羨望と平伏

 そもそも、どうして先生は私達を「ペア」にしたのか。


 授業準備の課題なら一人ずつ勝手に買い物に行かせた方が効率的だし、守護者ゲネシスが足並み揃えて行動するのが無理だということは寮での注意時間に察していたはずだ。自由奔放すぎる問題児達だからあれだけ注意していたのだろうし。


 だけどもし、あの注意の意図が私が思っているものとは別の場所にあったら。


 先生達の危惧する「目立つな」の意味が違ったのだとしたら。


 バルバノット先生は、ユニにお喋りを。

 スー先生は、フィオネに好意表現を。

 ヨド先生は、ノアに容姿を晒すことを。

 モズ先生は、湊に優しさの教育を。

 ガイン先生は、私に罰する行為を。


 モニカ先生は、メルに暴飲暴食を、禁じた。


 それらは言わば、私達全員を守護者ゲネシスたらしめた特性を禁じたのではないか。


 だが何故だろう。守護者ゲネシス先導者パラスを守る為に選ばれた。ならばその特性は大いに振るわれるべき素養のはずだ。


 なんて、悪食の守護者ゲネシス――メルを見つけるまでは思っていた。


 湊と共にメルがいると噂された飲食店に着いて、気づく。


 テラス席で一人、食事をするメル。


 そこにあった机を全て自分の周りに集め、料理を所狭しと並べ、皿をも食べそうな勢いで鋭い歯を見せる悪食。


 はじめて彼女の食事を見た時から感じていた。彼女が食べる姿は鬼気迫るものがあると。飢えに飢えて、そこにある食事は全て自分のものだと言わんばかりに食べるのだと。


 華奢な体躯には到底見合わない量がメルの口に含まれ、咀嚼され、呑まれていく。


 しかし私と湊が立ち止まったのは彼女の姿に驚いたからではない。なんならメルの飲食に関しては寮でも見たことがある。


 気にするべきはそこではない。


 彼女の周りで膝を着く、魔物達だ。


 食事にだけ集中しているメルの前、テラス席の外の歩道に何体もの魔物が膝をつき、祈るように頭を下げている。見ればふくよかで体格のいい魔物が多く、その数は瞬きをするごとに増えていった。


 青天の通りで、彼らは何か言っている。下げた頭についた口が、口であろう場所が、微かに動いているから。


 私は一瞬だけ迷った手を耳栓に当て、現状を理解する為に外した。この世界では誰もジェスチャーで教えてくれることなんてないから。察するにはあまりある光景だから。


「悪食の卵だ」「グルン様の守護者ゲネシスだ」「どうかその身に多くの食事を」「あの食べっぷり、正しくグルン様の守護者ゲネシスに相応しい」「なんて良い日」「守護者ゲネシスに会えるなんて」「一人だ」「誰も連れていない」「ならば私を」「いいや俺を」


「どうか貴方のお傍に、悪食の卵よ」


 反射的に湊の袖を掴んでしまう。


 自分の呼吸が微かに浅くなっていたと気づいてマスクに触れば、指先が少しだけ震えていた。


 湊は私の手を掴む。見ると彼の緑眼も見開かれ、肩で呼吸を繰り返していた。


 私は再び、メルを魔物達に目を向ける。


 脳裏に蘇ったのは、パンデモニウムに初めて来た日の、ガイン先生の言葉だ。


『君はまず、先導者パラス守護者ゲネシス候補に選ばれ、クラスに配置されるのが名誉なことだって知るといいよ』


 そう、そうだ。守護者ゲネシス候補になる時点で名誉なこと。そこから守護者ゲネシスに選ばれることはより気高く羨望を受ける立場なのだ。


 候補者の中で守護者ゲネシスになれなかった者でも、将来的には先導者パラスの部下になる。この世界で崇高な存在である先導者パラスの傍にいられるのだ。


 未来創造学園都市・パンデモニウム。そこに集められることが名誉なこと。守護者ゲネシスに選抜されるのは何よりの栄誉。


 だから先生達はペアにしたのだ。私達が一人で街を歩けないように。のだと示す為に。


 もしも、将来を約束された栄光の存在が一人でいたならば。


 彼らは近づきたくなるのだ。


 高貴な存在の卵に。まだ何も知らない、子どもに対して。


 もしも、守護者ゲネシスに選ばれるだけの素養を遺憾なく発揮してしまったならば。


 彼らはなりたがるのだ。


 守護者ゲネシスの側近に――眷属に。


 どうか未来で、その卵が孵った時。新しく先導者パラスが生を受けたその時は、どうか自分もお傍にと。


 そこにあるのは忠誠か、崇拝か。はたまた野望か私欲か、なんなのか。


 教えてくださいガイン先生。


 ここにいる魔物達は味方ですか。


 先導者パラスに害を、なしますか。


 メルの周囲にあった皿が全て空になる。彼女は雑にナプキンで口元を拭い、そこではじめて周囲に集まった魔物に気づいたようだった。


「……なに?」


 一人の守護者ゲネシスの声に魔物達が頭を下げ続ける。朗々と口から流れるのは「どうか我らをグルン様のお傍に」という懇願だ。


 赤茶色の瞳をメルが歪める。彼女は柔らかな癖毛のセミロングを背中側に払うと、席を立った。


 少女の腹部だけが異様に張っている。妊娠を想起させる様相だが、だからこそ手足の細さがアンバランスだ。限界まで飲食物を嚥下していた首だって細く、肌は不健康な色をしていた。


 そう、だから。思い描いたのは妊婦というよりも、餓鬼。


 食べても食べても満たされない鬼。


 メルは長く息を吐き、爪を噛む。胡乱な瞳は頭を下げ続ける魔物達を舐め、不意に腹部に触れた。


 ワイシャツの足りない裾からはメルの下腹部が見えている。青白い肌に触れたメルは、油で照る唇を動かした。


「我、望むはもり。対価によって顕現せよ」


 メルの細い指が、彼女自身の腹部に刺さる。


 私の背筋には一気に寒気が走り、湊は目の前で起こる出来事を凝視し続けた。


 膨れた腹部からメルが引き抜いたのは、銛。細く、長く、返しのついた漁業の道具。


 赤茶色の液体を纏った銛をメルは何度か振り、左手に持ち変える。かと思えば再び右手を腹部に刺し込み、新たな銛を引き抜いた。


 指を刺して、抜いて、刺して、抜いて――……


 合計、五本。左手に三本。右手に二本。メルの両手で銛が揺れる。


 私はメルの腹から生まれた凶器に冷や汗を浮かべ、彼女の変化にも遅れて気がついた。


 餓鬼の如く膨れていた腹部が平らになっている。食事をする前のいつものメルの体型だ。


 長い指で銛を構えたメルの目は、魔物の中でも一番ガタイのいい者へと向けられた。


 緑の肌に鱗が生えた、筋肉質な魔物だ。角と尻尾も太い。


 メルは眼鏡の奥で目元に力を入れる。


 そこにあるのは、明らかな憎悪だと読み取ってしまったから。


 彼女の赤茶色の瞳が、嫌悪と敵意で輝いていたから。


 私は湊と繋いだ手に力を込め、鋭く空を裂いた銛から目が離せなかった。


 容赦なく、躊躇なく、放たれた銛は魔物の足の甲を貫通する。


 一拍遅れた後に悲鳴。私の鼓膜を震わせる、言語にならなかった感情の叫び。


 思わず耳を塞ぐ間に、メルの銛は他の魔物にも投げられた。


『私より重いなんて……太ってるなんて許せない』


 メルの声が脳裏で反響する。ノアに向けた鋭い刃を思い出す。


 脂肪こそ至高グラフェット


 太っている者が優位の世界。


 メルが狙うのは背が高く、ふくよかないし筋肉質な魔物ばかり。他に膝をついている者達は逃げる素振りを見せず、刺された者は悲鳴を上げながらもその場に留まり続けた。


 五本の銛が全てメルの手を離れた時、あるのは荒い呼吸と静けさの混ざった、敬愛。


 鳥肌を立てずにはいられない、歪な信仰。


 メルは気だるげにワイシャツの裾をショートパンツにしまい、平らになった腹部を撫でていた。


「……また、食べなきゃ」


 細い指がシャツを握り、皺が寄る。メルは次の店を探すように顔を動かし、やっと私と湊を視界に入れたようだ。


 丸い眼鏡のふちが光り、少しだけ表情が柔らかくなる。銛で刺した魔物も、頭を下げ続ける魔物も無視して、少女は手を振りながら近づいてきた。


「イグニ……買い物、終わった?」


 朗らかに笑うメルは私の頭を撫で、湊を一瞥する。彼を頭のてっぺんから爪先まで観察した少女は、彼をどう判定したのか。


 私は項にじっとりと汗をかき、湊と繋いでいた手をゆっくり離す。


 赤茶色の少女は、自分の髪を柔らかく払うだけだった。


「……湊は買い物、した?」


「……いや、まだ。メルは?」


「私は……今、待ってる。研いでもらってるから」


「研ぐ?」


「包丁とか、色々……新しいの、欲しかったんだ」


「そっか」


 湊は色々な疑問を飲み込んだ目をして会話する。私は骨ばったメルの手を頭から下ろさせ、こちらに集中する視線に緊張を強めた。


 頭を下げていた魔物達が、こちらを見ている。食い入るように観察し、私と湊について理解しようとしている視線だ。


守護者ゲネシスだ」「守護者ゲネシスが三人も」「恐れ多い」「あちらは誰の守護者ゲネシスだろうか」「紫と緑」「ライラ様とエーラ様だ」「憤怒の卵と軽蔑の卵」「いいや我らは悪食のグルン様に」「守護者ゲネシスの邪魔をするな」「踏み入ってはいけない」「道を」「道を」「開けなければ」


 一人でいれば側近に。


 二人でいれば邪魔をせず。


 三人寄れば、道を開けろ。


 敬うべき対象が増えるほど、畏れも増加するように。


 恭しく、魔物達が頭を下げる。私達に対して道を開ける。メルに頭を垂れていた者達だけでなく、ただ道を歩いていた者達まで。


 一歩引いて、私達がどこへ行くにも邪魔にならないように。


 私は思わずメルの手を握り、少女もすぐに握り返してくれた。湊は微かに眉を寄せてメルに問いかける。


「メル、ユニは?」


「別行動……あいつ嫌い……私より質量があるし、あの声、ムカつく」


 メルの気持ちも半分ほど分からなくはないが、それはあまり良くない気がする。


 私は反射的に湊に視線を向け、緑の瞳は軽く頷く。


 メルの手を引いた私達は、ユニを探す為に歩き始めた。


 誰もが開けた、歩きやすい道を。

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