第54話 懸念

 

 高齢の農民ロズは顔をしかめながら、無言でくわを振るった。


 無論、彼が使うのは木と鉄でできた一般的なくわである。村の農業は三圃式さんぽしきを採用していた。農地を夏畑、冬畑、休耕中に区分し、ローテーションで農地を使う。今はちょうど夏畑から冬畑に移り、秋蒔きに備えて畑にくわをいれているところであった。


 真剣な顔で鍬をいれるロズの額には大粒の汗が張り付き、高齢の体にはきついであろう鍬入れを繰り返し行う。一介の農民でありながら、その目は職人のそれであった。

 その隣をハルトが金魚のふんのようにくっついてまわる。



「ねぇねぇ、おじいちゃん、おじいちゃん」



 ロズはハルトの呼び掛けには答えず、黙々と鍬を振り上げ、振り下ろし、また振りあげと繰り返す。ざっく、ざっく、と心地よい音が一定のリズムで刻まれる。



「僕が鍬入れやろっか? 一瞬で終わるから。ね? 騙されたと思って。あ、でもおじいちゃん、騙すって、本当に騙すわけじゃないよ? 詐欺には気を付けてね。たとえば孫を名乗る輩が突然現れても——」


「——領主様」とロズが語気強く呼ぶと、ハルトのよくしゃべる口がようやく止まった。「仕事の邪魔です」ロズは鍬を振り下ろす。


「いやいや、僕は仕事を手伝いに来たのであって、邪魔しようなんてこれっぽっちも——」


「——事実、邪魔になっております」


「だから僕が鍬入れしてあげるって言ってんじゃーん。ね、やらせて? お願いお願いお願い」ハルトが手を合わせて働かせてくれと懇願していた。働かせろと懇願する領主など、見たことも聞いたこともないロズは困惑と怒りの半々といった顔で、作業を止めた。



「村の連中が領主様に鍬入れをさせましたかな?」とロズがたずねてから、ハルトを鼻でわらう。答えを分かっていて聞いているようであった。


「いや、それがさ、全然させてくれないんだよ皆。僕の鍬でやればすぐ終わるし、何故か鍬入れるだけで栄養素も豊富になってどんな植物でもよく育つのに」


「それは大変な品ですな。ですが、我々は農民。農業に生きる者。自分の畑は、たとえ開放農地だとしても、自分の子も同然なのです。得体の知れない魔道具で好き勝手イジって良いものではない」



 ロズはそれだけ言うと、もう話すことはない、と鍬入れに戻った。

 ハルトはしばらくロズの隣に立っていたが、やがて無言でロズのもとを立ち去った。ロズは一瞬ハルトの背中に目を向けてから、ふん、とまた鼻で嗤い鍬入れに戻った。




 鳥のさえずりや木の葉が擦れる長閑のどかな音の上を、ざっくざっく、とくわの音が横断していく。

 ロズは他の農民から少し離れて作業をしていた。開放耕地とは言え、基本的に作業は個々の農民がそれぞれやっている。大きな方針は定めても、細かなところは各自、好き好きに進めるのがこの村のやり方だった。



 不意にざっくざっく、と耕す音が増えた。ロズの耕す音を追いかけるように、ざっくざっく、ざっく、ざっくざっく、ざっくと音がつらなる。まるで親を追いかける小鴨こがもである。

 ロズが振り向くと、ハルトがくわを持って畑を耕していた。



「貴様——」とロズが怒鳴りつけようとして、ハルトが鍬をロズに見せつけるように突き出した。


「これ普通の鍬。別に農作業手伝うだけなら、いいでしょ? おじいちゃん」



 ハルトは言うや否や、またざっくざっくと土に鍬を入れる。

 だめだ、というタイミングを逃したのか、ロズは「おじいちゃんではありません」とだけ言って、自分も鍬入れを再開した。

 ハルトの手伝いは黙認という形で許された。




 ♦︎




 昼時、農民は自宅に帰って食事を摂る者が多い。世帯持ちは特にそうだ。だが、独り身でわざわざ家に帰るのも面倒だとパンを持参する者もいる。

 そういった者達はぽかぽかと暖かいお日様の下、集まってパンをかじる。この日もそうだった。

 いつもと違うのは村人達の視線が一人の人物に注がれていることと、皆が無言であること。

 ハルトは村人の視線を一身に受けながら、硬いパンをがじがじかじっていた。パンをくわえ、オーク肉のスープを火にかけて温めて直していると、とうとう村人の1人が口を開いた。



「……どうして領主様がいる?」



 村人達が答えを求めてロズに顔を向けるが、ロズは我関せずとスープをすすっている。

 代わりにハルト自身が答えた。


「どうしてって言われても……腹が減ったから?」ハルトはまだパンをガジガジと齧っている。先程からパンは1センチと減っていない。硬過ぎるのだ。本来はスープに浸して食べるのだが、何故かハルトはスープを待たず、果敢に歯で挑む。


「ならば、やかたで食べれば良いのでは……?」村人が躊躇ためらいながらも物申すと、ハルトは「そんなことよりさ」と話題を勝手に変えた。



「そんなことよりさ、この村がもうすぐ襲撃される話、みんな聞いた?」



 今度芸能人来るって知ってる? くらいのテンションで、ハルトが物騒な話を明るく切り出す。

 村人は「まぁ」とか「えぇ」とか、曖昧に返答していた。



「なら、みんなも協力してよ。一緒に戦おう!」ハルトが勧誘するが、今度は誰も返答しない。代わりに誰かがパンを齧る音が返ってきた。



 ハルトは口を結んで、鼻でため息を吹く。

 オーク肉の宴で村人とは分かり合えたと思っていたが、それも全員ではなかったようだ。狩猟班の人はほとんどが心を開いてくれたようだが、それ以外の村人は様子見の者が大多数を占めた。以前の『反撥的はんぱつてき』な態度よりは幾らかマシだが、『協力的』とまではとても言えない。



「なら、せめて襲撃の日が近付いたら避難してくれない? 森に」



 温めたスープを器に移して、すすりながらハルトが妥協案を出す。欲を言えば闘える者——才能のある者——は闘ってほしいが、それが無理なら森に隠れていてくれるだけでもありがたかった。闘えない者が人質にでもなったら、目も当てられない。それにハルトは1人たりとも犠牲者を出したくなかった。

 ——だが、



「畑を置いて逃げるなんてできねぇべ」と誰かが言った。「んだ」だか「そだ」だか、あるいはその間の発音なのか、とにかく村人たちが同意の声を上げた。


「命あっての物種だろ」とハルトも説得するが、村人はかたくなだ。口を固く結んでかぶりを振った。


「自分の命が危ねぇからってを見捨てて逃げる親がどこにいる」

「どのみち野盗に畑がやられりゃ、俺たちゃ死ぬしかねーんだ」

「肉をくれたんは感謝しとるが、それとこれとは話が別じゃ」



 農民達がまくし立てる。ロズは黙って食事を進めていた。



「だから、畑をとられないように闘おうよ」


「言われずとも畑に入ってきたら、闘っちゃるわ」

「んだ。野盗なんざ怖くねぇ」

「ああ。本当に怖いのは——」



 農民達は頷き合って口々に息巻いてから、口をそろえて言う。



「——魔蝗虫まこうちゅうじゃ」


「マコウチュー? 何それ」ハルトが訊ねると、ロズがようやく口を開いた。


「そんなことも知らんと、よく領主が務まりますな」と嫌味を吐く。



 ハルトがむっとしていると、別の農民が教えてくれた。



魔蝗虫まこうちゅうってのはバッタの魔物じゃ」


「魔物……?」ハルトはいぶかしむ。元冒険者ギルド職員のハルトが知らない魔物がこの辺りにいるとは思えなかった。ギルド職員ははじめに魔物学について叩き込まれる。下手な冒険者よりもギルド職員の方がずっと魔物に詳しい程だ。


「魔物っつっても、見た目は普通のバッタとそんなに変わらん。色が赤黒い以外は大きさも少し大きめのバッタじゃ」


「なんでそんなバッタが怖いの?」



 訳が分からない。バッタなど踏み潰してしまえば良いではないか、とハルトは首を傾げる。だが、村人は眉根を寄せて、ゴキブリでも見るかのような嫌悪の表情を示した。



「奴らは大軍で畑に押し寄せて、穀物を食い荒らすんじゃ。そしてまた次の畑を求めて移動する」


蝗害こうがいか……」とハルトが呟いた。



 ハルトはようやく村人が何を恐れているのかを理解した。前世でも聞いたことがあった。

 密集した環境下でイナゴが変異を起こし、群飛ぐんぴして集団移動を行うようになる。

 そうして移動してくるイナゴの集団に作物を食い荒らされ、飢饉が起こるのだ。それが蝗害こうがい



「で、でも夏畑はもうほとんど収穫終わったし、冬畑の種蒔きはこれからだろ? 今バッタが来ても何も被害はないんじゃない?」



 ロズがふん、と嘲笑ちょうしょうするように鼻息を吹いてから「奴らはそう甘くありません」と言った。



「奴らの群れの一部分は自ら畑に墜落して自害します。そして奴らの死骸は、魔蝗虫以外の生物にとっては有害の毒素を発生させ、畑を汚染するのです。自分たち以外の生物に食べられないように。魔蝗虫に襲われた畑はもはや再起不能。終わりです」



 作物を食い荒らされるだけでなく、畑まで汚染されてしまうとは、なんて恐ろしいバッタだ。

 農民達が恐れるのも頷ける。



「だけど、ここ森に覆われてるし、大丈夫でしょ」とハルトは能天気な声をあげて勢いよく立ち上がった。それは心をむしば懸念けねんを無理やり吹き飛ばすかのようでもあった。「さて、腹も膨れたし、働きますか」



 ハルトがいそいそと畑に戻っていくと「なんであの領主様は畑に戻っていく……?」と後ろで村人の誰かが呟く声が聞こえた。

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