好意と無機質

三人称でいきます。


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 落ちた天使の園ホワイトラバーに生きる者達は皆、平等の愛を語っている。


 貴方の顔が好き、表情が好き、性格が好き、声が好き。


 落ちた天使の園ホワイトラバーに生きる者達は皆、平等に愛を語っている。


 貴方が好き、君も好き。お前も好き、みんな好き。嫌いな人なんて一人もいない。


 落ちた天使の園ホワイトラバーに生きる者達は皆、愛のような平等を吐いている。


 好き、好き、全て好き。嫌いな所なんて一つもない。生きる者に欠点なんて一つもない。みんなまっさらとっても素敵。


 それを愛だと教えられた。

 それが愛だと学んできた。

 平等の愛を語ることで救われるのだと、信じてきた。


 落ちた天使の園ホワイトラバーに生まれた者には必ず羽根が生えている。


 羽根の位置は腕であったり肩であったり様々だ。

 羽根があることによって彼らは宙に浮くことができる。

 羽根があるからこそ彼女達は一時的に浮かぶことができる。


 その体質が幼い頃から語られる神話を裏付けるものであるからこそ、誰もが愛を吐くのだ。


 落ちた天使の園ホワイトラバーで語り継がれる神話はただ一つ。


 平等の愛で天へ帰ることが許された天使の神話。


 天使とは、空にある黄金の園で暮らす尊い存在であった。


 しかしある日、一体の天使が一人の人間に恋をした。たった一人だけを愛してしまった。


 天使は誰も愛さない。みんなを愛しているから、誰か一人だけを愛することはない。


 その禁を破った天使は黄金のそのへ帰れなくなってしまった。


 空飛ぶ力を失い、羽根が小さくなってしまったから。


 堕ちた天使は愛した人間の生涯を見守った。人間の命の灯が消えるまで傍にいた。


 人間が息をしなくなった頃、残された天使は、寄り添う相手も帰る場所もないまま天を見ていた。


 美しかった空の国。輝いていた夢の世界。そこから堕ちた自分には何もない。


 愛した人間はもういない。愛した人間との間に生まれた子どもはしかし、愛した人間ではない。


 だから天使は子を愛せない。天使が愛したのはたった一人だけなのだから。


 残された愛の重さに耐えかねた天使は平等の愛を語るようになった。あの頃のように、天にいた時代を思い出して。


 たった一人を愛さない。みんなを平等に愛してる。誰も嫌いな者などない。みんな美しくて、尊くて、大切なのだ。


 天使の口から愛がこぼれるたびに羽根が育ち、足が浮き、体が軽く変化した。


 愛を吐く、愛を吐く、軽々しい愛を吐く。


 尊い幻想郷から一つの愛に身を堕とした己から、溜まってしまった重りあいを取り除く為に。


 一人に注ぐ愛は鎖となる。枷となる。天へ帰る道を塞いでしまう。


 だからみんなに平等の愛を吐こう。軽い言葉で、上澄みを舐めて、吐いて捨てる甘言を。


 そうすれば体が軽くなる。何にも縛られることなく飛び立てる。


 軽くなろう、軽くなろう。どこまでも軽くなろう。軽々しい愛で、平等の愛で、どうか再び黄金の園へ。


 一人の人間へ注いでいた愛を吐き切った天使は、無事に幻想郷へ帰れたそうな。


「好きよ」


 神話が染みた落ちた天使の園ホワイトラバーの者達は信じている。自分達は天使の子孫だと。


 自分達がまだ地面にいるのは、愛の結晶であるから。重い重い愛の間に生まれてしまったから、まだ体に溜まった愛を吐き切れていないから。


 自分達にも羽根がある。好きを口にするたびに体が軽くなっている。きっと自分達も美しい園へ行くことができるのだ。


「大好き」


 だから彼らは口にする。軽々しい愛を、軽い告白を、軽薄な愛情を。


 それらは全て自分の為に。浮いて、浮いて、軽く浮いて、黄金の園へ迎え入れてもらえる為に。


「全部好き」


 フィオネ・ゲルデは「好き」だけを聞いて育った。


 誰も彼もが好き好き大好き愛してる。君も好きだし貴方も好き。どんな所もとっても素敵。


 好き好き大好き愛してる。

 好き好き大好き愛してる。

 好き好き大好き愛してる。


 それは好きという音を吐く行為。

 大好きの文字を捨てるだけの習慣。

 愛してるを踏み台にした願望。


「好きなの」


 フィオネは好きの意味が分からなかった。


 人が口にする好きを真似て、人の良いと思った部分を好きだと表して、他人からの好意を全て笑顔で受け入れてきた。


 ただそれだけだ。彼女の好きに明確な意味など存在しない。明確な意味などあってはならない。それは重さを生んで、少女が飛べない理由になるから。


 落ちた天使の園ホワイトラバーには四六時中浮いている者も存在した。好きを吐き続けて軽くなった者だ。彼ら彼女らは空で笑い、高い所から愛を吐き、美しい空に消えることを目指している。


 フィオネは、宙を舞って羽根を動かす者達を見上げていた。自分の周りの者も一度の浮遊時間は優に五分を越えている。


 金と桃の髪を持つ少女は、他よりも浮く時間が短かった。どれだけ愛を告げても、好きな部分を見つけても、少女の羽根はすぐに動かなくなってしまったから。


 桃色の瞳の天使志願者は、足元に転がる愛を見下ろした。空ではなく地面へ視線を向け、誰にも届かなかった好きを踏みつけて。


 吐いて捨てられる愛を告げるのは自己満足。ただ自分が天使になりたいから。本物の天使だと思いたいから。誰もが自分勝手に好きを投げて、投げて、投げつけて。投げつけられた愛は受け取らない。ただ投げる。それだけだ。


 無機質に転がる愛をフィオネは踏んで、踏み台にして、少しだけ飛ぶ日々だった。輝く笑顔を浮かべて、桃色の毛先を揺らして、高く飛べない自分にすら降ってくる「好き」に両手を広げた。


 なんて薄っぺらい世界。

 なんて薄情な世界。

 なんて自己中心的な世界。


 憧れる天使となった時、自分はどんな景色を見るのだろう。

 尊ばれる天使になれた時、自分はどんな言葉を口にするのだろう。

 空に迎えられる天使になった時、自分はどうなってしまうのだろう。


 黄金の園は、どこにあるのだろう。


 少しだけ、フィオネは肌寒さを感じていた。


 今だって中身のないことを繰り返しているのに、天使になってしまったら、本当に何も無い存在になってしまうのではないかと。


 しかし愛を吐かないわけにはいかない。愛を吐く以外の生き方を知らない。吐かなければ浮かべない。走って逃げ出したところで愛は投げつけられるのだ。地面を歩いていれば降り注ぐ愛に埋もれて窒息してしまうだろう。


 ならば飛ばねばならない。窒息する前に、埋もれる前に。


 だからフィオネは愛を口にする。浮こうとする。天使になることが正しいのだと言い聞かせて「好き」を見つける。それが生きる術だから。


「貴方の***がとっても好き」


 口にしたって覚えていない。すぐに忘れる無意識の習慣を繰り返し、呼吸のように吐いては吸って。


 好きを吐かなければ、好きだと言わなければ、好きな部分を見つけなければ。


 桃色の瞳は他人を見つめ、常に好きを探すだけに感情を擦り減らした。感情を擦ってしまえばより軽くなれるのだろうかと、分からないまま。


 フィオネは考えることもできなかった。物事を深く考えたところで意味はなく、自分の体を重たくするだけだから。何かに注力することも、何か一つに意識を向け続けることも平等とは言えないのだから。


 ただただ好きだと言い続ける。どこにも焦点を合わせずに、どこでも褒められるように。


 いつか天に帰ることができたなら、この生活から解放されると信じて。何も無い自分にはならないのだと、肌を撫でる寒さを無視して。


「おめでとうございます。貴方は未来創造学園都市・パンデモニウムの第十三期生に選ばれました。私は貴方のクラス担任を務めます。スー・ロックアイと申します」


 ぼんやりと笑っていたフィオネの前に現れたのは、足首まである金髪を編んだ美貌の持ち主、スー・ロックアイであった。


 顔の横に金の羽根を生やした存在。金の睫毛で縁取られた両目を緩く細め、張りのある唇からは厳かな声が発せられる。黒で纏められた服はスーをより高貴に見せたからこそ、フィオネは習慣を発動させた。


「まぁ素敵! 金色の羽根なんて初めて見たわ! 好きよ! 背も高くてスタイルが良いところも好き! 声も落ち着いてて聞くだけで穏やかになるわ! とっても素敵でとっても好き! まるで物語に出てくる天使様みたいな姿も大好きよ!」


 と、口にしたところでフィオネは覚えていない。自分が相手のどこを素敵だと思い、好きだと謳い、褒め称えたのか。桃色の瞳で良いと思える場所を拾って、口に出して捨てたのだ。彼女の中に残ることなど欠片もない。


 それがフィオネ・ゲルデであり、落ちた天使の園ホワイトラバーに生きる者の習性だ。


 スーは黄金の瞳を細めたまま聖母の如く口角を上げ、フィオネに両手を広げた。


「こちらへどうぞ、フィオネ・ゲルデ。ここではない違う世界へ、貴方をご案内いたしましょう」


 頭に染み込むスーの声に、フィオネの羽根が震える。少しだけ人より飛べる時間が短く、浮く高さもない羽根が。


 フィオネは一度だけ美しい空を見上げた後、スーに視線を向け、笑いながら駆け出した。


 少女の中に、人の誘いを断るという選択はなかったから。


 パンデモニウムに来ても、フィオネは変わらなかった。


 相手の良いと思える部分を拾って、口から捨てる。名前が素敵、考えが素敵、立ち姿が素敵。相手の姿が自分と明らかに違っても、肌の色が違っても、考え方が違っても、それらは全てフィオネにとって些細なことだ。


 世界が変わってもやることは変わらない。自分には羽根があって浮くことができる。


 違いと言えば、自分に降ってくる好きの言葉が重みを持つようになったことだろう。


 フィオネは愛執のクラスの生徒が自分の周りに集まる姿に笑みを向けた。笑顔以外を向ける術を知らなかった。


 フィオネは知らない生徒が自分を褒めてくれることに気を向けなかった。それは落ちた天使の園ホワイトラバーでの茶飯事だったから。


 軽くて軽くて、何もない。


 中身が空っぽの少女。


 全て捨てて飛ぶを目標にしているフィオネ。


 そんな彼女が知らない男子生徒から声をかけられることは、景色が喋っているのと変わりなかった。


「フィオネは優しいから聞いてくれるよな」「少しでいいからさ、俺らの部屋に行こうよ」「そこでちょっと服脱いでくれるだけでいいから」「痛いことしないし」「ねぇ、フィオネ」


 別に衣服の着脱などフィオネにとってはどうでもいい。自分に興味を抱いてくれたならば、また良い所を拾って捨てるだけだ。


 だからフィオネがいつも通り笑って、肯定して、着いて行こうとした時。


 世界が破裂する音が、した。


 フィオネの前にいた生徒の頭を殴打したモーニングスター。


 血を纏いながら容赦なく振られる凶器。


 殴れば壊れる他人の頭。


 鋭利な棘が、フィオネの世界に亀裂を入れる。


 軽くて軽くて何もない。中身も重みもない場所に振り下ろされた鈍器が、棘が、フィオネの軽さを粉砕する。


 あまりにも鮮烈。あまりにも凶暴。あまりにも凶悪。


 今までのフィオネの世界に血飛沫などなかった。


 今までのフィオネの前に暴力などなかった。


 誰も拳を握ろうとする世界ではなかった。パンデモニウムの危険な部分はクラスメイトが近づけないでくれた。少女はパンデモニウムで、確かに安全な籠の中にいたのだ。


 そこに手を伸ばした生徒を殴り、籠の鍵も砕いた存在。


 黒い瞳が天使志願者を射抜く。全く興味がない色をして、血だらけの中に立って、細められた瞳にフィオネはどう映っているのかも分からない。


 少女はフィオネに背を向ける。ポニーテールを揺らして、棘のある武器を血振りして。


 だからフィオネは、追ってしまった。


 倒れた生徒を気にせずに。

 動かない生き物を無機物として。

 生きて進む少女の背を見つめて。


「ねぇ?」


 声をかけた相手は、声を出さない少女だった。


 そこからフィオネは、景色をきちんと見るようになった。


 一番よく見ることができたのは、同じ守護者ゲネシスの五人だろう。


 浮いたフィオネの手をメルはいつも握る。赤茶の少女曰く、フィーがどこにも飛んで行かないよう注意しているそうだ。


 メルがいなければ湊が手を差し出した。包帯少年は何も言わず、緑眼でフィオネを見つめては手に力を込めている。


 浮かぶフィオネをユニが観察している。聞いたこともない声は刺激的だからこそ、フィオネは良い所を探そうと注力した。


 フィオネの世界にイグニは鈍器を振り下ろした。


 フィオネは見ていた。食堂で自分のことを「体を使って守護者ゲネシスになった」と揶揄していた元候補者の生徒を。その者達にモーニングスターを叩き込んだイグニの姿を。


 フィオネは見ていた。喋る者を殴るイグニの横顔が、日を追うごとに歪んでいく様を。黒いマスクに黒い前髪。それらに隠れ気味の顔には、確かに焦燥が浮かんでいた。


 全ての上辺だけを見ていた桃色は、周りを見ようとし始めていた。堪えられない習性を抱えたまま、いつか空に飛び立つという夢を変えられないまま。


 フィオネはパンデモニウムでならば飛びたいと思うのだ。自分の手を握ってくれる友人の前で、自分を見てくれる守護者ゲネシス達の前で、美しく飛び立てたならばどれだけ素敵だろうかと。


 だから彼女は、自分に残っている愛を吐き出し続けている。


「フィオネの好きは、軽いな」


 だが、少女の愛を不承する守護者ゲネシスがいる。


 たった一人、ただ一体。


 ノアという灰色の人外は、フィオネの愛を見抜いている。


 フィオネと共に第二階層へ買い物に行ったノアは、深く被ったフードの中から少女を見下ろした。マスクで隠した口を動かしながら。


「その軽さで満たされる奴に言い続けていれば、飛べるようになるだろ」


 桃色の少女は再び思考を停止しかけた。軽いとはなんだ。逆に軽くない言葉とはなんだ。重い言葉なんて、フィオネの中には無いと言うのに。


「でも、その言葉はいつかイグニを傷つける気がする。だから、あまりあの子に近づいてほしくない」


 そう線を引いたノアの目が不言の少女だけに向いていると、フィオネは知っていた。


 ただ見つめて、自分の元へ引き寄せて、囲い込もうとする爬虫類の目。


 その目が神話に出てくる天使を想起させたからこそ、フィオネはノアの言葉を聞きたくなかった。


 あの赤い瞳よりも、自分の言葉の方が間違っているなどと思いたくなかった。


「天使は贔屓しないだろ」


 ある日はじめて言葉以外の愛を実行しようとしたが、その矛盾をノアは的確に踏みつけた。


 軽く軽くなろうとしているのに、消えない物を与える愛を与えてどうするのか。それでは浮けなくなってしまうのに。


 フィオネは薄々気づいていた。守護者ゲネシス達を見て、メルや湊に手を引かれる度、繋ぎとめられる度、自分の羽根の動きが悪くなっていると。思考を始めたことによって重さが蓄積されつつあるのだと。


 浮かなければ、飛ばなければ。みんなの前で、空に帰れる天使になってみたいから。素敵だねと笑って欲しいから。


 落ちた天使の園ホワイトラバーにいた頃に感じていた寒さはもうない。ここでならば、パンデモニウムでならば、フィオネはちゃんと飛べそうだから。


「大好きよ、メル、イグニ」


 二人の少女の服を握り締め、フィオネ・ゲルデは目を伏せる。


 少女の脹脛の羽根は、微かに震えるだけだった。

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