第7話 スタンピード
リラが去った後、光の速さで何者かが席に着いた。
マリアだった。
マリアは何も言わずに、口をきゅっと結んで、ただただハルトを睨む。無言だ。無言で頬を膨らましている。
「あのォ……マリアさん? 何をほっぺた膨らませてんの?」とハルトは一応聞いてみた。
「怒ってるの!」とマリアが律儀に答える。
(怒っていることを口で言わなきゃ伝わらないマリアさん、可愛い)
ハルトが黙っていると、マリアは「何を怒ってるか、分かる?」と面倒くさい彼女のようなことを言い出した。
「もしかして……」ハルトは一つの真相に辿り着く。思い当たることはそれしかなかった。「僕が密かにマリアさんのファンクラブに入ってるのが……バレた?」
あー恥ずかしいィ! とハルトの顔が耳まで赤くなった。
(だって、マリアさん、最強だし、可愛いし、綺麗だし、優しいし、それに最強だよ?! これでファンにならない奴いる? いねぇよな?)
ハルトは混乱してはるか昔、前世で読んだ不良漫画のキャラみたいなことを心中で叫ぶ。
だが、マリアの反応もまた予想外のものだった。
「ぇ、ふぁ、えぇ?! 君が?! 私の?! ぁ、ぅう」とマリアは怒るでも呆れるでもなく、
赤面した者同士
「こ、これじゃないなら、マリアさん何に怒ってるの?」と沈黙を脱するためにハルトは敢えて死中に飛び込んだ。分かりません、無理です、ギブアップ、と宣言するようなものである。
「……分からないんだ? 私のふぁ、ふぁ、ふぁ、ファンなのに!」
マリアは羞恥心を押さえつけるように言い切った。恥ずかしいなら言わなきゃ良いのに、とハルトは思ったが、当然口には出さない。
ハルトが申し訳なさそうに黙っていると、やがてマリアが口を開いた。
「ハルトくん、リラにデレデレしてた」とマリアはデレデレするハルトの顔を思い出したのか、闘気をたぎらせた。その気迫に肌がピリピリする。
ぶっちゃけ怖い、とハルは微笑みを維持しながらも、こめかみを冷や汗がつたう。だが、ここで一歩でも後ずさろうものなら、ハルトの首は胴体から離れるかもしれない。ハルトは恐怖を押さえつけ、地に根を張るように座した。
「デ、デレデレなんて——」とハルトが弁明しようとすれば、
「——してた」とマリアが先を取る。マリアの気迫に、『うん、確かにしてたな』とハルトは心の中で認めた。
「それに、リラの店で働くって言った」とマリアが震えた声でさらに追及する。じわじわとマリアの目に涙が溜まっていくように見え、ハルトは慌てて否定した。
「違うって! 言ってない言ってない! 考えるって言っただけだよ!」
「でも給料の話聞いて涎でてた」
うぐっ、とハルトが黙る。弁明以前に、憧れの人に涎垂らしてるところを見られること自体がきつい。
でも、とハルトは疑問に思う。
(どうして、僕が転職するのが嫌なんだろう。ギルドで会えなくなるのが寂しいとか? でもマリアさんも冒険者辞めるから関係ないような……)
不意にマリアが「こんなことなら……」と呟いた。そして、何かを決意したように顔を上げてハルトを真っ直ぐと見る。
エメラルドグリーンの瞳がハルトを内包するように写していた。
「ハルトくん!」とマリアが叫ぶように言った。ハルトの方もマリアの気迫に押され「は、はい!」と姿勢を正す。
マリアは、一世一代の大勝負、といった真剣な表情を見せる。ごくり、と唾を下し、緊張を握りつぶすように手を固く握るのが、ハルトからも見てとれた。
やがてマリアが口を開く。
「わ」とだけ発して、マリアは言葉に詰まった。
「わ?」とハルトが促す。
「わた」とまたマリアが固まる。顔から煙が見えそうなほどマリアの顔は赤い。
「わた?」とハルトが首を傾げる。
「わ、わわ
マリアが一息に言い切ろうとした、その瞬間だった。
「——
ギルドに駆け込んできた男が叫んだ。
ハルトは反射的に立ち上がる。
時々、起こる現象だが、その規模によっては近隣の都市や村落は大きな被害を被る。過去に村落が壊滅させられた例もある程だ。それだけ都市や村落の人々にとっては、恐ろしい現象であった。
ハルトは「ごめん、行かなきゃ!」とマリアに一言断ってから、事務室に引っ込んだ。
この後、空いている冒険者達に緊急依頼をかけることになるだろうが、それも上の指示あってのこと。ハルトが勝手に指示を出せることではない。だから、ギルド一般職員は緊急時は事務室に集まり、指示を仰ぐこととなっていた。
マリアは「もォ……!」と悔しそうに顔を歪めて、離れていくハルトを見送った。
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