第5話 誘いたいけど誘えない!

 

 その日、ハルトが午後の受付カウンターに出ると、休憩テーブルに座り、精神統一に励むマリアがいた。


 まるで最後の決戦に挑む前のような佇まいである。

 上級冒険者が受ける依頼は大抵一日仕事、あるいは泊まりがけでの仕事になるため、午後のこの時間ギルドに集うのは必然的に、午前中で依頼をこなして戻ってきた初級冒険者たちになる。

 そんなひよっこ達にとんでもない実力者が一人混ざっていた。しかも、緊迫した表情で、目を瞑って何やらぶつぶつ唱えている。

 はっきり言って怖かった。周りの冒険者も訳の分からない緊迫感に戸惑っている。



「あの、マリアさん? なにしてんの?」とハルトが声を掛けたのは、もはや使命感からである。この最終決戦前のS級冒険者を処理するのはギルド職員の務めだと、決死の覚悟で声を掛けたのだ。本当ならばスルーしたいところだ。


 マリアは大袈裟に驚いて椅子から転げ落ちた。

 周りから「おい、『聖剣のマリア』が椅子から落ちたぞ」「嘘だろ、マリアさんってもっとクールだろ?」「オーガに殴られて膝もつかなかったというマリアさんが?」とざわめきが起こった。


 マリアは椅子に両ひじをついて、体を起こしながら「あ、いや、ハルトくん。はなし、ちょっと話があって、その」と明らかに動揺している様子だった。


「マリアさん、とりあえず受付カウンターにかけて話そ」と促すと、マリアは赤い顔を小刻みに縦に振って同意した。



 受付カウンターの椅子を引いて、マリアを座らせてから、ハルトは給湯室に行って、ホットミルクをカップに入れ、マリアのもとに戻った。



「ありがと」と呟いてからおそるおそるホットミルクをすするマリアを眺めて、ハルトは妙に温かい気持ちになった。

 ハルトはマリアに何も話を向けない。マリアが落ち着くのを黙って待つ。



(不思議だな。とんでもない強さのはずなのに、何故かマリアさんを見ていると庇護欲をそそられる)



 ミルクをふーふーしているマリアに、ハルトは目を奪われる。愛おしい、という感情に頭が支配される。もしかしたら、これがマリアが最強と言われる所以ゆえんなのか。そんな見当違いの思いさえ浮かんだ。



「ハルトくん?」と呼ばれて、ハッと我に返る。「どしたの? ぼーっとして」


「あ、ごめん。考え事してた」と笑ってごまかすと、マリアは首を傾げて、微笑んだ。まるで「話してごらん」と促されているような優しい笑み。


「そ、それより! マリアさんこそ、話があったんじゃなかったっけ?」と誤魔化すようにハルトが切り出した。ごふっ、とマリアがむせる。



 ハルトがハンカチを差し出すと、マリアはそれを受け取り一瞬躊躇ためらってから、それで口を拭いた。その一瞬の『間』に何故か、ハルトは少し傷ついた。



「その、私、えっと、冒険者辞めて領主になるって言ったじゃない?」とマリアが改めて話し出す。


「うん。そうだったね。残念過ぎるけど、マリアさんが決めたことなら仕方ないよ」


「でね、ここからが本題なんだけどね」とマリアは指を立てて前置いた。「私、これまで冒険者一筋でやってきたじゃない? 貴族とは正反対というか……」


「そうだね。まさかマリアさんがいつの間にか貴族様になってるとは思わなかったよ。でも言われてみればマリアさん結構貴族っぽいよ? 綺麗だし」とハルトが言うとマリアは「き、きれ?!」と耳まで赤くして俯いた。

 ハルトにしてみれば『何を今更。マリアさんが綺麗なのは周知の事実でしょうが』とマリアの反応を不思議に思った。


「そ、そうじゃなくて! 私が言いたいのは、そういうことじゃなくて!」とマリアが顔を上げてカウンターを叩いた。上官の横暴に抗議する士官のようだな、とハルトは笑みを漏らす。


「領地運営のノウハウが全くないってこと! 分からないんだよ、どうやってやんのか。ねぇ、領主ってどうやるの?! どうやって領主するの?!」


 どうやって領主するの、とはまた変な言い回しだな。ハルトは微笑ましくマリアの言葉に耳を傾けていた。


「だからその——」

「——そんなの簡単だよ」


 ハルトは得意げに言う。マリアが何か言いかけた気がしたが、その後に言葉が続かなかったから、『気のせいか』とハルトは片付けた。


「皇ちゃんに聞けばいいじゃん。ずっとこの国を運営してきた凄い人なんだから、直々に教えてもらえばいいんじゃない?」



 普通そんなことを皇帝に相談なんて出来るものではないが、マリアは皇帝のことを『皇ちゃん』と呼ぶほどの間柄だ。気安く話せる関係なのだろう。



「いや、でも——」とマリアが何か言いかけたところで、マリアの席の後ろから声がした。





「——小僧、やってるか」





『深淵の集い』の頭、A級冒険者マディだ。



「あれ、マディさん、早いですね。もう上がりですか?」とハルトがマディに顔を向ける。


「ああ。今日の仕事は義理で受けたようなつまらん依頼だ。あ? 先客がいたのか。邪魔して悪いな、マリア」


 マディがマリアに片手を上げて謝意を示した。マリアは「い、いいよ。大丈夫」と言うが声が震えている。



(僕と話しているところ見られるのは恥ずかしいのかな。まぁ相手はショボいギルド職員Aだもんな。そんなのに相談しているところを知り合いに見られるのは確かにキツいか)



 ハルトは努めて気にしないように、心のざわめきをむんずと鷲掴んで心の隅っこに放り投げた。



「小僧。例の件、考えておけよ」とマディは去って行った。ハルトはにこやかに手を振ってマディを見送った。





「例の件って?」とマディが見えなくなってから、マリアが尋ねる。


「え? ああ。なんかパーティに加わらないかって誘われてるんだよ」とハルトが答えると「ええ?!」と過剰に大きい声が返ってきた。「今なんて?!」と続く。


「だから。『深淵の集い』に入らないかって誘われてるの」


「えェェエエエ?! 今なんてェ?!」


「……マリアさん、ふざけてるでしょ?」とハルトは自分のことは棚に上げてマリアを睨む。


「それで?! 入るの?! マディのとこに?!」

 マリアがカウンターに乗り出して、捲し立てる。ハルトとおでこがぶつかったが、痛みに悶えるのはハルトだけで、マリアはぶつかった事も気付いていないかのように平然としていた。


 ハルトはおでこをさすりながら「いや、まだ答えてないけど、でも、僕に冒険者は無理だよね。どう考えても」と答えた。


「だ、だよね〜」マリアがにへらと笑った。



(あ、やっぱりS級の目から見ても僕才能ないのか)



 ハルトは特に落ち込まなかった。当然そうだろう、と分かりきっていたことだ。むしろ、断る口実ができたな、とハルトの心は軽くなった。



「まぁ、もう少しよく考えてから、改めて返事しないとなぁ」とハルトが呟くと、またも大袈裟な驚愕をたたえてマリアがハルトに勢いよく顔を向けた。目をこれでもかとかっぴらいたマリアの額から汗が滴り落ちる。

 なんで、この人、こんなことで切迫した顔してんの。ハルトは疑問に思いつつも『天才はだいたい変人』とあまり気にしないことにした。




「で、マリアさんの方の話は、どこまで話したっけ?」とハルトが再び相談会を再開させる。たしか皇帝に師事すれば良いって話だったな、と思い出す。


 ——が、マリアは

「え? あ、えっと、もういいの。私の方は。大した話じゃないから。あはは」と引きった笑みを見せた。


「え? いいの?」


「うん。ありがとね。じゃあ、私これから仕事だから、あはは、じゃあね」と手を振りながらマリアが出入口の方へ向かい、柱にぶつかった。マリアは痛いとかなんだとかは全く口にせず何事もなかったかのように、突き進む。柱の方が「痛い」と言っているように思えた。


 

「マリアさん。仕事って言いつつ何も依頼を受けずに行っちゃった……」



 分かっている。冒険者のプライベートは守る。それがギルド職員。余計な詮索は無用だ。

 ハルトは飲みかけのホットミルクを手に給湯室へ下がった。

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