第二章 農村開拓編

第18話 開廷

 

 はぁ、とついたため息は、活動に必要なエネルギーが漏れ出たように思えて、より一層憂鬱ゆううつになった。


 隣でマリアが不思議そうに首を傾げて、にこにこしている。その笑顔は天使に見間違う程で大変美しく、かつ可愛らしくもあるという奇跡の表情ではあるのだが、彼女が懸念けねん材料の一つでもあるので、ハルトとしては複雑な心境だった。


 あの日以降、マリアはいつもハルトの横にはべり——というよりかは監視の性質の方が強いかもしれないが——ハルトの行くところに着いて回った。


 マディさんには「過保護なママだな」とバカにされ、リラさんには「随分獰猛どうもうな犬連れてるわね」と笑われた。


 別にマリアと行動を共にするのはハルトとしては全く苦ではなかったのだが、これから行くところだけは話が別だ。絶対にマリアさんだけは置いて行こう、と自宅待機を頼んだのだが、「ハルトくんのお願いは何でも聞いてあげたいけど、それだけは無理」と断固拒否されてしまった。



「ハルトくん、その貴族様みたいな服、全然似合わないね。可愛い」とマリアが笑う。



 似合わないとけなした上で『可愛い』と褒めるマリアの思考回路は相変わらずハルトには理解できなかった。

 何か言い返そうと思ったが、マリアは高位の貴族となんら遜色そんしょくなく——実際マリアは既に辺境伯へんきょうはくではあるのだが——高級な生地に馴染むきめ細かい肌も、わずに下ろした髪も非常に美しく、文句の付け所がなかった。



「うるさいなぁ。仕方ないでしょー。裁判に汚い普段着で行くわけにはいかないんだから」


「別にハルトくんが裁かれるわけじゃないんだから、なんだっていいじゃない」


「そういうわけにもいかないよ」とハルトが呆れ顔で答えるも、マリアは全く気にした様子もない。



 ハルト達は中央広場に向かっていた。そこで冒険者ギルド職員ルイワーツの裁判が行われる。

 生か死か、これから罪人の運命が決まるというのに、マリアは緊張感の欠片もなく、鼻歌を歌って歩いていた。



「裁判って偉い人も来るの? ノムス伯爵とか」とマリアが不意に少し嫌そうな顔をした。



 ノムス伯爵はこの近辺一帯の領主である。ノムス伯爵の領地の内側にこの都市ヴァルメルも存在している。

 ノムス伯爵との間にいったい何があったのだろう、とハルトはマリアの表情を見て少し気になったが、深く聞かないでおくことにした。代わりにマリアの質問に答える。



「いや、ノムス伯爵は確かにこの当たりの領主だけど、この都市ヴァルメルだけは別だよ。都市ってのは皇帝に直接自治を許されている独自の領地だから、都市内だけはノムス伯爵の領地じゃないんだよ」


「そうなんだ」とマリアがどうでも良さそうに言った。「じゃあ都市の領主が来るんだね」


「正確には都市の領主、なんて人はいないよ。都市は合議制ごうぎせいだから。都市の有力者で構成される参事会さんじかいが都市の全てを取り仕切っているんだ。まぁ、その中でも権力の集中はあって、この都市で一番の権力者と言えば——」


「ギルマス!」とマリアが答える。答えが分かったのが嬉しかったのか、回答と同時に挙手してぴょんと飛び跳ねた。


「うん。冒険者ギルド、ギルドマスターのヴァルカンさんね」とハルトがげっそりと言う。



 ハルトの憂鬱の原因のもう一つがこれである。

 ヴァルカンは怖い。今回ハルトとルイワーツは、ヴァルカンを裁判に出向かせるという面倒ごとを起こしたのだ。ヴァルカンの顔に泥を塗ったと言っても過言ではない。

 怒られるだけならば、まだ良いが……。

 ルイワーツの処分はどうなるのだろう。それがハルトの心に重くのしかかっていた。


 中央広場につくと、いつもは市場として活気づいているのに、今日は厳粛げんしゅくな空気が流れていた。

 中央広場は都市のもよおし物の際に使用される。今回のような裁判でもそうだし、裁判で死刑が決まれば、その刑を執行するのもこの中央広場である。


 参事会としては見せしめの効果を期待してのものであり、市民にとってはエキサイティングなイベントだ。まったく悪趣味である。


 処刑であれば、結構な人数が集まるものだが、今日のイベントはただの裁判だ。市民もそこまで暇ではないのか、野次馬はぼちぼちだった。


 ハルトとマリアは『証人』席である。指定された席を探しているとギルド職員の後輩フェンテが鮮やかな色の貫頭衣シュールコーを着て座っているのを見つけた。彼女も証人だと聞いている。フェンテが小さくハルトに手を振った。


 ハルトとマリアがフェンテの方へ向かい、その隣にハルトが腰を下ろそうとすると、マリアが割って入るようにフェンテの隣に座った。フェンテは「ひぃ」と小さく悲鳴を上げる。


 座るや否や「貴様、ハルトくんがルイワーツにいじめられているのを知っていて、見て見ぬふりをしていたな?」とマリアがフェンテを恫喝どうかつする。ハルトは、『どうでもいいが、貴様なんて言葉を使うマリアさんは初めて見たな』と聞いていた。


「ィひィィイイイ! ち、ち、違うんですゥ! 知らなかったんですゥ! 本当ですゥ!」とフェンテはいけしゃあしゃあと言い放つ。


「嘘つきの舌は引っこ抜かねばならんなぁ?」とマリアが物騒なことを言い出したところで、ハルトは「止めなよ。2人とも恥ずかしいから静かにして」と止めた。


 フェンテは黙ったが、マリアが「う…………で、でも」と食い下がるので、「でもじゃありません」とハルトがダメ押しすると「はい」とマリアも黙った。




 いつの間に全員出揃ったのか——当然マリアとフェンテがじゃれている間ではあるが——裁判を取り仕切る文官が「それではこれより冒険者ギルド受付課職員ルイワーツの裁判をはじめる」と宣言した。


 ヴァルカンさんはどこだろう、とハルトが首を振って探すと、文官の近くのやたら豪勢ごうせいな椅子に座っていた。さしずめ『VIP席』であろう。ヴァルカンの他にも見るからに高級そうな服装の人が2人座っている。


 今、開始を宣言した文官は『VIP席』の人たちの代理でだろう。言ってしまえばただの『司会者』だ。裁判権は参事会の者、ヴァルカンたちにある。


 だが、ヴァルカンは冒険者ギルドの長だ。同じ冒険者ギルドの者——つまり自分の管理下の者——が裁かれるのだから、決定権は弱い気がするのだが、どうなんだろう。

 文官が声を張り上げた。



「ルイワーツに問う。キミは同じく冒険者ギルド受付課の職員ハルト氏をおとしいれ、これを殺す目的で、『不死王の大墳墓』の第6階層にある転移トラップを踏ませ、これを転移させた後、一人で冒険者ギルドに戻り、ハルト氏がダンジョン内で死亡した旨の虚偽きょぎの報告をした。間違いはないか?」


「ち、違います! 俺は! わ、私は、ハルトを殺すつもりなんてなかった! 転移トラップを踏ませてなどいません!」



 両手を後ろ手に縛られ、ひざまずかされているルイワーツの両脇には剣を抜いた市兵がそれぞれ立っていた。ルイワーツは必死に弁明するが、明らかに事実と異なる。



「では、どうしてハルト氏は転移トラップを踏んだのだ」と文官がルイワーツに問う。


「あれは…………ハルトが誤って」とルイワーツが尻すぼみがちに答えた。あんな仰々ぎょうぎょうしい杭が打たれているのだ。誤って踏むことなど、考えづらいと誰でも分かる。苦しい言い訳であった。


「ふむ。誤って、と」と文官は失笑するように肩を揺らしながら言った。



 そこで唐突にマリアが挙手しながら、立ち上がった。そして誰も許可していないのに勝手に発言し出す。実にマリアらしい、とハルトはおでこに手を当て俯きながら、もはや呆れを通り越して感心していた。と、同時に「だから連れて来たくなかったんだよ」と誰にともなく呟いた。



「あのがちがちに警告されてるトラップを間違えて踏む人なんていないよ。ハルトくんと一緒にいたのはそいつしかいないんだから、そいつがハルトくんをはめたとしか思えないよ」とマリアがルイワーツを指さしてわめく。


「う、うむ」と文官は押され気味である。ハルトは『頑張れ、文官おじさん』と心の中で応援した。


 マリアのマシンガン断罪だんざいトークは止まらない。「そいつは、ハルトくんをはめた後、ギルドの事務室でヘラヘラ笑ってたんだよ? 許せるはずがない! ハルトくんがあの後、どんだけ怖い思いをして、ひもじくて、寂しくて、苦労したのかを知るべきだよ! よし、決めた。罪人には同じ転移トラップを踏ませよう」とマリアが勝手に刑を決めた。



 なまじマリアも権力があるだけに、文官おじさんも対応に困っている。おろおろとVIP席に助けを求めるように顔を向けていた。



 ヴァルカンが「いいんじゃねぇか」と低く芯の通った地響きのような声を上げた。

「そいつに人望があれば、助けてもらえるかもなぁ」と言ってから豪快に笑う。



 自分の部下が裁かれるというのに、あまりに他人事だった。実際、ハルトやルイワーツといった下っ端など今回の件があるまで名前すら知られていなかったのだから、ヴァルカンにとってルイワーツは他人と言っても良いのかもしれないが。


 VIPの他の面々も特に反対はしなかった。

 ヴァルカンが身内に甘い判決を下そうとしたならば反対もあったかもしれないが、今回はその逆。厳しい判決をヴァルカンが支持したのだ。文句のつけようもない。

 ルイワーツと他の参事会さんじかいの者とに繋がりがあれば、話は別だが、ルイワーツにそんなコネがあるとは思えなかった。




 ルイワーツの顔が真っ青になる。パニックを起こして首を左右に忙しなく振っている。まるで助けてくれる誰かを探しているかのように。その口は「違う」「俺じゃない」と繰り返し呟いていた。


 『転移トラップの刑』は実質『死刑』と変わらない。ハルトは特殊スキル『サーチ』があった上に、トップを張る冒険者たちが助けに来てくれたのだ。

 それでも生き残れたのは奇跡に近い。今、ルイワーツが同じように転移トラップを踏めばまず間違いなく魔物に殺されるだろう。それも最も残虐な方法で。



 VIPの態度で、会場には『転移トラップの刑』で決まり、という空気が流れていた。

 この世界の裁判などこの程度である。証拠をもとに事実を争うなんてことはあまりない。結局のところ、鶴の一声で決まるのだ。

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