第13話 再戦

 

 ハルトはサルの死体をサーチした。


 名を『マッドマーダー』と言うらしい。スキルは特にない。ハルトの手首を切断したのは、スキルではなく単に鋭い爪で切り裂いただけ、ということだ。その事実にハルトはかえって背筋が凍った。

 自分といったいどれだけの戦力差があるのだろうか。



 マッドマーダーの生息域は『不死王の大墳墓』の第28階層〜第32階層とあった。つまり、今ハルトがいるのはその階層のどこかだ。『不死王の大墳墓』は一番進んだ冒険者パーティでも最高到達深度が第25階層であるため、やはり現在地は未踏領域ということになる。



 サーチできた情報はこれだけに留まらない。

 なんとこの階層の『マッドマーダー』の場所が感覚で分かるようになったのだ。

 マッドマーダーの存在がこのフロアのいくつかの部屋で動いていた。

 今いる場所から西南の方に大量のマッドマーダーが固まっている場所がある。血の気が引いた。もしそこに上層への階段があるとすれば、ハルトの脱出劇はここまでだ。詰みである。



 ただ、マッドマーダーの場所が分かっても、この階層の構造が分かるわけではない。どうにかならないものか、とハルトはダメもとで肉壁にサーチをかけてみた。

 すると、頭の中に『不死王の大墳墓第29階層』と浮かび、同時にこの階層のマップが見えた。もちろん視覚的にではなく、脳内に、である。



(すごい。まだ行っていない部屋まで分かるのか)



 ハルトは脳内のマップを隅々まで確認する。

 例のマッドマーダー群衆部屋に階段はないようで、胸をなでおろした。

 マップが分かるのは大きいが、マップにはマッドマーダー以外の魔物や宝箱の情報は反映されていないようだった。

 マッドマーダー以外のまだ見ぬ魔物に出くわせば、そこで終わる可能性が高いうえに、上層への階段は今いる場所から遠かった。そこに行くまでに魔物に出会わない、と楽観視できるほどハルトは肝がわっていない。





 不意にリラの言葉を思いだす。








 ——夜中に魔物が凶暴化したり、逆に睡眠を取ったり、魔物の行動パターンが変わるんだから










 (今はおそらく夜中。ここが『墳墓』であることを考えれば、魔物が活性化するとしたら『夜』だろう。だとすれば僕が活動するのは『朝』だ。それまでどこかに身を隠そう)




 そこでハルトは北東の小さな小部屋に目を付けた。現在地からそう遠くない。

 そこは大部屋から続く袋小路の小部屋だが、そこへ続く通路は他の部屋と違い非常に細く見えた。ハルトはそこが隠し部屋ではないか、と踏んだのだ。



 通路が狭いだけでも、大型の魔物は侵入できない、という利点がある。

 だが、これは賭けでもあった。出入口が1つしかない、ということは小型の魔物——例えばマッドマーダーでも良いが——が入ってきたらハルトに逃げ場はない。袋のネズミ、というわけだ。



 ハルトには他の作戦が思いつかなかったため、この小部屋に賭けるしか選択肢がなかった。ここでぼやぼやしていれば、どのみち魔物に殺されるだけだ。

 ハルトは小部屋に向かって、慎重に歩み始めた。



(体が軽い。前よりも早く走れそうだ)



『レベルアップ』の影響で体の調子はすこぶる良かった。筋力や敏捷性が上がったためだと思われる。

 剣を抜いて構えると、なんだか今ならマッドマーダーとも戦えるような気がしていた。

 ——が、すぐにハルトは考えを改める。



(運良く1匹倒した程度で互角になれるはずがないだろ。自惚れるな。油断するな。気を引き締めろ。なるべく魔物には出くわさないように移動するんだ)



 自分に言い聞かせるように鼓舞こぶして、ゆっくりと進む。

 耳を澄まして、慎重に、しかし可能な限り速やかに。

 肉床は足音が鳴らない。隠密行動をしやすいといえばしやすいが、それは魔物にとっても同じである。魔物の接近に気付きにくい、というのは『出くわせばアウト』のハルトにとっては最悪の環境とも言えた。


 運良く他の魔物には遭遇せず、例の小部屋に繋がる大部屋の前まで出た。

 この大部屋からは、マップ上では通路が3本伸びている。1本はハルトが今来た道、1本は小部屋への小さな抜け穴、そして残る1本は別の大部屋に続く道である。警戒すべきは別の大部屋に続く道だ。魔物がやってくるとすれば、そこからである可能性が高い。


 そしてハルトが解決すべき厄介な問題がもう1つあった。それは目の前の大部屋の中央にマッドマーダーがいる、ということだ。


 何をしているのか1匹のマッドマーダーがウロウロと大部屋内を徘徊している。ハルトは大部屋に入る手前の通路に隠れているので、まだ気付かれてはいない。



(戦うしか…………ないのか)









 足が震えた。





 先ほどの手首の切断を思い出す。





 意識していても抑え難く呼吸が荒くなるが、気付かれないように必死に口をとじる。フーフーと早いリズムで鼻息を吐き続けた。


 やるしかない、そう決意するまでにあまり時間を要さなかった。ためらっていれば、余計に状況が悪くなっていく。マッドマーダー1匹だけである今のうちに、とハルトは飛び出すように部屋に入った。


 マッドマーダーがハルトに気が付き、カン高い奇声を発しながら、手を上にあげ、バンザイの状態でハルトに迫った。



「キェアアアアアア、きゃはっはははははは、あったァァアア、きゃはははははは」



 恐怖が頭に浸透するように湧き上がる。

 大丈夫、とハルトは呪文のように自分に言い聞かせた。マッドマーダーの動きはサーチで細かに把握している。大丈夫。





 攻撃パターンはまず両手の爪による斬撃。




 ハルトはマッドマーダーの間合いのギリギリ圏外で急停止した。

 相手と同時に斬り合えば、力量差でハルトが裂かれるのは火を見るよりも明らかだった。ハルトが勝利するには、後の先を取る必要がある。カウンター狙いだ。



 マッドマーダーの毛深い腕がハルトの鼻先を通過した。





(よし! 見える!)





 ここで焦っては攻撃に転じてはいけない。ハルトがさらにもう一歩後ろに退くと、マッドマーダーの足爪がハルトの前髪の先を削るように通過し、空を切った。どうやら奴はバク転するように両足を蹴り上げたようだ。だが、ハルトはまたもギリギリ間合いの外。難を逃れる。




 マッドマーダーは無理な攻撃をしたため、隙だらけだった。

 今だ、とハルトは渾身の力を込め、剣を横一線に振り抜く。ハルトの剣が隙だらけのマッドマーダーの肉を切り裂いた。

 浅いが目に当たったようで、マッドマーダーは両目を押さえて、甲高い悲鳴を上げる。



 この機を逃す手はない。



 ハルトは再び大きく剣を振りかぶって、マッドマーダーの脳天から唐竹割からたけわりに振り下ろした。

 スコンと硬い物に刃が通る感覚が手に返り、血が吹き上がった。


 ハルトの剣はマッドマーダーを両断こそしなかったものの、薪割まきわりの斧のように頭蓋骨ずがいこつに刃が突き立った。脳をやったのだ。当然ながら即死である。


 また力が流れ込む。連続で『レベルアップ』が生じることなどこれまで1度としてなかった。それだけマッドマーダーとハルトの間で力量に差があるのだ、とハルトは痛感した。






 休憩している暇はない。


 剣をマッドマーダーから引き抜いて、ハルトは小部屋に繋がる通路へと急いだ。

 ——が、マップ上はそこは通路となっているはずが、一見すると通路はなく、ただの肉壁だった。しかし、ハルトは慌てない。むしろそこに希望を見出していた。



(やっぱり隠し部屋だ。問題はどうやって通るのか、だが……)



 肉壁を無造作に手でぶにぶに押していると、突如腕が肉壁に飲み込まれた。そのまま吸い込まれるように肩まで壁に埋まる。まるで謎の生物に捕食されているようだった。

 だが、ハルトに躊躇ためらう余裕はない。他に選択肢がないのだから、決断は早かった。

 飲み込まれるままに、抵抗せずじっとする。


 やがて頭が飲み込まれ、反対の肩、腕、足と全身が壁に入って行った。


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