第45話 夕闇
大量のオークの死体が馬車の前に集まっていた。
主にマリアが運んで来たものである。ナナは剣才があるとはいえ、筋力的にはまだ非力であり、オークを運ぶのは非効率と判断したのか、集落巡回に集中していた。
(ナナは『レベルアップ』も今日が初めてだろうに。ほんと……よくオークを倒せたな、あいつ)
普通の冒険者はD級に上がって、やっとオークをサシで倒せるくらいの力量だ。それに比べると才能だけでオークを簡単に仕留めてみせたナナはやはり『異常』と言えた。
不意にモリフがハルトの顔を覗き込んできた。「ハルト様、解体って私やったことないから、休んでていい〜?」と精一杯可愛こぶって、舐めたことを言う。
「良いわけあるか。教えるからやるぞ。まず
「いきなりエグい〜」
ハルトがオークの頸動脈を切ろうとして、「うわ」と動きを止めた。
モリフも「あら〜」と気のない声を上げる。
「
「…………よし。血抜き準備完了だ」ハルトが大袈裟に額を拭うと「まだ何もやってないんだけど〜」とモリフにツッコまれた。正直死体のほとんどが斬殺だから、既に血はだいぶ抜けていそうだった。
「仕上げに魔法で」とハルトがオークの胸に手を当てた。
「何の魔法〜?」
「僕のオリジナル魔法『胸骨圧迫』だ」とハルトがオークに心臓マッサージを始めた。ふっ、ふっ、ふっ、ふっ、とリズムよく胸骨を押していく。
「それ……魔法?」モリフが胡散臭そうに言う。
「いちゃもんはやめてもらおうか! これは
「めっちゃ物理やん〜」と呆れるモリフに見せつけるように、ハルトはオークの胸骨から手を離す。しかし、離したにも関わらずオークの胸骨はリズムよく凹んで、戻って、また凹むと繰り返していた。物体に同じ衝撃を加え続けることで、その衝撃を記憶させ、自動継続させるという地味だが何気に便利な魔法だ。
ほらな? とハルトが自慢げな顔を見せる。
「いや結局物理やん〜」
「魔法に夢をみるんじゃない」
魔法など結局利便性が一番重要なのである。派手でカッコ良く、しかも強い、なんてものは一部の実力者にしか許されない領域なのだ。
「本来は応急処置のために考えたんだがな。これをすることで一時的に心臓が収縮し、血が出やすくなる」
言った直後に、オークの体に残った血液がゴプッと湧き出た。
ほらな? とハルトがまた得意げにモリフに顔を向けると「グロ〜」と眉間にシワを寄せて嫌そうな顔を返された。
「ほら、モリフもそっちのオークの血抜きして!」
「うぇ〜」
ハルトとモリフは血だらけになりながら解体作業を進めた。
夕焼けが世界を赤く染めていた。じきに日が落ちる。どこか切ない空気がハルトとモリフを取り巻く。
ハルトは気がつけば、手を止め、隣で無心に作業するモリフに目を向けていた。
モリフはやる気のない瞳で、気だるそうにオーク肉に刃を入れていた。
ハルトが脈絡なく尋ねた。
「なんで逃げなかったんだ?」
口をついて出た言葉に、モリフは手を止めてこちらを見る。
だが、すぐにオーク肉に視線を戻し、作業を再開しながら「なんのこと〜?」ととぼけた。
「黒いオークに襲われた時だよ。僕がモリフに逃げろって言ったろ? でもモリフは逃げなかった」
「ああ〜」とモリフがさも今質問の意味に気付いた、とでも言うように頷いてから「怖くて動けなかったんだよ〜」とあっけらかんと言った。
その言葉が真実でないことはハルトには分かっていた。
あの時、ハルトとイムスを置いていけばモリフは十分逃げられる可能性はあった。
だが、モリフはそれを選ばなかった。
人は誰しも自分が一番大切だ。ハルトに初めて出会ったのは数日前だし、イムスに至っては今日初めて会った人間だ。そんな人間のために命をかけて何かしよう、と思える人がはたしてこの世界に何人いるのだろうか。
ハルトはモリフに「ありがとう」と伝えた。
「……何が〜?」とモリフはやっぱり
「僕を見捨てないでいてくれて、ありがとう」ハルトの瞳が真っ直ぐモリフに向けられる。
「だから〜、ビビって腰抜かしてただけで〜」
嘘だと知っている。モリフが一生懸命、鉄格子を引っ張っていたのをハルトは見ていた。
「キミが司祭で良かった」
モリフがハルトに顔を向ける。
彼女はハルトの目を見ていた。陽だまりのような温かい瞳。全てを包みこみ、受け入れてくれるような、心地よい眼差しがモリフに注がれる。
モリフは吸い込まれるように身を少しハルトに寄せるが、ハッと我に返り、また目を逸らした。逸らした目は一瞬辛そうに歪んだ気がした。
「そんな言葉、言われたことないよ〜」とモリフが誤魔化すように笑う。
「言われてたら村で孤立してないもんな」ハルトもケラケラ笑った。
「一言余計だよ〜」と言いながらモリフは立ち上がり、「次の肉持ってくるね〜」と背中を向けて歩き出した。
モリフがハルトから遠ざかっていく。
両手は血に染まっている。その手にモリフの視線が落ちた。
夕焼けの空は黒みを増してきていた。
夕陽の残骸に当てられた手の赤は、日の色なのか、血の色なのか。
モリフの顔が苦悩に歪む。
「ハルト様が領主じゃなかったら——」
モリフの顔が元の眠そうな瞳にゆっくりと戻っていく。
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【あとがき】
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