第75話 恐怖


【オーサン視点】


「なんで親父が命張らなきゃなんねぇんだよ!」とせがれが机に手をついて怒鳴った。


 普段からあまり感情を表に出さない倅が、こんなに怒りをあらわにするのは久しぶりのことで、なんだか懐かしさすら感じた。

『不死王の大墳墓』にレベル上げに繰り出す前の我が家でのことだった。俺が村のために戦う、と倅とその嫁に告げると、倅が血相を変えてそう言ったのだ。


「なんで、っておめぇ、村の一大事だろうが。戦えるやつが戦わねぇでどうするよ」


 なんだか歯の浮くセリフを言っちまった気がして照れをごまかすように鼻を擦った。だが、本心だった。ハルトの野郎が命張ってんだ。ガキを盾にして俺が逃げてんじゃ大人の立場がねぇじゃねえか。


「親父が戦えるわけねぇだろ! 鹿の魔物ケルディとは訳が違うんだぞ?! 人を殺すんだぞ?!」と倅がなおも詰め寄って来る。

「分ーってるよ」

「分かってない! 親父は、この子を——」


 倅は嫁の腹に手を添えた。そこにいるのは間もなく生まれる倅の子。俺の孫。この村の未来そのもの、とも言えた。


「——この子を人殺しの孫にしたいのか!」








「オジサン!」とリラに声を掛けられ、ハッとする。「オジサン! ボーっとしない! 相手はA級なのよ?! 死にたいの?!」

「オジサンじゃねぇ。オーサンだ」と返すが、リラは無視して「敵の動きを読んで、選択肢をつぶすように矢を射って」と指示をだす。

「うっせー。やってるっつの」と言うものの、出来ていないのは自分でも分かっていた。リラの要求水準は高い。だが、それを要求せざるを得ない状況だということも理解している。

 

 リラが最前線で巧みに鞭を操り、執事服の男ナガールの隙を作りだそうとしていた。エドワードはいつでも一撃必殺の斧を繰り出せるようにと、リラの傍で待機しながら、時折寄って来る野盗を斬り払う。

 俺も矢を射続けていた。残弾がみるみる減っていく。


(やべぇな。この執事、強ぇ……!)


 ナガールはリラの攻撃をいなしながら、少しずつリラにダメージを入れていた。

 リラの息が次第に上がっていく。これではジリ貧だ。

 俺はまた矢を射る。今度はナガールの頭を狙った。が、どういう仕組みか不明だが、矢が当たる直前にナガールが指揮棒のような短い杖を振ると、まるで魚が跳ねるかのように矢が跳ねてそのまま地に落ちる。


「くっそ、無敵かよ!」


 吠えたから狙われたのか、あるいは遠距離攻撃が鬱陶しかったのか、ナガールはまたも短い杖を振り、黒い魔弾を俺に飛ばしてきた。魔弾のスピードはあまり速くなかったが、ナガールがリラ以外へ攻撃するのはこれが初めてだったこともあり、反応が遅れて右足に魔弾が着弾した。——が、まったく痛みはなく、変化もなかった。


(当たった気がしたが……気のせいか?)


 また弓を引き、ナガールの動作軌道を制限するように矢を射る。

 そうして、しばらく膠着状態が続く中、ついに、戦況が動いた。リラの鞭がナガールの魔法壁に弾かれたのだ。


「くっ、ノックバックウォール……!?」とリラが何をされたのか理解し、声を漏らす。


 リラは鞭が弾かれ、体は隙だらけで無防備だった。

 ナガールの杖がリラに向く。

 これで終わる。ナガールの嬉しそうな笑みがそう物語っていた。勝負あり。リラは悔しそうに顔を歪め、エドワードは泣きそうな顔で斧を振り、ダメもとの一撃を繰り出そうとする。

 ダメだ。それじゃ間に合わない。



 

 

 間に合うとすれば——







 


 

 

 俺だけだ。




 

 タイミングが良かった。

 今まさに矢を射ろうと構えていたところだったのだ。だが、普通に射っても簡単に見切られ弾かれる。俺の弾速じゃナガールには届かない。ならば、もっと速く、強く、正確に。


 戦闘中にいきなり筋力や魔力、技術は上がらない。おとぎ話の世界じゃねぇんだ。俺は『主人公』でもなければ、『勇者の血筋』でもねぇ。覚醒なんてありえない。

 だが、たった一つだけ全てを格段に上昇させる方法がある。


スキルだ。


(悪いな、ハルト。使うぜ)


 俺がスキルを発動すると、一瞬にして生命力が弓に吸収された。

 パッと指を矢から離す。と同時に弦がとてつもない力で矢を弾いた。

 恐ろしい弾速で空気をねじ切るように矢が飛ぶ。

 あまりの速さにナガールは反応できない。その矢はナガールの杖を持つ人差し指と中指を吹き飛ばし、ナガールの杖は彼方へ飛んで行った。ナガールの表情が、痛みか怒りか、醜く歪む。

 俺はもうその場に立っているのがやっとだった。

 


 生命力を力に変換するスキル。エナジーコンバート。


 

 一度きりの切り札だ。何せ最小ロットでさえ、一発撃てばその日はもう碌に動けなくなる。本当に最後の最後、最終手段というに相応しいスキルだった。

 ハルトの野郎に「絶対使うな」としつこく釘を刺されていたのだが、今使わなければ全てが終わっていた。致し方ない。

 脚が今にもガクンと折れそうだった。しかし、歯を食いしばって踏ん張る。はったりでもなんでも良い。もう戦えない、と悟られれば相手に活力を与えてしまう。ここでケリをつけるんだ。


 俺の必死のはったりが功を奏したのか、ナガールは後退してリラから距離を取りながらも、無事な方の手を虫でも握り潰すかのように締めた。それとリンクして、俺の右足首から太腿にかけて、ゴキボキと嫌な音を立てて圧縮され一本の棒のように潰れた。

 


「あ゛がァアアア! ぁああアァアア!」

 


 あまりの激痛に口から唾液が垂れるのも構わず呻いた。痛みに耐える歯ぎしりが耳の奥で鳴る。何が起きているのか分からなかった。棒のように細くなった右脚の血管は生きているのかも分からないのに、右足が強く脈打つのを感じる。


「あれは……呪詛じゅそ!?」とリラが言う。


(さっき受けた黒い魔弾が原因か?!)


 ナガールの攻撃はそれで終わりではなかった。握った手を横に振ると、俺の右足は見えない何かに引っ張られて、吹き飛ばされた。振り回されて投げられた、と言った方が近い。


「オーサン!」とリラかあるいはエドワードか。俺を案じる声を置き去りに、俺は防壁に激突した。

 気付いたら視界は土が占めている。うつ伏せに倒れているようだった。


 かすむ目をナガールに向ける。リラとエドワードが引き続き応戦していた。ナガールの注意から既に俺は外れていた。死んだものと思われているのかもしれない。

 右足に力を込める。が、全く動かない。動かないのに痛みはひどい。もうまともに戦える状態ではなかった。



 


 もう十分やった。後は任せよう。そう囁く自分がいる。

 


「バカか」と俺は自分を叱咤した。


 

 甘えるな。まだできることはある。俺にしかできないことがある。

 何をすべきかはとっくに分かっている。俺はもう戦線に戻れねぇ。なら、やることは一つ。

 


(動け。やるんだ。この戦いを終わらせろ)

 


 フーッ、フーッ、と荒れた息だけが漏れる。しかし、体はピクリとも動かない。まるで自分の身体ではないように、俺の制御を離れていた。


 それは痛みによるものではない。

 疲労でもない。



 恐怖だった。



 俺は怖かった。



 もう一度あれをやればただじゃ済まない。



 怖くて動けない。



 死にたくない。



 息子と別れたくない。



 孫をこの手に抱きたい。



 村の皆とまた酒が飲みたい。







 命が、惜しい。




 


「くそったれ……」

 


 自分への失望の涙に、視界が歪んだ。


 



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