第19話 祈り
青空の下で行われる裁判は終わりを迎えようとしていた。後は文官が刑罰を言い渡して、お開きである。
思わぬ介入があったのは、その『言い渡し』の時だった。
「では罪人ルイワーツを——」
「——あ、あの!」
唐突にハルトが挙手をした。
会場の全員の視線を一身に浴びる。目立つことに慣れていないハルトはダラダラと汗をかき、上手く呼吸ができなくなる。いつもどうやって息してたっけ、とバカなことを真剣に考えながら、律儀に発言を許可されるのを待った。
ハルトが喋り出さないので、会場は重い沈黙に包まれる。仕方なく文官が「なんだ」と面倒くさそうに発言を促した。ハルトは「はい」と立ち上がり、言う。
「ぼ、僕は!」とハルトが叫ぶが途中で声が
ルイワーツが勢いよくハルトに振り返った。ハルトは決してルイワーツと目を合わせないように目を逸らしておく。
同じく『正気?!』と言いたそうな目でマリアがこちらを見やった。それも無視しようとするも、マリアが何か不用意な発言をしようとしている気がしたので仕方なく、『黙って』と目で制した。
「ならば」と言ったのは文官ではなくヴァルカンだった。「ならば、貴様は自分のドジで転移トラップを踏んだって言うのか? あの警告だらけのトラップを?」とヴァルカンが睨むようにハルトに問う。
何故か隣のマリアが『ケンカ上等』といった顔でヴァルカンを睨み返していた。この人には『相手が権力者だ』とか、そういう遠慮はない。ヴァルカンはマリアの
「は、はい! ドジりました!」とハルトは言い放つ。会場のどこかで嘲笑が聞こえた。「ダンジョンでドジることは犯罪でしょうか」とハルトは付け加える。
「いや。それはよくあることだな。ダンジョン攻略は失敗の連続の中でいかに致命傷を避けるかがキモだ」とヴァルカンが言う。ヴァルカンは元S級冒険者だと聞いたことがあった。経験則を話すかのようで、説得力がある。
「だがな小僧」とヴァルカンが唐突にハルトを威圧した。それは先ほどの睨み程度のものではない。『殺気』と言い換えても良いような、生命の危機を感じさせる圧力だった。マリアが戦闘態勢に入ろうとするのをハルトはまたも「大丈夫」と制してマリアを座らせた。ヴァルカンが続ける。
「法廷での偽証は重罪だぞ。それを知った上で言っているのだろうな?」
死刑はなくても腕や足の切断刑くらいにはなるかもしれなかった。軽いものでむち打ち刑がある。怖くない、と言えば大嘘だ。怖い。だが、ここで発言内容を変えても『偽証罪』は成立する。法廷では一度口にした言葉は変更がきかない。それは裁く側も裁かれる側も同様だ。とにかくサイは既に投げられた。後は最初に放った嘘を貫くだけである。
「はい。誓って偽証はありません」とハルトは再び堂々と大嘘を吐いた。
ヴァルカンはしばらくハルトを見据えていたが、やがて文官を呼びつけて何やら小声で耳打ちをした。文官の「よろしいので?」という声が聞こえた。
ヴァルカンが横に座る有力者に顔を向け同意を求める。他の参事会メンバーも小さく何度か頷いた。『まぁいいでしょう』とでも言っているようにも思える。
方針が決まったのか、文官が元の位置に戻り、声をあげた。
「それでは罪人ルイワーツの処分を言い渡す」ルイワーツは「フーッ、フーッ」と頬を膨らませたり萎ませたりと荒い呼吸を繰り返していた。その目は充血して赤い。次の一言でルイワーツの生死が決まるのだ。取り乱すのも無理はなかった。
そんなルイワーツを気に掛けることもなく、文官は機械のように淡々と、前口上を並べ立てる。
そしてついに言い渡しの時が来る。
「ゆえに、罪人ルイワーツを——」
屋外であるにもかかわらず、会場は静まり返っている。
誰もが耳を澄ませて、神妙な顔で文官の次の言葉を待った。
しかし、ルイワーツのために祈る者は見当たらない。
隠すことなくニヤニヤと歪む口や、残虐な死罰とそれを受けるルイワーツの反応に期待を向ける目。自覚のない悪意が会場を埋めていた。
誰もにとって、関係のない他人事であり、好奇心や興味本位、あるいはストレス解消などの無責任な理由で、過激で残虐な刑を望んでいた。
どこを見ても自分の死を望む者しかいない。ルイワーツはそんな地獄に何を思うのか。ハッハッハッハッ、と短い呼吸を一定の早さで苦しそうに続ける。胸を鷲掴むようにおさえて、彼は俯いていた。
理由を問われれば、彼は『なんとなく』と答えるかもしれない。不意にルイワーツが何かに動かされるように、ハルトに振り返った。
ルイワーツは目を見張った。
ただ一人、ハルトだけがルイワーツの無罪を祈っていた。手を合わせ、真剣な顔で、心からルイワーツの無事を願っていたのだ。
悪意の眼差しが
自らを殺そうとした者のために祈りを捧げるハルトを、ルイワーツは息を呑んで見つめた。
湧き上がる感情がルイワーツを一杯に満たして、留めきれないそれは涙となって
もはや言い渡しなど眼中になかった。いつの間にか呼吸も落ち着いている。
ルイワーツはそっと瞳を閉じて、天を仰いだ。
その顔は安らかな微笑みを
「——『嫌疑なし』で釈放とする」
♦︎
「納得いかない」とマリアが膨れたのは、全てが終わって解散となった後である。
中央広場の片付けを自発的に手伝うハルトの横で、マリアも「ハルトくんが手伝うなら」と片付けに参加し、巨大な台を片手でバランス良く持ち上げて、運んでいた。本来4人がかりで運ぶであろう大きさである。
「まぁまぁ。皆無事だったんだから良いじゃん」と言うハルトにマリアはしつこく文句を垂れていた。
「良いわけないでしょ! またハルトくんの命を狙って来たら、どうすんのよ!」とマリアが言う。
「まぁでも、僕冒険者ギルド辞めるし?」
「逆恨みして追っかけてきたら?」
「その時は」とハルトは頭上を見るような仕草で一瞬考えてから「マリアさんが僕を守って?」と笑った。
「うぐっ」とマリアは喉に餅が引っ付いたように、言葉に詰まり、その後で「それはずるいよ」と口を尖らせた。
片付けもほぼ終わり、中央広場に残るものも僅かとなった時だった。
中央広場の周辺はそれ以外にも冒険者ギルドや教会、商館あるいは職人ギルドなどの重要な建物が集まっている。人の
おそらくルイワーツは釈放の手続きを終えて市庁舎から出てきたのだろう。
ルイワーツはハルト達に気が付くや否や、全速力でこちらに駆けてきた。
マリアが動き辛そうな
(ヤバい、せっかく助かったルイワーツさんがマリアさんに殴り殺される)
しかし、結果としてハルトの心配は
ルイワーツはマリアの拳の間合いに入る前に止まった。
そして、膝を折って、座り込み、そのまま勢い良く土下座をした。ルイワーツは自らのおでこを強く石造りの床に打ち付け、血が石床に付着した。そして頭を下げたまま叫ぶ。
「本当に申し訳ありませんでした!」
顔は伏せているので見えない。だが、声が震え、鼻をすする音でルイワーツの表情は察することができた。
突然の謝罪に、マリアも拳を下げて、ハルトに「どうするの?」とでも言うように目を向けた。
「顔を上げてください、ルイワーツさん」とハルトが言う。
ルイワーツは「本当に、申し、訳、ありません」と泣きながら繰り返し、顔を上げようとしない。
ふぅ、とハルトが深呼吸するように一つ息を吐くと、もう一度「顔を上げてください」と言った。
ルイワーツがゆっくりと顔を上げる。その顔は涙と鼻水で濡れ、目は充血している。
ハルトはルイワーツにニコッとほほ笑みを向けてから——
その頬を思いっきりぶん殴った。
「えぇー……」とマリアがドン引きしていた。ハルトは、日頃から乱暴者のマリアさんだけには咎められたくない、と思ったが口には出さなかった。
ルイワーツは体勢をもとに戻して、再び頭を下げた。「殴って気が済むのなら、いくらでも殴ってください」
「いえ、一発で結構です」とハルトがまた笑う。今度の笑みは裏表のない純真無垢な笑顔だった。「戻ったら絶対ルイワーツさんをぶん殴ると決めていたので。死なれたら殴れません」
「なにそれ」とマリアが横槍を入れる。
「僕はギルドを退職しますが、ルイワーツさんは、これから真っ当に生きてくださいね」
それだけ言うと、ハルトはマリアに「行こう」と声をかけて中央広場を後にしようとする。
——が、「俺に」とルイワーツがハルトの背中に声を投げかけ、呼び止めた。
「俺に、罪を償う機会をください!」
ハルトは少し
ルイワーツの前にしゃがんで目線を近づけた。ルイワーツは尚も頭を下げているため、顔は見えない。
「そんなこと言って、良いんですか? 本当に辛い目にあいますよ?」と脅すようにハルトが囁く。
ルイワーツは唾を飲みこんでから、ゆっくり顔を上げ、大きく頷いた。
それなら、とハルトはマリアに顔を向けた。
「え? 何?」と訳の分かっていないマリアは必死に思考を巡らせるように、視線を
ハルトはマリアには答えずに、ルイワーツに命じた。
「それなら、これからはマリアさんの領地で軍官として働いてください」
マリアは口をあんぐり開けて、「はぁ?!」と抗議の声を漏らすが、ハルトは敢えて無視する。
「ルイワーツさんの強さ、会計能力、文字の書き読みの能力、総合的に見てかなり優秀です。是非うちで雇いたい」とハルトが力説するが、マリアは「いやいやいやいや」と手をぶんぶんと仰ぐように横に振った。
「こいつハルトくんを殺しかけてんだよ?!」
「でももうしないって」とハルトがルイワーツに目を向け「ねぇ?」と確認するように言う。
「またするって面と向かって言うわけないでしょ、おばか」とマリアがツッコんだ。
だが、ハルトは折れない。なぜなら、これがマリアの領地の繁栄には絶対に欠かせないと判断したからだった。理屈ではなく、直観でそう感じ取っていた。
「だけど、マリアさん」とハルトが諭すように言う。「誰だって1度は過ちをおかすものじゃない? マリアさんだって、昔は殺し屋まがいの仕事だってやってたじゃない」
うぐっ、とマリアが言葉に詰まる。
「やり直したいって言ってるのならさ、やり直させてやりたいって、思わない?」とハルトがマリアに聞いた後で「僕は思う」と自答した。
「それにもし、ルイワーツさんが次に僕らを裏切ったら、その時は——」
「その時は?」
「——早く殺してくれ、って懇願するような地獄を見せてやれば良いよ」
ハルトは薄く笑った。表情に反して、いたって真剣な口調で。冗談みの欠片もない。もし裏切れば、本当にそうなるだろうな、と確信できる程には冷たい笑みだった。
「いや、それには及びません」とルイワーツが言う。「ハルトさんを再び裏切るくらいならば自害します」
ルイワーツの目は真っ直ぐハルトを見据えている。領主はどちらかと言えばマリアであり、仕えるのもマリアになのだが、ルイワーツの眼中にマリアは入っていなかった。
マリアはそのルイワーツの真剣さを感じ取ったのか、「あー、もォ!」と頭を掻きむしってから「分かったよ、もォ!」と投げやりにルイワーツの仕官を認めた。
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