第99話 聖女ナタリア杯
数日の移動と野宿を経て、ハルトとミーシャはようやく王都へたどり着いた。
王都の城門前には既に入都希望者が列をなしていた。ハルト達はその最後尾の馬車の後ろにつく。
ふとミーシャに目を向けると、ミーシャは鼻に皺を寄せて、顔を顰めながら鼻を潰すように押さえていた。時折、ヴォェ、とえずく声を漏らす。
理由は聞くまでもなかった。入都する者たちには様々な事情がある。当然、清潔を保ちながら旅をできる者の方が稀だ。そのため、入都の列は酷い悪臭に包まれていた。
「猫人族はやっぱり鼻が利くのか?」
「人間よりは」と律儀に答えてからミーシャはまたウッと顔を青くし耐える。
ハルトは何となく自分の脇に鼻を近づけすんすん、と臭いを確認する。風呂に入っていないのだから、自分だって臭い。だが、ミーシャはそんなハルトを見て「ハルトさんは、そこまで臭くないです」と言った。
「そんなわけないだろ。風呂にだって入ってないんだし」
「まぁ、まったく無臭ではないですけど、それを言ったらあたしだってそうです。でも、この列の悪臭はそんな次元ではありません。まるで地下下水道です」
ミーシャは、信じられない、とでも言うように眉間に皺を寄せて首を振った。ハルトは、地下下水道に入ったことあるのか、と聞こうとして既で思いとどまった。ミーシャにここで吐かれても困る。
後少しの辛抱だ、とミーシャを励ますが、ハルトには苦しそうに俯くミーシャに声が届いているのかどうかすら、よく分からなかった。
やがて列は進み、ハルトの番が来る。
「止まれ。入都の目的は何だ」と門番がハルトに訊ねる
「地方の村から出稼ぎに」とハルトが愛想よく答えた。
「どこの村だ」
ハルトがテキトーな村をでっちあげようと口を開いたところでミーシャが先に「ミケネ村です」と答えた。
門番は何かのリストが書かれた紙をじっと見つめてから、「それは長旅だったな。入都料は銀貨1枚だ」と手を差し出す。
「はぁえ〜、結構するもんですね」ハルトは死んだ闇商人から頂いた銀貨を門番に手渡した。もちろん本当は入都料が銀貨1枚もしないことは何となく察していたが、今は問題を起こしたくない。世間知らずの田舎者を装っておけば無問題だ。
「まぁ王都だからな。華々しい王都に物乞いが増えるのは避けねばなるまい?」と門番が笑う。
ハルトが愛想笑いを返して去ろうとすると、えずいていたミーシャが横から割って入って来た。その顔は怯え半分、怒り半分といった様子で、門番に楯突くのは怖いけれど使命感から声を上げた、といった具合だ。
「ぎ、銀貨1枚もするなんて、そんなの——むぐぅぁ」そこまで言ったところでハルトに口を塞がれる。
門番が表情のない顔をハルト達に向けた。文句でもあるのか、とでも言うようであった。
「いや、銀貨1枚もするなんて、王都はさぞ立派なところなんでしょうな。あはは。では、私たちはこれで」とハルトがミーシャを引っ張って王都に入って行った。
大通りを歩きながらミーシャを引く手を離すと、ミーシャはハルトの横に並んで歩きながらも、鋭い猫目をハルトの横顔に向けた。
「ハルトさん、ぼられてますよ! 入るだけで銀貨1枚も取られるなんて!」
「別にいいだろ。もともと僕らの金じゃないんだから」
「それはそうですけど」とミーシャは口をすぼめてから「でも!」とやっぱり納得がいかない様子で声を荒げる。「でも! あんな横暴許されません! あんな人間が王都を守るだなんてちゃんちゃらおかしいです」
「ちゃんちゃらって、本当に言う人はじめて見た」
「ハルトさん! 真面目に聞いてください!」
ハルトは立ち止まり、疲れた吐息をついてからミーシャの目を見返す。
「何のために王都まで来たのかを考えろ。王都の不良兵士にお灸をすえるために来たのか?」
ミーシャは口を真一文字に結んでハルトを見上げる。それから「ハルトさんは何しに来たのですか」と訊ねた。
ハルトの事情はミーシャには話していない。他国の人間だなんて知られれば面倒なことが起こるのは目に見えている。だから事情は話せない。ハルトは「商売だよ」と答えた。
「無一文で荒野を歩く商人なんて見た事ありません」
「良かったな。初めてお目にかかれたわけだ」
ミーシャは目を細めてハルトに非難の視線を送るが、ハルトは全く意に介さず、また歩き出した。
「とりあえず宿をとるか。ミーシャも今すぐに行動を開始するわけではないんだろ?」何の行動か、には触れない。分かり切ったことであるし、聞いてもミーシャが素直に答えるとは思えないからだ。
「いえ、すぐに動きます」ミーシャが鋭い目をさらに研ぎ澄ます。瞳には強い意志と覚悟が映っていた。
「止めた方がいい」とハルトはミーシャを見ずに言う。「何をやるかはしらないが、何事も順序、というものがある」
「でも——」と食い下がろうとするミーシャをハルトが「これは一般的な話だが」と前置いて遮った。
「奴隷は奴隷紋を植え付けられた上で
仮にミーシャが今奴隷商を襲撃して、カギを奪い、鉄檻を開けたとして、奴隷紋が解除できなければ、結局、奴隷は主のもとに帰ってしまう。奴隷を管理している場所に、都合よく奴隷紋解除の方法が用意してある保証はない。
ミーシャは顔を伏せ、苦悶の表情を浮かべた。一体どうすれば、そう顔に書いてある。焦燥と不安の色が見て取れた。
「反乱軍」とハルトが口にした。ミーシャは、えっ、と顔を上げる。
「彼らを頼れないものだろうか。政府への反乱と奴隷とは無関係かもしれないが、少なくとも反乱軍は情報を豊富に得ているだろうし、暴動が起こるのに乗じて奴隷商を襲うことも可能だ」
ミーシャが目を見開く。すぅ、と小さく息を吸う音が聞こえた。表立ってはミーシャも反応を示さない。この後、ミーシャがどういった行動にでるかはハルトには分からないし、干渉できることでもない。可哀想だが、奴隷解放に時間を割いている余裕はハルトにはなかった。
「ま、ミーシャにそんな物騒な話、関係なかったな」とハルトが笑って話を終わらせた。「でもとりあえずミーシャも休んだ方が良い。せっかく金があるんだし、風呂付の高級宿でもとろうぜ」
ミーシャも作り笑いを見せ、「……いいですね」と答えた。
高級宿は、やはり都市の中央付近にあると踏んで、ハルトたちは大通りを真っすぐ進んだ。いくつかの小広場を経由したが、どの小広場も市場が開かれ、活気づいている。
「金もあることだし、何か買うか」とハルトがふらふらと市場のテントの一つに吸い寄せられていった。
「ハルトさん、そう言って無駄遣いして破産するタイプでは……」ミーシャは呆れながらもハルトに付いていった。
「無駄遣いはしないって。でも、宿で食べる物とか必要だろ?」
「高級宿なら食事は付いてると思うんですけど」
「固いことは言いっこなしだ。さて、掘出し物あるかなぁ〜」ハルトはサーチを使い片っ端から鑑定していった。
良い品もあるにはあったが、良い品にはそれなりの値段が付けられていた。粗悪品に高い値段が付けられているものは多く見つかったが、その逆は全くない。良い商品には、それに見合う金額よりも少し高い金額が付けられている。世知辛い。
ハルトはいくつかの店を見ていく中で、あることに気が付いた。手に持っていた剣をもとの場所に戻しながらミーシャに「なぁ」と声をかける。
「なんか、武器とか防具とか、そういうのばっかじゃね?」ハルトが訝しんで首をひねった。
「言われてみれば…………確かに。あとは魔道具とか、ですね」
「食い物なんて、何もないじゃん」とハルトがぼやくと、その店の店主が「ははは、食い物なんて今売るバカはいねーわな」と笑った。
「なんで? 普通市場には遠方の果実とか、魔物の肉とか、あるでしょ」
「まぁ、普通はな。だが、今は商人にとってはボーナスタイムなわけよ」店主がひひひ、と汚らしい歯を見せる。
「ボーナスタイム?」
「なんだ、あんたら、もしや王都に来たばかりかいな? 聖女ナタリア杯のことは知らねえのか?」
聖女ナタリア、と聞き、ハルトの目の色が変わった。「何それ」と平静を装って聞くが内心は期待に高鳴っていた。
店主は詳しく教えてくれた。
聖女ナタリア杯とは今度、この王都の闘技場で行われる予定の闘技大会のことらしい。そこで剣と魔法、力と技を競い合うのだとか。優勝者には賞金が与えられるのに加え、聖女ナタリアから直々に祝福が授けられる、という特典がつく。
なんだそれだけか、とバカにはできない。聖女の祝福は一度行われれば生涯効果が持続する。一部の毒や呪いを無効化し、魔法威力、魔法防御を高める、とまで言われている。冒険者にとっては喉から手が出るほどの特典といえる。それが本物の聖女であれば、の話ではあるが。
ハルトは店主に礼を言ってから籠手を一つ買って店を離れた。
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