苦心と再会


 体づくりでは少しずつ肌が焼けた。

 細かい火傷を負うたびに保健室へ行った。


 熱さでマスクの中に嘔吐した。

 黒いマスクを外して火の中に落ちたのは、黄色い胃液だった。


 人間は適応能力や学習能力が高いと授業で教わった。

 そのせいか、体の水分が飛んでも立っていられるようになった。


 体が火に慣れようとしている。どれだけ熱くなっても、その熱の中で生きようと試行錯誤している。


 生きる為に、死なない為に、私は火に慣れなくてはいけない。火の魔術を使えるようになる為に、適応しなくてはいけない。


 掲げた目標は、火で文字を書き、意思疎通ができるようになること。


 私は全身から汗を流し、笑っているガイン先生を今日も睨んでいた。


「はい、耐久時間終了~」


 足元に広がっていた火の海が消える。煮えた頭は痛みを覚え、体が前後に揺れた。


 だがしかし、足を踏み出して転倒は避ける。渇き切った体のどこに力を入れてどこを脱力させるべきか、否が応でも学んでしまったから。


 もう一度顔を上げてガイン先生に凄めば、彼の目も口も糸のように細く、弓なりになった。


 ***


 周りが喋るというストレスは想像を軽く超え、私はポワゾンの購買で耳栓を買った。しかし残念ながら、無音の世界でマスクをしていない者達が口を動かしている姿が余計に神経を逆撫でした。愚策なり。


 喋る者を罰しなくてはいけない。だが、それはパンデモニウムのルールに反している。でもコイツらは悪い種を撒いているのだから。

 

 頭の中で意見が喧嘩して痛みを生む。だから人気のない場所を選んで歩く日々。それでも声は侵食してくる。


 喋らないで欲しい。静かにして欲しい。その言葉で誰かを傷つけているとは思わないか。喋ることが危害になるとは想定もしないのか。


「お前ほんとに頭悪いよな~!」


「いやぁ」


 小耳に挟んだ言葉を殴った。緑のラインが入ったクラスの生徒。小さな体でキィキィ吐き出す言葉が棘だと感じた。笑っていた巨体の生徒は相槌レベルだったので我慢する。


「愛執の守護者ゲネシスって実力だと思う?」


「いやぁ、あれは体使って守護者ゲネシスになったでしょ」


「やっぱそうだよね」


 悪食クラスの生徒も罰した。本人がいないところで吐いた言葉は、いつか風に乗って届いてしまうと教わったから。視界の端にフィオネがいた気がしたが、喋りかけられる前にその場を去った。


「憤怒のクラスの奴ら、守護者ゲネシスに喧嘩売って返り討ちだって?」


「結局は実力主義。憤怒の守護者ゲネシスが強くて、他は弱かっただけだろ」


 野心クラスの生徒も殴打した。第三者が外野でいらない尾ひれをつけるから、間違った棘が生まれると教えられてきたから。外野は黙ってろ、という話だ。


 言葉に触れるたび嫌になる。


 どうして噂をするのか。どうして憶測で物を言うのか。自分の発言がどのように捉えられるか考えもしないのか。


 その言葉で相手に見えない傷を与えていると思ったら、怖くはないのだろうか。


 その口が吐く音の凶暴性に感覚が麻痺しているのだろうか。


 言葉は見えない。見えないからこそ、刺さってしまったら抜けないのに。私の胸には、元クラスメイト達の言葉が未だに刺さっているよ。


 喋るのは怖い。先代達が黙ることを選んだ結果にも頷ける。


 これは、この喋るという行為は、自由にさせては駄目なのだ。


 傷ついてしまう。傷つけてしまう。そこから亀裂が生まれて、火種が生まれて、嫌悪を育てるから。


 黙らせて、黙らせて、黙らせた。


 棘になる言葉を拾い、ナイフのような語りを塞ぎ、気の緩んできた奴らを殴りつける。


 そうしていれば、私の周りは静かになってきた。


 廊下ですれ違った生徒は顔を背けて足早に去っていく。食堂に入れば私の周りにスペースができ、テイクアウト商品を貰うまでがスムーズになった。


「憤怒の守護者ゲネシスは、目についた奴を殴り倒す暴君だってさ」


 火の海に立つ私に対してガイン先生が笑う。紫の髪は陽光を浴びて艶めき、私は顔中の汗を拭った。


「面白い異名を引っさげたね、名無しちゃん」


 その名を聞いて、私が喜ぶと思っているのだろうか。


 揺らめく火を見下ろして、意識を自分の中に向ける。体の中を流れる魔力を追う。血液が巡るように、呼吸するように、感じることを当たり前にして。


 少しずつ、少しずつ。私の指先に穴が開いて、魔力がこぼれる感覚がした。


 熱い、熱い、でもまだ耐えられる。指先が焦げたかもしれない。でもまだ大丈夫。


 私の手からこぼれたのは、紫の火の粉。小さなそれは呆気なく火の海に紛れて消され、眩暈で視界が歪んでしまった。


「上出来だよ」


 揺れた私の肩にガイン先生の手が乗る。火の海は消え、私の指先からは紫の火の粉が流れ続けた。


 パンデモニウムに来て、一ヵ月が経過しようとしている日のことだ。


「ありゃ、魔力出せるようになったら閉め方分からなくなっちゃったか! 惜しいねぇ~」


 ガイン先生に頭を撫でられ、抵抗を込めて腕を振る。紫の火の粉が宙で舞っては消えていき、悪夢がちょっとだけ希望を孕んだ気がした。


 私の中の知らない私が顔を出し、変わっていく感覚。脱皮のような、羽化のような、変な気分。できてしまうことに何の疑問も浮かばなくて、できて当然とさえ感じているのだから。


 パタパタと手を振って火の粉で遊んでいると、ガイン先生は自分の髪を指先で弾いていた。


「あんまり魔力垂れ流しにしてたら気絶しちゃうよ? 慣れてないんだから」


 早く教えてよそういうことは。


 私は手を握り締め、その中で感じる火の粉を抑えようと頭をフル回転する。しかし、ゲラゲラ笑うガイン先生の前で、結局は気絶した。


 保健室で目覚めた後に魔力調整の仕方を教えられるという授業方法、改善されないだろうか。


 保健医のウルとエルはぴょんぴょん跳ねながらお小言を言っていたが、疲れた耳は言葉を拾わなかった。


 私の一日はほぼ体づくりという拷問で埋まっている。けれど今後は少しだった座学も増やしていくそうだ。それは有難い。内容は全て紙に書いて提示してください。読んで理解するので。


 ベッドに座ったままガイン先生に目で訴えたが、彼はにこりと笑うだけ。要求を理解していながら実行する気は無い顔だ。


 早めのお昼休みを許可された私は、制服に着替えて食堂へ向かう。最近はウェストポーチの中でライラがよく揺れている気がした。触るといつも温かいし、まぁ大丈夫なのかな。


「やぁ暴君、今日はちょっと早いね?」


 食堂のシュシュさんにまで不名誉な通り名で呼ばれ、顔中の力が眉間に集まる。ケラケラ笑う蛸は袋に入ったサンドイッチを差し出し、私はお金と交換でひったくった。


 暴君などと呼ばれる筋合いはない。


 喋り続ければ世界が壊れてしまうから。棘のある言葉が飛び交えば、いつかこの学び舎も壊れてしまうだろうから。


 壊さない為に罰している。守る為に、殴っている。


 私の世界はそうだった。マスクで口を塞ぎ、争いの種になる言葉を封じ込め、喋る者には制裁を。


 脳裏に浮かんだのは薄く笑った野心の守護者ゲネシス――ユニ。


 彼の言葉を思い出すだけで背中が重くなり、足は自然と生徒達が来ない場所を探した。


 大方選ぶのは購買近くの林。広いパンデモニウムの敷地の中でも校舎から離れた場所。


 そこにはいつも薄い霧が立ち込めており、歩くたびに木の場所が違っている気がした。林から出ようと思えばすぐに出られてしまう点も相まって、ポワゾンの購買にかけられた迷子の森レストダストと似ている。


 マスクを撫でて今日はどこで食べようかとフラフラする。右を見て左を見て。


 すると、微かに芝が枯れた場所を発見した。


 近づくと枯れた芝の道は続いており、私の足は勝手に辿る。


 枝を避けて、腰をかがめて、木の根を跨いで。霧も少し濃さを増したところで、発見した。


 狼の尻尾に鱗の両手。灰色の肌に、赤い爬虫類の目。


 マスクを無くした私を運んでくれた、親切な人外さん。


 彼はフードを下ろしており、側頭部に二本のねじれた角が後方に向かって生えていると知った。黒い髪は彼の目元や首筋を隠している。


 鎖骨から鼻までは、今日もちゃんとマスクがつけられていた。


 彼の周りの芝は枯れ、凭れている木も葉の色を変えて枝を裸にしている。生徒の周りには落葉が積もり、原型を留めず朽ちているものもあった。


 静かな場所だ。


 音がない。声もない。誰も喋っていない、懐かしい静寂。


 それが、酷く……安心したから。


 私は芝を踏み、赤い目がこちらを向く。


 彼は微かに目を丸くした。


 私の両目からは、一粒ずつ、涙が落ちた。


 ここでなら、モーニングスターを出さなくてもいいよね。


 静かで、災いの元である言葉が存在しないから。


 私は誰も……罰しなくて、いいよね。


 目元を拭った私は枯れた芝を踏み、腐葉土の香りをマスク越しに拾う。


 彼の周りだけ枯れ果てた植物達。私はそれらを見下ろしてから、隣を指さした。


 灰色の人外は何度か瞬きを繰り返し、私と同じ場所を指さす。彼の隣。一人分は開けた場所。


 頷いた私はテイクアウトの袋を見せ、彼は暫し動きを止めた。……伝わらなかったのかもしれない。


 私は袋を小脇に抱えてホワイトボードを取り出す。言葉を見せれば、狼の尻尾が彼自身の足に巻きついていた。


 〈隣でお昼を食べてもいいですか〉


 彼は私の文字から周囲に視線を向ける。それからマスク越しに口を押さえたかと思うと、ホワイトボードとペンを取ってくれた。鱗のある大きな両手は私の頭を容易く潰せるだろうな。


 〈いいのか こんな枯れ地で〉


 彼にとっては小さなペンで確認される。頷いた私はペンを受け取り、ホワイトボードの余白に綴った。


 〈ここがいいです〉


 枯れていようと燃えていようとなんでもいい。


 私はただ、マスクをして、喋らない誰かの傍にいたいだけだから。


 〈なら どうぞ〉


 了承の文字に頭を下げ、枯れた芝に腰を下ろす。


 後頭部にあるマスクの金具を外して息を吐いた。ウェストポーチにマスクをしまって昼食の袋を開ければ、焼きたて特有のサンドイッチの香りがする。あぁ、お腹が空いた。


 今日は野菜とお肉のサンドイッチである。黄色の葉野菜に青いトマトのようなものと、何の肉かはさっぱり分からないブツ、斑色の卵ソースが挟まれている。メニュー名は「にくたまサンドイッチ」だったはずだ。


 肉の正体が分からなかったり、色味が食欲を激減させることなど毎日だ。それでも食べれば美味しいと学んだので、今日も遠慮なく口を開けた。


 パンの表面は少しカリッとし、中は歯が沈む柔らかさ。口内では野菜と卵ソースが混ざったと同時に、鶏肉風味の肉汁も加わった。柔らかさと新鮮さと肉厚さと。あらゆる触感を一口で齧り取り、頬いっぱいに咀嚼する。


 なんともまぁ、今日も贅沢な味だ。少しパンが大きいので口と頬の境に卵ソースが残り、指で拭って舐めておく。行儀は悪いだろうが、これは拭って捨てるには惜しい味だ。


 パンを握りすぎて食材を潰さないよう意識しつつ、できるだけ口を開けて頬張る。マスクをしていては膨らまない頬もいいストレッチになっているだろう。それにしても美味しいな。


 噛むごとに美味しい。飲み込むのはちょっと勿体ない。満足感と比例してサンドイッチが少なくなっていくのは残念だ。


 早々に完食し、同封されていたナプキンで手と口元を拭いて一息つく。シュシュさん筆頭の食堂職員さん達は凄いな、本当に。


 私はマスクをつけ、視界の端で狼の尻尾が揺れた。


 枯れた芝を撫でた尾は本人の足に巻きつき、目で追っていた私は顔を上げる。


 灰色の生徒は私に視線を向けていた。サンドイッチを食べるの下手だとでも思われただろうか。こぼしたりしてないからセーフだと思うんだけど。


 マスクの位置を整え、出しっぱなしだったホワイトボードを回収する。そこで一瞬考えが浮かんだので、ペンは思考を綴った。


 〈貴方に先日のお礼をしていません なにかできることはありますか?〉


 灰色の彼は目を細める。地雷でも踏んだかと少し動揺したが、彼はペンを取ってくれた。


 〈なにもいらない〉


 あら。


 首を傾けて「いいの?」と視線で問いかける。目が合った彼はゆるゆると文字を追加した。


 〈なにかしたいのか〉


 別にそうではないけど。


 暫し考えて、私達は互いにペンを渡し合った。


 〈公平ではないと思ったので 貴方には助けられたわけですし〉


 〈たまたま居合わせただけなんだけどな〉


 〈その節はご迷惑をおかけしました〉


 〈気にしてない〉


 そこで彼はペンを渡さなくなる。かと思えば追記したので、私は瞬きを繰り返した。


 〈なにをしてほしいか思いつかないから 昼休み またここに来てくれ 浮かんだら伝える〉


 ペンを差し出される。彼が持てば小さなペンも、私が握ればちょうどいい。


 〈わかりました〉


 書くことで意思を明確に伝える。視線やジェスチャーだけでは伝わらない相手には、やはり書く手段が最適なんだな。


 会話を終えた私達はその場で別れ、振り返って一歩踏み出した瞬間には林の外に出ていた。


 鐘が鳴る。昼休みの終わりだ。次の授業の準備をしなくては。


 私は校舎に戻りながら、さて、次も彼を見つけられるのだろうかと首を傾けた。

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