紹介と名前


「全守護者ゲネシスが決まった喜ばしいことを記念して、まずは自己紹介といこうか」


 大人の勝手な「喜ばしい」に巻き込むの、やめてほしい。


 抵抗虚しく始まってしまった守護者ゲネシス集会。指示をしたのはユニの後方にいるプレートアーマー先生だ。彼の黒く光沢のある手はユニの肩を叩き、守護者ゲネシスは首の渦を撫でる。


 あぁ……切実に、耳栓が、欲しい。


 ユニの顔には、今日も嫌な笑みが浮かんだ。


【” それじゃあ俺から。名前はユニ・ベドム。野心のフィロルドを任された守護者ゲネシスです。どうぞよろしくね ”】


 透ける銀髪を軽く揺らし、青みがかった白い目が弧を描く。重たい声を吐いて。


 火傷のある頬は上がり、ピンヒールを履いた足は悠々と組まれる。害ある言葉をさえずって。


 野心の卵が微かに揺れた。青いラインの入った袖に守られながら。


 私は三度目の重圧を覚悟して体に力を込め、拘束のおかげもあり、倒れることはなかった。汗は相変わらず滲むけど。


 一瞬視線を走らせれば、フィオネ達も頬や額に汗を浮かべていた。眼鏡少女が爪を噛む音は微かに大きくなり、重傷の少年は背中を曲げている。


 だがしかし。


 誰も倒れない。


 反射的に乱れた呼吸を即座に整え、ユニの言葉に慣れようとしている。


 私の脳裏には、過呼吸で倒れた元クラスメイト達が浮かんだ。


【” すごーい。守護者ゲネシスってやっぱり選ばれるだけあるね。一人くらい息できなくなってぶっ倒れるかと思ったのに ”】


 尖った踵が軽い調子で床を鳴らす。ユニの白い目は守護者ゲネシスを観察し、最も不動のノアで止まった。


【” 君、しんどくない? ”】


 目を伏せているノアは軽く手を上げ「平気」の意思を示す。ユニは背もたれに体重をかけ、膝の上の卵を撫でた。


 まだ喋ろうとする少年の口を後ろから塞いだのは、プレートアーマー先生である。


「ユニ、そこまでだ。一旦静かに。後は私が喋るから」


 喋るのかよ。


 暴れそうになる私の足を鎖が許さない。自己紹介なんて顔写真と書面記入で十分ではないのか。わざわざ集まって口で語る重要性はなんだ。


 ガイン先生は私の肩を撫でる。落ち着けって、掌が伝えている。


 我慢するよ。


 我慢してるよ。


 毎日、毎日、棘のある言葉以外はちゃんと、我慢しているじゃないか。


 膝にいるライラの温もりが強くなった時、ユニの後ろにいる先生が喋り始めた。


「私は野心のフィロルド、及び守護者ゲネシスのユニを任された教師。バルバノット・パラダイム。ここでもう少しユニの紹介をさせてもらおう」


 プレートアーマー――バルバノット先生が会釈する。ユニは火傷の頬で笑い続けるが、その表情は見ているだけで鳥肌が立った。


「ユニがいたのは「暴力の輪バディーロア」と呼ばれる世界。あらゆる暴力を許し、力を正義とし、誰よりも強い者が弱い者を従える弱肉強食至上主義の世界だ。そこで彼はこの声を使って生き残り続けた。ユニの声や言葉は重いだろうが、仲良くしてやってくれ」


 暴力の輪バディーロア


 声の暴力。


 言葉の暴力。


 罰すべき、対象。


 私の体が熱を帯びる。視線が隣のユニへ向かう。


 彼の白い目も私に向いており「いつでも来いよ」と誘われている気がした。


 この鎖さえなければ、私は、やるべきことを成せるのに。


 バルバノット先生は軽蔑の守護者ゲネシスへ顔を向ける。少年の後ろにいた教師は頷き、重傷少年の肩を撫でた。


 包帯で顔を覆った少年は、覇気なく口を開ける。


最上もがみみなと。軽蔑のエーラを任された。怪我の仕方が分からない人がいたら声をかけてね……仲良くしよう」


 澄んだ緑の瞳がぐるりと部屋を見渡し、こちらが言葉の意味を汲み取る前に顔を伏せる。紹介を続けたのは浮遊する教師だった。


「湊は怪我をしている者が優しいとされる世界、「自己献身社会シャグネス」出身の子さね。湊はね、自己献身社会シャグネスの中でも一部の人間だけが持つペリドットの能力を有しているのさね。どんな怪我も湊は吸い取れるさね。どうぞ、よろしく。あぁ、ワシはモズ・ガシャ。モズ先生と呼んで欲しいのさね」


 包帯浮遊教師――モズ先生は湊の頭をさわさわと撫でる。


 自己献身社会シャグネス、どんな怪我も吸い取る力、怪我を負っている者が優しい世界……?


 それでは、私の世界では、大罪人達が優しいことになりそうだ。


 吐き気がする。頭が痛い。


 優しいとは、一体なんだ。


 理解が追いつかないまま湊の紹介が終わった時、細い腕が勢いよく上がった。


「次は私? 私でいい? やったわやっとお喋りできる! 嬉しいわぁ!」


 高らかな声と共に立ち上がったフィオネ。彼女はそのままジャンプして浮かび上がり、脹脛に生えた羽が白く揺れた。グラデーションがかった髪は今日もふわふわで、甘そうだ。


「私はフィオネ・ゲルデ! 愛執のリベールを任されたの! 守護者ゲネシスのみんなで集まれる機会があるなんてとっても幸せでとっても好き! ユニの声には驚いたわ、刺激的な声で好きよ! 湊のその傷は色んな人の怪我を背負ってるってこと? 献身ってホントに素敵、好きだわ! 眼鏡の貴方は食堂でよく見かけているの! いつも沢山ご飯を食べる姿が好き! 迫力があるもの! 灰色の貴方ははじめましてね! 立派な角に尻尾もあるの? 素敵ね素敵! 腕も鱗があるなんてかっこよくて好きになっちゃうわ!」


 元気にキラキラ、溌溂とふわふわ。


 フィオネの桃色の瞳は守護者ゲネシスを見渡し、弾丸の如く「好き」を飛ばす。ユニとはまた違ったお喋りに湊や眼鏡少女は面食らっており、桃色の瞳は容赦なく私を射抜いた。


 着地したショートブーツがすぐに床を蹴り、ふわりと飛んで私の前にやってくる。


 金の卵を抱き、可愛い物を詰め込んで出来た少女は、爪先を床について微笑んだ。


「久しぶりね暴君さん! それとも憤怒さん? バーサーカーと呼ぶ人もいるわ! どの名前でも私は好きよ、格好いいもの! 私の前に飛び出してくれた貴方にピッタリだわ! どうして今日は鎖で拘束されてるの? 不思議だわ。でも動けなくてじっとしてる貴方は凛として好きよ、好き好き好き!」


 この子の喉を殴るか私の耳を引き千切ってくれ。


 願ったって実現はされない。知っている。パンデモニウムで私の願いが叶うことなんてほとんどない。心身が無駄な拒否反応を示すだけだ。


 今だって、痙攣する足で鎖が鳴り、抱き締めたライラの熱がわずかに上がる。


 好意の言葉が身に染みる。私の鼓膜をぐちゃぐちゃにする。


 我慢していれば、先に駄目になるのは私な気がして、愛執の生徒達がフィオネを囲む姿を思い出したから。


 右手を開いて簪に触れる。自分が崩れるその前に。


 しかし即座に鎖が増え、右腕を肘掛けに拘束した。簪は小さく飾りを鳴らしただけで、ガイン先生に整えられる。畜生……。


 奥歯を噛み締め、フィオネを凝視する。私の呼吸は浅くなり、マスクを掻きむしりたい衝動に駆られた。


 地獄、地獄だ、ここは地獄。圧倒的、地獄。


 私の眉間に力が入ると、隣から重圧の声がした。


【 違うよ、その子はイグニ 】


 だから何そのあだ名。


 視線をユニに向け、痣を撫でる少年は笑う。フィオネは「イグニ?」と首を傾げ、桃色の瞳がパッと輝いた。


「名前があるのね! ユニがつけたの? 可愛い名前! なんて意味?」


【 俺の世界で噴火って意味 】


「噴火! イグニにぴったりね! イグニ、イグニ、貴方の背中、格好よくて私好きなの!」


 イグニじゃない。


 こめかみの辺りで血管が切れそうになる。背後に立つガイン先生の「あー……」という苦笑が想像できる。


 私が足元の鎖を強く鳴らした時、フィオネの口が後方から塞がれた。


 金の瞳を細めて笑う、天使の教師。上を向いたフィオネは何度も頷き、ふわふわと教師に運ばれ、椅子に座り直していた。


「失礼しました。フィオネは全てを愛する「落ちた天使の園ホワイトラバー」からやって来た子ですので、あらゆる相手の、あらゆる良い面を好きにならなければいけないのです。どんな相手でも好きになれる部分がある。見つけた好きを口にして伝える。それが彼女の最優先事項ですのでお許しを。私は、そんなフィオネの担任をしております、スー・ロックアイと申します」


 微笑む天使――スー先生はフィオネの頬を後方から両手で持ち上げ、弄ぶ。くすぐったそうに笑うフィオネは金色の卵を抱え、脹脛では白い羽根が揺れていた。


 あらゆる相手の、あらゆる面を好きになる子。そうすることが最優先事項。


 私の最優先が喋る者を罰することであるように、フィオネにとっては好意の言語化こそ、最優先。


 本当に……つくづく嫌になる。


 この場に座っているのが皆、違う世界から呼び集められ、生まれも育ちも価値観も違うだなんて。


 私は視線ですらも「好き」を叫ぶフィオネから顔を逸らし、溜まり続けるストレスをライラを抱くことで抑え込んだ。右腕は拘束されたままなので、左腕だけで、縋るように。


 意識して深呼吸しろ。どれだけ耳が痛くても、どれだけ罰したくなっても。


 震えるほど右手を握り締めて、私は次の声を聞かなければいけなかった。


「私は、メル……悪食のグルンを任されました……食事の邪魔だけは、しないでください……」


 か細くのんびりとした口調は、初めて声をかけられた時と変わらない。


 私はぬめりのある視線を感じ、眼鏡少女――メルに視線を向けた。


 指先で口元に触れているメルは鋭い歯を覗かせて笑っている。ユニとはまた違った怖さのある笑みだ。


 彼女の背後では蜜柑のようなスライムが一気に伸び、座っているメルと同じ程度の大きさになった。


「僕はメルの担任教師、モニカ・モーメント。メルは太っている者が優位の世界「脂肪こそ至高グラフェット」で育った子なんだ。だから沢山食べるし沢山飲む子。太りにくい体質だからちょっと思考が飛躍しちゃってる所もあるけど、自分より軽い子、小さい子には優しいんだ。仲良くしてあげてね」


「仲良くするかは、私が決める……」


「こら! メル!」


「大きくならないで……モニカ先生……」


 目も鼻も口も分からないスライム――モニカ先生は、メルに睨まれて慌てて小さくなる。不定形のスライムは生徒の様子を伺っているようだ。


 当のメル本人は爪を噛み、私とフィオネだけを眼中に入れている気がする。


 自分より軽い子、小さい子には優しい。暴飲暴食で育った子。太りにくい子。


『小食、なんだね……』


 脳裏でメルの言葉が再生される。私は直感的にメルを見ないように心掛けた。


「次か」


 低い声がする。


 聞いたこともないほど静かで、凪いだ声。一人だけこの場を俯瞰していたような、外側からの圧。


 けれどユニのような威圧感とは違い、自然と彼らしいと思ってしまった声。


 隣を見ると、マスクをしたままのノアが腕を組んでいた。


「ノア。虚栄のアデルを任された。以上」


 たったそれだけでノアのお喋りは終わる。後ろでは呆れたように大蛇が首を横に振り、細い舌が出し入れされた。


「すまないね、ノアは無口で。彼は血を掛け合わせることで力を得る世界、「間に合わなかった薔薇ラベッラ・スティア」の子だ。一人として同じ姿の異形はいない。生まれた時から手足や体、頭をどれだけ強く変えられるかが重要視されてきた子だよ。おかげでお喋りは苦手なようでね……あぁ、私は彼の担任、ヨド・ヨサと言います。よろしくね」


 白い大蛇――ヨド先生が赤い目を細めて頭を下げる。喋る合間に出てくる蛇の舌は周囲を観察しているようだ。


 ノアの体を見て、掛け合わされたという単語が回る。狼の尻尾、鱗のある両手、ねじれた角に、縫われた口。


 赤い爬虫類の目は私に気づくと、目元を緩めてくれた。


 そこに座っているのは、私が知っている人外。倒れた私を運び、林の中で静寂をくれる生徒。


 あぁ、でも……ごめんねノア。


 今の私は、貴方の笑顔に安心できるほど落ち着いていない。


 会話が多い。自己紹介が長い。名前がたくさん。もうたくさん。


 私は顔を前に向け、斜め下に視線を移した。しかし後ろから伸びたガイン先生の手で顎を持ち上げられる。前を向けって、胸を張れって、示される。


 どこまでも、私に自由はないのかな。


 結わずに下ろした毛先が肩を流れ、簪の飾りが音を立てた。


「やっと俺達の番だね。それでは自己紹介! この子は名無しちゃん。ユニくんのあだ名を採用するならイグニちゃんかな。憤怒のライラを任せた守護者ゲネシスだよ。俺が代弁しているのは、この子は何があっても喋らないから」


 ガイン先生が顎から手を離し、私の頭を撫でる。眉間には皺が寄った自覚があった。


 鎖を鳴らして抗議したって、ガイン先生の口は塞げない。


「彼女の出身は「不言の世界パンミーメ」って所。言葉で一度崩壊し、それから喋ることを最大の罪とした世界だ。だから彼女は喋らないし、喋る者を罰してる。そう教えられて育ったから。暴君とか色々な名前が流れてるらしいけど、これでも今の彼女は我慢をしている方だからね、大目に見てあげてね」


 ガイン先生がウインクした気がする。私はライラの殻に爪を滑らせ、肩での呼吸を心掛けた。


「ちなみに俺はこの子の担任、ガイン・サイドベージ。よろしくね~」


 頭痛がする。額から側頭部を通り、後頭部まで回って、脈拍に合わせて痛みが出る。


 私は固く拳を握り締め、ヒビが入りそうなほど奥歯を噛み締めた。


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