擁護と妨害


 地が揺れている。


 校舎が揺れている。


 パンデモニウムが、揺れている。


 図書室の中にある本は己の宣伝を繰り返し、異形頭の司書達は外へ飛び出していく。窓の外を確認すると、空を確認したり地面に膝を着いたりと、現状を理解できている生徒はいないようだった。


 地震にしては長く、揺れが不規則だ。弱くなって強くなって、平衡感覚が鈍っていく。本棚に手をついても書籍が落ちてくることはなく、紙の束がギャアギャアと飛び回っていた。


 気味の悪い振動の意味が分からずユニに視線を投げる。少年は真顔で床を見つめており、ピンヒールがブレることはなかった。体幹どうなってるんだ。


【 ここじゃない 】


 揺れる体に声がぶつかる。内臓を締め付ける声だ。全身に力を入れながらユニを見れば、青みがかった白い瞳と目が合った。


【 揺れてるのは第二階層だ 】


 私の脳裏に雑多なエリアが浮かぶ。ユニのスピーカー、湊の弓矢。フィオネの以心伝心タラリア、メルの生態包丁、ノアのヴェール。私のポケットに入っている耐火香水。


 私達が見つけた魔具を売っていた、騒がしい街。魔物達が生きる場所。


 何か起こっている。この下で、何かが。


 校舎がざわめく。あらゆる不安が声となる。大きくなる。みんなの口が開いていると伝わってくる。


 喉を絞める不快感。揺れも声も落ち着いてくれ。私の耳を侵食するな。未知のことが起ころうと、奥歯を噛んで、唇を結んで黙っていろよ。不安を増長するだけだから。


 騒がしい、騒がしい、騒がしい。


 騒がしいのは、許されない。


 私の手の甲から火の粉がこぼれた時、勢いよく二の腕を掴まれた。


 足が、動く。


【 行くよ、イグニ 】


 揺れが微かに弱くなった瞬間を見定めて、ユニが私を連れて走る。ピンヒールを硬く鳴らした少年は、書庫の扉を勢いよく開けた。


 書庫の奥には陣がある。第三階層から出る扉。他の階層を繋ぐ出入口。ここと繋がっているのは、第二階層の肉屋だ。


 何が起きているのかは分からない。それでも、内臓を冷たく逆撫でていく感覚も無視できない。


 行かなければならない。行って、知らなければならない。


 パンデモニウムに来てからの私は与えられるばかりで、自分で知ろうとしてこなかったのだから。


 知ろうとした今日、気づかなければいけない何かに触れたのだ。知らないままでいてはいけない何かを見たのだ。


 それを私より先に知っていたユニも、更に知ろうと駆けている。守護者ゲネシスとしてではない。ユニ・ベドムとして知ろうとしている。


 私のショートブーツが強く床を蹴る。引っ張られるだけではなく、火傷少年と並走する為に。


 いつも内情を読ませない白い瞳は、確かに私を確認した。


【 鬼がいるか蛇がいるか 】


 〈喋っていればどちらも罰する〉


【 イグニはそうでなくちゃね。喋ってる奴を許さない、言葉の強さを知っている。それでこそ不言の世界パンミーメのイグニだ 】


 〈君は帰った時に罰するから〉


【 やれるもんならやってみな 】


 雑な火文字をユニが吹き消す。喉の奥から漏れる笑い声は人の肌を泡立てるには十分だ。最近は筆談が多かったから体の耐性が落ちていた。気を引き締めなければ膝が崩れる。しっかりしろ私。


 喋ることは悪だから。

 言葉は人を傷つけるから。


 この揺れの元凶が何かは知らないが、そこに声があるならば、私は静寂を求めてモーニングスターを振るだけだ。


 私とユニは輝く陣を踏もうと足を踏み出す。


 けれども、私達が第二階層へ飛ぶことはなかった。


 瞬きよりも短い時間で、胴体を白い蛇の尾に巻かれたから。


 足が浮いて陣を踏めない。隣にいたユニも同様に持ち上げられており、背後の存在に目を向けていた。


「行ってはいけないよ、フィロルド、ライラ。危ないからね。行く子は私達が選定するから、君達は寮に帰りなさい。あそこなら揺れもしない、攻められもしない。安全だ」


 白い大蛇が舌を出す。赤い瞳が心配の影を纏って細められる。


 虚栄のアデルのクラス担任、ヨド・ヨサ先生。


 彼の尾は私とユニを軽々と宙にぶら下げ、揺れ続ける校舎には息を吐いていた。


「困ったものだね。相手は嗅覚がよすぎる。こちらはライラが目覚めてからとても順調だったのに、誤算はエーラかな。モズは何をしているんだか」


 一人で喋り、一人で首を横に振るヨド先生。白い大蛇は私とユニの返事を待つことなく書庫の出入り口へ向かい始めた。


 私は尾に絞められた両腕に奥歯を噛む。これではモーニングスターを振るえない。


 寮に帰ればそれでいいのか。騒がしい世界を放っておいていいのか。高見の見物で、落ち着くのを待てばいいのか。


 そんなわけないだろ。


 うるさい周囲を黙らせる。騒がしくする元凶を罰する。そうしなければ世界が危ない。


 言葉は世界を壊すから。恐怖も怒りも伝染させるから。穏やかに過ごす為にも、世界を守る為にも、喋ることを許してはいけない。


 私はそう教わってきた。それが正しいと信じてきた。だから今日もモーニングスターを手放していないし、明日もきっと握っている。


 その腕を縛っていいなんて示してない。邪魔してくれなんて願ってない。


 私の体が熱を帯びる。


 ヨド先生の舌が鋭く出し入れされる。


 爬虫類の目と視線が交わった瞬間、視界の外から白い球体が飛び出した。


【" 勝手に行き先決めるなよ "】


 あ ” っ ”


 体を悪寒が駆け抜けて、冷や汗と脂汗が混ざったものが額から滴り落ちる。痙攣した内臓は嘔吐感を競り上げたが、なんとか飲み込んだ。倒れなかったのは単純に、ヨド先生に持ち上げられているからだ。


 ユニの丸いスピーカーがヨド先生の体に向かって声を放つ。書庫の壁や天井に乱反射した音は先生の動きを止め、私は横目にユニを確認した。


 彼も両腕を蛇の尾で絞められていたのは同じだ。私と違ったのは意識を向ける場所。私はヨド先生の尾を焼いてしまおうと思ったが、ユニは自分の声の圧を上げる方へ目を向けていたのだ。


 上着の片袖から腕を抜き、首の痣に触れているユニ。彼は凍てつく瞳でヨド先生を見下ろし、蛇は舌で空気を舐めた。


「生徒は教師の言うことを聞いているものだよ、ユニ」


【" 俺は守護者ゲネシスだからね。我が道を行かせてもらうよ "】


守護者ゲネシスに芯ある素養は必要だけど、それは先導者パラスの為であってもらわないと」


【" 曲げてないだろ、先導者パラスの為に "】


先導者パラスの為に、私達の指示を聞いて育ってもらいたいね」


 手が、モーニングスターを離しそうになる。


 奥歯で頬肉の内側を噛んで、鉄臭い味で気持ち悪さを紛らわせようとする。


 呼吸が浅いのはいつからか、なんて、ユニの声を聞いてからに決まってる。


 スピーカーからダイレクトにヨド先生へ向けられた害ある声。反響して威力を増した音にヨド先生は長めに息を吐き、ユニは鼻で笑っていた。


【" 教師だろうと、蛇なら俺の声は届きやすいだろ "】


「ユニ」


【" 今なら一撃入るかな "】


 口角を上げて、ユニが火傷のある頬を歪める。


 彼の視線を追いかけた私は、図書室の照明を背に、手をかざしている人外を見つけた。


「緩める程度だ、見逃すな」


 低い声が地を這った時、ヨド先生の体の上部が一気に沈んだ。


 書庫の床に形成された蟻地獄。


 先生の頭上に降るのは砂の雨。


 緩んだ先生の尾から私とユニは飛び降りて、すぐに陣の方へと駆け戻った。


「ノア!」


「悪いな、ヨド」


 暴れた先生の尾を躱したのは、灰色の人外、ノアである。


 彼は私と一瞬だけ目を合わせると、角につけていたヴェールを被る。かと思えば、すぐに霧を纏って消えてしまった。


 ヨド先生が砂から這い上がる。ノアの蟻地獄を食って、私とユニに狙いを定めて。


「止まりなさい」


 先生の双眼が赤く輝き、書庫の床が勢いよく隆起する。ユニは壊れた床の広い面を蹴って跳び、私は壁になりかけた地面をモーニングスターで粉砕した。


 つぶてが舞う。陣が遠い。それでも走る。


 これ以上、世界がうるさくなる前に。


「生徒を傷つけるのは、先生であってもダメだと思う」


「イグニに酷いこと……しないで」


 私の鼓膜に声が届いた時、ヨド先生の体に矢が刺さる。宙から突然現れた、軌道を残さない射撃だ。


 隆起した床を植物のツルが押さえつける。もう出入り口が分からないほど、書庫はメチャクチャだ。


 私が見たのは、弓を構えた包帯と、赤茶色の髪。二人の少し後ろには、浮遊する妖精が餓鬼に手を握られていた。


 三つの影はすぐにその場を離れ、ユニと私は陣を踏む。ヨド先生の声は聞こえない。


 私とユニは第二階層・娯楽エリアへと飛んだ。


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