具現と脂肪

 メルが生まれたのは「脂肪こそ至高グラフェット」と名付けられた世界である。


 そこに生まれた者は皆、太っている姿こそ強く、気高く、名声も富も得た姿だとしていた。


 太っているのは美味しい物を食べている証拠。栄養を得られる物を口にし続けている証。

 美味しい物を食べられるのはそれだけ財力があるから。財力があるという事はそれだけ有能だから。


 その思考に拍車をかけたのは、彼らが生まれながらにして宿していた能力である。


 脂肪こそ至高グラフェットの者達は、己の身に蓄えた脂肪を物質に変換する能力を有していた。


 蓄えた脂肪が多ければ多いほど高価な物へと換えられる。服も、靴も、道具も金も。なんだって造ることができるのだ。脂肪さえあれば。


 脂肪さえあれば有能になれる。有能になれば財力が得られる。財力があれば美味しい物を食べられる。美味しい物を食べられれば脂肪を蓄えられる。


 循環した思想は、元からあってなかったような世の中の金回りも権力図も崩壊させた。年代を追うごとに肥えた者達の願望も肥大した結果である。


 金を生むための脂肪が欲しい。脂肪を作るための金が欲しい。脂肪を溜めて、強さと権力が欲しい。誰かに上に立たれるのは弱く、貧相な者だけだ。


 貧しくなりたくない。富を持って安心していたい。

 醜くなりたくない。美しく肥えて賞賛されたい。

 弱者になりたくない。強者として人の上に座っていたい。


 だから誰もが太り続けた。食べられる物は余すことなく食べ尽くし、湯水のごとく飲み干し、ある者はソースが残る皿まで噛み、またある者は水の染みたコップを咀嚼した。


 脂肪を求めて食事を続け、溜めた脂肪から富を生む。生めば痩せるからより上質な脂肪を、食事を。


 いつしか彼らは富を守るために太り続けた。太っていなければいけないという脅迫めいた観念に苛まれ、少しも痩せることを望まず。食べては生んで痩せて、太って生んで痩せて。


 脂肪こそ至高グラフェットは循環している。そこに生きる者達の思考も体型も。永遠と繰り返す脂肪の富は、彼らの不安を煽るには肥大し過ぎて収集をつけられたものではない。


 そんな、食べることが命で、太ることを命題としている世界にメルは生まれた。


 彼女は時たま現れる「太ることが出来ない体質」だった。


 体の消化吸収機能が他の者より劣っており、食べても食べても肉がつかない。腹に溜まりはするが全身へは行き渡らないのだ。


 メルのような体質は稀ではあるが存在する。腕も足も細く、背だけは高く、食べれば腹部だけが膨れてしまう。


 もちろん彼女らも具現化の能力は使えたが、全身に脂肪を溜め込める者には劣るというもの。そもそもの脂肪の総量が違うのだ。質量の多い脂肪であればそれだけ高価な物でも具現化でき、逆に質量が低い脂肪は低価の物しか生めはしない。


 同じ力を有していても、金を生むか泥を生むか。そこには明確な差があった。


 だから太ることが出来ないメル達は世間から哀れまれ、富を生めない貧相な存在だとなじられる。


 メルの親は、少女が太れないと知った瞬間から彼女をいない者とした。


 元より脂肪こそ至高グラフェットでは子育てに重きが置かれていない。次の世代を残すことは自分の地位を危ぶむ存在を増やすだけだから。


 上質な脂肪さえあれば体を若返らせるサプリも万能薬に近い薬も生むことが出来る。世代交代などそう易々とはさせないのが脂肪こそ至高グラフェットだ。


 だが、子どもを産むメリットは一つだけある。


 それは命を具現化したという功績。


 金でも宝石でもなく、脂肪から命を具現化させた。


 それはより高度な能力操作であり、それだけ優秀であることの証明。命と代えられるだけの脂肪を溜めることが出来たという事実。


 だから彼らは男でも女でも親になり、脂肪から子を創った。脂肪から出来た子は時たますることもあるが、多くの脂肪を消費する具現化だ。誰しも万全の準備を施して挑むというもの。


 だからこそ、メルのような粗悪品は最初からなかったことにするのがいいのだ。


 どうせ自分達を脅かす程の富を作れることはないのだから。哀れまれるだけの存在なのだから。力のある者が営む服屋に服を求め、靴を求め、誰かに頼らなくては生きていけない弱者なのだから。


 富んだ者は与えるだけの力がある。施しを行なうだけの脂肪を蓄えている。


 メルは、与えられた家の隅で、なんとか生んだ金を持ち、その日その日を食いつなぐだけの子どもだった。


 外を歩けばガリガリの体に奇異の視線を浴び、自分の心を満たしたいだけの者達に施しを受ける。靴をあげよう、服をあげよう、食器をあげよう、日用品をあげよう。


 脂肪こそ至高グラフェットの者達は他者に与えることで愉悦を覚える。自分には与えるだけの力があるだのだと。


 だからこそ、与えられる行為は侮辱に等しい。


 メルは日々、泥を啜る心地で生きたのだ。


 どうして自分がこんな惨めな思いをしなければいけないのか。

 どうして自分の体は脂肪を蓄えることができないのか。

 どうして自分に施しをする周囲は笑っているのか。


 メルは考えた。こんな日々を脱するための方法を。


 どれだけ脂肪分の多い食べ物を口にしても少女の体は細かった。アンバランスに腹部が膨れるだけで、そこから生めるだけの金を生んで買った食べ物も、彼女を太らせることはなかった。


 脂肪から食べ物を作る考えはなかった。それでは意味がないからだ。


 自分の脂肪から生まれた食べ物で脂肪を蓄えたところで、それは単なる自給自足に過ぎない。自分の脂肪で高価な物を作って買ってこそ。富で手に入れたもので太ってこそだ。自分から出た食べ物を口にするのは貧しい者の最終手段である。


 メルの周りには彼女よりも太った者が溢れている。彼女よりも恰幅がいい者、重たい者、肥えた者。


 少女は爪を噛んで叫びを飲んだ。歯を食いしばることで侮辱を貰い続けた。メルは貧しい者だから。彼女は下に見られる体質で生まれてしまったから。


 メルは考え続けた。どうすれば自分はこの日々を抜け出せるか。粗悪なメル、施しを受けるメル、太れないメル。可哀想なメル、この先ずっと侮辱され続ける人生が決まっている、メル。


 ある日、メルは見る。


 細くあばらの浮いた野良犬が数羽のからすにいじめられている光景を。


 折れそうな犬は体や頭に血を滲ませ、烏は隙あらば目を狙おうと嘴を尖らせる。


 メルは見る。


 尖った犬歯を唸らせて、獣の口が開く瞬間を。


 メルは見る。


 脂肪も威厳もない犬が、烏の喉笛を砕く様を。


 メルは知る。


 その方法が、あったのだと。


 少女は口にお菓子を詰め込み腹に溜める。膨らむ腹部を撫でた彼女は、そこに指を突っ込んだ。


「我、望むはなた。対価によって顕現せよ」


 腹から引きずり出した鉈を持って帰宅する。静かに玄関を閉めて、向かったのは家のどこよりも設備が整った台所だ。


 そこでは肉を焼く父親の姿がある。首が肉に溺れて、関節は見分けがつかず、動く度に床と脂肪を揺らす巨体。


 そんな男に、メルは黙って近づいた。


「なんだメル、帰ったのか。いつも通り冷蔵庫の食材はつかぅ"な"――」


 言い終わる前に、男の声にあぶくが混ざる。


 ふくよかな喉を鉈が裂く。


 黄みを帯びた脂肪と、その奥にある血管類。


 血潮を浴びたメルは喉を押さえた男を蹴り飛ばし、彼が脂肪に触れる前に追撃した。


 まずは頭。思考が止まれば能力も使えない。振り下ろした鉈の背は頭蓋骨を陥没させ、柔らかな脳髄が染み出した。


 次に両手首。反射で暴れる手が万一にも脂肪に触れると厄介だ。一撃では切り落とせなかったが、何度も同じ場所目掛けて刃を振れば、男の分厚い手が体から切り離された。


 最後にもう一度首。骨を断てていないそこに、両手で握った鉈を落とす。骨と骨の繋ぎ目に焦点を絞り、床に広がる血だまりも、男の体が起こす痙攣も、メルにとっては些末なものだ。


 男の首が床に転がる。重たい音を立て、口から飛び出した舌で床を舐める。


 肩で呼吸をするメルは、その日、気づいてしまった。


 自分より大きな者がいるから駄目なのだ。


 自分より太っている者がいるから、侮辱されるのだ。


「私より……太ってる、貴方が悪い」


 だから全員消せばいい。


「私を、ちゃんと生まなかった……貴方が悪い」


 許さなければいい。


「貴方は……私より、無能だった」


 自分より太っている者全て、殺してしまえば解決だ。


 メルは父親を庭に捨て、野良犬と烏にまぶれた肉塊を見下ろした。


 赤茶の毛先が返り血で変色する。眼鏡のレンズに曇りはない。


 その日から、メルは自分より太っている者、大きな者に刃を振るった。


 肥え太った者達だ。逃げ足はそこまで早くない。

 脂肪に頼ってきた者達だ。金と舌を回す方にすぐ意識が向いて、反撃するには遅すぎる。


 メルの隣家が静かになった。メルの住む地域が静かになった。野犬が増えた、烏も増えた。鼠も増えた、メルへの侮辱は減った。


 靴に染み付いた血で足跡を刻み、メルはその身に刃を纏う。近づく者には包丁を突き立て、逃げる者には槍を投げ。


 メルの周りからは、誰もいなくなった。


 元より、他人と競い、他人を蹴落としたい者達の世界だ。自分より太っていた者が消えてくれるならば万々歳。メルを止める者は誰もいない。秩序なんてどこにもない。


 メルは太れないまま食べ物を買い漁る日々を送り、自分を侮辱する者の首をねる。


 そうして少女が十七歳まで成長した頃、目の前で扉が開いた。


「おめでとうございます。貴方は未来創造学園都市・パンデモニウムの第十三期生に選ばれました。私は貴方のクラス担任を務めます、モニカ・モーメントと申します」


 現れたのは全身オレンジ色の無形態。平たくなって広がって、盛り上がって巨大化し、豊かな質量の体を揺らす魔物。


 メルはモニカを見た瞬間、殺意を込めて鉈を投げた。


「ぅひゃあ!!」


 滑稽な声を上げたスライムはその体に凶器を沈める。オレンジの中に浮かぶ鉈は気泡を浮かべながら溶けていき、メルは色の悪い顔で爪を噛んだ。


 それがモニカとメルの初対面。メルはパンデモニウムや守護者ゲネシスについて説明され、体の輪郭を震わせるモニカに続いて異界へ足を踏み込んだ。


 脂肪こそ至高グラフェットではない世界。太ることを目指していない世界。少しでも自分が、生きやすい世界。


 メルが求めた環境がパンデモニウムには概ね揃っていた。豊かな食事、自分より細い者達、小柄な生徒。


 しかしメルより巨大で、ふくよかで、恰幅のいい生徒がいたのもまた事実。悪食のグルンのクラスはそれが顕著であり、そこでもやはり、一番細いのはメルであった。


 脂肪ではなく筋肉を携えた者、巨体の者、よく食べる者。そんなクラスメイトに対し、メルは苛立たし気に爪を噛んだ。


 どうしてここに来てまで一番下である感覚に苛まれなくてはいけないのか。どうして自分はここでも細い部類に入ってしまうのか。


 メルは鉈を振り上げた。モニカに「殺しちゃ駄目」と釘を刺されていたこともあり、半殺しではあるが。


 植物で縛り上げ、全員の脂肪を削ごうと刃を動かし、メルは教室でも食堂でも食べ続ける。周りを減らし、自分を肥やすその為に。


 そうしていれば、いつしかクラスメイトがメルに頭を下げるようになった。


 貴方が守護者ゲネシスでいい。貴方でいい。だからどうかこれ以上、我々の身を削がないでくれ。


 それは恐怖による懇願。叫びも怒号も通じないメルは淡々とクラスメイトの肉を削ぎ、保健室に放り込み、血だらけの教室で食事を貪るのだ。正気の沙汰とは思えない。そんな姿を目の当たりにして、メルより上に立とうという心意気や反骨精神は折られてしまった候補者達。


 メルは守護者ゲネシスの立場など興味はなかったが、それが結果的に一番上という地位ならば文句なく了承した。


 そんなメルが加護対象として目をつけていたのが、名の無い少女、無口の憤怒だ。


 メルは少女の食事を一度だけ見ていた。紫髪の教師の隣で、オムライスを残したその姿を。


 食事を残すなど脂肪こそ至高グラフェットではあり得ない。それは自分の胃が小さいと証明する行為に他ならない。


 無口の少女は細かった。メルよりも背が低く、口にはマスクをつけて、食堂に寄りつこうともしない。


 だからメルは見ていた。いつか細い彼女が栄養不足で倒れたら、お腹を空かせて蹲ったら、一番に駆け寄ってあげようと。自分よりも軽いであろう少女に尽くしてあげようと。


 それは与える側の特権。メルがされてきたことの反芻。しかしパンデモニウムでそれは侮蔑ではないから。メルの心が満たされるだけだから。


 守護者ゲネシスとなった彼女は喜んだ。同じ守護者ゲネシスに彼女がいて、そしてもう一人、ふわふわと浮いてしまうほど身軽な少女がいたのだから。


 桃色の瞳が美しく、メルよりも、憤怒の少女よりも小柄な守護者ゲネシス。名をフィオネ・ゲルデ。


 メルの心に花が咲く。自分より軽く、太る意識もなく、それでいて可愛らしい同性の友達ができた。


 嬉しくて、守りたくて、なんでもしてあげたくなってしまう。お腹はすいていないだろうか、好きな料理は何だろう、自分はなんでも与えてあげよう。なぜなら自分は彼女達より背が高く、よく食べ、与えらえらえるだけの脂肪を蓄える腹があるのだから。


 だからメルはフィオネを甘やかすし、イグニと呼ばれる少女を構い倒す。可愛い可愛い加護対象。今日は何をお望みか。


 〈メルの能力についても聞いていいですか?〉


「勿論……いいよ」


 メルはイグニからの問いを拒まない。自分よりも少しだけ体重が軽いと発覚した湊にも食事を与えつつ、ホワイトボードを見せたイグニを赤茶の双眼に映して。


 イグニはどことなく居心地が悪そうな表情で、メルの向かいへ腰かけた。

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