我らの道を瓦解せよ
藍ねず
抱卵期
不言と遭遇
――喋ってはいけない。
何があっても、どんな理由があろうとも。
この世界では、喋ることを禁じられている。
私が生まれたこの世界には、言葉で崩壊した歴史があるから。
あらゆる言葉が世界に溢れ、他人を評価し、差を生み、傷つけた。そうすることで世界には過激さが蔓延し、人々は壊れてしまったのだ。
壊れた世界で生き残った先代達は考えたそうだ。何が一番の原因か。
そんなものは単純明白で、言葉を操っていたから駄目だったのだとされた。
言葉があるから喧嘩する。喋るから誰かが傷つく。
意見を言うから亀裂が生まれる。反発するから火種が芽吹く。
だから数世代前の、残った人間達は決めたのだ。
喋ってはいけない。
言葉を使ってはいけない。
何事も行動で示さなければならない。
喋ることは罪だ。
言葉は、悪だ。
そうして現代を生きる私達は、喋ることを禁止されて生活している。というよりも既に、喋らない世界しか知らない世代になっているのだけれども。
生まれた時に上げる産声を抑え込まれ、目と耳が機能するようになった頃から口にマスクをつけられる。小学生までは首から鼻まで覆う布製のマスクを。中学生以上になればデザインは自由に選べるが、必ず口が隠れるようにするのが世界共通の法律だ。
飲食の時以外はマスクを外すことを禁止されており、基本的に誰も口元が見えない。マスクには蒸れにくさを追求したタイプやスポーツ選手向けのタイプなど様々な種類があり、今は小顔効果が期待できるタイプが女子高生の間で人気だと広告が示していた。ちなみに私はグレーの息がしやすいタイプをつけている。
誰もが口を隠し、声を封じ、喋らない社会。徹底された教育は幼少期から始まり、高校生になっても続く。毎月のように一つの映像を見せられることによって、喋ることがどれだけ悪いことなのか叩きこまれるのだ。
それは死刑囚が刑に処される映像。
言葉を発するという大罪を犯した人間に対し、大人が下す制裁の映像。
「俺達には! 意志ある声が与えられている!」
今日見た映像の死刑囚は青白い顔で叫んだが最後、大人によって頭を砕かれていた。赤黒い血飛沫が舞い、骨が陥没する音をマイクが生々しく拾う。
彼は喋ったから殺された。世界を破壊しかねない種を撒こうとしたから罰せられた。
拘束された死刑囚は何度も殴られ、蹴られ、罰という罰を受けて息絶える。そこで映像は終わり、暗くされていた教室に光が戻った。
クラスの誰も、何も言わない。みんな決まってマスクをつけ、黙って前だけ向いている。
教壇に立つのは同じくマスクをつけた先生だ。先生という職業は生活に必要な知識や学力を与える、国家の最高役人である。その職に就くまでに難関をいくつも突破し、選ばれた人だけが先生になれるのだとか。
先生は映像を消して、物音ひとつしない教室を見渡した。
黒い目が訴える。喋ることは死と同義。だから決して、喋るなと。
私達は自然と頷き、先生や他人の行動を汲み取る為に必要な知識だけを学ぶ。その上ではやはり言葉が必要となってくる場面があるため、国家の最高役人たる先生が作った教科書に基づいて、私達は言葉を学び、言葉を殺すのだ。
これは矛盾の学び。言葉を嫌うなら、喋ることを許さないなら、言葉という存在を世界から消すべきだったのに。知識があった先代達は抹消することなく紙の上だけで継承してきた。
だから私も頭の中でならばサインやジェスチャーを使わずに思考ができる。思考するためだけに言葉を与えられている。使うことは許されないのに。
でも、それが社会だ。それが世界だ。どれだけ矛盾を感じても、表に出さず、言葉にしなければ誰にも伝わらない。
喋ることは人を傷つけること。
言葉を発することは悪いこと。
だから誰も喋らない。手を動かして、視線で意思を示し、行動で全てを証明する。
昔は喉を潰す手術も流行ったらしいが、それでは本当の平和を求めていないと糾弾されて廃止になったと歴史の授業で習った。自分の意思で「喋らない」と決めることが平和に繋がるのだと。その気持ちを持っているからこそ今日の平穏が保たれているのだと。
授業を終えて帰り支度を済ませた私は、生活音だけが響く街を歩く。学校指定の鞄と必需品を入れた袋を揺らして。
お店の看板もメニューも全てサインや写真が掲げられ、それが理解できるように教育される学校生活。日常に必要な知識を与える教科書には厳重に管理された文言だけが載っている。
喋ってはいけない。
喋ってはいけない。
喋っては、
「あぁ、もう、無理だよ!!」
信号待ちをしていると、隣に立っていた女性が突然マスクを外した。淡く染められた髪を掻き毟り、目の下には隈がある。常に隠されている口が艶めかしく開き、私は鳥肌が立った。
「なんでみんな、平気で生きてんのよ!!」
彼女が喉に爪を立てて皮膚に皺が寄る。
その年齢まで喋らず成長したのに、堰を切ったように口を開く。
今まで喋ってこなかったのだから、これからも喋らないことが正しいのに。
喋ることは悪いことなのだ。
言葉を発することは悪なのだ。
だから私は肩にかけていた袋を開き、安全カバーを外し――モーニングスターを振り上げた。
丸い先端にいくつもの突起がついた棍棒。
警察が来るまでの間、罪を犯した者を罰するための、これは義務。
目を丸くした女性は、太腿に巻いていた警棒を抜いた。
「こんな世界!! くるってッ」
すべて喋らせる前に。防がれるより早く。
モーニングスターが女性のこめかみを殴打する。
皮膚を突起が貫いた。頭蓋にヒビが入った感触がある。髪も何本か抜けて、私の顔に血飛沫が当たった。
女性は地面に音を立てて崩れ落ち、血溜まりが広がる。
深い赤が広がって、広がって、私は少しだけ爪先を引いた。
悪いのは貴方だよ。
喋った貴方だ。
この世界も、社会も、私も悪くない。
喋っては駄目なんだ。
喋ることは罰の対象なんだ。
だって喋ることは、発信することは、悪いことだから。
どれだけマスクを取りたくても、どれだけ声を発したくなっても。
喋ることは、悪なんだ。
モーニングスターから数滴の血が落ちる。
私と同じように信号待ちをしていた人達の手にも武器が握られていたが、最初に動いたのが私だった。
周囲の人は武器をしまい、両手を高く打ち合わせてくれる。
何度も何度も繰り返され、響く拍手は私への賞賛。
よくやった。
よくぞ悪をこらしめた。
悪の種が撒かれる前に、よく黙らせてくれた。
そんな意味を拍手から汲み取った私は、モーニングスターを血振りした。
呼ばれた救急護送車に女性が乗せられる。マスクをつけられ、額を止血されながら。
もしも次の死刑囚制裁動画であの人が流れたら、私はどんな気持ちになるんだろう。
私は救急護送車をぼんやりと見送り、武器の先端にカバーをつけて袋に入れた。
肩から前に流れた毛先を見るが、特に汚れてはいなかった。公園の公衆トイレでマスクの返り血を落とせば元通りの私である。
そこで少しだけ崩れてしまった髪に気づき、
私の趣味は髪型を弄ることだ。
腰まで伸ばした黒髪は直毛のため適度にアレンジが効く。毎朝どんな髪型にしようかと鏡の前で考え、髪ゴムやアクセサリーを選び、思った形に整えるとスッキリした気分になった。
今日はハーフアップに簪スタイル。耳から上の髪を取ってお団子にし、飾りのついた簪で留めている。適度に寒くなってきた季節なので首周りは残した髪で温かくしつつ、でも可愛いは考えた形だ。
明日はどんな髪型にしようかな。どの髪飾りを使おうかな。
簪を挿し直してお団子を整える。毛先にも少し櫛を通し、日が暮れる前に帰宅しようと公衆トイレを後にした。
その時。
公園の地を踏むと、周囲が一気に暗くなった。
先程まであった夕暮れがふっと消え、深夜を思わせる暗さに目が慣れない。何度も瞬きを繰り返せば徐々に周囲が見え始めたが、街からは人の気配がなくなっていた。
私の目がどうにかなってしまったのか。これは病院に行くべきか。目の病気は駄目だ。周りのサインや表情が見えなくなることは死活問題なのだから。
反射的に右目に触れた時、目の前の空間に縦の亀裂が入った。
ほんとに病気かもしれない。
冷や汗が浮かんで軽い動悸に襲われていると、亀裂はゆっくりと横に広がった。想像したのは電車の扉が開く動作だ。
広がった亀裂の中には、首元から足首まで隠す黒のコートを着た人がいた。コートの襟や袖口には紫のラインが入っており、前開きの合わせ目だと思われる場所にも同じ色が走っている。
その人の髪もまた、青みがかった紫色。夕空と夜空の狭間を閉じ込めたような色だ。段違いの長さに切った髪の先はどことなく遊ばせている。長い部分は紐でまとめて肩口から前に流していた。
顔的におそらく男性。綺麗に整っている目元や
この人、マスクしてない。
それは喋らない誓いをしていないのと同義。公共の場でマスクを外すのは罰する対象。通報案件。
私は学校から支給されている通報タグをタップして救急護送車を要請し、男性にはモーニングスターを振り上げた。
彼がいる亀裂が黒いとか、暗いとか、近づいた瞬間にとても寒くなったとか。そういうのは全て、思考的には優先されない。
相手が喋るかどうか。
悪か否か。
それが行動の最優先。
躊躇なくモーニングスターを叩きこむ。
だが、男性は左腕の甲で受け止めてしまった。
骨を折った感触も肉を抉った感触もない。防具か何かつけてるのか。なんだこの人。
私が武器を握り直した時、彼の口角がつり上がる。朱がさした目元は私に鳥肌を立てさせ、驚く間もなく腰が引かれた。
長い腕に抱き寄せられ、私の足が暗闇に入る。
同時に急激な睡魔に襲われ、手からモーニングスターが離れてしまった。
足に力が入らない。意識が朦朧として、途方もなく眠たい。眠りに抗おうとすれば頭痛が起きて気分が悪い。
男性は脱力した私を何かに座らせた。暗くて見えないが、柔らかいソファのような気がする。
離された体は背もたれに体重をかけ、ずるずると横に倒れる。男性は私の頭を軽く撫でたので再び鳥肌が立った。
「おめでとうございます。貴方は未来創造学園都市・パンデモニウムの第十三期生に選ばれました。私は貴方のクラス担任を務め、ぅッ」
喋った。
やはり男は喋った。
だから私は簪を抜いて彼の頬に突き刺した。整えたお団子が解けても、髪が顔にかかっても気にしない。
喋ることは大罪だ。
罰を与えなくてはいけない。黙らせなければいけない。
それが正しい世の中を作るのだから。
だが男は、簪の突き刺さった頬に視線を向け、恍惚と呼べる表情で笑みを浮かべた。
なんだ……この人……。
眠たい私の手が簪から離れる。
男の顔からは、血の一滴も出ていなかった。
「素晴らしい。いやはや素晴らしい。
何か言ってる、黙らせないと。
何も喋らせるな、言葉を許すな。
そう思うのに、体が動かない。瞼が重たくて堪らない。
霞んだ視界の中で亀裂が狭まっていく。私が置いた荷物も、通報タグもそのままだ。
抗いたいのに抗うことができない。
我慢できずに私が瞼を閉じた時、公園と繋がる亀裂も閉じられた。
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