか立ち上がると、懲りずにマリアに追いついて話かける。



「おい、待てって。一緒に行こうぜ」



 マリアは答えないで、黙々と歩く。



「何怒ってんだよ。あれか? 例の領主になるって件か?」



 ぴくっ、とマリアのまぶたが反応した。その目で、レオンを睨みつける。

 レオンはビンゴ、と口笛を鳴らした。



「やっぱり止めたが良いって。お前が冒険者をやめるなんて、世界の損失だぜ?」

 レオンは説得するように柔らかく促す。


「あんたには関係ないでしょ」とマリアはにべもなく言った。


「領主はお前じゃなくてもできるが、冒険者のトップはお前じゃなきゃ張れない」


「あのねぇ」とマリアが振り返って止まった。

「冒険者なんてものは誰だってそれなりに出来るの。できない人達は死んでいって、出来る人達が残る。つまり、今いる冒険者は皆優秀なんだよ。分かる? 私はこの業界に必要ないの」



 マリアのその言葉にレオンは顔をしかめる。



「そんな訳ない」とレオンが呟くように言う。「そんな訳ねぇよ。お前は俺の、俺たちの憧れだ。俺たちがお前を必要としてるんだよ。頼む。行かないでくれ」





 レオンがマリアの腕を掴んで懇願した。マリアも黙って、レオンを見つめる。






 ——が、やがて、腕を掴むレオンの手をマリアが丁寧にほどいて、ゆっくりと首を左右に振った。それがマリアにとっての精一杯の誠意ある固辞であった。



「なら」と尚もレオンは食い下がる。「なら、俺が! 俺がお前に婿入むこいりする! いいだろ? 俺はマリアとずっと——」


「——ダメだよ」



 マリアは微笑んだ。



「あなたはこれからの冒険者の要なんだから」



 いつも辛辣なマリアの目は、この時ばかりは慈愛じあいに満ちていた。女神のごと眼差まなざしがレオンに降り注ぐ。

 だが、レオンはマリアの思いを素直には受け入れられず、その整った顔を歪めて不服を示していた。





「それに——」




 そう口にするマリアは途端に女神から、人に落ちる。

 人に憧れ、人に情欲し、人に恋焦がれる。そんな人間臭い照れた笑みを見せた。

 その想いの向かう先がレオンでないことは明らかだった。

 レオンの顔に一層深い影が落ちる。



「——私、もう心に決めた人がいるの」




————————

【あとがき】

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