第87話 戻ろう
【モリフ視点】
圧倒的な速さだった。
身のこなしだけではない。おそらくハルト様の動体視力や反射神経にいたるまで青い魔力によって底上げされている。私の攻撃はことごとく見切られていた。
ハルト様は私の動きを見切った上で、決して
(くっ、これ以上読み取られたらまずい)
私はまた後ろに下がった。
するとハルト様がすかさず前進して来る。青い魔力で強化され私の情報を把握しているからとは言え、いくらなんでも猪突猛進が過ぎる。
(そうか——おそらくハルト様は遠距離攻撃の術がないんだ)
魔法や魔術は、繰り返しの鍛錬がものを言う。
いくらハルト様が青い魔力を使えるようになったからと言って、急に知らない魔法が使えるわけではあるまい。
もしあの全身を駆け巡る青い魔力で魔法を撃たれていたら、と思うとぞっとした。
だが、今のハルト様にその選択肢は取れない。攻撃魔法が使えないハルト様が私を倒すには前に出るしかない、という訳だ。
ただ突っ込んでくるだけならやりようもある。私は素早くしゃがみ込むと、土に手を刺しこみ、魔力を流した。
「フォレスト オブ カース」
足元がメリッと音を立てて隆起しはじめるのを確認してから、私は後ろに跳んだ。
跳んだ直後に、地面から巨大な黒い樹木が生える。その太い幹にはまるで内側に人間が囚われているかのように人の顔がいくつも浮き出ており、その全てが違った金切り声を同時に叫んだ。
「うっわ、聖女らしからぬグロ魔法」ハルト様が眉間に皺を寄せた。
「うるさい。私は聖女だなんて認めてないよ〜」
黒い樹木から生える枝がハルト様に向けて伸びていく。今まで幾度となく暗殺に使った魔術。樹木に捕まれば最後、体を枝で貫かれ、そのまま地中に引きずり込まれる。
これまで
ハルト様の死体まで隠蔽するつもりはなかったが、致し方ない。なかなか退いてくれないハルト様が悪い。
樹木の枝が四方八方からハルト様に巻き付こうした。
——が、次の瞬間には、全ての枝が切断され、ぼとり、と地に落ちてから、痛みを訴えるかのようにうねうねと悶えた。樹木の悲鳴が、複数の幹に浮き出た人面から発され、重なって響く。断末魔の叫び。
(なッ……あり、えない——)
予想外のハルト様の行動に目を開かされる。
全ての枝が一瞬で斬り落とされるなど、これまでのハルト様の動きでは不可能だ。精々、枝の1、2本を切断して後退する程度かと思ったが、全てを切り落として前進するとは想定外だった。
ハルト様は未だ叫び続ける黒い幹に一足跳びに近づき、剣を一文字に振り抜く。樹木はあっけなく両断され、ゆっくりと倒れた。
呆気に取られている場合ではない。ハルト様が今度こそ私に接近する。
今のような斬撃を放たれれば私に勝機はない。正面から攻撃を受けない立ち回りをする必要があった。
私は霧の魔法をまた使う。慌てていたせいか魔力を込めすぎ、勢いよく霧が立ち上がった。結果、通常よりもはるかに濃い霧ができ上がった。
この濃霧は私にもハルト様を見つけにくいというデメリットがあるが、今のハルト様が相手では接近戦に持ち込まれる方がきつい。
私は姿勢を低く保って、移動する。誰だって敵を索敵する際は無意識に上半身を捉えるものだ。足跡の追跡とかでもない限りは普通、足元は見ない。
だからこそ私は上半身を深く霧に潜り込ませるように沈めた。
冷たい霧の流れが頬を撫でる。
濃霧が音を吸い取っているのかと思えるほどの無音の中で、ハルト様の気配を探る。ハルト様も先ほどの霧を使った不意打ちから学習したのか、気配を消して移動しているようだった。
ひゅ、と微かな風の音が聞こえた。
右側面からの斬撃。速い。対応できない。私は死を覚悟した。
——が、斬撃の狙いは私ではなかった。大鎌だ。
ハルト様の斬り上げるような一撃に大鎌は弾かれ、霧の中に消えて行く。
同時に腹に蹴りを受け、勢いよく吹き飛ばされた。岩壁に背中からぶつかり、ずり落ちるように座り込む。無意識にえずく声が漏れた。
内臓がつぶれたかのような吐き気を伴う激痛に両手を添えて耐える。
目がかすむ。動けない。私が死ねば、カイは用済みになり、殺される。
私は……何としてでも生きなければならない。震える手を懐に入れて、結界術媒介のクリスタルを握った。
(私が余計な欲を出したばっかりに……。ごめんね、カイ)
はじめから援軍を呼んで、ハルト様を人質に取ってマリア様や村人を殺害し、王国の兵で農民に偽装してあの村に潜伏していればこうはならなかった。いつも通りにこなしていれば、何ら難しい任務ではなかった。私が死に、カイが危険にさらされることもなかった。
なのに何故そうしなかったのか。私は答えを求めて視線をあげる。濃霧の中に、うっすらとハルト様の輪郭が見えた。
(そう…………この人のせい)
ハルト様がはっきり確認できるようになった時には、既に剣が私の喉元に突きつけられていた。
勝負あり。
だけど、トドメを刺さないのはいかにもハルト様らしい。フフッ、とこっそり笑う。口の中に血の味がした。
「お前の負けだ、モリフ」
「…………みたいだね〜」もはや反撃するだけの力はなかった。
ハルト様はそっと剣をおろす。「戻って来い。まだ間に合う」
本当に甘っちょろい領主様だ。今度は隠すことなく笑みをこぼした。くっく、とかみ殺すような息が漏れる。
「ありがとう。でも無理だよ〜」
「お前の過去は視た。弟のことは僕が何とかする」
どきり、とした。
私は吸い込まれるようにハルト様を見た。ハルト様のその瞳を。
これっぽっちも邪気がなく、海のような優しい青色をしていた。空のような雄大で寛容な青。何も心配するな、と言うかのようにその青い瞳は温かい光を宿していた。
——大丈夫。ボクを信じて。
ふいに脳裏に弟の——カイの声が浮かんだ。
目の前のハルト様とカイの姿が重なる。ハルト様に任せれば、本当に私たち姉弟を助けてだしてくれるかもしれない。何一つ失うことなく、また平和にこの村で、カイも一緒に——。
無意識に右手を差し出そうとしていた。まるで助けを求めるように。目の前の救世主にすがりつくかのように。はっ、として上げかけた右腕を再びだらりと地に落とした。
夢物語を打ち消すようにかぶりを振って、無理やりにでも諦める。
現実を見ろ。一人も犠牲者が出ない、なんてことは考えられない。
人は死ぬ。それも簡単に。その事実は変えられない。
「『僕が何とかする』か。相変わらずハルト様は甘っちょろいね〜」
私は岩壁にもたれたまま挑発するような笑みを浮かべるが、ハルト様は変わらず優しい笑みを私に向け続けた。
「私はハルト様を殺そうとしたんだよ?」
しかし、ハルト様はゆっくりとかぶりを振る。「モリフ。お前に僕は殺せない」
「まぁ負けたからね」
「そうじゃない。お前、はじめから僕を殺す気なんてなかっただろ? 攻撃前にわざと殺気を放って、僕に危険を知らせていたのがその証拠だ」
ちっ、とつい舌打ちが漏れた。
「私、ハルト様の『サーチ』嫌いだなぁ。キモいよ〜」
「キモいとか言うな」
昔みたいな平和なやり取りに自然と笑い声が漏れた。それから『でももう二度と戻れない』と気付き、心に無数のひびが入るようにミシミシと痛んだ。
「ハルト様の提案は魅力的だけど…………でも、これは私たち姉弟の問題だよ。ハルト様たちを巻き込むつもりはないよ」
「こっちだって巻き込まれるつもりはない。モリフはどこの国の人間だろうと、僕らの——マリア村の一員だ。ならば、これは既に僕ら皆の問題だろ。巻き込むとかそういう話じゃない」
ハルト様の並び立てる謎理論に私はまた笑う。「何それ〜。訳分からないよ〜」と言いながらも、嬉しくて頬が緩んだ。
「来いよモリフ。僕らの村に戻ろう」ハルト様が手を差し伸べる。
そうか。そうだよね。ハルト様はそういう人だ。
困っている人がいれば力になり、孤立している人がいれば絡みに行く。今まさに殺し合いをしていた相手にすら、無防備に笑いかける。
そんなお節介で甘っちょろいハルト様だからこそ、大好きになっちゃったんだろうな。
私はハルト様の手を取って、立ち上がった。
そして立ち上がった勢いのまま、ハルト様の首に手を回し、その唇をうばった。
驚きで見開かれた青い目が凄く近くに見えた。触れあった唇は温かくて、顔を離すのが名残惜しい。
でも、無情にもその時はやってくる。
私はそっと唇を離した。それからハルト様の後ろに回した手に力を込める。その手には結界術媒介のクリスタルを握っていた。みしっ、とクリスタルに小さなひびが入っていく。
欠けたクリスタルのカケラがパラパラと地に落ちていき、同時に涙も零れ落ちた。
「ハルト様。ごめんね。でもやっぱりこうするしかないの」
お願い。誰も死なないで。
深い祈りと共に、私はクリスタルを砕いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。