第101話 当たり
ハルトが高級宿屋の1階に降りると、お出かけですか、と宿屋の従業員に声を掛けられた。
「うん。昼飯は不要だよ。夕食までには戻る」
「承知しました。お気を付けて行ってらっしゃいませ」
従業員の非の打ち所がない笑みに見送られてハルトは宿屋から大通りに出た。
ミーシャは朝起きたら既に出掛けているようだった。ここ数日毎日である。大抵の場合、夕食までには戻るが、夜が更けてから戻ることもあった。
従業員いわく、いつも朝早くにどこかへ出掛けて行くらしい。反乱軍の情報を得に行っているのだろうな、とハルトは察した。
ハルトの目的地は宿からそう遠くはなかった。大きな円形のスタジアムは、宿を出てすぐに目視で確認できた。闘技場である。
闘技場に隣接した大広場は、やはり露店でにぎわっていた。先日の小広場の露店と同様に、剣、槍、杖などの様々な武器や鎧がずらりと並べられ、それを物色する人々の目はどれも真剣そのものであった。
ハルトは市場を横切り、闘技場に入った。
受付の前に立つと、受付員らしき女性が、冷え切った目で、ハルトを一瞥した。高級宿屋とはえらい違いである。冒険者ギルドでも職員はもう少し愛想が良いはずだ。
受付員が何も言葉を発さないため、仕方なくハルトから「ここ受付であってる?」と訊ねた。
「ええ」と女が答える。
「聖女ナタリア杯について知りたいんだけど」
女は無言で後ろのレターケースのような棚から冊子を1冊取り出すとハルトに渡した。
どうやら、これを読め、ということらしい。ハルトが冊子を開こうとしたところで、女は「邪魔」と言いながら、ベンチが並んだ待合スペースの方を指さした。
「読んだら返して」という感情ののらない声を背にハルトはベンチに向かった。
適当に座って冊子を読む。
予選の実施日は今日から5日後らしい。申し込みなどはなく、当日闘技場に来て、参加を告げれば良いようだ。
予選日の一週間後が本戦で、トーナメント形式で行うようだ。シードは一切ない。予選突破した12名がランダムにトーナメント表に振り分けられる。
予選は武器、防具は一切禁止だが、本戦は許可されている。試合での殺人は罪に問われない。つまり、何でもありの殺し合いだ。
ハルトはこの過酷な戦いを勝ち抜かねばならない。はぁ、と重い吐息が無意識に吐き出された。
モリフはおそらくスリーゼン伯爵のもとに戻ったと思われる。だから、ハルトははじめスリーゼン伯爵の所在について調べた。だが、有用な情報は一向に掴めなかった。領主なのだから、暗殺に用心するのは当然だが、スリーゼン伯爵は他の貴族と比べて以上に警備が手厚い印象を受ける。ハルトはスリーゼン伯爵の居所を調べるのを諦めた。
代わりに聖女ナタリアに目をつけたのだ。ナタリアはスリーゼン伯爵の実の娘であり、関係が近い。
ナタリアを捕えれば、有用な情報を得られると踏んだのだ。幸いナタリアの所在は、ある一日に限定すれば特定することができた。それが例の討議大会の日である。ナタリアは優勝者に祝福を授ける——振りをする——ために会場に現れるはずだ。そこを狙う。
おそらく個室で祝福を授けるはずだ。何せ本当に授けるのではなく、授ける振りをするのだから目撃者は少ない方が良い。あるいは、モリフも会場に居て、ナタリアに代わってこっそり本物の祝福を授けるのかもしれない。そうであれば、願ったり叶ったりだ。そこでモリフを確保できる。
だが、そのためにはハルトがトーナメントを勝ち抜き、『優勝者』にならなければならない。いまいち自信はないが、このチャンスを見逃す訳にはいかない。ハルトは冊子を受付嬢に返して闘技場を後にした。
♦︎
「この娘なんてどうですかねぇ、旦那」
下卑た笑いを浮かべて奴隷商が全裸のうら若き女を引き連れて来た。
6畳程度の狭い商談室に男を惑わす女の匂いが滲む。おそらく女の本来のフェロモンとは別に何か細工が施されているのだろう。色欲にくらんだ男から金を引き出すために。
ハルトは「あーだめだめ」と女を一瞥してから——正確には胸と股は2度見したので二瞥だが——手を顔の前でぶんぶん振り回した。「こうビビッとくるのがいないんだよなぁ〜」
奴隷商の男は笑みを維持したまま「とおっしゃられても……これでうちの商品は全てになりますぅ」と媚びた声を出した。ハルトがしょっぱな金貨の詰まった袋を机の上に見せびらかすように置いたことで、上客と見られたようである。
「まだあんだろ?」とハルトが言った。
「い、いえ、ですから、これで当店の奴隷は——」
奴隷商の言葉を遮ってハルトが「地下」と声を上げた。「ここに地下があることは知ってんだよ。そこに奴隷がいることもな」
「い、いえ、地下のは、予約済みのものや、調教中のものでして——」
またハルトが言葉を遮りにっこりと笑って「いいから見せろ」と恫喝した。
地下を見学し終わると、ハルトはあっさり「やっぱり良いのいないや」と適当に理由をつけて、奴隷商館を出た。言葉を失って怒りに震える奴隷商がハルトを見送ってくれた。
(ここもハズレだ。地下施設は残り3件か)
空を見上げると、既に夕焼けも終わりに近づいており、夜が迫っていた。ハルトは宿へ向けて歩き出す。
闘技大会まで5日ある。その間にハルトはモリフの弟カイの捜索を行っていた。モリフを解放する計画は立てたが、人質であるカイが捕まったままではモリフを説得するのは不可能だろう。だからモリフの前にまずカイを救出する必要があった。
カイはおそらく監禁されている。モリフを操る手綱なのだから、逃げ出されないよう厳重な管理体制を敷くことは予想できる。であれば、疑うべきは地下だ、とハルトは考えた。地下ならば窓もないし、壁を破られる心配もない。はしごなどを掛けて出入りする構造であれば逃げ道は皆無だ。監禁するにはうってつけである。
ハルトはサーチで地下に人間の反応があった施設を片っ端から当たっていく作戦に出た。ところが、意外にも地下施設がある建物は1つや2つではなかった。そしてその多くは奴隷商館だったのだ。
(カイが奴隷商に売られた、という可能性は低そうだ。人質として機能しなくなる。なら、奴隷商がカイの監禁をスリーゼン伯爵に委任されている、という線は…………意外にありそうだ)
宿の自室の前で、丁度隣の扉を開こうとするミーシャとかち合った。
「よぅ、久しぶり」とハルトが手を挙げる。
ミーシャは一瞬顔を強張らせてから「ですね。なかなか顔を合わす機会がなかったですもんね」とすぐに笑みを浮かべた。
「ミーシャが朝から夜までずっといないからだろ」
う、とミーシャが言葉を詰まらせる。どこで何をしているのか、あまり詮索されたくなさそうだった。
すぐにでも部屋に引っ込みたそうなミーシャにハルトは「あ、糸くずがついてるぜ」と言ってミーシャの肩に触れた。と、同時にサーチを発動した。今まではプライベートなことだから、とむやみにミーシャを鑑定することは控えていたが、モリフとカイの件に奴隷商が関わっているのなら、話は別だ。今は一つでも情報が欲しかった。猫人族の種族情報、ミーシャの保有スキルや魔法、記憶の断片がハルトの頭の中に浮かんでは消え、急速に脳に焼き付いていく。
——お前は質が良いな
——人間様は奴隷でも待遇が良くて羨ましいわね
——どうやって死ぬか。最近はそればかり考えてる
——ミーシャ…………大丈夫?
——領主様! 助けてください! 私たちは違法奴隷です!
——ミーシャァァアア!
「ハルトさん?」
ミーシャの声にはっと、意識が戻った。どうやら1度で深くミーシャの記憶に沈み過ぎたようだ。ハルトはミーシャに微笑みかけて「あんまり、無茶するなよ。おやすみ」と言ってから、自室に入った。
ベッドに座り込み、額に手を当てた。酷い頭痛にうっと短く呻いた。
だが、それとは裏腹に口角が上がり、心臓が高鳴り、心が高揚していた。ハルトはベッドに勢いよく背中から倒れて、大の字に寝そべった。
「おそらく当たりだ」
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【あとがき】
新連載『それでも俺は天下無双を諦めない』
https://kakuyomu.jp/works/16818093077633565367
も良かったら、読んでいただけると嬉しいです🤗
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