第95話 身代わり

 ルイワーツとマリアが乗る馬車が、ゆっくりと都市ヴァルメルに入った。

 綺麗に着飾ったマリアは、普段の雑頭ざつあたまぶりを見事にカモフラージュしており、その美しさは周囲の目を惹いた。

 ルイワーツも、長身な体躯のため、正装が様になっている。

 マリアは不満たらたら、といった様子でルイワーツを一瞥してから、何度目になるか分からないため息をついた。


「悪かったな。隣にいるのがハルトさんじゃなくて」

「ほんとそれ。せっかくハルトくんの全然似合ってない萌え萌え正装姿がまた見られると思ったのに」

「お前それ褒めてんの? 貶してんの?」

「もちろん褒めてるのよ」


 とてもそうは思えない。が、マリアは冗談を言っている風でもなく、ルイワーツは面倒なのでそれ以上追及するのをやめた。

 今日は、先日の野盗襲撃の主犯格が捕まった、ということで都市ヴァルメルから知らせを受け、裁判に召喚されたのだ。

 本来はマリアとハルトが赴く予定だったが、ハルトは襲撃の日からずっと調子が悪い。心の病、と言う風にルイワーツは解釈していた。無理もない、と思った。モリフは救えず、村は崩壊し、オーサンが犠牲になった。辛いことが多すぎる。

 いち領主が一人で来場、というのも格好がつかないため、ルイワーツが代理で共をすることになったのだ。


「でも、参事会員のヴァルカンが捕まったとしたら、都市ヴァルメルから参事会名義で知らせが届くなんておかしくない?」マリアが言う。

「まぁな。十中八九、被告人は身代わりだろうな」

「やっぱり? 私、ちゃんと告発したんだけどなぁ」とマリアが渋い顔を作った。

「どこに?」

「皇帝に」

「そりゃ意味ないぜ。領主になりたてのペーペーと、実績のあるヴァルカンとじゃ比べるまでもない。虚偽の告発、って俺らが責められないだけ、まだついてるくらいだ」とルイワーツは言ってから「てか、勝手に危なっかしいマネすんなよ」と自らの主君を叱責していた。

「し、仕方ないでしょォ! ハルトくんがあんななんだからぁ! 私はハルトくん無しじゃ何もできないの!」

「そんなこと偉そうに言ってんじゃねーよ」


 うるさいわねー、とマリアがルイワーツを睨む。ルイワーツは額に手を当て天を仰いだ。ほんとにこの領主大丈夫なのか、と心の中で天に問うが、返答はない。


「でも皇ちゃんとは、年一で利き饅頭まんじゅう大会する仲だから、無下に扱われることはないと思ったんだけどなぁ」

「なんだよ利き饅頭大会って。てか、多分そのふみ、皇帝まで届いてないぞ。ヴァルカンから利益を得ている官僚がいれば、そこで握り潰される。仮に届いていたとして、皇帝だって独断であれこれ決められるわけじゃない。反対多数ならば、ヴァルカンへの制裁は行われない」

「政治ってだるいなぁ」

いち領主が身もふたもないこと言うな」


 馬車が都市の内郭壁までたどり着くと、そこからは歩いて広場に向かった。

 馬車が内郭壁内に入れないことはないが、出席者が一斉に馬車でくれば込み合うため、内郭壁からは徒歩で、というのが暗黙の了解となっていた。

 ルイワーツとマリアは並んで歩く。


「結局さぁ」とマリアがまた口を開いた。この人は基本的にお喋りで、黙っていることができない性質なのだ、とルイワーツも理解していた。「あの蜘蛛たちはどっから来たわけ?」

「さぁな。ただ——」

「ただ?」

「おそらく、モリフと関係しているだろうな」


 マリアが、モリフと? と、わずかに目を見開いた。


「モリフが村から出て行ったのは知ってるだろ? 蜘蛛たちはモリフの出て行った方角からやって来た。だから俺はハルトさんに、モリフが蜘蛛を使って村を襲ったんですか、って聞いたんだ。そしたら——」


 ——違う。その逆だ。


「ハルトさんはそう言ってた」

「村を襲う逆、ってことは村を守る? ってこと?」

「さぁ。それっきり、ハルトさんだんまりだからな」


 広場に着き、ルイワーツが受付に歩いていき、手続きを済ませて戻って来る。マリアは戻って来たルイワーツを見て、ぎょっとした。


「ルイワーツ、汗すごいよ? 大丈夫?」

「あ、ああ。何でもない。気にするな」ルイワーツは証人がつけるバッジを一つマリアに差し出す。その腕はひどく震えていた。

「怖いの?」マリアはバッジを受け取らずに訊ねた。


 ルイワーツは「ああ」とあっさりと認めてから、「勘違いするな。ヴァルカンが怖い訳じゃない」と付け加える。


「じゃあ法廷が?」マリアは問いかけながら、ようやくバッジを受け取った。

「あの恐怖はあそこに立った者にしか分からない。まぁ、自業自得なんだけどな」ルイワーツは顔を引きつらせるようにして笑った。


 ふーん、とマリアが気のない声を返した。それから「不思議なことにハルトくんはキミの働きをえらく評価してるんだよ」と脈絡なく関係のないことを言った。「ルイワーツさんがいてくれて良かった、って」


 ルイワーツは口角が上がろうとするのを堪えた。ハルトに褒められること以上の喜びはルイワーツにはない。だが、それをマリアに見られるのは何となく気恥ずかしかった。


「キミはもう私たちの村に必要な人間になってる。だから、もしこの場でキミに何があろうと、私が必ず守るよ。……勘違いしないでよ? ハルトくんのためだから」


 ルイワーツは思わず噴き出した。マリアが俺を守る? なんだそれ。今この世界で一番安全じゃないか、俺。

 ルイワーツは、マリアに認めてもらえたような気がして、自然と頬が緩んだ。


「なら、俺はお前がアホなことしそうになったら、止めてやるぜ。ハルトさんのために、な」

「はァ?! 誰がアホなことするか! せっかく勇気出るように励ましてやってんのに、何よ! もォ!」


 プンプン怒るマリアに「悪かったって」と笑いながら謝るルイワーツの手は、もう震えていなかった。

 


 ♦︎


 

 ヴァルカンが現れた。マリアとルイワーツはそれを証人席から目で追う。優美とも言えるゆっくりとした動きで、ヴァルカンがVIP席に着いた。


(やはり被告人はヴァルカンではない、ってことか)


 VIPが揃ったところで、ようやく被告人がやって来る。簡易の待機所として使われるテントから市兵に捕縛された状態で現れたのは、冒険者ギルド受付課長ダゲハだった。

 ダゲハは目の下にくまができ、憔悴しきっている様子だった。


 ダゲハはVIP席のヴァルカンを見つけるなり、ヴァルカンの元まで走った。市兵は予期せぬダゲハの動きに不意を突かれて引っ張られ、ダゲハに勝手な動きを許してしまった。


「ヴァルカン様! こ、これ、これは何かの間違いですよね?! ね?! 私は——私じゃないです! だってこれは——んぐ!」


 私兵がダゲハに猿轡さるぐつわを噛ませた。


「ダゲハ」とヴァルカンが地の底から響くような声を上げる。「法廷を侮辱するのか。黙って席につきなさい」


 ダゲハは、信じられないものを見るように、目を大きく開いた。市兵がダゲハを引っ張り、被告人の席に無理やり座らせる。


 ヴァルカンは進行役と思われる文官を指2本で差してから、指の関節を曲げ『こっちに来い』と示した。文官は慌ててヴァルカンに駆け寄り、何やら耳打ちを受けてから頷いて戻った。それから、傍聴者全員に聞こえるように声を張って話し出す。


「被告人はひどく錯乱している。事情は全て既に聴取してあるため、猿轡をしたまま、進行する」


(余計なことは言わせない、ということか。であれば、判決はすでに決まっているようなものだ)


 ルイワーツは心臓を押さえる。鼓動が速まるのを止めるすべはなかった。胸が痛い。苦痛に顔を歪めて、ルイワーツはダゲハを——元上司を見ていた。


 ハルトをいじめていた時のルイワーツは、ダゲハのお気に入りの職員だった。常にダゲハの機嫌を取り、ダゲハに利益が多く回るように動き、ダゲハに不利益をもたらす者は潰してきた。ダゲハにとって、ルイワーツは忠実な犬。


 その犬からの視線に、ダゲハが気付き、目が合う。


 すると、直後にダゲハが猿轡を噛んだまま、咆哮を上げた。目が血走り、怒りに顔が赤く染まり、どす黒い殺気をルイワーツに向けていた。

 ダゲハが暴れ出し、両脇の市兵を吹き飛ばした。そして、怒りのままに、ルイワーツに向け突進して来た。


 マリアはルイワーツをかばうように立ち上がり、構えを取った。

 両腕を縛られ、猿轡を噛まされたまま、それでもダゲハの進撃は止まらない。喋れなくても、ダゲハの言いたいことはルイワーツにはよく分かった。


 ——お前のせいで。


 ダゲハの目はそう言っている。

 大人しく野盗に殺されていればよいものを、かつての手下が生意気にも反発したせいで、今ダゲハがその責めを負わされている。そうダゲハは認識しているようだった。


 別の市兵がダゲハに横からタックルし、倒れたダゲハに後から後から市兵がのしかかるように組み付くと、ようやくダゲハは制圧された。


 それでもダゲハはルイワーツに顔を向け、憤怒に塗りつぶされた目で睨んでいた。

 殺してやる。絶対に、お前だけは、殺してやる。

 猿轡の奥から、そう言っているのが聞き取れた。


(あれは、かつての俺だ。良いように使われ、不要になれば簡単に切り捨てられる。俺もハルトさんがいなければ——)


 






 ——ああなっていた。






 


 ♦︎





 


「——よって、ダゲハ・ツィーランを即日、斬首とする」


 喚きながら暴れるダゲハは、市兵に引きずられて、斬首台に乗せられた。

 ルイワーツは心臓をぎゅっ、と握るように抑えた。呼吸が乱れる。息ができない。あの時の恐怖がフラッシュバックした。自分の死を望む観衆の目。悪意のない殺意。

 不意にマリアが立ち上がり、ルイワーツは、はっと我に返った。

「行くよ」とマリアがルイワーツの手を引いて広場から抜け出した。

 斬首台を囲む野次馬を押し除けながら、流れに逆らって歩く。ルイワーツはマリアに引かれ、広場から遠ざかるように坂を下った。

 背後では、市民の歓声が沸き上がっていた。

 

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