第10話 禁忌

 

 ダンジョン内には『罠』というものがある。


 これらは一種の『オーバーテクノロジー』と言えた。いや、そもそも魔法がテクノロジーなのかどうか、という問題はさておき、現代の魔法では再現不可能なトラップがダンジョンには満ちている。


 その中でも、最も凶悪なトラップ。それは『転移のトラップ』だ。これを踏んだら最悪だ。ダンジョン内のどこに飛ばされるか分かったものではない。

 大抵は魔物に満ち溢れた隠し部屋だったり、トラップだらけの1本道だったりとろくな場所ではない。



 ハルトとルイワーツは慎重に『不死王の大墳墓』の第5階層を進んでいた。



「おい。トラップだけは踏むんじゃねぇぞ、ぐず」とルイワーツが言う。語尾を罵倒ばとう用語にしないと喋れないのか、とハルトは呆れて聞いていた。



 農奴のうどの娘ナナに会ってからルイワーツの機嫌はすこぶる悪かった。

 理由は明解だ。ハルトがルイワーツの性奴隷獲得を邪魔したからである。あんな幼気いたいけな——とは言っても成人である12歳は裕に超えていると思うが——少女を性奴隷だなんて、けしからん。

 ハルトは少女を思って阻止したつもりだったが、ルイワーツへの腹いせがあったことも否めなかった。さらに阻止した理由はそれだけに留まらない。



(あんな器量よしの娘とエッチなことをするなんて、許せん。断じて許せん。うらやまけしからん)



 結局のところ、あまり人に誇れる理由でないのは確かだった。







 第5階層ももう半分は制覇した頃、「ルイワーツさん、もう十分じゃないですか? 第5階層まで分布調べれば、誰も文句言いませんよ」とハルトが任務終了を提案した。

 ——だが、



「うるせぇ。俺に指図すんじゃねえ」



 ルイワーツとハルトの間に、雑談はない。黙々と進むルイワーツにハルトがついていく。

 すでに都市ヴァルメルを出立して2日が経過していた。



 第5階層は開けたエリアだった。

 ひつぎや謎の台座など、不気味な装飾があちこちにあり、狭い通路はあまりない。

 魔物は他の階層と比較して若干多い気がしたが、魔物に出会って記録することが仕事のハルト達にとっては好都合だった。








 不意に遠目に見知った顔を見つけた。そして、その団体がこちらに近づいて来る。



「ハルト。ギルド外であなたに会うとはね」とB級冒険者リラがハルトに近づき、ハルトの背に手を添えた。ルイワーツがそれを面白くなさそうに見やる。


「リラさん。こんにちは」


「こんにちはって、あなた、今が朝だか夜だか分かって言ってんの?」とリラが噴き出した。


「そういえば、どっちでしょう。薄暗いから……夜?」


「ダンジョン内はどこも薄暗くて当たり前でしょうが。今は昼よ」



 ハルトが『なら、こんにちは、で合ってるじゃん』と思うと同時にリラが、

「今、『こんにちは、で合ってるじゃん』と思ったでしょう?」とハルに半眼を向けた。


「ぎく」


「ぎくって口で言う人、初めて見たわ」とリラが笑う。「でも、ダンジョン探索には時間の把握は重要よ。夜中に魔物が凶暴化したり、逆に睡眠を取ったり、魔物の行動パターンが変わるんだから」


「なるほど。勉強になります」



 ハルトが答えると、話がひと段落ついたと思われたのかルイワーツがハルトを横に押しやってリラに大げさな笑顔を向けた。



「そんなこと常識ですよね、リラさん」と媚びた声をだす。


「ん? うん、まぁそうね。あなたもギルド職員さんだっけ?」とリラが尋ねるとルイワーツが嬉々として名乗ろうとした。——が、リラがそれを手で制する。


「名前は大丈夫。どうせ覚えられないから」と告げた。



 その声からは特に悪意を感じられない。

 そもそもギルド職員の名前をいちいち覚えている冒険者の方がまれだ。

 その点、ハルトは何故か多くの冒険者から名前を覚えられていた。若い職員だからと、からかって玩具おもちゃにされている、とも言える。



 ルイワーツの『羞恥と怒りを押し殺そうとして押し殺せていない表情』をこれ以上リラさんに見せてはいけない。ハルトはそう思い、リラに話を振った。



「り、リラさんもこのダンジョン攻略中なんですね」


「いいえ」とリラがかぶりを振る。「私達は今帰りよ。ここの深層に私の狙ってる金属が埋まってるって聞いたから来てみたんだけど、人生そう甘くないわね。今回は諦めて撤収することにしたわ」



 リラが肩をすくめて、ため息を吐く。探索終わりの疲れ果てた状態でさえ、リラの吐息は甘い魅惑の匂いがした。もはやリラの体内から出るものは全てが甘いのではないか、とさえ思える。



「あなた達はダンジョン調査でしょう? 頑張りなさい」



 そう言って、リラのパーティは去って行った。ハルトはリラのパーティ『神秘の宝珠』に手を振った。






 リラたちが見えなくなった頃、唐突に横から蹴られてハルトは地面に伏す。尖った石に手をついて手のひらが切れ、血が滲んだ。



「冒険者なんざに媚び売ってんじゃねぇよ!」とルイワーツが恫喝どうかつする。



 ハルトは、いやお前が言うんかい、と思ったが、例のごとくそのツッコミは抑えつけて「すみません」とだけ言っておいた。その方が面倒ごとが少なくて済む。魔法の言葉『すみません』






 結局、ハルトの進言を無視する形で、ルイワーツは次の階層に進んだ。






 そして、それが起きたのは第6階層の序盤でのことだった。





 ハルト達は、とある物を囲うようにくいが打たれマーキングされている場所の前にいた。

 ここは立ち入り禁止、と警告するような物々しい杭が妙な緊張感をかもし出していた。



「これが例の」とハルトがソレを見下ろして呟く。


「ああ。転移トラップだ」とルイワーツが言った。



 トラップは魔法に長けているものがよく見れば発動する前に、その存在に気付くことができる。また、そこに書かれた魔呪印まじゅいんを読み解き、それがどんなトラップなのかも判断できる。

 そうして危険なトラップを見つけた者が、後続の者に分かるようしるしを残しておくことはまれにある。親切な人とは戦場だろうとダンジョンだろうと、どこにいても親切なのだ。



 今ハルトの目の前にあるくいは、遥か昔から誰かが残した忠告のしるしだった。

 そしてこのダンジョンの名所でもある。



 このトラップを面白半分に——あるいは自分の力量を過信して——踏んだものは過去に何人もいた。その誰もがギルドに帰ってくることはなかった。

 通常の転移トラップも脅威ではあるが、10人が踏んで10人が帰って来ない、なんてことはまずない。それだけにこの『不死王の大墳墓第6階層』の転移トラップは異様な存在で、これを踏むことは禁忌きんきとされていた。

 ハルトは第6階層まで来たのは初めてだったので、その杭の噂は聞いてはいても実際に見たことはなかった。



(この世界にカメラがあればなぁ)



 ハルトは観光気分に浸って、そのトラップの魔呪印まじゅいんをまじまじと見つめていた。



 ルイワーツが唐突に言う。「ギルド職員の1年あたりの平均殉職者数じゅんしょくしゃすうってどのくらいだか、知ってるか」


「いいえ」とハルトは答えた。実際知らなかった。同僚で殉職した、なんて話は聞いたことがない。


「おおよそ0・9人だ。ここ10年での計算だがな。最近では滅多に殉職者はでないが、昔、ある年に大量に死んだと聞いたことがある」



 ハルトが就職する前の出来事だろう。何があったのか気になったが、どうやらルイワーツが就職するよりも、もっと前のことなのだ、と察した。



「で、だ」とルイワーツが言う。ここからが本題、というような口ぶりだった。「10年間で9人死んでるから1年当たり0・9人って計算だ。なら、今年もう1人死ねばどうなると思う?」



 ハルトは、えーっと、と考える。そんなに難しい計算じゃない、とすぐに分かった。



「10年間で10人死亡するんだから当然——」とハルトが答えようとしたところで、唐突に背中に衝撃が加えられた。ルイワーツに槍の柄尻で突かれた、と瞬時に理解する。






 身体が浮くように前に傾く。






 全てがスローモーションに感じられた。






 ハルトが体のバランスを保つために、今踏みしめようとしている足は、杭の内側——転移トラップの真上にあった。
























 終わった、とハルトは悟る。


























 ルイワーツが楽しそうに顔を歪めて言った。














「今ちょうど『1』になった」




























 ハルトが足を踏み下ろすと同時に、その姿が一瞬にして消えた。

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