地割れと大輪
地面を踏んだ時から違和感があった。
第二階層・娯楽エリア。パンデモニウムに住む者達の娯楽を集めた階。道が一つ違うだけで雰囲気も気温も天気も違う場所。そこには耳を切り落としたくなる騒がしさがあって、喋る者達が眩しくて、鳥肌が立っていたのに。
肌を撫でた空気が違う。声の種類が違う。肉屋の壁から飛び出して周囲を見渡せば、階層の空気が綯い交ぜになっていた。
暑さも寒さも、雨も晴れも、霧も植物も。無機物も食物も、怒号も、悲鳴も。
混ざって混ざって破裂した空気。あちらで火柱、こちらで竜巻。割れた地面と黒煙は私の肺を萎縮させた。
【 イグニ 】
ユニの声すら第二階層の空気に混ざる。青みがかった白い瞳を細めた少年は、ただ真っ直ぐに騒がしさの元凶を見据えていた。
彼の視線を追う。
私の視線が一人で止まる。
乱立していた店より高く、見たこともない生物に乗った、その子で止まる。
「魔族は殲滅しなくてはいけません!」
激しい地響きと共によく通る声も響いた。
まるで、土煙で薄く曇った空を照らす、太陽のように。
「全てはエデンを守る為! みんなの平和を願う為!」
地面を割って咲いた大輪の花々。大きな花弁は薄くオレンジに彩られており、深い緑をした茎や葉とのコントラストが美しさを表現していた。
花瓶に生けられていれば甲斐甲斐しく水をやりたくなるだろう。野に咲いていれば膝をついて顔を寄せたくなるだろう。そう思わせるほどに愛嬌と魅力のある花だ。
一輪が私の背丈を優に超えなければ。
水をやるには特注のジョウロがいるだろうし、顔を寄せれば花弁に埋まる自信がある。それ程までに巨大な花。
可憐な大輪は咲いた先にいる魔族に巻き付くと、煌めく花粉を舞わせていた。
吸い込んだ魔族は、喉から声を絞り出しながら倒れていく。彼らの体に花が咲く。眼球を押し出して、喉に根を張り、四肢を地面に縫い付けて。
花が咲く。花が咲く。花が咲く。
魔族を苗床に、花が咲く。
その種を撒き散らすのは、一人の少女だ。
「道を開けなさい! パンデモニウム第一及び第二階層は本日をもって機能を停止させます!」
木の幹をねじって集めた生物の肩に少女は乗っている。幹の生物は二本の足に二本の腕のようなものがあり、思い浮かんだのは猿類系の動物だ。腕の方が長く、バランスを取りながら進む手足は容赦なく建物を破壊していく。
授業で習った、おそらく魔生物。魔術で創り上げられた、術者の命令だけを聞く生き物。その体が大きくなるほど操る魔力も必要とされ、術者の魔力量を示すパロメーターにもなる魔術だ。
小さな砂山のように店を壊せる魔生物に指示を出しているのは、不安定な肩に立っている少女で間違いない。
薄茶の癖毛を高い位置で二つに結った髪型。袖と裾が少し余った白い上着には橙色のラインが入っている。中には白いシャツにグレーのショートパンツ。同色のニーハイと白いショートブーツを履いた少女は、前に進めと腕を上げていた。
彼女の瞳は太陽を移したが如く、強く、神々しく、橙色に瞬いている。
「
幼さを感じさせる頬を上げ、少女は小さな腕を掲げる。輝きを強める双眼に応えるように、少女を乗せた幹の魔生物が歩幅を広げた。
店が崩れる。応戦する魔術や魔具が跳ねのけられる。皮膚が拾う魔族の声が大きくなる。
魔生物が傷つけた箇所から、再びあの大輪が咲いた。
店から花が咲く。
道から花が咲く。
騒がしさと共に、魔族から花が咲く。
大地が揺れて、鼓膜が犯され、悲鳴が世界を侵食する。
壊れていく、壊れていく。パンデモニウムが壊れていく。
壊れていく原因は?
世界を騒がしくする元凶は?
あの、雑音を吐き出す少女に他ならない。
私はモーニングスターを握り締め、踏み出す一歩が火を纏う。私の足が地を燃やす。
罰しなければいけない。
黙らせなければいけない。
これ以上、世界を壊される前に。
茶髪を風に遊ばせた少女――克己のペディリと宣言していた彼女は、弾かれたようにこちらへ視線を向ける。輝きを放つ橙の双眼は二つの太陽かと錯覚させたが、私の体を焼くほどではなかった。
ウェストポーチがとても静かだと頭の片隅で感じながら、私は周囲を燃やしていく。自分を中心に紫の領地を拡大させ、魔生物とペディリがこちらに体を向けた。
「紫の炎……」
ペディリは数秒だけ動きを止めた後、目を見開いて口角を上げた。彼女の体から溢れた魔力が、幹の生物へ流れ込んでいく。
「憤怒のライラ発見です! 排除します!」
ペディリが振り上げた手に合わせ、魔生物も拳を掲げる。連動した二人の動きを観察した私は体温を上げ、あらゆる声が混ざった空気を歪ませた。そうすれば、第二階層に木霊していた魔族の声が私に届かなくなるから。
あぁそうだ。静かにしろ、声を上げるな、喋るんじゃない。
地を揺らして、悲鳴を上げさせ、パンデモニウムを騒がせたのはお前か、ペディリ。
荒らすな、壊すな、崩れるだろ。世界に亀裂が入るだろ。
私の焦点がペディリだけに絞られた瞬間、彼女は拳を落とし、幹の生物が地を割った。
深い亀裂を入れた地面から大輪の花が咲き乱れる。花が地面を押し割って咲き出ているとしてもいいだろう。
一直線にこちらへ向かう花々に対し、私は眉間に皺を刻んだ。
私がライラの
知らないことだらけだろうと、私は
ライラを排除させるわけにはいかない。腰のポーチにいる
眼前に迫った大輪の森にモーニングスターを叩き込む。
太陽に染められた花弁をまき散らす。
可憐な花に棘を打ち込み、ほとばしる火花で食い破る。
騒がしさの種を燃やせ。
私の火を広げるための火種にしろ。
花を燃やせ。音を燃やせ。声を燃やせ。
世界を壊す言葉を、大火の燃料にせよ。
紫の火花が連鎖して、花々を糧にした業火が空気も焼く。地割れを辿って道となる。
「むん! 熱いのはやですよ!」
ペディリが握った両拳を振り落とす。魔生物も同様に地面を殴り、大輪の花々が壁のように咲き誇った。
だが、所詮は花だ。魔族を騒がせる花だ。
私の炎を受け止めるには、
大輪の壁に紫炎がぶつかり爆発した。弾けた花弁は紫に燃えており、宙で輝きを放っている。
ペディリはこぼれそうなほど目を見開き、魔生物を後ろへ下げた。
「なんですかこの火力!
【" その話詳しく "】
騒ぐペディリの頭上に三つのスピーカーが舞う。白い球体は全てペディリの耳を狙い、おぞましい声が小柄な少女に撃ち込まれた。
ペディリの双眼が光を強め、両膝が笑ったと視認できる。
飛び火を喰らった私の体にも冷や汗が浮かんだが、自分の炎で蒸発させることができた。
視線を走らせれば瓦礫にピンヒールで立つユニがいる。彼は酷く冷たい横顔でペディリを見上げており、私と同じように飛び火を喰らった魔族は泡を吹いていた。
別に私もユニも魔族を守りに来たわけではない。少なくとも私には魔族に対する情はなく、パンデモニウムを揺るがす元凶を黙らせに来ただけだ。
苗床になった魔族も、泡を吹いた魔族も、私が罰を下す前に罰せられたということ。ごめんなさいを言う前に、刑に処された結果と見よう。
脳裏を黒髪の少年が過ぎていく。砕いた頭蓋の感覚を掌が思い出す。
微かに紫炎を揺らした記憶に、私はモーニングスターを握り直した。
今日は、私が執行したわけではないよ。
今日も、罰を与えに来ただけだよ。
今日も、大人になれてないよ。
汗を炎が蒸発させる。不規則になった呼吸を落ち着かせる。下げていた瞼を開いてユニを見れば、彼の唇が歪んだ声を吐き出した。
【" お前エデンの生徒だろ。名前は "】
「わ、たしは、克己のペディリ、で、す!」
【" お前の名前を聞いてるんだよ "】
「だ、から! 私、は、ペディリですって、ばッ!」
ペディリが我武者羅に振り上げた手をスピーカーは容易く躱す。ユニは指揮者の指でスピーカーを操り、白い瞳は冷気を秘めていた。
「あー、あー! 気持ち悪い! なんですか貴方の声! 気持ち悪い気持ち悪い! だからパンデモニウムは嫌いなんです!」
両耳を撫で摩り、頭を振るペディリは動きまで騒がしい。
私は周囲の温度が上がっていく感覚を受け止め、業火でユニの声を中和しようと試みた。
【" 克己は
「違います! 私達は選ばれた聖なる戦士! エデンの人に不安を与えるパンデモニウムを、滅ぼす為に呼ばれた者です! パンデモニウムを指揮する
【" だからさぁ "】
モーニングスターで地面を割る。ペディリとユニの間に低い火の壁を走らせる。
久しぶりにこちらを向いたユニと視線を交えれば、彼は呆れたような笑みを浮かべた。
【" うちの暴君がお怒りだ。お前は連れ帰って話を聞くことにするよ "】
「気持ち悪いんですってば!!」
ペディリが真横に腕を振った。魔生物も連動して真横に腕を振り切り、巨体が暴風を巻き上げる。
ユニは両足に水球の重りを作ってその場に耐えていたが、火を吹き出すしかできない私は後方に吹き飛ばされた。
真正面からぶつかった風の圧に抵抗する術もなく、背後に迫った建物だけを避けようと体をひねる。この勢いで建物に激突すれば背骨やアバラがやられるのは目に見えているのだ。
ギリギリのところで建物を避け、まだ残っていた路地裏に押し込まれる。体が落ち始めたタイミングでなんとかモーニングスターを地面に叩き込めば、手足の神経に集中できた。
膝を曲げて爪先を地面に滑らせる。両手はモーニングスターを握り締め、地面を壊しながらも止まることができた。足が痺れてる。手も痺れてる。なんて威力だ、あの魔生物。
モーニングスターがえぐった地面に火の粉が残っている。ユニとペディリが遠のいた。マスクを撫でた私は肩から息を吐き、こめかみから汗が落ちる。
息つく暇は、きっとない。小うるさいペディリを黙らせて、第二階層を静かにさせないと。
今の私が生きるのは、パンデモニウムだから。
少しふらついた足で自立すると、路地の奥から靴のすれる音がした。
反射的に顔を向けた先で視線を奪われたのは、銀のマスクだ。
黒い目を見開いていたのは、今日もフレイルを握っている――ポルカだった。
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