第15話 クロノスの鍬

 

 そこは6じょうほどの狭い部屋だった。

 他の部屋と同じく肉壁に囲まれてはいるが、魔物は皆無だ。

 代わりに部屋の中央にこれみよがしに宝箱が置かれている。


 ハルトが肉壁から今度はにゅぷっと吐き出され、その部屋に放り出された。



(なんかヌルヌルする……最悪)



 飲み込まれた時に付着した謎の液体を手で払うように落とすが、あまり意味がなかった。

 敵がいないことはこの部屋に吐き出された時から——あまりに部屋が狭いために——気付いていた。

 緊張の糸が切れ、疲れ果てた体を横にする。肉床は休むにはちょうど良い温もりと柔らかさだった。これが石造りならこうはいかない。



(宝箱も気になるけど……今は…………少しだけ………………)



 まぶたに重りでも付けているかのように、徐々に、徐々にと瞼が下りていき、やがて完全に閉じると、意識を手放した。

 ハルトは疲れのあまり、泥のように眠った。




 ♦︎




 ハッと目が覚めると同時に起き上がり、慌てて抜剣した。

 剣先を右に向ける。——が、誰もいない。

 左に向ける。——が、やはり誰もいない。


 そこでハルトはどこを向いても、壁が異様に近いことに混乱しかけたが、すぐに思い出す。




(あ、そうか。隠し部屋に来たんだった)




 ハルトは剣を納め、どさっ、と落下するように座り込んだ。6じょうの狭い部屋で警戒して剣を振り回すのもバカバカしい。

 それから自分の失敗に気付き、頭を抱えた。



(しまった……。今何時だか分からない……)



 朝に動こうと思っていたのに、自分がどれだけ眠っていたのか、全く分からなかった。

 もはや今が朝なのか、昼なのか、夜なのか、見当もつかない。

 リラさんが言っていたのはこういうことか、と今更になって後悔した。


 腹のすき具合から考察しよう、と思い立つが——



(……ダメだ。眠る前から腹ペコだから、全く参考にならない)



 と、すぐに考えるのをやめる。

 空腹に意識を向けたからか、腹が、くぅ〜、と鳴った。




「腹減ったぁ……」




 ふとバッグからはみ出るくきに目がいった。

 先程、宝箱から手に入れた天界樹の葉——の生えていた茎である。



(これ食えるかな……?)



 しばし考えて、ハルトはバッグからはみ出た茎をバッグにしまい直した。



(もし茎にも回復効果があるなら、今使わない方が良いよなぁ)



 ならば、とハルトが目を向けたのは、部屋の一番奥に設置されている仰々しい宝箱だった。



(ゲームとかだったら攻略に必要なギミックアイテムでも入っていそうな装飾だな)



 ハルトは、食べられる物の方が良かったが、それでもやっぱり少しワクワクする。伝説の剣でも出てきたらどうしよう、と妄想しながら宝箱に近づいた。

 だが、ハルトは宝箱を開けて、がっくりと肩を落とす。











 それは漆黒のくわだった。

 なんの金属なのかよく分からないが、形状は畑を耕すアレ。まさに『くわ』としか表現できない形をしている。



 武器とか、防具とか、もっと相応しい物があったでしょ! なんで農具?! と苛立ちさえ覚えたが、それは誰にぶつける怒りなのかハルト自身、分かっておらず、とりあえず宝箱をぺしっとはたいた。



 その鍬を手に取って持ち上げると、あまりの軽さにバランスを崩しそうになる。

 手に持っただけで普通ではない、と分かった。奇妙な力が感じられる。

 ハルトは手に持ったそれに『サーチ』をかけた。



「なん……だよ、コレ」



 その鍬の名は『クロノスの鍬』

 農耕神クロノスが愛用したくわらしい。

 魔力を込めると、一振りで魔力に応じた広さの土地を耕す、とある。神のアイテムとは、ぶっとび過ぎてかえってピンとこなかった。


 この緊急事態に土地を耕してどうすんだよ、とは思ったが、ハルトが腰にぶらさげている鋼の剣よりも上質な素材であることは明らかだったので、ハルトは剣を床に下ろして、クロノスの鍬を装備した。もはや畑泥棒に備える農民である。間抜けな格好であることは自覚していたが、命には代えられない。








 ハルトは行動を開始した。

 十分休んだし、これ以上空腹が続けばいずれ動けなくなる。

 まだ飲み水はあるが、それもいずれ尽きるだろう。時間が経てば経つほど、ハルトの生存率は低下していく。動くならば、早い方が良い。



 マップにマッドマーダーの気配はない。他の魔物は感知できないが、それは言っても仕方のないことだ。どのみち最後は運に頼ることになる。






 ハルトは前世の願望をふと思い出した。





(はは、まさか夢にまで見たあのシチュエーションが実現するとはな)




 苦笑が漏れる。

 異世界転生モノのアニメを観ては思ったものだ。

 異世界であの言葉を言ってみてーなぁ、と。



 だが、いざその場面になってみれば、喜びなどまるでない。

 あれは、絶対に死なない、と保証されているから憧れるのだ。物語の主人公が死ぬことはないのだから。


 だが僕は違う、とハルトは正しく理解していた。この世に主人公ヒーローなど存在しない。誰もが等しく死の可能性を備えている。

 死ぬかもしれないと分かれば、こんなシチュエーションただただ最悪なだけだった。






 それでも、ハルトは頭が肉壁に触れる前に、誰にともなくそっと独りちた。



















「ええい、ままよ」


 

 入ってきた肉壁に手を当てると、肉壁はハルトの手をゆっくりと吸い込みはじめる。

 そしてそのままハルトの体は肉壁に消えていった。

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