第6話 あなたを貰いに


 ハルトのデスク上に、ギルド職員達が思い思いに好き勝手持って来た品物が積まれていた。

 そして今、また1つ謎の爪が品物の山に加わった。



「いやー助かります先輩。鑑定師ってすごいな〜」と後輩フェンテが取ってつけたように言ってから、『これで良し』と立ち去ろうとする。ハルトはその首根っこを捕まえて、引っ張り寄せた。


「何が『すごいな〜』だ。この魔物の素材の山はいったいなんなんだ」


「何なんでしょうね〜? 全くけしからん連中だ」とフェンテが一緒になってプンスカする。ちょっと可愛いから、ムカつく。


「お前の『爪』もあるんだが?」ハルトが謎の爪を持ち上げる。


「あ、それは私のではなく、ラヴァーグリフォンの爪です」


「当たり前だろ。お前がこんなごっつい爪してたら怖いわ」



 改めて、どうしてハルトのところに素材が集まっているのか、と尋ねるとフェンテは「節約ですね」と悪びれずに答えた。



「ギルドは鑑定師に依頼する金を節約できるし、職員は鑑定師に持っていく労力を節約できる。冒険者は時間を節約できる。みんな幸せです」


「僕の労力と時間が節約できてないんだが。むしろ浪費しているんだが」


「私に言われても」とフェンテが肩をすくめた。「これダゲハ課長の提言なので」



 責任は上司に丸投げ、ということらしい。

 ハルトが何も言えないでいると、これ幸いと「じゃ、そゆことで」とフェンテは去って行った。



 はぁ、とため息が自然と漏れる。

 誰もおかしいと思わないのだろうか。ハルトには受付の仕事もあるし、受付当番でない時間——例えば、今だが——は別の事務仕事だってある。

 自分が楽するために人に仕事を押し付ける。いい大人が揃いも揃ってそんな思考回路なのだから、ため息の一つも漏れようというものだ。



(これはサービス残業確定だな)



 ハルトがなんちゃらグリフォンの爪を拾い上げた時、今度はその面倒ごとの元凶、課長ダゲハが奇襲を仕掛けるグリフォンの如く、ハルトの前に唐突に現れた。



「おいハルト」と乱暴にハルトを呼ぶ。「お前、次の分布調査、行ってこい。現場は『不死王の大墳墓』だ」



 前置きもなく、ダゲハがハルトに命じた。

 分布調査とは、特定の場所の大まかな魔物の生息域を調査するのだ。定期的に行い、前回調査とのズレを分析する。



「ダゲハさん、でも僕これの鑑定しなきゃですし」とハルトは慌てて、素材の山を指し示した。



 鑑定して終了、というのならそれ程手間ではない。ただ、これらの鑑定はその後、報告書として書類に整えなければならない。1日、2日で終わるとは到底思えなかった。ましてやハルトには通常業務もある。



「あ? 両方やれ」既にダゲハは少し苛立っていた。


「む、無理ですよ! 分布調査が始まれば、そっちにかかりっきりだろうし——」


「——つべこべ言ってねぇで、やれって言われたらやれや!」



 ダゲハがデスクを叩き、魔物の素材がいくつか落ちた。

 


「職員は持てる全てをギルドに捧げる。ギルド職員の心得第3条だ。忘れてないよなぁ?」とダゲハが袋に入った黒い羽を素材の山の上に置いた。これもやっておけ、と目でハルトに命令して、去って行った。


 はぁ〜、と先程よりも一層深い自分のため息を聞きながら、ハルトは崩れ落ちた何かの角を手に取った。






 ♦︎






 そんな憂鬱な午後、処理しなければならない仕事は文字通り山のようにあるのだが、さりとて受付業務を放り投げることはできない。

 ハルトがカウンターに着いてしばらくすると、バニラのような甘い香水の香りが先にハルトに届いた。それから、間も無くその発生源である本人が席につく。



「ここ、いいかしら?」



 黒く長い髪をキラキラした金箔で装飾し、首、耳、指には所狭しと宝石と貴金属のアクセサリーが飾られている。まるで縄張り争いをするかのように並べられたそれらの宝石はどれも主張が強くきらびやかだ。発掘専門パーティ『神秘の宝珠』のリーダーB級冒険者のリラだった。



「もちろんです。リラさん。冒険者の皆さんのための我々ですから」


「そんな浮かない顔で言われてもね。思ってもないこと言わない方が良いわよ?」と呆れ顔でリラさんが首からかけるファーをくるくる振り回して弄ぶ。

 ハルトは、あはは、と笑って誤魔化した。



「それより、午後から来るなんて珍しいですね」とハルトは話題を変えた。リラはジトっとハルトを睨んでから、『仕方ないから乗ってあげるわ』とでも言いたげな目でハルトを見て答えた。


「今日は仕事じゃないの」


「へぇ。観光ですか?」と軽口を叩くハルトの頬に、リラはファーをぶつけた。「あ痛」



 ぶつけられるまで、ファーが迫り来ることに気付きもしなかった。さすがベテラン冒険者。これがむちとかであったら、とハルトは戦慄せんりつする。



「自分の仕事場を観光するおバカがどこにいるのよ」


「じゃあ何しに来たんですか?」



 リラが意味ありげにハルトを見つめ、人差し指の腹でハルトのあごをクイッと持ち上げた。その目は男を惑わすには十分な魅力を備え、男に媚びない色香を放っていた。

 リラが顔をハルトに寄せる。絶対にない、と分かりつつもハルトはこのままキスしてしまうのではないか、とどぎまぎした。



「何しに、って——」



 リラの顔が近い。香水に混じったリラの香りが自分の体内に入り込んで来る気がして、ハルトの鼓動が早まる。










「——あなたを貰いに」耳元で囁くようにリラが言った。









「ちょォァァアアア?! 待って待って待って! 待ってくださ——あ痛ァ!」



 ハルトが手をぶんぶん振り回してながら、後ろに下がろうとして椅子ごと後ろに倒れた。

 リラがけらけら笑う。



「あっははははは、ちょっと何やってんのよ」


 ハルトは顔を赤くして椅子を戻しながら「からかわないでくださいよ」と口を尖らせた。


 しかし、リラが「あら、私は本気よ?」と言うものだから、ハルトはまたしても椅子から落ちそうになった。


「あなたを私の店で雇いたいのよ」と、あっさりとリラが種明かしした。



 ハルトは、何だそういうことか、と拍子抜けしつつも、『ん? 店?』と疑問に思う。



「店で? って宝石店ですか?」



 リラはB級冒険者であり、その実力も平均的な冒険者よりも遥かに高みにいるが、リラにとって冒険者は副業であり、本業はジュエリー系の商人だった。

 リラの冒険は素材集めが主だった目的であり、ダンジョンや秘境でしか手に入らない貴金属や宝石、その他美容用品に使える材料を集めるついでに魔物を討伐している、と聞いたことがあった。



「そ。あなた鑑定できるでしょ? お抱え鑑定師がずっと欲しかったんだけど、ジジイ連中は金に強欲でおまけに、視線がいやらしいからイヤなのよね」


 リラは別の鑑定師を思い出したのか顔をしかめて、はんっと鼻で嗤いとばした。

 それから「あ、でもそれなりの給料は支払うわよ?」と付け加える。


「今の給料の10倍は約束するわ。後はあなたの働き次第で昇給も考えるけど」


「じゅ、10倍?! てことは月収金貨30枚?!」


「そうね」とリラは何でもないことのようにあっさり言った。



 金貨1枚で前世での10万円だから、つまり月収300万円!

 やばい、プレステ買えちゃう。現実離れした大金にハルトは若干混乱していた。この世界にプレステはない。



「か、か、か、考えさせてください」

 かろうじてハルトは答えを保留した。気を抜けば即答で首を縦に振ってしまうところであった。


「まぁそれは良いけど、それよりあなたよだれふきなさい?」



 結局、リラは仕事は受けないで帰って行った。



 ハルトは気付いていない。隣の誰もいないはずのカウンターから、ハルトを睨む強大な魔力に。

 とてつもない闘気をまとったソレがハルトに牙を剥く。

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