不穏と不音

 

 ――悪食のグルンの守護者ゲネシスが決まった。


 そう朝からガイン先生が意気揚々と説明する。いつも通りモーニングスターを没収されている私は、止まらない喋り声に頭痛を覚えていた。


「この間は軽蔑のエーラも決まったし、残るは虚栄のアデルだけだね! いや~今回は当たりの世代でよかった! 決まらない時は本当に決まらなくて学園中血みどろになったりするからさぁ、名無しちゃん達十三期生は優秀だね!」


 他の守護者ゲネシスに特に興味はないし、優秀だと言われてもよく分からない。


 私が知っている守護者ゲネシスは二人だ。


 一人は愛執のリベール。フィオネ・ゲルデ。黄金色と桃色のグラデーションがかかった髪を結い、物理的滞空時間の長い子。あの子は人間というより妖精の部類なのかな。もう近づきたくはないけど、怖いから。


 一人は野心のフィロルド。ユニ・ベドム。透けるような銀髪と顔に広がる火傷の痕がある奴。彼の言葉の圧迫感を思い出すと身震いした。あれも魔術だろうか。彼にも二度と会いたくない。


「おーい名無しちゃん、俺の話聞いてる? アデルの守護者ゲネシスが決まったら守護者ゲネシス集会があるからね? 覚えておいてよ?」


 絶対やだ。


 私は視線で訴え、ライラを抱き締める。赤紫色の卵は今日も健康的に温かく、少しだけ揺れていた。


 ガイン先生は仕方なさそうに私の眉間を撫でつけた。


「はーい、そんな目をしても駄目でーす。守護者ゲネシス集会はいつかありまーす。名無しちゃんも行きまーす。みんなで顔合わせしてちょっとお喋りしまーす」


 最悪。


 私は〈モーニングスター〉とホワイトボードに記して机に置く。ガイン先生は笑ったまま首を右に傾け、左に傾け、パッと両手を開いていた。


「当日モーニングスター没収決定! 名無しちゃんは拘束して参加しようね! 俺が代弁してあげるから!」


 ライラをウェストポーチにしまい、即座に椅子を持ち上げる。体づくりで鍛えられた腕は意外とすんなり椅子を振り被ることができて、私もちょっと驚いた。


 が、叩きつけた椅子は壊れることも軋むこともなくガイン先生に受け止められた。先生はやれやれと示す空気で首を横に振り、私の両手足が鎖に拘束される。バランスを失った私は俯せに倒れ、ガイン先生に頭を撫でられた。


「まぁまぁ落ち着いて。アデルが決まるのはいつか分からないし、そんな嫌がるほどでもないって。暴君の二つ名を流布した名無しちゃんなら大丈夫だよ」


 床に顎を置き、奥歯を硬く噛み合わせる。先生には勝てない。なぜならば先生だから……。


 いつか守護者ゲネシスだけで会う機会がある。そこでは絶対にフィオネもユニも喋るだろう。喋らないわけがない。現時点で想像するだけで頭が痛い。


 不名誉な二つ名にも肺が痛くなり、虚栄のアデルの守護者ゲネシスが永遠に決まらないことを、私は願っていた。


 ***


 昼休み。今日もぬるりとした視線を感じつつ食堂を後にし、霧が広がる林へ向かう。最近は掌からも火の粉が出るようになり、魔力の閉め方も分かってきたのだ。


 それもこれも、灰色の彼のおかげである。


 彼は魔術に無知すぎる私を心配し、毎日昼休みに少しずつ、魔力の流れを教えてくれるようになった。昼食を済ませた後に両手を持たれ、どこに集中したらいいか、どういう風に感じたらいいのか、言語化が難しいことを教えてくれた。


 彼の第一属性は土とのことで、砂を宙に浮かせて文章を組んでくれた。〈指先からゆっくり〉〈意識しすぎなくていい〉〈息を整えて〉そうして適宜変わる文章はガイン先生よりも親切で、静かな霧の中だと私も素直に受け入れられた。


 自分の掌の上で弾けた、紫の火花。それに驚いて体を固めた時も、彼の鱗のある手は宥めてくれた。


 〈大丈夫〉


 分かったのは、私が自分で魔術を使うと驚いてしまうこと。自分でやっている意識が乏しいこと。そのせいで魔力が出ている感覚も掴み切れておらず、言い方を変えるなら他人事のように魔術を使っていたのだとか。


 〈これは君が起こしていることだよ 他の誰でもない 君の力だ〉


 喋らないことを守ってくれる彼はよく目元を下げてくれるようになった。微笑むような仕草は私の顔からも力を抜き、掌で爆ぜる火の粉も受け入れた。


 私はどうやら、本当に魔術が使えるらしい。


 そうして私は授業でも魔力のオンオフができるようになり、徐々に火にも慣れ始めている。今日も午前中の体づくりでは火の海に立っている時間が数分伸びたので、ガイン先生には褒められた。


 私はテイクアウトした袋の中を見て、両腕で抱え直す。霧の林の前にくれば、親しくなった腐葉土の香りを鼻が思い出した。


【” イグニ ”】


 く ず れる


 霧に入りかけた片足が笑い、全神経を使って体を支える。顔からは一気に汗が流れ、無意識のうちにモーニングスターを握っていた。


 立っていたのは火傷の守護者ゲネシス、銀髪のお喋り――ユニ。


 私は昼食の袋を左腕で抱え、モーニングスターの先端は彼に向けた。


【” そんなに警戒しなくていいのに。いつも昼休み、なんでこんな林に入るのかなぁって不思議になっただけなんだから ”】


 動悸が始まって背中が重い。曲がる背筋を無理やり伸ばしてユニに目を向けると、彼は目の前にまで近づいていた。


 彼は首にある渦の痣を撫で、圧迫感が微かに減った。


【 この林、購買と似た魔術がかかってるよね。俺がイグニを追いかけても会えないし、今日も入るなら一緒に連れて行ってよ 】


 額から流れた汗をユニに拭われる。私は足を踏ん張って一歩下がり、白い霧に片足を突っ込んだ。


【 本当に喋らないね 】


 ユニの顔が笑みに見えるものを浮かべて、歪む。その表情は私に鳥肌を立てさせるには十分で、モーニングスターに力を込めた。


 喋ることは聞いた人を傷つける。聞いていない人も傷つける。


 喋ることは悪いこと。


 貴方の声は、あまりにも、重いから。


 また、誰かが倒れてしまう、その前に。


 振り下ろしたモーニングスターが芝を散らして地面を抉る。軽い動作で避けたユニの白い目は見開かれ、口角は三日月の如く上がっていた。


【 このレベルなら君は動くんだ 】


 喋らないで。


【 ねぇ、喋ってごらんよイグニ。言葉が強いって君は知っているんだろう? 】


 変なあだ名で呼ばないで。


【 どうして封じるのか分からないな。能ある鷹は爪を隠すって? それでもいいけど、やっぱり俺は君の声を聞いて、君の言葉がどれほど強いのか知りたいな 】


 モーニングスターを紙一重で交わすユニは、まるで踊るようだ。前に会った時もそうだった。彼は飄々として、掴めない水のようにすり抜けていく。


 私の耳は否が応でもユニの声に慣れ始め、フラストレーションが体内で弾けた。


 モーニングスターの重さに合わせて体を動かし、振り抜いた回転を止めないまま一歩を踏み出す。


 重さが乗った。速さが乗った。遠心力がかかった。


 振り下ろしたモーニングスター。ユニの銀の毛先に穴を開け、獰猛に笑う少年は首に触れた。


【” やっぱりいいね。噴火し続ける暴君。俺は君を、屈服させたい ”】


 また か よ


 ユニの魔術があの渦に触れることを発動条件としていることは読めた。あの痣だか何かに触れれば、彼の声の「レベル」が変わる。


 しかし、分かったところで対処ができない。


 私の膝が崩れかけた時、林の霧が勢いよく広がった。


 霧は私とユニを包み、視界が白一色に染められる。突然の前後不覚に混乱していれば、すぐに霧は薄くなった。


 足元の芝が枯れている。


 振り返ると、灰色の彼が目を閉じて座っていた。いつも通り、枯れ落ちた木に凭れた姿で。


 私はゆっくり息を吐き、彼も目を開ける。赤い双眼はこちらを向くと、緩く細められた。


 浮いた砂塵が宙で舞い、文章を形成する。


 〈あいつは来れないよ 君だけ呼んだ〉


 霧が私の足首に巻きつき、彼の元へ呼ぶ。私は導かれるまま歩を進め、定位置となった彼の隣に腰を下ろした。


 〈時々 君を追って林に来てた 知り合いか?〉


 そんなことは全然知らなかった。


 私は砂の文字に曖昧な反応を示す。モーニングスターをしまってホワイトボードを出すと、震えるほど右手に力が入っていたと気づいた。ちょっと痛い。


 脱力を心掛けて文字を書くと、見せる前に灰色の彼が覗き込む。


 腐葉土の香りが強くなった。黒い髪が微かに私のこめかみに触れ、巨体が屈んで近くにある。


 〈野心の守護者です ちゃんと顔を合わせたのは今日が二度目〉


 赤い双眼が微かに細くなる。それは先程の笑みとは違う感じの、何か。


 〈イグニ?〉


 砂が私の前で形を変える。耳にこびりついた変なあだ名だ。


 私の眉間には力が入り〈知らないあだ名です〉と綴っておく。


 〈なら 君の名前は?〉


 砂が私に問いかける。


 隣を見ると、目と鼻の先に赤い目があった。


 黒い毛先が私の顔にかかり、背後から回った腕が腰を抱く。予想だにしていなかった距離はしかし、初めて彼と会った日ほどは近くないから。


 恐怖はなく、嫌悪もなく、安心した。喋らない私に合わせて、喋らないことを選び続けてくれる人外に。


 彼にとってはこの距離も何でもないのだろう。パンデモニウムでは誰もが自分の当たり前の上を歩いているのだから。


 狼の尾が地面を撫で、彼自身の足に巻きつく。器用だな。


 彼の動作を確認し、食われたり潰されたりする心配はなさそうだと考える。下手な地雷を踏んで握り潰されたら私に成す術はないだろう。


 〈私に名前はありません 名前をつける意味が私の世界にはありませんでしたから〉


 だからみんな、勝手に呼ぶ。


 名無しちゃん。憤怒のレディ。狂戦士。暴君……口無しの化け物。


 どれもいい名前ではないな。


 イグニ、というあだ名の意味はなんだろう。


 私はそこで、赤い目に問いかける。ホワイトボードに書くことはせず、伝わるかもしれないと期待を込めて。


 貴方に名前はありますか。


 爬虫類の目はこちらを見下ろし、ゆるりゆるりと微笑んだ。


 砂が、彼の名前を教えてくれる。


 〈俺は ノア〉


 ノア。


 灰色の彼は、ノア。


 私は脳裏で繰り返し、会釈をする。すると彼の顎に額がぶつかり、頭上からは小さく噴き出す音が聞こえた。


 顔を俯かせたまま頭を引く。ノアの手は私が抱えていた袋を指し、そこでハッとした。


 〈お昼 人外がよく食べてるやつを一緒に買ってみたんです ノアには色々教えてもらったからお礼になるかなって〉


 シュシュさんにオススメされたのは緑のバンズで挟まれた分厚いサンドイッチ。ユニを罰しようとした衝撃で潰れていないか心配したが、そこは魔術の学園・パンデモニウム。私のお昼もサンドイッチも無事だった。


 〈俺 マスク 外してもいいのか?〉


 さらりと砂が問いかける。


 〈ノアがいいなら私は大丈夫です〉


 だから私も文字を見せ、ノアは少しだけ頬を掻いた。


 〈逃げないか?〉


 逃げませんけど。


 予想してなかった質問に瞬きを繰り返してから、頷く。


 まず逃げるというのは無理な気がする。今も背中にノアの手があるのだ。この雰囲気だと逃げ出そうとした瞬間に潰される予感がしなくもない。


 〈取っても またここに来てくれるか?〉


 〈ノアがしてほしいことを思いつくまで来ますよ〉


 そうしないとお礼ができない。今日のお昼だって私が勝手にしたことなので、半ば押しつけの自己満足だ。


 〈嫌だったら取らないでください ノアに嫌な思いをさせたいわけではないので〉


 気持ちを伝えて、私は自分のお昼を出す。流石に向かい合って食べるのは無理なので体の向きを変えようとしたら、ノアに持ち上げられた。


 胡坐をかいた膝に座らされる。ショートパンツとニーハイの間から見える腿に狼の尾が乗る。背中はノアの上体に凭れる形になり、子どもと大人のような構図になった。いや、赤ちゃんと親かな。


 ノアの片手は私の腰に添えられたまま、もう片方の手がマスクを下げる。


 出てきたのは、耳まで切れ込みの入った口だった。


 口の形は人間と似ているが、その横幅が違う。開きそうな線が耳元まで入っている。しかし開口サイズは人間と同程度だ。


 なぜなら彼の口は、大半が縫われているから。


 縫った痕が大きく残り、結果的に開く大きさを人間サイズに合わせたような口。


 ノアは不思議だ。狼の尻尾。鱗のある手。灰色の肌。捩じれた二本角。赤い瞳に、腐葉土の香り。


 サンドイッチを取った手はやはり大きく、力加減も大変なのではないかな。それでも綺麗に食べてくれるノアは、やはりいい人外だと思うんだ。


 〈ありがとう 美味い〉


 砂の文字に胸が温まり、笑ってしまう。ノアが私を抱えたまま平然と食事をしているのが少々気にはなるが、まぁいっか。


 私は気に入った肉たまサンドを頬張り、パンデモニウムで初めて、誰かと共に食事を完食した。


 満足感と満腹感を得た私の顔は緩み、ノアはマスクを戻す。


 ふとウェストポーチがつつかれ、私は灰色の彼に視線を向けた。


 〈ゲネシスだもんな 君も あいつも〉


 赤い目が微かに輝いた気がする。


 〈少しやる気出すよ〉


 深い赤色のラインが入った制服を見る。


 〈同じ位置にいた方がいいもんな〉


 微笑んだノアに首を傾け、軽く毛先を撫でられる。


 その日の放課後――虚栄のアデルの守護者ゲネシスが、決まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る