激怒と憤怒

 

 朽野くだらの花火はなびの炎は、憤怒の元候補者達の中でも一番の火力を誇っている。


 魔法も魔術もない世界からやってきた少年は、いわば夢の国に招待されたようなものだった。どこかの小説の主人公のように。どこかで創られた物語のように。


 なんの変哲もない少年は、個性の強いクラスメイト達の中で認められたのだ。誰よりも上手く火を操り、熱い炎を纏えると。


 認められ、褒められて、称えられる。そんなことは元の世界では経験できなかった優越感を生んだ。端役だった少年にスポットライトを浴びせた。


 しかし彼はトップではない。何故なら、彼が夢見た主人公には既に、別の少女がついていたのだから。


 不言の世界パンミーメの少女――暴君の二つ名を与えられた守護者ゲネシス


 花火があらゆる異種族のクラスメイトと対面し、これから始まる不思議な日常に心を踊らせていたあの日。


 喋らぬ少女が全てを破壊した。


 教室に現れた少女はクラスの中でも気さくな獅子の獣人――バルバラと、小柄なミュウリンを殴打した。


 そこを皮切りに少女は教室にいた者達を殴り、殴り、殴り倒して頂点に立ったのだ。


 初めて鈍器で殴打される経験をした花火は体の震えを止めることができなかった。自分に襲いくる巨悪を防ぐ手立てを知らなかった。


 気づけば痛みを通り越した痺れを全身に感じたまま床に伏せ、次に意識が明瞭になった時は保健室で寝ていたのだ。


『憤怒の守護者ゲネシスは決定した』


 起きた候補者達に告げられたのは、未来への道を砕く言葉。まだ始まってもいない時に塞がれた道。競走はこれからだと思っていた矢先だったのに。


 ガイン・サイドベージは模範的な笑みで候補者からの脱落を勧告し、抗議する花火達の声には耳を傾けなかった。


『負けたのは君達だ。仲良しこよしがしたいなら、考えを改めることだね』


 紫の魔族は言い放つ。純粋な子ども達を突き放す。


 だからこそ彼らの結束は強まった。


 あんな卑怯者が守護者ゲネシスに相応しいはずがない。自分達は不意打ちを食らったのだ。なんて狡い。なんて酷い。きちんと正面から向かえば負けないのに。


 彼らは気づかない。それが負け犬の遠吠えと呼ばれるものだとは。

 彼らは学んでいない。パンデモニウムで求められている志が違うとは。


 だからガインは無視をした。自分の弱さを学べない者達に割く時間などないのだから。


 その結果が決闘の申し込みとなる。


 黒い髪を一つに結い上げ、今日もマスクをしている守護者ゲネシスに対して。


 正面から向き合えば勝てる。自分はクラスの中でも認められている。きっと、きっと――主人公になれる。


 花火はそう期待した。自信もあった。


 彼が選んだ大鎌から爆炎を連鎖させ、確実に憤怒の守護者ゲネシスへ直撃した。


 観客席も湧いた。クラスメイトも歓声をあげた。自分の一撃は確かに強いと銘打たれた。


 自分を肯定する数多の声を聞き、花火は紅蓮の火柱に頬を上げる。


 だがしかし。


 歓声も応援も称賛も。


 紅蓮が裂かれることによって霧散する。


 業火の柱を真横に裂いた、紫炎の線。


 柔い色はカーテンでも開くように滑らかな動作で火柱を打ち消し、紅蓮を火の粉へ変えてしまった。


 湧いていたグラウンドに投擲された一石。


 波紋は生徒達を黙らせ、誰もの視線が不言の少女へと向けられた。花火を離れ、憤怒の生徒達を視界の外に追い出して。


 不言の世界パンミーメの少女、イグニ噴火の名を付けられた守護者ゲネシスは、酷く静かに燃えていた。


 体に纏った火は淡く、紫の火の粉をこぼしている。足元を這う紫炎は決して高く燃え上がっているわけでも、近づくことを恐れさせるほど火力があるわけでもなかった。


 ただ、じわじわと。侵食するが如く広がる紫。


 花火の紅蓮を端から食い、包み込んで、潰していく。


 そうして紫の領地を広める守護者ゲネシスは微塵も表情を動かさないのだ。


 静観する瞳は花火を射抜き、反射的に少年は火球を放つ。


 だが、イグニの前で、騒ぐだけの火など許されない。


 少女が振ったモーニングスター。紫の炎を微かに纏った鈍器は、花火の火球を弾き消した。


 一撃で火の屑と化した火球にざわめきが起こる。


 しかし、イグニはその騒音も許さない。


 一歩を踏み出し、紫炎を広げ、立ち上る熱気が空気を焼く。


 静かに静かに淡々と。滲んで広がり食い破る。悔い改めさせる為に。


 一歩引きかけた花火だが、下がってはいけないと自分を鼓舞する。背負ったクラスメイトの想いを込めて、怒りを込めて、激怒の炎を鎌に纏って。


 再び火花の鎌が地を割った。連鎖する噴火がイグニを襲う。


 それでもイグニは進んでいた。紫に燃えるヒールを地面に刺し、広がり続ける静寂の炎で花火の噴火を押しとどめて。


 割れた地面から吹き出しかけた紅蓮の炎を、紫炎が穏やかに食い潰す。爆発など許さない。騒音など許さない。


 激怒を重ねて騒ぐことなど、ライラの守護者ゲネシスは許さない。


 彼女は憤怒。激怒を越えた感情で炎を生む守護者ゲネシス


 一瞬の発火ではない。じわりじわりと少女の腹の底に溜まり続けた理不尽や規律違反に対する怒りは、激怒する時さえ超えているのだ。


 憤怒は一時の発火に収まらない。


 淡々と燃え続け、終わることなく燃え広がり、あらゆる怒りを火種にする。


 喋るな。

 声を発するな。

 世界を壊す悪を撒くな。


 少女の中で問われ続けた「どうして」が火種となり、軽率に発語を繰り返す周囲が燃料となり、彼女の憤怒は終わらない。


 喋る者は罰しなさい。

 世界を守る為に、世界を壊さない為に。


 どれだけ花火が激怒をぶつけても、イグニの憤怒が食らうのだ。


 それはあまりにも、一方的な決闘。

 子猫が虎に挑んだ不毛な勝負。

 敗者が敗因を考えないまま、自分を正当化した駄々の戯言。


 どれだけ紅蓮が燃えようとしても、紫炎がそれを許さない。


 騒ぐ前に潰し、荒れる前に潰し、叫ぶ前に潰してしまう。


 気づけばグラウンドは紫炎に侵食されていた。


 視界が歪む熱気に花火は汗が乾いていく感覚を覚え、目眩がし、ふと瞬きをした時には地面に膝を着いていた。


 震える手が鎌を離し、耐火魔術をかけたはずの制服の裾も燃えている。


 花火は自分の前で立ち止まったショートブーツを見る。重たく垂れた頭を歯を食いしばって上げれば、汗ひとつかかず、涼しい顔をしてたたずむマスクの少女がいた。


 黒い瞳が語っている。


 騒ぐのは終わったか、と。


 紫炎が花火の内情すら侵食する。


 勝てるはずがなかった。勝てるわけがなかった。


 我が道を譲らない少女の前に立つことなど、挑むことなど、許されなかったのだ。


 守護者ゲネシスとして選ばれた六人は特出したトップの素質を備えている。


 そんな彼らの中でも、不言の少女には決定的な異質さがあった。


 少女は守護者ゲネシスに選ばれる際、魔術及びそれに類似する能力、特性を一切使っていないのだ。


 彼女は力と秩序のみで守護者ゲネシスに選ばれた、唯一にして正当な暴君。


 モーニングスターだけで地位を獲得した物理の憤怒。


 そんな彼女が纏った火は、あらゆる騒音を許さない。どんな発語も許さない。


 黒い髪に紫炎が絡み、火の粉となって宙を舞った。


 イグニのヒールは火花の鎌を踏む。大きな刃は紅蓮を纏う事もできず、紫色に侵されていた。


 亀裂が入る音がする。


 刃が折れる音が響く。


 少年の目の前で、彼を主人公にしてくれるはずだった、道が割れた。


「は、花火……」


 グラウンドの端にいたミュウリン達の声が震える。彼女達の足元にも迫る紫炎は揺らめいて、まるで「喋るな」と示すようだ。肺を焼く空気に圧迫感が増していく。


「……やっぱり、あの子が守護者ゲネシスなんだ」


 静かな言葉が燃えるグランドに落ちる。それは彼らの内側に侵入した紫が、と判断させたからだ。


 彼女が憤怒。彼女こそライラの守護者ゲネシス


 そう、全生徒の前で示された瞬間。


 ガインはイグニと共に入ってきた出入り口からグランドを見つめている。紫の瞳には静かに燃え続ける火の海が映り込み、教師の口角は上がっていた。


「無謀だったんだよ」


 そんな声が、客席から落ちてくる。


「憤怒の元候補者達っていつも守護者ゲネシスにつっかかってたから」「実際、暴君の方が強いのに」「勝負挑んでも負けてるし」「恥ずかしい」「惨めだな」「認められてないのは自分達の弱さだろうに」


 さざ波の如く広がる憐れみと嘲笑。


 それは激怒の炎に降り注ぐ雨となり、花火の紅蓮は萎んでいく。


 向けられたくなかった瞳。こんな未来を想像していた訳ではない。自分達は本当に、本当にイグニでは駄目だと思ったから。


 負けた者の声は聞かれない。誰も耳を傾けない。どうしたって無視される。何故なら彼らは負けたから。


 声の波は収まらない。紫の炎を味方につけようと、貴方が守護者ゲネシスだと肯定する姿を見せようとする。


 イグニは花火から視線を外すと、自分を守護者ゲネシスだと認める生徒達を見上げた。


 その目に揺らめく、消えない憤怒。


 彼女は紫の火の海を歩き、聳える客席の壁に爪先から蹴りを入れた。


 火を纏った靴は壁を溶かしてめり込んでいる。それに周囲のざわめきは大きくなり、イグニはモーニングスターも壁に叩きつけた。


 溶かした壁に足をかけ、モーニングスターで体を持ち上げ、壁を上るイグニ。


 それはまるで、地獄から這い上がる鬼のように。


 誰もが息を飲んだ時には既に、イグニは客席のふちに立っていた。


 少女が纏った熱気が直に客席へ広がっていく。目の前にいるのは青い生徒――野心のクラスの者達だ。


 イグニは野心の頂上にいる守護者ゲネシス、ユニを一瞥する。白銀の火傷少年は組んだ足先でピンヒールを揺らし、鳥肌の立つ笑みを浮かべた。


「さ、流石ですね。さっきのたたか――」


 イグニの傍で彼女を称賛しようとした生徒がいる。


 しかし、その言葉は途中で止まった。


 殴打の音と共に。


 鋭く振られた鈍器は生徒の側頭部を砕き、火の粉を散らし、血飛沫が舞った。


 黒い瞳は次の生徒へ視線を止める。全身から紫の火種をこぼして歩く彼女の後ろには、火の道が作られた。


 座っていた生徒が殴られる。隣の生徒も殴られる。口を開いていた者が皆、殴られる。


 抵抗しようとする異形も人外も人間も。平等にイグニは罰し続けた。


 憤怒の元候補者達を笑った者。なじった者。下に見た者。そうとれる言葉を発した者を、イグニは容赦なく殴り続ける。


 軽蔑も愛執も。悪食も虚栄も、平等に。


 彼女より魔術が得意な生徒など、守護者ゲネシスではなくともいるだろう。


 しかし、それでも勝てない。少女を縛り付ける不言の規律が爆ぜているから。


 だからこその守護者ゲネシス。抵抗を見せた生徒もいるが、全ては少女の紫炎が食い潰した。


 あらゆる怒りを煮詰めた憤怒。それに喰われる抵抗の火。殴って殴って殴りつけて、熱されたモーニングスターが傷を刻む。


 喋るな。

 嘲るな。

 他者を傷つける言葉を吐くな。


 紫の暴君は客席を闊歩する。様々な色の血が滴たるモーニングスターを振り、その血液すら熱で蒸発させながら。


 誰もが口を閉じる。喋れば殴られる。そうまざまざと突き付けられる光景の中、宙を舞った砂がある。


 〈もういいよ イグニ〉


 少女の目元を撫でた砂が文字を綴る。


 軽く肩で息をしていた少女は顔を上げ、灰色の人外を認めた。


 虚栄のアデルを任された守護者ゲネシス、ノアは緩く首を横に振る。


 赤い爬虫類の目が映すのは、イグニという少女の中で渦巻く膨大な魔力であった。


 少女は魔力を放出する授業の度に倒れている。ギリギリまで吐き出して倒れ、ギリギリまで吐き出して倒れ、倒れ、倒れ、倒れ続けて今日に至った。


 いつも限界寸前。死の手前。そんな状況にイグニの体は危機を覚え、体づくりの中で変化を見せた。


 魔力を保つ器の容量が足りていない。もっと魔力があれば倒れない。もっと、もっと、もっと沢山魔力があれば。


 イグニの魔力の総量は倒れる度に更新された。これでは足りなくて倒れてしまった。だから次はもっと多く、もっと沢山。


 少女が意識しない間に、生きる為に増え続けた魔力の量。その量に耐えられるように変わり続けた体。


 その発芽を迎えた結果、憤怒の海が広がった。


 常に紫炎を纏っているイグニは倒れる素振りを見せない。ノアはそんな少女の元まで下り、砂で華奢な腕を撫でていた。


 〈止めよう 止められるよ イグニなら〉


 少女に唯一静寂を与えてくれる友人。彼の文字だけは素直に受け取ることができるイグニは、瞼を閉じて魔力の放出を止めてみせた。霧深い林の中で、親切な人外が教えてくれたコツをなぞりながら。


 火の粉が消える。火の道が消える。火の海も、消える。


 意識が飛びかけていた花火や憤怒の生徒達は、火の消失に息を吸う。何度も何度も呼吸して、砂に支えられながらグランドに下りてきた守護者ゲネシスを見るのだ。


 黒い髪に黒いマスク。モーニングスターを汚した、憤怒の暴君。


 誰とは言わず、紫の生徒達が膝を折る。頭を下げる。目を瞑る。


 十一人がイグニに対して首を垂れる。


 不言の少女はモーニングスターを握り締め、笑う教師の拍手を聞いた。

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