罰と執行


 イグニにとって守護者ゲネシスという地位もクラスでトップになったという事実も、結局は自分の道を突き進んできた結果に過ぎない。


 喋ることが許された世界で、語ることの恐ろしさを伝導する暴君。

 そうしなければならないと縛られた不自由な憤怒。


 それがイグニという少女であり、喋らない自分がパンデモニウムで生きる理由はライラが与えてくれると信じている。


 自分はおかしいわけではないと。

 自分のままでいていいと。

 自分が抱える感情は、正しいのだと。


 守護者ゲネシスであればライラが肯定してくれる。

 数多の非難よりも一つの肯定が、イグニを暴君として後押しする。


 イグニの思考はパンデモニウムにとって異質なものである。誰もが普通に喋る中でそれを許さないのだ。極端な例えをするならば、生きる上で不可欠な呼吸を許さないとしてもいい。


 孤独の暴君を許すのは一体の神。この世で崇められる六体の先導者パラスの一体。


 イグニはウェストポーチの中で揺れ続けるライラを感じ、一人拍手しながら近づいて来るガインに視線を向けた。少女の前では十一人の紫の生徒が頭を下げ続けている。


「お疲れ様、名無しちゃん。君にとってはそよ風よりも涼しい火だったね。出力できた魔力は五十程度だと思うけど、倒れなかったのは成長だ」


 ガインは紫の目を糸にして口角を上げる。拍手を続ける手よりも、彼の声の方がイグニにとっては騒がしく不快だ。それはいつものことなのだが。


 イグニとしても、魔力の出力が広く行き渡ったことは感じている。普段経験していることが、ガインの赤と青の火の海に負けることだからこそ、感覚は顕著であった。


 日頃の相手は教師であり大人。対する彼女は生徒であり子ども。まだまだ成長の途上にいる少女にとって、瞬発的な激怒の炎を侵食するのは、ガインの炎を消そうとする授業よりも簡単だっただけのことだ。


 彼女はいつも通り火を出した。魔力を放出した。そこに乗ったものと言えば、感情しかない。


 騒音を放つ周囲への憤り。

 喋り続ける周りへの辟易。

 静かにさせない紅蓮への苛立ち。


 ガインと対峙する授業ではそこまでの感情が動くことはなく、おおよそ頭で考えて魔力を使っている。


 ただし今日だけは違った。少女は自分に刺さる言葉を嫌い、嘲る周りを嫌い、静寂をくれない炎を許せなかった。


 イグニは、頭はいい。


 それは確かな嫌味。頭はいいとは真面目だとも受け取れるが、それだけでは操れない感覚というのは存在するのだ。


 真面目さ故に突き詰めた感情は、少女の炎を広げてみせた。


 ガインはイグニの背後に立って少女の顎を持つ。大きな手はマスクをつけた顎を上げさせ、少女の黒い瞳は目の前の花火を見下ろしていた。


「それでは名無しちゃん。復習しようか」


 軽やかなガインの声にイグニは鳥肌を立てる。眼球を出来る限り後方へ動かした少女は、紫の魔物が笑っている姿を視界に入れた。


先導者パラスを害するものってなんだったでしょーか」


 ガインの指先に力が入り、イグニの頬にマスクが食い込む。


 少女はゆっくりと目を見開き、モーニングスターを握る掌に汗をかいた。激怒の紅蓮を受けても、憤怒の紫の中に立っていても、涼しい顔をしていたのに。


 ガインの影から鎖が伸びる。それはいつもイグニを拘束するものであり、少女の体に怖気が走った。


「その顔はちゃんと覚えてるね。偉い偉い」


 イグニの足は動かない。

 イグニの両手はモーニングスターを離せない。


 少女の顔は、項垂れる花火で固定された。


「あ、あの、ガインさ、ま゛、」


 憤怒の候補生達が、担任の声を聞いて顔を上げる。人間が白い布を頭から被ったような異形の者だ。


 布からこぼれたか細い声は、生徒が顔を上げきった頃には止まっていた。


 ロサは見る。金糸の髪を肩から流し、自分が一瞬だけ熱を感じたとぼんやり理解しながら。


 ミュウリンの目に映ったのは、頭部が黒焦げになった担任の姿。


 いつも布を引きずっている足元からは力が抜け、体は糸が切れたように後方へと倒れた。


 重たい音がする。


 生き物が焼けた匂いがする。


 砂埃が、舞った。


「ふ、フレルせんせ……?」


 ブルゾナの震えた声に応えるように、生徒の横の地面に火の弾丸が撃ち込まれる。


 肩を震わせた生徒達が振り返れば、ガインが人差し指を向けていた。満面の笑みを浮かべて。鎖で拘束したイグニの頭を撫でながら。


「フレル・モストラは刑に処した。守護者ゲネシスに対する反乱分子を抑制できなかったんだからね。当たり前だ。大人がなっちゃいないよ」


「なに……」


 頬が震えた花火に鎖が巻き付く。他の生徒達も同様に地面に平伏す形で拘束され、悲鳴を上げかけた口にも猿轡のように鎖が巻かれた。


 イグニの瞳が揺れる。ガインの口角は下がらない。


 憤怒の守護者ゲネシスは自分の両腕が鎖によって上がっていく感覚に気づき、反射的に抵抗する力を入れた。ガインはそんなこと歯牙にもかけない様子だが。


「さぁ、答え合わせだよ名無しちゃん。先導者パラスを害するものは誰か」


 イグニの呼吸が浅くなっていく。モーニングスターを持つ手を自由にできない。


「一、先導者パラスが生まれることを拒む者」


 ガインの指が一本上がる。イグニのモーニングスターも頭を上げていく。


「ニ、先導者パラスを傷つけようとする者」


 二本目の指が上がる。どれだけイグニが力を込めようとも、鎖に巻かれた腕は鈍器を掲げるように動いてしまう。


「三」


 三本目が上がる。モーニングスターが振り上げられている。イグニの呼吸は乱れたままだ。


 少女の黒い目には、怯えと涙を携えた火花の瞳が映っていた。


先導者パラスを守る守護者ゲネシスに盾突く者」


 イグニの全身が発火する。


 紫の炎で己を包んだ少女は、不自由を与える鎖を燃やそうと奮起した。


 しかしガインの鎖は砕けない。


 教師は模範的な笑みを浮かべたまま、客席で立ち上がったノアとメルに気づいていた。


 ノアの体を白い大蛇が締め上げる。虚栄の守護者ゲネシスを任されたヨド・ヨサに迷いはない。


 メルの手足を橙色のスライムが絡めとる。悪食の守護者ゲネシスを任されたモニカ・モーメントは震えていない。


 フィオネ・ゲルデは周囲を見渡して思考しようとする。その桃色の双眼は背後から伸びたスー・ロックアイによって塞がれた。


 最上湊はポーチから弓を出そうと動く。傷だらけの両手を掴んで止めさせたのは浮遊する包帯、モズ・ガシャだ。


 ユニ・ベドムは動かない。組んだ膝に頬杖をつき、両目を細めてグラウンドを見下ろしている。その為に、バルバノット・パラダイムもその場を静観していた。


 イグニの呼吸が浅く早く、荒れていく。思考は即にこれから起こるであろうことを浮かべており、それを止める為の手立てだけを探していた。


 鎖を切ることはできない。

 このままでは、この紫の魔物は本当に

 それを止めるには、中止するには。


 イグニは喋る者を罰してきた。殴ってきた。


 だが、したことがあるのはそこまでだ。


 子どもの仕事は、悪人がこれ以上発語しないように抑制すること。


 それ以上を行なうのは大人の仕事。


 刑の執行は、大人がやること。


 少女の脳裏に、刑に処された死刑囚の姿が浮かぶ。悪人の息の根を止める大人の横顔が浮かぶ。


 思わず首を横に振った、イグニ。


 少女は全身から発火を続け、自分の中にある魔力を枯渇させようと躍起になった。


 いつものように無くなれば、瀕死になれば倒れることができる。意識を失うことができる。


 そうすれば止められる。これからさせられようとしていることを――


「はい、中止」


 ガインの手がイグニの肩に置かれた瞬間、紫の炎が消え失せる。


 魔力の放出を強制的に止められたイグニは、これ以上抵抗する術を知らず、こめかみから冷や汗が落ちた。


 紫の魔物は、笑っている。


「名無しちゃんは、賢いもんね」


 だから分かっているだろと、ガインの声が暗に示す。


 イグニは深くできない呼吸のまま、ゆっくりと首を左右に振った。


 ………………て。


 鎖が少女の腕を締め上げる。


 …………めて。


 イグニの目が訴えかける。

 どうして、どうして、どうして私なのか。


 …………やめて。


 イグニの瞳が熱くなる。

 どうして、どうして、いつも私の想いは届かないのか。


 ……だ、やめて。


 ガインは笑う。


 花火の顔に脂汗が滲む。


 …やだ、やめてッ


 焼けない鎖が、守護者ゲネシスの腕を振り下ろす。


 ――いやだ


 鈍器が空気を切り裂いて。


 物言わぬ少女の悲鳴を、同じ守護者ゲネシス達だけが聞き取った。


 ――やめてッ!!


 歪んだ目元に赤が飛ぶ。


 鉄の香りがマスクを撫でる。


 一撃では駄目だから、二撃三撃、殴打が続く。


 鎖が鋭く鈍器を振るわせる。


 果物が潰れるような音がする。


 イグニの目の前で、黒髪に覆われていた頭部が潰れた。


 破れた皮膚から、白い骨が飛び出した。


 モーニングスターが鈍く濡れる。


 粘度のある赤褐色が宙を舞う。


 鈍器を振り上げて落として。振り上げて落として。振り上げて落として。


 振り上げて、落とした。


「はい、おしまーい」


 ガイン・サイドベージが手を打ち鳴らす。


 鎖が火の粉となって霧散する。


 イグニは、肩で息をした。


 浅く、浅く、早く、目眩がするほどに。


 赤黒い海が爪先に迫り、グラウンドから一切の音が消える。


 いつから音がなかったのか。いつからこんなに静かだったのか。イグニは何も気づいていない。


 ただうるさく響くのは、整わない自分の呼吸だけだ。


 十人の憤怒の生徒達が体を戦慄かせる。


 自分達の後ろには顔を焼かれた担任だった異形。

 前には、自分達の想いを背負ってくれたクラスメイト。……だったもの。


 奥歯が鳴っているのは誰だろう。おかしな呼吸をしているのは誰だろう。


 ミュウリンの目元から熱い雫がこぼれ落ちる。


 小柄な茶髪の少女は、焦点の合わない視界の中で見た。


 鉄の匂いが広がる海に佇む守護者ゲネシス


 自分達が糾弾した一人の少女が、黒い目から――涙を落とした姿を。


 ガインはイグニの背後に周り、少女の顎を片手で持ち上げる。


「おめでとう、名無しちゃん」


 もう片方の教師の手は、恭しく生徒の目元を拭った。


 発語を悪とする少女の耳元で、高く嘲る声を吐きながら。


「これで君も、大人の仲間入りだ」


 紫の魔物の顔が歪む。


 路地裏の暗さと陽光の輝きが混ぜこめて、少しの粘着質な空気をスパイスに。


 混ぜて歪んで煮詰めた笑顔は、憤怒の少女の涙を見ない。


 いつもいつも、いつだって、生徒の意思を聞きやしない。


 だからイグニは、モーニングスターを振るうのだ。


 届かないと分かりながら。

 勝てないと気づいていながら。


 それでも、それでも。


 耳元で喋る悪魔が、許せなくて。


 目の縁から火傷する温度の雫を散らし、不言の少女イグニは鈍器を叩き落とす。


 全身から紫炎を噴火させ、モーニングスターに纏わせて。


 ポーチの中で卵が揺れる。


 大いに揺れる。


 揺れて、揺れて、揺れすぎて。


 ――亀裂が入る。


 イグニの身を包んだ炎より、深く熱く鮮やかに。


 空に飛び出したのは、紫の魔人。


 炎が人型になろうとしている、不形態の憤怒。


 ガインの双眼が照らされる。


 教師達の口角が上がる。


「あぁ、ほら、ほら! 言った通りだろ名無しちゃん!!」


 両手を広げて歓声を上げるガインに対し、唖然とするばかりのイグニ。少女はもう、何も思い出せない。何も考えたくない。


 その思考にガインは言葉をねじ込んで、開かせるのだ。


「言っただろう! 聞いていただろう! って! それが今日だった! それが、今だった!!」


 イグニの体を魔人が包む。


 紫の業火が抱擁する。


 熱さを感じぬその中で、少女は再び一番になった。


 誰よりも早く守護者ゲネシスの地位についた、始まりの日のように。


 〈おはよう 私の可愛いゲネシス〉


 紫の火の粉が宙を舞う。


 その日、その時、その瞬間。


 ――憤怒のライラが、孵化をした。


――――――――――――――――――――


これにて第一章 抱卵期、終幕。

次話より第二章開幕。


プロット確認などのため、次回更新は4月27日(土)にします。

名無しちゃん達を見守っていただけますと幸いです。

よろしくお願いします。

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