第89話 一歩
【ラビィ視点】
『頭』を感知した。
頭が何故浮いているの、とパニックになりかけたが、そういうことではなかった。続けて首、肩、胴と連続して感知する。人だ。人の形をしている。
情報源は森に設置した置き型幻魔術だ。ただ置き型幻魔術と言っても私は未熟過ぎて、幻覚を見せるようなことはできない。ただ何かが通ったことを感知するのみである。役に立たない、とは自分でも思う。
そもそも私なんかを民兵長に仕立てるなど不可能だったのだ。人選が悪い。つまりハルト様が悪い。
私は一応、その謎の人物の特徴を整理してみることにした。
輪郭は小柄で、クセっ毛。目鼻立ちは整っているけれど生意気そうな顔立ち。瞼は半分閉じていて眠そう。まつ毛長っ。
(あ、これ間違いない。ハルト様だ)
こんな生意気そうなちんちくりんは、他にいない。こんなのがたくさんいたら困る。
知っている者であったことに安堵する一方で、新たな疑問がまた浮かぶ。
(え、ハルト様、なんで村の外にいるの?)
ハルト様は村の中から要所を回って、指示を出しつつ、助太刀する役割だったはずだ。
それなのに、私の置き型幻魔術が正しければ——もっとも間違っている可能性も否定しきれないのだけれど——ハルト様は今、北西方向の森の中にいる。
私が一人唸っていると、「何うんうん言ってんの? うんこ?」と共に巡回遊撃任務にあたっている
「きばれ?」と激励してくるが、衣類を身に着けているのに大便なわけがない。なんか優しげな顔でお腹をさすさすしてくるんだけど、この人。イカレてる。
「い、いえ、ち、違います。う、う、うんこじゃありましぇん!」
緊張してどもりまくり、挙句の果てに噛み噛みになる。人付き合いが苦手で思っていることを上手く口にできないのはいつものことだが、この誤解だけは解いておきたかった。乙女として。
「ラビィ、女の子が『うんこ』とか口走るのはどうかと思うよ?」ロドリはいけしゃあしゃあと言いながら、うわぁ、と眉間に皺を寄せて目を細める。
「ろ、ロドリさんがはじめに言ったんですぅ!」
「そだっけ? で、何悩んでんの? うちら今はチームなんだから気付いたことがあったら共有しようよ。うんこなら一人で勝手にして欲しいけど」
「うん………………ち、じゃありません! ハルト様のことです!」
「ハルルンのこと?」
私は置き型幻魔術のことと、そこにハルト様が引っかかったことを
ロドリは顎に手を当て宙を睨む。「ハルルンが、そんなバレバレのトラップを踏むのはおかしいよね。1回誰かがかかったら消えちゃうんでしょ? そのトラップ」
「はい。あのタイプの幻魔術は1回限りです」
「なら、なおさらハルルンがそれを潰すとは思えない。とすれば——」ロドリは深く考えをめぐらせているのか瞳が左上に向いた。しかし、ロドリが続きを言う前にヒーラーのキアリが「——なにかラビィちゃんに伝えたいことがあるんじゃないの?」と勝手に引き継いだ。
ロドリが不満げな顔をキアリに向けて抗議する。「私が言いたかったのにィ!」
「つ、つつ伝えたいこと、と言われても、あああの魔術は『何かが通った』ということしか分からないんですぅ」
今度は先を取られまい、とロドリが指を立てて身を乗り出す。「じゃ、それだ! 『僕が通ったよぉ』って伝えたかったんだよ、ハルルンは!」
「なんで、んなこと伝えてぇんだよ。ハルトは」ウォーリアのダルゴが口をはさんだ。
ロドリがうーん、とまた悩みだした。
少し迷ったが私は、以前ハルト様が『困難を打ち破るには一歩踏み出す勇気が大事』と言っていたのを思い出し、勇気をひねり出してロドリに声を掛けた。
「う、うんちですか?」
「そんな訳ないでしょ! バカなの!?」
「ひぃぃい、すみませんすみませんすみません」
困難を打ち破るには一歩踏み込む勇気。
私は間違った教えを説いたハルト様を恨んだ。一歩踏み出したら困難を打ち破るどころか怒鳴られたではないか。
「もしかしたら」とロドリがまた指を立てる。「ハルルンはこっちに来い、って言ってんじゃない?」
「ま、それっぽっちの情報しか伝えられないんじゃ、それくらいしか期待できないよねハルトも」魔術師のメロが同意する。
「森にいるってことは何かイレギュラーが起きたってことだからね。ラビィの助けが必要なのかも」キアリもうなずいた。
私の助けが必要……?
ハルト様が?
有り得ない、と思った。
ハルト様はあんなちんちくりんなお子様ルックなのに、大抵のことは何でも一人で出来てしまうとんでもないお方なのだ。
マリア様は戦闘に特化したイカレ戦闘超人だが、ハルト様は何でも器用にこなすイカレ万能超人だ。
一方で私はどうか、といえば何もできない。
戦闘は
誰かに助けられたことなら、星の数ほどあれど、誰かを助けた事なんてきっと片手で足りるくらいだろう。
そんな私がハルト様を助けるなんて……無理だ。
私には無理。荷が重い。怖い。
失敗して、ハルト様に失望されるのが。
村の皆から白い目で見られるのが。
怖い。
「わ、わ、私には無理です。ハル、ハル、ハルト様なら、一人で何でも完璧にこなせますよ。だだだ大丈夫です。さ、私たちは巡回の続きを——」
先に行こうとして手首をロドリに掴まれた。
一瞬、熱い、と思った。それほどの圧が手首にかかる。ロドリの目が見られない。私は目を伏せた。
「見捨てるの?」
ロドリの声が私の胸を串刺しにする。
伏せた目は地に向けられるが、それでもどこに焦点を合わせていいか分からず視線が地べたを彷徨う。動揺して、息が詰まる。
「戦闘での失敗は、死を意味するんだよ? あなたが行かない、ということは、ハルルンが死ぬ、ということなんだよ?」
死、という言葉に血の気が引く。
全身の震えが酷くなっていくのが分かる。それを押さえようとしてみるが、自分の意志ではまるで抑えられず、言うことをきかない。自分の身体じゃないみたいだ。
「私が、失敗したら、ハルト様が……」
ハァハァハァ、と呼吸が荒くなっていく。
やっぱりこれも抑えられない。
(ハルト様が私のせいで、私のせいでハルト様が…………死、嫌、やだ……怖い…………でも……ハルト様が——)
混乱する私の手が、不意に優しい温もりに包まれた。
私の手首を握っていたロドリの手が、いつの間にか私の手を包むように移動していた。
ロドリはしゃがみこんで、私の視界に無理やり入り込み、私の目をじっと見つめた。
それからゆっくりと首を振り、「違う」と言った。
「あなたの力で、ハルルンを生かすことができる」
「私が……ハルト様を」
ロドリは大きく頷いた。「そう。ハルルンが助けを求めたのは私でも、マリアさんでもない。他でもないあなたなのよ? ハルルンはあなたの助けを待ってる。どうする?」
ロドリのいたずらっ子のような挑発的な笑みが、何故か私にとっては1万の兵にも匹敵する援軍のように見えた。
顔をあげると、
人の視線は苦手だ。だけど、この人たちのそれは温かく心強い。
震えていた手は、未だ震えている。だけど、怖くても、踏み出さないと始まらない。勇気を出せ! 一歩踏み出す勇気を!
私は深く息を吸って、ふぅー、と恐怖を体外に吐き出すように吐息をついた。
「皆さん。ハルト様を助けに行きます。手伝ってください」
「当たり前ェ!」「はい」「おうよ!」「りょーかい」
私たちは北西方面城壁に駆けだした。
待っていてください。ハルト様。今行きます。
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