下手くそと迷走


名無しちゃん視点に戻ります。


――――――――――――――――――――


「名無しちゃんって調整能力ないよね。ほぼゼロか五十でしか魔力の出力量変化してないけど」


 体づくり及び、魔術や魔力に関する授業で駄目出しを貰うのは日常茶飯事である。


 今日もガイン先生から的確な指摘をいただいた私は、赤と青の混ざった火の海を消せないでいた。


 調整できるようになったはずの汗を垂れ流し、体全体から紫の炎を焚き続ける。自分を中心に紫の領地を増やそうと魔力を全開にしているつもりではあるのだが、ガイン先生の海は容易く私の火を食ってしまうのだ。


 ガイン先生の声が私の頭の中で回り、眩暈と頭痛を助長する。ゼロか五十。百ではなく五十。つまり私は、まだ自分の全力を出し切れてないってことだろうか。


 体中から魔力を出しているつもりである。腕も肩も、腹部も背中も、脹脛も太腿も。自分の体が紫の火を発している光景なんて恐ろしいことこの上ないのに。こんな状態に慣れていること事態、信じられないって藻掻きたいのに。


 先日聞いた、ガイン先生の「頭はいいから分かるよね」って声が浮かぶ。


 頭はいい。つまり、魔術は駄目。


 あの人は「今の君は、全力で魔力を出しても俺には勝てないだろうけど」とも言い切った。


 先生から見て、私はまだまだ、卵から孵ってもいない守護者ゲネシスなのだろう。


 でも五十の魔力を出したら爆発するのではなかったっけ。意識を飛ばしたことも分からないまま、気づけば保健室に寝かされている、あの状況に。


 いや違う、五十の威力に私の体が耐えきれてないのか。だからこその体づくり。百の炎を出せるように鍛えてる。百を出せなければ、ガイン先生の海は越えられない。


 吸った空気が熱い。平衡感覚がおかしくなる。


 ふと気づけば、火の海に膝をついていた。両肘で地面を擦り、四つん這いに近い状態で呼吸をしている。


 まずい、まずい、この高さはまずい。起きなければ、立たなければ。流れた汗が落ちる直前に蒸発する。眼球が渇いていく。目を開けていられない。どうしよう、立て、力を入れろ。どこに、どうやって、こんなに体が渇いているのに。


 胃袋を冷たく締め上げられる感覚になり、震える指でマスクを外す。解放された口からは黄色い液体が吐き出され、酸っぱいであろう匂いも鼻に触れる前に消えてしまった。


 呼吸が整えられない、息が続かない。冷たく競り上がった胃液は、私の恐怖も刺激した。


 もっと火を出せ。もっと開放しろ。魔力を出せられる場所を増やせ。火を纏え。そうしないと侵食される。そうしなければ食われてしまう。青と赤の紅蓮に負けてしまう。


 火の爆ぜる音がうるさくて、自分の呼吸がうるさくて、隣に立ったガイン先生の声が聞こえない。


 何か言ってるけれど、それは業火に掻き消されて音にもならない。聞こえない、聞こえない、聞こえないのに不安が消えない。


 片手で耳を覆って、マスクを口に押し付けて、より魔力を出そうと体の中に集中する。


 その時、頭に触れる掌を感じて。思わず目を閉じてしまって。


 次に意識が明瞭になったのは、やはり保健室のベッドの上だった。


「脱水症状に胃痙攣、熱中症なのだね」


「よわよわなのだね」


 ベッドの周りで立ち耳のウルと垂れ耳のエルが跳ねている。氷嚢ひょうのうわきと太腿の付け根に置かれており、なんとも無様であった。ウルが濡れたタオルを額に置いたかと思えば、エルが点滴の何かしらを調整している。針が刺されていると気づいたのは今更だ。


 目も口も糸にした表情で近づいて来たガイン先生は、紫の毛先を揺らしていた。


「名無しちゃんはさぁ、いい意味でも悪い意味でも真面目なのさ」


 なんだ急に。


 冷やされた血液がじわじわと全身を巡っていく動きを感じつつ、ガイン先生に視線で問いかける。火の魔物は微かに尖った歯を見せて、私が嫌いなお喋りを続けた。


「俺の火の海を消そうって意欲は評価できるよ。でもやり方がナンセンスだ。ライラの炎は


 何を言ってるのか分からないし、喋り声に対する拒否反応でいつも集中がそぞろになる。


 先生の笑顔はどことなく胡散臭い。笑うとはこうだと教えられたような笑い方で、いつも底が読めないのだから。


 軽く首を動かしたせいで額のタオルがズレる。先生は丁寧に位置を直し、タオルを押さえてくれた。冷たくて、気持ちい。


「燃え種なんて君の中にいくらでもあるだろ。それを燃料にするんだ。君の火にくべるんだ。そうすれば、再び君は一番になれるだろうから」


 疲れた瞼を閉じる。ガイン先生は強めにタオルを押して、滲んだ水が私の額を流れ落ちた。


 私の中にある燃え種って、なんだろう。何を燃やせと先生は示しているんだろう。


 パンデモニウムにいると、分からないことだらけだ。


 守護者ゲネシス同士の意思疎通は相変わらず上手くいかない。

 憤怒のクラスメイトに会うと睨まれる。

 ギアロにはあの日以降会っていないし、フィオネも上着を渡したとは報告してこない。


 あれからフィオネはいつも通り甘々だ。なんなら拍車がかかっている気がする。彼女の好きを校舎内でも耳にすることが増えて、お腹を膨らませたメルが手を掴んでいる光景を目にした。


 時々湊もそこに混ざっている。緑眼の献身少年は浮いたフィオネと手を繋ぎ、微笑む妖精を見ているのだ。綺麗な妖精と手を繋ぐのがお腹を膨らませた餓鬼と、全身を包帯で覆った献身者である図は、見ているこちらの気持ちをザラつかせた。咳をしても出ていかない異物が肺に溜まったようだ。


 ユニは相変わらず声の制御なんかしてない。視界の端に白い球体スピーカーが入ったかと思えば生徒がバタバタと倒れ始めるのだから、私はモーニングスターを握らなければいけなくなるのだ。実害が大きすぎる。目に見える害に、勝てないと分かっていても体は動いてしまった。そんなのユニを喜々とさせるだけなのに。


 ノアとは毎日昼休み一緒にご飯を食べて、魔力の流れを指導してもらっている。大きな鱗の両手に手を握られ、きちんとオンオフができるように。彼はギアロのことにもフィオネのことにも触れず、私の魔力だけを見てくれた。赤い爬虫類の目は優しくて、だから私は何も問えないままなのだ。ノアが何を考えているかも、お礼にしてほしいことは決まったのかも、問うタイミングがない。


【 また倒れたの? イグニは本当に魔術が下手くそだよね 】


 お風呂上り、私の部屋にユニが侵入しているのは日常茶飯事である。週の半分はいる気がするので脱衣所から出る時は足腰に力を入れておくのが習慣づいてしまった。下手にリラックスしている所であの声を聞いたら崩れ落ちる。


 今日も今日とて銀色の火傷少年は私のベッドに腰かけていたから、こちらは力強く足に力を込めたのだ。寝る前になっても気が抜けないなんて最低である。


 こんな状況ではあるが、モーニングスターを振っても当たらないし、夜はだいたい魔力も体力も使い果たしてヘトヘトなので、いつも罰せないままでいた。畜生。


 私は分かりやすく肩を落とし、髪を纏めていた簪を投げる。ベッドに座るユニは平然と簪を掴み、指の間で回していた。装飾がシャラシャラと鳴っている。壊さないでよ。


 〈どこから得た情報ですか〉


【 秘密だよ。情報収集は基本だからね 】


 そうですか。


 私は数秒天井を仰ぎ見てからホワイトボードを持ち直し、不本意ながらも魔術の先輩を活用することにした。


 〈魔力の元ってなんですか〉


【 藪から棒だな、どういう経緯で聞いてるわけ 】


 〈ガイン先生に 私の中にある燃え種を燃料にしろとご指導いただいたので〉


 引いてきた椅子に腰かけてホワイトボードを向けていれば、足を組んだユニがピンヒールを揺らした。青みがかった白い瞳は私の考えを品定めするようで、いつも主導権を握っている。だから私のモーニングスターは届かないのだろう。


 同じ守護者ゲネシスではあるが、野心のフィロルドが孵ったらユニはどうするのだろう。フィロルドにまであの目を向けるのは褒められたことではない気がするんだけど。ライラにも向けたら殴らないといけないし、まずその声は害なので潰れて欲しい。


【 俺が使ってるのはパンデモニウムの魔術とは少し違うからね、なんとも言えない。それに俺が何か教えたって、イグニにとっての正解とは限らないじゃん? 俺には俺の正解があって、イグニの正解とは違うだろうから 】


 組んだ膝でユニが頬杖をつく。簪を教鞭のように揺らした少年に私は意識的に瞬きをしてしまった。目を細めたユニは火傷の頬を歪めて笑う。


【 なにその顔 】


 〈まともな意見で驚いてました〉


【 人のことなんだと思ってんだか 】


 〈声帯圧制者〉


【 褒めても何もあげないよ? 】


 〈褒めてませんけど〉


 口角を上げたユニが簪を投げてくる。私はホワイトボードで弾いて浮いた装飾品を宙で掴み、息を吐きながら髪をまとめた。まとめてねじってぶっ刺して。一本で纏まって可愛いのだからやはり簪はいいな。


 腰にいるライラが揺れている。最近はよく揺れるようになって、意味もなく火の粉を吐き出すことも増えていた。撫でれば温かい、抱き締めれば呼吸が落ち着く。そんなライラが孵るのはいつになるのやら。


 孵った時に、私に意味をくれるんだよね。私に名前をくれるんだよね。


 自然とウェストポーチを撫でれば、ユニが絨毯にピンヒールの踵を突き立てた。


【 染まっちゃ駄目だよ、イグニ 】


 立ち上がったユニが大きな一歩で近づいて来る。私が立ち上がる間もなく、ヒールが絨毯を潰して歩く。


【 危ないよ。パンデモニウムに染まれば、君がいなくなる 】


 顔を近づけたユニが私の目を覗き込む。冷たい左手は私の喉を掴み、的確に気道を圧迫する場所に指を添えていた。


【 自分の道を見失った者は弱者だ。イグニには確かな道があるでしょ。それはイグニだけの道だ。不言の世界パンミーメで作った君の、道なんだ。それを歪めるなんて興醒めだから、やめてよね 】


 微かにユニの指が私の首を絞める。


 水の如く流れ込む言葉に鳥肌を覚え、くすぶる感情が私の右手を痙攣させる。


 まとめたばかりの髪をばらまいて、真横に向けた簪をユニの耳目掛けて振るう。


 冷たい右手が私の右手首を掴み、やっぱり今日も、目の前の奴を罰するには至らなかった。


 瞳孔を細めた白い瞳。感情を覆い隠した双眼。それを細めたユニは、微かに目元を染めていた。


【 それでいいよ。イグニはそうでなくっちゃ。魔力の操作をがんばって、強くなった君を屈服させてね 】


 ユニは私の手首と喉を離して背筋を伸ばす。私は彼の動きを観察して簪を握り直したが、隙なんてないので動ける訳もなかった。


【 じゃあね、物理の暴君。明日は倒れないといいね 】


 人をおちょくりに来ただけだったらしい少年は気怠い姿勢で退出する。


 私は脱力してから暫し停止した後、ふらふらとベッドへ倒れ込んだ。


 ……私の魔力、どうすれば百解放にできるんだよ。


 火で文字を書く目標には、まだまだ遠そうだ。

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