静寂と無知


 灰色の彼を発見した翌日、昼休み。


 私はテイクアウトの昼食を抱え、薄く霧が立ち込める林を歩いていた。


 この霧の中で彼を発見できたのは偶然なんだけど、さて、再会できるのかな。


 ここで何か魔術でも使えたら違うのだろうが、私は未だにオンオフの切り替えも怪しい初心者だ。指先からちょっと火の粉は出るようになったが、出始めたら止めるのに苦労する。ゲラゲラ笑うガイン先生の声が脳内で反響したので気落ちした。


 今日も廊下で喋っていた生徒を殴ったので頭も痛い。緑のラインが入った生徒だった。「なんでアイツが守護者ゲネシスなんだよ」「ムカつく」「頭おかしい快楽主義者のくせに」などと棘のある言葉を吐いていたから、罰した。


 下半身が蜘蛛みたいな奴もいたし、ブリキみたいな奴もいたし、人間っぽいのもいたし。最近は人外も異形も見慣れてしまったな。適応とは恐ろしい。


 ガイン先生の授業で教わったが、人外と異形も分類的には違うらしい。


 人外のベース体は人間だけど、人間にあるものが無かったり、もしくは増えていたりと、ちょっと違う進化をした種族だとか。人間の親戚のような感じだと覚えたっけ。


 対する異形は魔族や妖精に近く、明確に分類できない突然変異系の者達が当てはまるそうだ。ドラゴンと人魚の要素が混ざっていたり、精霊と魔獣がかけ合わさったり。童話かな。


 もちろん分類はパンデモニウムでのことで、異界が変われば異形を人外と呼ぶところもあるだろうし、人外を妖精と呼ぶところもあるだろう。世界は広い。無限にある。ここでの話は全てパンデモニウムを中心にしているから、私はその知識を与えられているに過ぎない。


 元の世界では有り得なかった授業を受ける日々。書類形式にはしてくれないので、やはり今日もフラストレーションは溜まった。ガイン先生の魔術のせいで座学中はモーニングスターを使えなくされているし。目標に先生の魔術を解除できるようになるも追加しておこう。


 私は額を揉みながら歩き、霧深い林で枯れた道を発見する。それを辿って歩けば、やはり灰色の彼が枯れ果てた木の根元に座っていた。


 赤い爬虫類の目がこちらを向く。銀色の狼の尾は緩く地面を撫で、私は一人分の距離を開けた場所に座った。


 頭を下げれば相手も会釈してくれる。やはりいい人外だ。


 私はホワイトボードを取り出した。


 〈今日もここでお昼を食べてもいいですか〉


 灰色の彼は頷いてくれる。私はもう一度頭を下げ、腐葉土の香りを嗅いだ。


 袋から出した昼食は彩弁当。野菜の天ぷらとご飯が詰まったお昼だ。


 蓋を開けると天ぷらの衣が薄紫だったので一瞬固まった。想像していた物と色彩が違いすぎると驚くよな、普通。それでも、今日も美味しいんだろう。


 マスクを外した私はお箸を持ち、サクサクに揚がった天ぷらに陥落した。


 噛んだ瞬間に衣の油がじゅわっと滲んだかと思えば、ほくほくした野菜と混ざって美味しい掛け算が完成する。この甘い野菜はなんだろう。あ、これは前サラダに入っていた、ちょっとピリッとするやつだ。今日も黒米の炊き加減最高である。硬くないし柔くない、このふかふか感。食欲を刺激するにも程がある。


 パンデモニウムで唯一と表現してもいい至福の時間がご飯時って、良いのやら悪いのやら。


 本日も早々に完食してしまったお弁当をしまい、肩の力を抜いてマスクをつける。灰色の彼は昼食を取らない主義なのか、今日も私が食べる様子を見ていたようだ。


 あまりマスクをしていない姿を凝視されたくないのだが、正面ではないだけいいだろう。以前の学校でも、お昼休みは隣にクラスメイトが座って食べていたわけだし。同じ域かな。


 私は置きっぱなしにしていたホワイトボードを掴み、彼に見せた。


 〈してほしいこと 決まりました?〉


 問いに対して彼は首を横に振る。


 残念ではあるが、私が勝手に考えていることだから。強要するのも違うよな。


 視線を斜め上に向けていると、彼がペンを取って文字を綴る。綺麗な字を書くんだよな、この人。


 〈まだ決まらないから 明日もここに〉


 相手からここに来る許可を貰えるのは有難い。こうして何の声もない場所は貴重だから、ここでお昼を食べさせてもらえるのは嬉しいのだ。


 でも、心配は一つある。


 〈分かりました 貴方を見つけられるよう頑張ります〉


 〈見つけやすくしておく〉


 返事に首を傾げてしまう。この不思議な林で見つけやすくしてくれるというのは、何か目印を出しておいてくれる、ということでいいのかな。


 座っていても高い位置にある赤い目に問いかける。どういうことですかって、瞬きで。しかし彼は首を傾けてしまった。ねじれた角は迫力があるな。


 〈何か目印を作ってくれるんですか?〉


 ホワイトボードに書けば、彼は微かに目を丸くする。だがそれは一瞬のことで、赤い双眼はゆるりと目尻を下げていた。


 〈明日 分かるよ〉


 答えを読んで、なんとなく頷いておく。明日の楽しみにしておこうか。


 彼と別れた後はいつもと同じように林を抜けられた。午後は……魔力のオンオフの切り替え訓練だ。倒れないようにしよう。


 無意味に手を開閉させた私は午後、やはり流れ出る魔力を止められずに保健室行きとなった。ガイン先生は飽きもせず、ゲラゲラ笑っていた。


 ***


 楽しみにしていた次の日は林に入った瞬間に枯れた道を発見し、すぐに彼を見つけられた。灰色の生徒は緩く尻尾を振り、私は定位置となりつつある場所に座る。


 さて、どういった原理なのやら。考える私は不思議な顔をしていたのだろう。灰色の彼はホワイトボードを手に取ると、端的に説明してくれた。


 〈この霧は俺の魔術だよ 迷子の森を少し弄っただけ 俺が呼んだから君はすぐに来られた〉


 凄いな。


 私はホワイトボードと彼を見比べ、拍手する。凄いと思ったり相手を褒めたい時はまず拍手だ。喝采を。


 彼は目元を下げた表情で、ペンを走らせた。


 〈ありがとう〉


 私は顔から力を抜き、彼に笑みを向ける。パンデモニウムに来て笑ったのは初めてかもしれない。顔の筋肉がちゃんと動いてくれて良かった。


 ジェスチャーの中で表情は大切だ。マスクをしている分、相手に勘違いをさせないためにも、幼少期から表情の練習は授業に組み込まれていた。


 灰色の彼は微かにペンを迷わせる。どうした。


 彼は結局何も書かず、私にペンを返してくれた。


 〈なにか?〉


 聞いたが、彼は首を横に振るだけ。ならば詮索はしないでおこう。私は他にも聞きたいことがあるのでね。


 〈魔術は得意ですか?〉


 〈使えはするよ パンデモニウムのものとはまた違うけど〉


 〈世界によって魔術も違うんですか?〉


 〈違うと思う どんな魔術が必要とされ 生き残ったのか やっぱり歴史があるから〉


 ガイン先生より分かり易い。


 感心する私は、同級生に色々教えて欲しくなってきた。相手からしたら当たり前のことかもしれないけど、私にとっては非日常のことだから。突飛に喋り続ける先生より、マスクをして喋らないでいてくれる彼の方が聞きやすい。


 私は彼の近くを指さした。ホワイトボードのやり取りはいいが、一人分の距離があると少しやりづらい。彼は手も長いからいいだろうけど、比べた私は人間の平均サイズだ。もう半歩くらい寄らせてもらえると助かるのだが。


 彼は私の指先を見て、すぐ隣を叩いてくれる。本当に真横だ。別にそこまで至近距離は求めていなかったんだけど。


 赤い目を見上げて、暫し考え、そういえば初対面で抱っこ運搬されたんだと思い出した。もういいか。


 私は彼のすぐ隣に座り、大きい腕に触れる。手の甲をびっしりと覆った鱗はどこまで続いているのかも気になるが、身体的なことを聞くのはセクハラだろうな。自分と違うからなんでも質問していいことにはならないのだから。


 腐葉土の香りをマスク越しに感じつつ、私はペンを走らせた。


 〈魔術のオンオフって コツがありますか?〉


 〈・・・〉


 微かに首を傾けた彼によって三つの点が打たれる。黒い髪は灰色の肌を滑り、角に乗っていた枯葉が落ちた。


 そうだよな、分からないよな。私は今、歩き方にコツはありますか、くらいのことを問うた。彼にとっては日常生活に溶け込んだ事象を教えてもらおうとしているのだ。


 〈魔術はなかったのか 元の世界に〉


 なんとか続けてくれた文字に頷く。


 〈絵物語の中だけの 実際には存在しないとされたものです〉


 〈少しも知らない?〉


 〈知らないです パンデモニウムに来て初めて魔術を見て しばらく混乱しました〉


 〈・・・〉


 また点が打たれる。私は指先に集中したが、火の粉が出そうになったのでやめた。


 〈いま使えそうだったか?〉


 〈火の粉が出せそうですけど 一度出始めたら止め方が分からないんです なので毎回気絶します〉


 察しのいい彼に説明すると明らかにギョッとした顔をされた。瞳孔が一気に開いて尻尾が太くなってる。面白いな、そこってやっぱり連動してるんだ。


 〈魔力が空っぽになるまで火の粉を出し続けてるって?〉


 〈止められないので 先生は感覚だと教えてくれるのですが それがまだ掴めません〉


 灰色の顔が微かに青くなった気がする。ペンを迷わせる彼は文章を考えてくれるようで、私に昼食を食べることを促してくれた。では有難く。


 本日の唐揚げとおにぎりのお弁当も美味であり、満足感に満たされていた私であったが、食後に彼が見せてくれた文字を見て固まった。


 〈魔力は生命や精神のエネルギーに近い それを連日枯渇させて倒れるのは 毎日瀕死になっているのと同じだと思う 気を付けた方がいい〉


 マスクをつけた私は文章を数回往復し、赤い双眼を見上げる。彼は申し訳なさそうに頷き、私の体からは血の気が失せた。


 私、毎日死にかけてるの?


 午後の授業でガイン先生に確認すると、紫髪はあっけらかんと笑っていた。


「そうだよ~。名無しちゃんがいっつもギリギリのライン行くから、俺も死なない所で強制的に魔力の放流止めてるの」


 手からホワイトボードが滑り落ちる。床に軽い音が響く。


「あれ、でもよく気付いたね。誰か教えてくれた? あ! もしかして友達ができたのかな!? もしくは舎弟が増えた!? よかったね~暴君! このまま突き進んじゃえ!」


 私のこめかみで血管が音を立てる。


 陽気に喋るガイン先生を殴りかけたが、モーニングスターはあえなく没収された。

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