主張と深淵

「ま、気楽に行っておいでよ。君らしく、そのモーニングスターを握って」


 午後、私を迎えに来たガイン先生は満面の笑みだった。こちとら針のむしろに単身で向かうのだと頭痛がしているのだが。この教師はどうして笑っているのだろう。


 私はガイン先生に続いて寮の扉を開ける。設置されている一つの台座にライラを置けば、ガイン先生の声が背後から降ってきた。


「ちゃんと俺も釘を刺したんだけどね、守護者ゲネシスはもう決まってるって。それでも元候補者達は引かなかったんだよねぇ。後任の担任も大変だろうに」


 どうでもいい言葉で、集中している私の内臓をザラつかせる。


 慣れてきた浮遊感に耐えた後に扉を開ければ、校舎内は今までにないほど静かだった。


 第三グラウンドに向けて歩き出した私の隣をガイン先生が進む。私のヒールとガイン先生の革靴が奏でる足音は、求めていた静寂に近い気がした。


「ねぇ名無しちゃん、君はどんな守護者ゲネシスになりたい?」


 静けさの中に雑音が混ざる。モーニングスターを握る手に力がこもる。


「俺との授業を思い出せばいいよ。何回も倒れたよねぇ」


 語りかけてくる声に鳥肌が立つ。どれほど私が喋らないことを示したって、ガイン先生は聞き入れてくれないのだ。互いに我が道を行っているから。


「名無しちゃんは憤怒の真髄がまだ見えてないのさ。君はとても近づいてるのに、気づいてない」


 ガイン先生はいつも楽し気だ。こちらの気も知らないで、こちらの気持ちを逆撫でする。


 彼の仕事がそれだから。私を不自由な憤怒とし、私の感情を、先生は育てようとしている。


 私は憤怒。憤怒のライラを任された守護者ゲネシス


 だから育てる感情も怒りに付随したもの。だけど、怒りとは、憤怒とはなんだろう。


 私の中でくすぶる感情は、憤怒に近づいているのだろうか。


 分からないまま歩き続ける私は、モーニングスターを握り締めた。


 ――パンデモニウム第三グラウンドは、不言の世界パンミーメの歴史の教科書で見たコロッセオのような形をしている。


 私は使ったことがないのだが、元候補者達は魔術の実践授業でよく使うそうだ。ガイン先生曰く。


 辿り着いたそこは、高い壁を築いた、正しく闘技場。出入口らしい鉄格子を開けて狭い通路を歩けば、遠くに光が見えてきた。


 ガイン先生と共に光を抜ける。


 そこにあったのは――ざわめき。


 グラウンドをぐるりと囲むようにそびえた観客席には五色の色で分けられた生徒達が座っていた。


 野心の青。

 軽蔑の緑。

 愛執の黄。

 悪食の橙。

 虚栄の赤。


 生徒はクラスごとに分かれて座っているようで、各色の最後列、一番高い席には守護者ゲネシス達がいた。周りに生徒は座っていない。そこが頂上だと分かる場所に座る、五人。


 フィロルドのユニ・ベドム。

 エーラの最上湊。

 リベールのフィオネ・ゲルデ。

 グルンのメル。

 アデルのノア。


 彼らの前に座っている元候補者達は、私とガイン先生が来たと分かれば声を潜める。小さい声ほど耳につくのにさ。


 私の掌にモーニングスターが食い込んでいく。


「ライラの守護者ゲネシスだ」「来た」「暴君」「すぐに他人を殴るんだ」「いつも何かに怒ってる」「怖いよねぇ」「でも、だから守護者ゲネシスなんだよ」「憤怒だし」「怒っていないと」「俺、殴られた」「私も」「僕も」「吾輩も」「喋ってるところ見たことないよね」「怖い」


 あぁ、うるさい。


 じわじわと降ってくる言葉の棘に奥歯を噛む。


 喋る者が周りにいる。私を見下ろし値踏みする。守護者ゲネシス守護者ゲネシス、アイツが守護者ゲネシス。喋らない私を異常にする世界。


 私は左足を踏み出して、右手に握ったモーニングスターを振り上げた。


 膝を曲げて地面に鈍器を叩きつける。腕から紫の火の粉がこぼれ落ちる。


 地面を抉る音を最後に、周囲の声の雨はぴたりと止んだ。


「その調子」


 喜色を孕んだガイン先生の声に振り返らない。どうせ後ろを向いたって、いつものよく分からない顔で先生は笑っているんだろうから。


 前を向く。


 そこには、十一人の紫の生徒がいた。


 ロサ・ハーベストが私から目を逸らす。小柄なミュウリンの視線は今日も強い。異形のブルゾナは、最初に私に話しかけた獅子の後ろに隠れていた。


 異形がいる。人外もいる。人間っぽいのもいる。彼らをまじまじと観察したことはなかったが、こう見ると私と同じような姿をしているのは一人だけだ。


 十人の輪から抜け出して、一人前に出た少年。黒髪で私と似た雰囲気だから恐らく人間なのだろう。


 私は、君の顔を忘れてないよ。


「俺達は、お前を守護者ゲネシスだなんて認めてない」


 黒い瞳が私を射抜く。顎を引いて眉間に皺を寄せた少年は、もう一歩を踏み出した。


「最初に奇襲をかけるような卑怯者が守護者ゲネシスであって堪るか! 俺達は、守護者ゲネシスになろうと思ってパンデモニウムに来ることを決めたって言うのに!」


 紫の生徒達が「そうだ」「そうだ」と声を吐く。その奥では後任の教師であろう異形が顔を俯かせ、体を小さくしていた。白い布お化けみたいな教師だ。生徒を黙らせる力もないんだな。


守護者ゲネシスなのに暴君なんて名前を貰って」「そんな奴が相応しいわけないだろ」「俺達は認めてない」「あの子がトップだなんて」「セコい奴」「ずるい奴」「よく平気な顔してるよな」「酷い人」


 刺さる。


 刺さる。


 私に刺さる、言葉の棘。


 ロサは私に視線を投げ、すぐに逸らし、再びこちらを確認した。


「だから、交代してもらう」


 一歩一歩を踏み出して、黒髪の少年は制服の裾から身の丈程もありそうな棒を取り出した。服に魔術でもかけているのか、出てくる物と入っている場所の面積が違うのは見慣れてしまった光景だ。


守護者ゲネシスには、俺が――朽野くだらの花火はなびがなる」


 こちらを射抜く視線で、少年――花火が棒の持ち手を軽く捻ると、先端からカーブを描いた刃が生えてきた。


 それは大きな大きな鎌。私の首でも狩るつもりかと思ったが、そうだ、守護者ゲネシスの座を狙っているんだったか。


「卑怯なお前に、先導者パラスを任せたりできない」


 彼の体から火の粉がこぼれる。深い橙と朱の混ざった炎だ。


 花火の炎は彼を中心に広がり、他の憤怒の候補者達はグラウンドの端まで下がっていた。


「がんばれ花火」「君なら勝てるよ」「花火の炎が一番熱いから!」「大丈夫!」「がんばれ!」「勝とう!」「お願い!」「守護者ゲネシスになって!」


 爆ぜる火の向こう側から声がする。


 空気を歪ませる熱量に、他のクラスの生徒達もざわめきを広げる。


 声、声、喋り声。私の耳に侵入する声。私の神経を逆撫でする声。私に棘を向ける、痛い声。


 ガイン先生が離れた気配がする。合図は無い。勝手に始めろということか。


「さぁやるぞ、口無しの化け物」


 あぁ、そうだ、花火。君は私をそう呼ぶんだ。私を化け物だって、なじるんだ。


 この世界はいつもそう。


 私を悪者にする。私を酷い奴だとする。私は間違ってると糾弾する。


 喋ることは悪いこと。だから罰して、罰して、罰し続けて。掌が痛くて。モーニングスターを何度も拭いて。


 私は、化け物じゃないのに。


 私はただ、守りたいだけなのに。


 伝わらなくて、伝える手段が分からなくて、分かり合えないって知ってしまって。


 殴って、殴って、殴った時。


 私は、いつも一人だ。


 色んな色の血が広がった場所で一人立つ。私の周りには誰もいない。みんな私が罰してしまったのだから。


「お前は間違ってる」


 花火の言葉が私に刺さる。


 痛い、痛い、痛くて痛くて、痛いから。


 言葉が嫌いだ。

 声が嫌いだ。

 お喋りが嫌いだ。


 そうやって人を簡単に傷つけて、そんな自分を正しいと錯覚させる言葉なんて。


 正しいはずがない。

 安全なはずがない。


 どうしてみんな、平気で言葉を吐くんだよ。

 どうしてみんな、傷つけてることに気づかないんだよ。


 強く強く燃え上がる、紅蓮の炎が鎌に纏われる。少年の体も熱が覆い、私のモーニングスターが橙色を反射した。


 高く昇る火柱は空気を燃やして風を作る。


 ポニーテールが強くなびいて、私のマスクと目元を叩いていった。


 他クラスの生徒からすれば、これは一種の見世物だろう。


 花火の炎が威力を強めて燃える範囲を広げる度に、声が上がる。喜びを含んだ嫌な声。声援なんて、士気を下げるだけの最悪な行為だ。


 グランドの熱が上がっていく。歪んだ空気の中で花火は大鎌を構える。


 その緩く湾曲した刃に一気に炎が集まったかと思うと、鋭い刃先が地面に振り下ろされた。


 叩き込まれた刃は地面を抉り、私に向かって真っ直ぐと爆発が連鎖する。


 弾けたつぶては燃え盛り、爆風が肌を撫で、足元が揺れる。


 勢いを増しながら連鎖した爆炎は私の足元で最大となり、視界が紅蓮に染められた。


 衝撃を受け止める。

 炎が私に襲いかかる。


 大きくなった歓声を聞く。

 囃し立てる声がする。

 私を燃やす、音がする。


 弾けた地面で足が揺れた。


 倒れないようにするのは慣れっこだ。毎日怖気の立つ気持ち悪い声を聞いているのだから、揺れも爆風もなんてことない。


 取り巻く業火は私を燃やさない。


 どれだけ温度が高くても、どれだけ質が良い炎でも、私が日頃触れている青と赤の海には及ばないから。


 火に撫でられた肌は汗をかかないように調整し、呼吸を乱すつもりもない。


 燃えて、燃えて、私を覆って燃えている。傍から見れば火達磨か。炎の柱に負けたように映るのか。


 大きな歓声を聞く。

 盛り上がる声援を聞く。

 どれだけ炎の中にいても、声が聞こえる。


 つまりはその程度。


 この炎は私に静寂をくれない。


 周りの声を燃料に大きくなっただけの火だ。私を燃やすには至らない。


 コロンで守られた衣服にも、拷問授業を続けてきた体にも、傷をつけることなんて出来ないんだから。


 弾ける火の粉がうるさくて、火の壁を超えて届く声がうるさくて、私の中に残る声が、うるさくて。


 うるさいうるさい、とってもうるさい。


 重なる声が音となって意味を汲み取る気にもならない。ガヤガヤザワザワギャハギャハと。人の神経を逆撫でるのもいい加減にしろ。


 ここで私が悪ならば。

 私を悪者にするならば。


 その邪悪の下でひざまずけ。


 私は、先導者パラスに仕える者の一人。


 この世界の神様を守る存在。


 憤怒のライラを任された、守護者ゲネシスなんだ。


 易い炎で、私の道を邪魔するな。


 声を潰せない火で、私を燃やせると思うなよ。


 煩わしい、煩わしい、酷く不快で煩わしい。


 全員その口閉じていろ。

 パンデモニウムを脅かすな。

 世界に亀裂を入れる愚行をやめろ。


 騒がしい雑音に奥歯を噛み、モーニングスターを振り上げる。


 炎とは――憤怒とは、もっと静かに煮えるのだ。


 私の体が発火する。


 魔力の口が開いていく。


 紅蓮の炎を薙ぎ払え。


 私の炎に食われていろよ。


 全ては世界を守る、その為に。


 ライラの世界を整える為に。


 それがきっと、私がパンデモニウムにいる意味になってくれるから。


 紫の火種は、赤い火の壁を許さない。


――――――――――――――――――――


次回、三人称でいきます。

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