第11話 その時

 

「またぁ?!」とマリアは詰め寄った。



 対応してくれている若い女の職員——ネームプレートに「フェンテ」と書かれている——は困り顔で「申し訳ありません」と繰り返した。



「昨日もハルトくん不在だったじゃない。何? 年休なの? 夏休みなの? ライフワークバランスなの?」


 まくし立てるようにマリアが言うと、「ぶ、ぶ、ぶぶ分布ぶんぷ調査ですゥ」とフェンテが白状した。その顔はほとんど泣いていた。


「分布調査ァ?!」



 ギルド職員がそういう無駄な統計を取っていることは知っていた。

 マリアに言わせればダンジョンの状況などその日、その時間によってまちまちなのだから、そんな大まかな情報は無駄以外の何物でもない。固定観念に囚われることを考えれば、害ですらあるという認識だった。


 だが、とにかくハルトは今どこかのダンジョンにいる、ということは分かった。と、なれば話は簡単だ。マリアはフェンテの肩を優しく、あくまで優しく鷲掴んだ。『優しい』と『鷲掴む』が合わさることがあるのかははなはだ疑問ではあったが、少なくとも表情は笑顔だった。



「どこのダンジョンっ?」



 努めて明るく、跳ねるように聞いたのに、フェンテは「ひィっ」と怯えきった顔を返した。だが質問の答えは返ってこない。



「どォこォのォ〜…………ダンジョンっ?」



 にっこにこの笑みに、手はきゃぴっと頬っぺたに添えて、メルヘンチックに再度尋ねたが、返って来たのはやっぱり「ィひィィイイイ」という恐怖の叫びだった。失礼してしまう。



「ふ、ふ、『不死王の大墳墓』ですゥ」とフェンテが白状した。こんなに口の軽い職員も珍しい。聞いておいてなんだが、職員の個人情報保護はどうなっているのか。


「いつ帰ってくるのよ」とマリアが尋ねるが「分かりませんんん! 本当に分からないんですゥ!」と拷問を受けた者が許しを乞うようにフェンテが叫んだ。



 拷問なんてしないのに、とマリアは肩をすくめる。

 マリアが拷問なんて野蛮な行為をするとしたら、その時はハルトの命に係わる時だけだ、とマリアは断言できた。そして『その時・・・』は永遠に来ない。来させない。



「キミが知らないだけで、もう帰って来ているってことはないわけ?」とマリアが言う。

 もはや理不尽なクレーマーのようであった。それだけマリアにも余裕がなかった。一刻も早くハルトと婚姻関係を結ばなくては、と焦っていた。さもなくば、ハルトが冒険者になったり、あるいは宝石店の店員になってしまう。



(ハルトくんを手に入れるのは私よ)



 マリアは次こそはちゃんと逆プロポーズしよう、と決意していた。

 フェンテが「か、確認して来ますゥ」と事務室内に引っ込む。



 カッカッカッカッ、と何の音だ? と思ったら、自分の貧乏ゆすりの音だった。足を止めると、今度は指が意識せずトントンと机を打つように上下する。



 不意に「何をそんなに苛立っているのよ?」とB級冒険者リラが現れた。リラはマリアの隣の席に座ると「お肌に悪いわよ?」とマリアの頬っぺたをつついた。


 受付カウンターは1つのカウンターに2つ椅子が並んでいる。マリアとリラが並んで1つのカウンターに着席するような形になった。

 リラが座ると急にそこが高級バーのカウンターにでもなったかのように華やかに感じられた。



 リラの豊満な胸に視線が吸い寄せられる。マリアはリラの胸に向けて密かに舌打ちをした。



「苛立ってないよ?」と笑顔で言うと「そんな憎しみに染まった笑顔で言われてもねぇ」とリラが苦笑した。



 あなたのせいで苛立っているんだよ、と口にするのは流石にマリアでもためらわれた。

 代わりに「ハルトくんをスカウトしてるの?」と尋ねた。笑顔、努めて笑顔である。



 リラはマリアの苛立ちの原因を何となくではあるが、察している節があった。だが、一介のギルド職員フェンテとは胆力が違う。リラはマリアの憤怒の笑顔に動じなかった。



「あら、よく知っているわね。そうなのよ。あの子、優秀な上に、鑑定までできるようになっちゃって。是非ともウチで欲しいのよね」とリラは目を細めてマリアの様子を観察するようにジッと見つめる。マリアをおちょくっているようでもあった。



 それを聞いてマリアは自分でも意識しない内に、椅子を倒して立ち上がっていた。

 がん、と椅子の倒れる音が響く。







「ハルトくんは——」







 誰にも渡さない、そう言おうとして、それよりも早くフェンテが戻って来た。



「お待たせしました! や、やっぱりまだ戻ってないみたいでって、ひィィイイイ、増えてるゥウ!」



 フェンテは「どうも」と手を振るリラを見てまたも絶叫した。まるでマリアが分裂したかのような驚きようである。



「まだ戻ってないって、ハルトの話かしら」とリラが尋ねる。


「は、はい。そうですゥ」



 リラはギルドの受付課の事務室内をジッと見つめる。そして、ある人物に目を止めて、「それはおかしいわね」と言った。



「おかしい? 何がよ」とマリアが尋ねる。嫌な予感がした。


「ハルトがまだ帰って来てないってことが、よ」


「で、でも実際まだハルト先輩は帰ってませんよ?」とフェンテが上目遣いに恐る恐る言った。




「私見たの」とリラが言う。


「見たって、ハルトくんを?」


「ええ。それと今あそこの事務室で談笑している男」とリラが一人の職員を指さした。「不死王の大墳墓の第5階層に2人でいるところを見たわ。昨日の話よ。あそこの彼が帰っているのに、ハルトだけ帰っていない、なんておかしいと思わない?」


「ルイワーツ先輩」とフェンテがつぶやいた。





 自分の中に抑制し難い、マグマのような激情が沸くのが分かる。それは理性や倫理観といったものを焦がしながら、ゆっくりと心を飲み込んでいく。後に残ったどす黒い感情は『殺意』と言っても過言ではなかった。



「あの男はハルトくんとペアで分布調査に行きながら、ハルトくんを置いて、一人のこのこと帰って来た、と。そういうこと?」


「まだあの男がハルトを置いてきたって決まったわけではないわよ」とリラがとってつけたように義務的な弁護をした。



 だが、怒りに支配されたマリアはもはや止まらない。



「それはあの男に聞けば、分かること」とマリアはカウンターを乗り越えようとして、「わああああ、ダメですダメです!」とフェンテが引き留める。



 リラは、フェンテを引きずりながら事務室へ歩いていくマリアの背中に声をかけた。



「聞いたところで、正直に言うかしら?」



 リラの問いにマリアがピタリと止まる。

 そして、ゆっくりと振り返り、「大丈夫」と言った。






 マリアが薄く笑う。






「話を聞くためなら、私なんだって頑張れそう」




 その時・・・が来たのだ、と言うマリアの瞳は、仄暗く、『聖剣のマリア』に似つかわしくない邪悪な様相を成していた。

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