第76話 望まぬ闘い


 モリフの後方500メートルをハルトは駆ける。

 木の間を縫うように走りながら思うのは、これまでのモリフとの日々だった。何か、一つでも手がかりはないか、思い出し得る全ての記憶を探る。



 

——分かるよ。私も大切な人のためなら死んでもいい。




 そう寂しそうに微笑んだモリフの顔が思い出された。

 あれは、いつだったか。

 そうだ。あれは皆がダンジョンや鉱山、都市から帰還した翌日。領主の館に集まり、どれだけ強くなったか、皆の再鑑定をした時のことだった。

 


 ハルトはオーサンの鑑定をし終わると「うん、まぁ……強くなってる、よ?」と曖昧に言って目を逸らした。

「なんだ、お前、まさかこんだけ俺に苦労させといて、弓の才能なんて嘘っぱちだったってぇんじゃねぇだろうな」


 明らかに何かを隠しているハルトの様子に、オーサンが詰め寄って凄む。

 既にエドワードとラビィの鑑定は終わっていた。2人の鑑定の時は、ハルトは自分のことのように喜び、獲得したスキルや魔法をとうとうと説明していただけに、今のハルトの態度は余計に怪しかった。


「いや、違うって! 弓の才は本当!」と慌てて弁解すると、

「じゃぁ何が本当じゃないの〜?」とモリフが余計な質問を投げかけてくる。


 キッとモリフを睨むも、「ハルト様が凄んでも全然怖くない〜」とのほほんと返された。


「ハルト」とオーサンが言う。「どのみち、俺はずっと取り柄の一つもねぇ男だったんだ。今更何を言われたって構いやしねえ。言え」

「オーサン」ハルトは眉尻を下げた顔で「『男』じゃなくて『オッサン』ね。『取り柄の一つもねぇオッサン』」と指摘した。

「どっちでも良いだろぁが! 変なこだわり押し付けてくんじゃねぇ!」とオーサンが唾を飛ばして言う。


「教えてあげなよハルト様〜」とモリフが言えば「そうだぜ、『取り柄のねぇオッサン』のままじゃ可哀想だろ。せめて『取り柄の少ねぇオッサン』にしてやれよ」とエドワードも加勢する。ラビィも、うんうん、と無言で、しかし、激しく首を縦に振っていた。

「おい、お前ら。俺の味方してんのか、バカにしてんのかどっちだ」


 いや、でも、うーん、と渋っているハルトにモリフがダメ押しの一言を放つ。


「いざって時に、自分を知ってるのと知らないのとでは、雲泥の差だよ〜。オーサンを思うなら教えた方が良いよ〜?」


 これが決め手となり、結局ハルトは「分かったよ」と折れ、鑑定の結果を話した。




 


「エナジーコンバート、か」とオーサンが自分の手のひらを見つめて呟く。まるで手のひらにスキルが収まっているかのような眼差しを向けている。「いいじゃねぇか。俺にぴったりのスキルだ」


 しかし、これにハルトが異議を唱えた。「全然良くない! いいかいオッサン? それは一回使えば動けなくなる諸刃の剣だよ? 今回の防衛で使おうものなら、動けなくなって転がっているところを新たに湧いた野盗にトドメを刺されるのがオチだ。絶対使っちゃダメだからね!」

「後で広場で試してみるか」とオーサンが嬉しそうに言う。

「人の話聞いてる?!」


 見かねたルイワーツが「おい、オッサン。ハルトさんはあんたを心配して言ってんだぜ?」とオーサンに物申した。

「分一ってるよ。だが、いらん世話だ。俺は死ぬのは別に怖くねえ。もう老い先短いじじィだしな」


「何言ってんだ!」とハルトが珍しく怒鳴った。「『爺』じゃなくて『オッサン』だろ!」

「怒るとこ、間違えてませんかハルトさん」とルイワーツが遠慮気味に指摘した。


「とにかく! そのスキルは使っちゃダメ!」とハルトがまたも釘を刺す。オーサンはやれやれ、と頭をかいてから「俺だってな」と答えた。


「俺だってな、使う必要がないときにわざわざ使おうとは思わねぇよ。だがな、必要な時がきたら躊躇ちゅうちょなく使うぜ」

「オーサン!」ハルトは咎めるように叫ぶ。

「なら、お前はなんのために戦うってんだ?」とオーサンが逆にハルトに問う。ハルトは質問の意図が分からず、黙っていた。

「大切な者のために戦うんじゃねぇのか」オーサンが自答する。「目の前で大切な奴らが潰されそうな時にお前は黙ってるのか?」


 誰もオーサンに反論できなかった。

 そこにいる誰もが命をして村を——仲間を守る覚悟を持っている。それが『戦う』ということだと、皆が理解している。

 だからオーサンの言っていることは正しいと、皆口をつぐんだのだ。甘ったれているのはハルトの方だ。


「この村は、俺の孫が生まれ育つ故郷だ。孫の明るい未来のためなら、俺の命なんざ惜しくはねぇ。この老いれの命で良けりゃいくらでもくれてやるぜ」


「……この頑固オヤジめ」とハルトは口を結んでオーサンを睨んだ。



 

「でも分かるよ〜」とその時言ったのがモリフだった。


「大切な人を守るためなら死んでもいい。その気持ちは痛いほど分かる」とモリフが呟くように言う。


 意外な人物から意外な言葉が出たことに、驚いた。皆も同じだったのか、一様にモリフに目を向けていた。


モリフがそれに気付き、「まぁ、私は独り身なんだけどね〜」と肩をすくめて笑った。


 ハルトはその時のモリフの目が忘れられなかった。あはは、と笑う瞳の奥に悲しそうな色が見えた気がした。





 


 


 モリフを追ってかなり森の深くまで到達していた。既にハルトが来たことのないエリアに入っている。やがて、モリフが止まった。

 間もなくしてハルトもモリフの元までたどり着く。モリフは森の奥地の洞穴前でハルトを待ち構えていた。


「やっぱり付いて来ちゃったか〜」とモリフが困った顔をハルトに向けた。

「モリフ」ハルトが呼びかける。「お前何してんだよ」


 モリフは一瞬表情を無くしてから、微笑む。作り出された微笑は無理に笑っているようにも見えた。


「何をしてるか、って? そうだな〜。ここ数日はひたすらスモッグスパイダーを狩ってたよ〜」


 ハルトには何のことだか、まるで分からなかった。モリフはいったい何の話をしている? スモッグスパイダー? 何のことだ?


「ハルト様知ってる〜? スモッグスパイダーのメスって同種のオスにしか分からないフェロモンを出してるんだよ〜。オスにとっては数キロ先でも分かるくらい強烈なんだって」


「モリフお前何言って——」


「——うっかりメスを殺して放置しておくと大量のオスが湧くらしいよ〜? キモイよね〜。だから私はまずオスをこの洞窟に封印したんだよ、大量に」


 ハルトが洞窟に目を向ける。

 よく見ると洞窟の入口には薄い膜のような魔力が見えた。


「これ…………封魔術、か」とハルトが気付く。

「大変だったよ〜。殺さずに洞窟に放り込むの苦労したんだから〜。それからメスを片っ端から殺して教会堂の裏の墓地に埋めたんだ」


 このままモリフに喋らせてはならない気がした。何か取り返しのつかないことを口走りそうな、そんな予感にハルトはモリフを制止する。


「もういい」


 だがモリフは止まらない。壊れた玩具のように、ハルトに構わず口を開く。


「だからね、ハルト様」


「もう話さなくていい。やめろ」


「今この封印をとけば」


「やめろモリフ」


「大量のスモッグスパイダーのオスが」


「やめるんだ」


「村に——」


「もういい!」とハルトが声を荒げると、モリフは黙った。黙ってハルトを見つめる。

 


「戻ろう? モリフ。村に。お前の帰る場所はあの村だ。そうだろ? まだ戻れる」

 


 ハルトは必死だった。大切に守ろうとしていたものがするりと手のひらを抜けて落ちるような感覚。

 目の前の現実を信じたくなかった。

 そうだとしたら。

 もしモリフが裏切っているのだとしたら。

 全部嘘だったのか?

 村での日々も全部、あの笑顔も全て、偽物だったのか?

 


「戻れないよ、ハルト様」とモリフが答える。「もう戻れない。平和な村の、優しい司祭様には、もう戻れない。私に帰る場所なんてない」


 

 モリフは懐から水晶のような透明な石を取り出し、ハルトに見えやすいように掲げた。


 

「これが封魔術の媒体だよ。このクリスタルが割れれば封印は解ける」


「渡せ。モリフ」とハルトが言う。


「ダメだよ〜。どうしても欲しいのなら——」


 モリフはクリスタルを懐にしまい、ゆっくりと緩慢な動作で大鎌を構える。

 そして、らしくない妖艶な笑みを浮かべて、これまでのモリフからは想像もつかないほどの殺気がモリフから溢れ出た。

 黒い狂気がハルトを包み込み、心臓を圧縮するかのように威圧する。尋常じゃない殺気に肌がぴりぴりとしびれた。

 モリフがわらう。


 


「——私を殺して奪ってごらん」


 望まぬ戦いが幕を開けた。

 

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