第9話 農奴ナナ
馬上から、馬に乗って先を駆けるルイワーツの背中をぼんやり眺めていた。日はまだ高いが、馬で駆けていることもあり、少し肌寒い。ハルトはマントの中で身震いした。
(なんで、鑑定でくそ忙しいのに、分布調査なんて……。しかもこんな奴と)
何度目になるか分からないため息が漏れる。
憂鬱な気持ちというのは、
先ほど
徐々にルイワーツとハルトとの距離は広がり始めていた。
「おい、早くしろ。のろまが」とルイワーツが振り返って
ハルトは馬のせいにするのも何となく可哀想で「すみません」と答えるが、ルイワーツはこちらに見向きもせずハルトを無視して、さらに距離を広げた。
近隣の農村に馬を預けて、ハルト達は徒歩で『不死王の大墳墓』に向かう手筈だった。
馬で行けば、
これを『スタンピードの一種』とする説もあるが、スタンピードとは違い、荒れ果てた地表の霊園内を
そのため、『地表もダンジョンの内』という説が有力なのである。
農村を出て、『不死王の大墳墓』に向かう途中、まだ霊園までは距離があるため、ハルトもルイワーツも気楽に進んでいた。
「なんでお前みたいなお荷物とダンジョンなんて行かなきゃならないんだかな」とルイワーツが早足に歩きながらハルトに聞こえるように零す。
(そのセリフ、そっくりそのままリボンでも付けてお返しします)
ハルトは内心は別として表面上は黙ってルイワーツの指示に従っていた。一応、先輩だからだ。また、ルイワーツが冒険者上がりの職員であり、こと戦闘に関してはそれなりに頼りになることも理由の一つだった。
同行者を一切気にかけない速さで——何なら
ハルトは置いて行かれないようにルイワーツの後を追っていた。
それは、『ルイワーツの頭に石でも投げて動きを鈍らせようか』とハルトが妄想している時だった。
不意に、女性の悲鳴が聞こえた。
声の方に顔を向ける。その方向には廃村があった。悲鳴の主の姿は見えない。
誰かが魔物に襲われている、とハルトは察した。
まだ霊園までは距離があるが、ここは先日スタンピードが発生したダンジョンだ。この周囲に魔物の取りこぼしがあったとしてもおかしくはなかった。
「ルイワーツさん」とハルトがルイワーツに顔を向けると、ルイワーツはフンっと鼻で
ルイワーツは止めていた足を再び動かしだす。
ハルトはルイワーツに助けに行く気がないと分かると、ルイワーツを置いて一人駆けだした。
おい、とハルトを責めるような声が背後から聞こえたが無視した。
ハルトは廃村の建物の間を縫って、内部に入り込む。
「どこだ! とにかく声を出せ!」と叫ぶと「いやァ、助けて!」と差し迫った声が聞こえた。
声の方にある廃屋の裏手に回るとグールが若い娘に覆いかぶさるようにのしかかり、手をばたばたと動かしていた。
グールとは、人型の魔物だ。いわゆる『アンデッド』である。
ゾンビみたいなもので、人間が腐食した姿をしており、生前の服装のまま歩いている。引っかかれたらゾンビになる、なんてことはないが、グールの爪には細菌やウイルスが付着しており、傷つけられると意外に厄介だ。それが原因で死亡する駆け出し冒険者も少なくない。
ハルトは抜剣し、娘に当てないように慎重にグールの胴を突いた。グールの腹部に刃が貫通する。人体を突いたにしては嫌に柔らかい感触が手に残った。
そのまま剣を横に振り、グールを切り払う。
地面に打ち付けられたグールは、まだしぶとく襲い掛かろうと立ち上がった。
ハルトがとどめを刺そうと剣の柄を一層強く握った瞬間、横から長い槍が伸びてきてグールの脳天を吹き飛ばした。
その一撃で糸が切れたようにグールは膝から崩れ、動かぬ腐肉となった。
「お嬢ちゃん、ケガはないかい」とルイワーツが槍を振って、付着した腐った肉片を払う。
放っておけ、とか言っていたくせに、とどめだけ刺しに戻ってきたのか。まさに横槍、とハルトは思うが、娘を助けるという目的は達成できたので黙っていた。
「はい」と娘が答えた。服装から、農村の農奴だと分かった。
農奴とは、奴隷ではないが、農村を好き勝手に離れることのできない村人のことである。
彼らは貸し与えられた農地での農作業を主たる仕事としているが、週に数回、領主直営地での農作業を義務付けられているため、大抵の農奴は忙しく、貧しい。
娘も栄養不足が見て取れるほど、やせ細っていた。
だが、短めの髪は綺麗なライトブラウンが際立ち、パッチリした二重の目は大きく、まだ幼さを残していつつも身体つきは既にしっかりと女性である。痩せ細っていても器量が良い娘であると分かる。13、14歳くらいであろうか。この世界では既に成人している。
「た、た、助けて、くれて、いただき、ありが、感謝の言葉も、その」
娘は整った言い回しをしようとして却ってヘンテコな言い方になっていた。
「普通に喋って大丈夫だよ」とハルトが言うと「お前は何もしてねぇだろうが」と横からルイワーツがハルトを非難した。どの口が言うのか、とハルトは思うが、やはり黙っている。
お嬢ちゃん、とルイワーツが娘に声をかける。「都市に逃げようとしていたのか」
ルイワーツの目が怪しく光ったように感じた。
農奴は基本的にはその農村から動けないが、生活苦のためにその掟を破って逃げ出そうとする者もいる。
そういった農奴は、ほとんどが都市を目指す。都市は領主の管理の外。皇帝から自治を許された土地であり、地方領主でも手を出せない領域だ。そこでは農村と違い、職業も自由に選べる。だから都市に逃げて一念発起、人生をやり直そうと皆考えるのだ。
この辺りの都市はハルト達の冒険者ギルドがあるヴァルメルしかない。この娘は都市ヴァルメルへ逃げようとしていた可能性が高かった。
娘はルイワーツの問いに答えない。だが、沈黙は肯定しているも同じであった。
「あてはあるのか?」とルイワーツが聞くが返答はなく、続く「入市料は?」という問いも同様であった。都市に入るには金がかかる。払えなければ文字通り門前払いだ。
「それなら、俺のところに来るか?」とルイワーツが提案した。ルイワーツは含みのある笑みを浮かべていた。まるで舌なめずりでもし出しそうな雰囲気にハルトは軽蔑を禁じ得ない。
おそらく金銭的に自分に依存させ、性奴隷にでもするつもりだろう。身分的に『奴隷』でなくても、金がなくては従うしかない。
娘もそれを察したのか、黙って震えていた。だが、すぐさま断るということもなかった。判断に迷っている。その様子が見て取れた。身体を売ってでも生き延びることに価値がある、とそういう考え方もあるにはある。
そこでハルトはふと『この子の農村って……』と思い出した。
そして、
「村にお帰り」とハルトが諭すように言う。ルイワーツが睨んでくるが、無視する。
「でも」とかろうじて聞き取れる声で娘が答えた。でも、の後は続かない。生活が苦しい。その一言に尽きることはハルトでも察することができた。
「大丈夫」とハルトが言う。「近いうちにこの一帯は新しい領主様が取り仕切るようになる。その人は慈愛に満ちた素晴らしいお方だ。必ず君の村は良い方に向かうよ」
ハルトは確信に満ちた声で娘に言った。マリアさんに任せれば大丈夫。ハルトのそれは「信頼」というよりも「信仰」に近かった。
何が彼女を説き伏せたのかは定かではないが、やがて彼女は「分かりました」とうなずいた。「村でもう少し頑張ってみます」
「うん。時間が出来たら、僕も村の様子を見に行くよ」とハルトが言うと、娘は初めて笑みを見せた。
ハルト達が去ろうとすると娘は「お兄さん、名前」と聞き出しづらそうに言った。
「ルイワーツだ」と隣で声があがる。
娘は予想外のところから上がった自己紹介に張り付けたような笑みのまま固まっていた。それからハルトも一応「ハルトだよ」と答えた。
「私はナナ」とハルトを見てナナが言う。「ハルトさん、助けてくれてありがとう。約束、守ってね」
約束、とはどれのことか。農村が良い方向に転がることか、あるいはハルトが様子を見に村に行くことか。
ハルトは疑問を胸にナナのもとを後にした。
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