校外学習編

ペアと混線

 疲れた。


 あまりにも疲れた。


 空中の寮へ引っ越して早一週間、私は生きた心地がしないまま生活を送っている。


 廊下でフィオネに会わないように足音を殺し、メルに捕まらないよう身を隠し、湊に絡まれないよう部屋にこもる。施錠確認だってきちんとしているのに【 やっほー 】と突撃してくるユニには胃を痛める日々だ。鍵の意味ないじゃん。


 フィオネは風を交えながら好きの弾丸を撃ってくる。好き好き大好き今日も好き。勘弁してくれ。

 メルは併設キッチンで作った満漢全席を食べるよう強要してくる。マスクを剥ごうとするのやめてほしい。

 湊は「怪我してないね」って緑眼で凝視してくる。ナイフをちらつかせて近づいてくるのは不審者の域だと思う。

 ユニは勝手に人の部屋の椅子に座り、喋らないのかと問い続ける。うるさい帰れよ不法侵入。


 私に構うな、絡むな、話しかけるな。


 と、思ったところで相手は全員守護者ゲネシス。一癖も二癖もある生徒の中、それぞれのクラスでトップになったある種の問題児達だ。意思疎通ができるはずもなかった。


 昼休み。私はノアの膝に俯せで倒れ、枯葉で埋まった地面に体を横たえていた。頭には大きな鱗の手が乗り、ゆったりとした速度で撫でてくれる。


 耳を砂でくすぐられたので仰向けに転がると、霧深い林の中でノアが微笑む姿が目に映った。相変わらず面倒見の良い人外だ。ノアからすれば私なんて、そこら辺の犬猫を相手しているのと大差ないのかな。


 〈今日は誰が原因で疲れてるんだ? ユニ? フィオネ?〉


 〈メル〉


 合点がいったようにノアが肩を揺らす。


 悪食の守護者ゲネシス、メル。


 彼女は食べさせたがりの人間だ。


 私やフィオネを見つけては何処からともなく果物やお菓子の詰まった袋を取り出し、口に突っ込もうとしてくる。フィオネはいつも可愛く食べさせられているが、私はマスク越しの攻防だ。


 手づから人に食べさせてもらうなんて羞恥以外の何ものでもない。


 口を、開けて、人に、見せる?


 無理無理そんなのできっこない。


 なのにメルは食べさせたがる。給仕したがる。山盛りの料理を運んでくる。喜んで食べるフィオネに微笑んで、嫌がる私にも尖った歯をチラつかせて。


『今日も二人は、小柄で、細いねぇ。いい子だねぇ……』


 メルは拒絶する私を決して怒らない。そこがまた怖い。彼女の思考の底が見えない。


 これだけ拒否し続ける私なんて無視してフィオネだけ相手にすればいいのに、ぬるりとした視線で笑い、細い細いと人の腹や腰を撫でる。本当に怖い。お菓子や食事を結構取っているのに美少女スタイルを維持できるフィオネも別の意味で怖い。なんなのあの子達。


 思い出すだけで鳥肌を立ててしまい、胸の辺りに靄がかかったような気持ちになる。


 メルにとっては給仕することが正しいこと、やらなければいけないことなのだろうか。私が喋っている人にモーニングスターを叩きこむように。フィオネが相手の良い所を発見し続けるように。


 パンデモニウムにおいて、自分の道を進んできたからこそメル達は守護者ゲネシスに選ばれた。私も、その一人。ならばその我の塊のような六人が揃ったところで足並みが揃うのかと言われれば、それは否だろ。


 それぞれがそれぞれに、パンデモニウムの先導者パラスを背負っている。絶対的強者の卵を孵す為に選ばれている。


 不意に私の眉間が撫でられた。視線を向けるとノアの指が動きを止め、赤い目が弧を描く。


 〈眉間 しわ寄ってる〉


 ほぼ癖になりつつある仕草にマスクの中の口が歪む。自分で眉間を撫でていれば、狼の尾が頬に触れた。


 〈他の奴なんて気にしなくていいさ 苦手な奴とは距離を取って 一緒にいたい相手とだけいればいい〉


 赤い爬虫類の目が私を見下ろす。


 なんとなく寒さを感じた体に狼の尾が巻きついて、鱗の手に目元を撫でられた。


 ノアは今日もマスクをして、喋らないでいてくれる。静かな場所を私に提供してくれる、良い人外。


 そんな彼はどうやってクラスのトップになったのだろう。


 私は色々な疑問を込めた目でノアを見つめたが、赤い目は笑うだけだった。


 ***


「明日は校外学習するさね。ペアを決めて買い物さね。ぜひ楽しんで欲しいのさね」


 本日の授業終了後、軽蔑のエーラ担当、包帯浮遊教師、モズ先生が寮にやって来た。


 談話室に集合って教室を出る時にガイン先生に言われていたけど、校外学習なんて聞いてない。


 モズ先生は包帯で覆われた手で四角い箱を上下に揺らし、中からはガシャガシャと音がしている。くじ引き、だと思っていいんだろうか。


 談話室とされている部屋には革張りのソファと長机が設置されており、守護者ゲネシスは全員座れるだけのスペースがある。守護者ゲネシスの中で行儀よく座ってる人なんてそういないけど。


「買い物……買い食い、いっぱい、食べ物……」


「校外学習って素敵な響き、楽しい予感ね! 好きだわ!」


 私と爪を噛むメルの間でフィオネは元気に両手を広げる。テンションが上がっている彼女は私とメルの手を掴んで浮いたり跳ねたり。元気なことで。浮くのはいいから口は閉じて欲しい。


 向かい側にいるノア達はバラバラだ。


 ノアはソファの隅で腕を組み、湊は膝を抱えて真ん中に座っている。今日も傷が多いな。ユニに至ってはソファに座ってもいない。ソファの背面に立って、背もたれに頬杖をついているのだから。


「モズ先生、校外学習ってことは第二階層に行けるってことかしら?」


「そうさね、フィオネ。色んなお店があるさね」


「嬉しいわ! 楽しみだわ! ね、メル、イグニ!」


 一人元気なフィオネに繋がれた手を振り回される。キラキラ輝く桃色の目は本当に純粋で、屈託がないから、今日も私の棘は溶かされてしまった。敗北。


 モズ先生はくじ引きをそれぞれの前に出して回った。


「中には菱形と三角と四角のくじが入っているさね。みんな引いたらせーので手を開けるから、それまでは見ちゃ駄目なのさね~」


 ふわふわ浮いている先生よ、その説明は紙に書いて配れば事足りる内容だと私は思うんです。


 頭に響くフィオネの声と、楽しそうなモズ先生の声。勘弁してほしい。本当に勘弁してほしい。これは一回殴ってもいいのではなかろうか。


 だって今喋っているのは守護者ゲネシスと先生という、他人の前に立つ位置の人達だ。示しをつけるためにも黙らせた方がこの先いいのではないか。喋って失言、語って偏見など笑い話にもならないんだから。


 悪い花が芽吹く前に摘んだ方が世のため。先導者パラスもその方が喜ぶのではなかろうか。守護者ゲネシスなんだから先導者パラスの為に動いた方がいいんだっけ。罰していいんだっけ。


 私は目の前に浮かぶモズ先生を一瞥し、諸々の感情を飲み込んでくじを引く。全員が引くまで開けないよう指示された手の中には固い感触があった。


 ペアで第二階層を回る。これは相手が大事な気がする。買い物する時間がどの程度に設定されているかにもよるけど、何分だろうとフィオネだったら頭がどうにかなってしまう。街中で可愛い顔にモーニングスターを叩きつける衝動に突き動かされるかもしれない。


 ユニは普通に嫌だ。事あるごとに不言の世界パンミーメについて聞いてきたり、喋ることを強要してくる相手と一緒に買い物なんてできるはずない。まずユニの声に私が最長でどれほど耐えられるかも分かっていないと言うのに。


 やっぱり一番まともで優しい人外、ノアがいい。ノアなら普通にしていられる。お願いだからノアであって……。


「はい、では手を開くさね」


 開いた手の中にあったのは菱形の宝石。本物かどうかなんて分からないが、微かな濁りを混ぜた白色の菱形は美しかった。


「あら、私のペアはノアなのね! よろしく!」


「あぁ」


 フィオネとノアが三角の宝石を持っている。ノアとはなれなかったか……。残念だけど、くじだから仕方ない。パンデモニウムで私の願いが叶った事なんてそうないのだ。一番懸念していたフィオネではないだけマシである。


「……嫌だな……」


【 喧嘩売ってる? 買うけど? 】


 四角い宝石を持っていたのはメルとユニだ。よかったユニも外れた。本当によかった。心労がどうにかなるところだったのだから。よかった。ありがとう。今日はちょっといい夢が見られるかもしれない。


 私は掌で菱形を転がし、向かいのソファで膝を抱えた湊に視線を向けた。緑色の瞳は今日も不健康そうだ。


「よろしくね、イグニ」


 定着してしまった呼び名に頷き、モズ先生が持つ箱に宝石を返す。


 湊の怪我に対する異様な執着は理解しきれないが、明日は地雷を踏まないよう気をつけておこう。頼むからナイフは出さずに過ごして欲しい。


 仕事が終わった先生は「詳細は明日説明するさね~」と言い残し、とっとと寮から去っていった。説明事項は紙に……って、何度思ったって改善はされないか。ここでは喋ることが許されているのだから。……。


 先生が去った直後、最初に喋ったのはユニだった。


【 湊、イグニと回りたいから俺とペア変わってよ 】


「別にいいけど」


 やめてくれ死んでしまう。


 反射的に立ち上がり、湊の襟首を引っ掴んでユニから距離を取る。立たせたペリドットは包帯だらけだが本人は何とも感じていない様子だ。


 湊を盾にした私は「ユニとは絶対嫌だ」と意思表示する。緑眼は私を確認し、ユニへ顔を向けた。


「イグニは嫌だって」


【 そんな露骨に嫌がられたら虐めたくなるよねー 】


 近づいてくるユニが首を擦っているので冷や汗が出る。普段は少し圧を押さえた喋り方をしているようだが、ここぞと言う時にはレベルを変えるのが奴だ。


 その時がおそらく今なのだと、分かるから。


【” イーグーニ、俺とペアになろー ”】


 踏ん張った足が震え、盾にしていた湊が微かに背中を曲げる。問題のユニ本人は楽しそうだが、その声は広範囲に無差別乱射している散弾銃と変わりない。


【” メルも俺とペア嫌がってるしさ。湊も考えてよ、多数決だ。今の状況だったら俺とメルの二人が嫌だなって思ってるけど、湊が交代すれば嫌だなって思うのはイグニ一人で済むんだよ? 平和だね ”】


 露骨な発言に気道が締められる。思考はユニの圧ですぐに霧散し、湊を見ると微かに汗を滲ませていた。


 背中に伸し掛かる緊張感と、内臓を掴まれている切迫感。このしんどさを消すにはユニの言う通りにするべきだと防衛本能が働き始める。


 白銀火傷少年、ユニ・ベドムがどうやって守護者ゲネシスになったのか。嫌でも分からせられる状況だ。


 私がモーニングスターを出した瞬間、手首を掴んで動きを封じてきたのは、湊だ。


「駄目だよイグニ、それは優しくない行為だ」


 ならばユニの声も止めろよ献身者。


 頭痛を覚え始めた目元を湊に向け、納得いかない制止に暴れ出しそうになる。


【” 止めなくていいよ湊、爆発しそうなイグニは面白いんだから ”】


「人に怪我させる行為は悪者がやるんだよ。俺達は守護者ゲネシスである以上、もっと優しくならないと」


 見える暴力だけを抑制するのが優しさなら、私はそんな優しさいらないね。


【” 湊がクラスメイトを刺して守護者ゲネシスになったのはアリだって? ”】


「俺は刺して治した。優しさを教える為にね。あれは教育だ」


 矛盾も大概にしろってば。


 三者三様の意見が平行線になっている気がする。主題はなんだったっけ、ペアの変更だっけ? 駄目だもう頭が痛い。


「私とイグニがペアになるのが、一番平和……」


 ぬるりと。背後から私を抱き上げたのはメルだ。


 彼女は上着の内ポケットから植物のつるを生やし、私の体が雁字搦めにされる。足が浮いて、手は動かせなくて。しかもそこで植物の成長は止まることなく、視界が橙がかった緑に染められた。


 繭のように、もしくは蛹のように全身を覆われてしまう。体の向きは変わらないし転ぶ感覚もないのでメルが蔓の繭ごと私を抱いているのだろう。


 蔓の中は不思議なことに、一切の音が無かった。


 無音の空間に私は息をつき、モーニングスターを持つ手から力を抜く。空間的には狭いが、それよりも音がないことに安堵してしまった。こんな空間を作れるならばメルと共に行動するのはいいかもしれない。


 いや、人の意思を無視している時点で駄目か。危うく静寂に流されるところだった。


 蔓を触るがびくともしない。モーニングスターで刺しても傷一つ付かない。繭と言うより檻だった。こういう時に火の魔術をきちんと使えたら問題ないのだろうが、素人に毛が生えたような私では太刀打ちできないのが事実だ。


 どうしたものか。外ではまだペアの交代で揉めてるのかな。ユニが変なこと言わなければさっさと部屋に戻れたのに。……いや、元はと言えば嫌がった私が悪いのか……?


 悶々とした思考で額が痛くなってくる。胃の辺りも気持ち悪い気がしてくる。


 なんでこうも、パンデモニウムって騒がしいんだろう。


 この繭の中みたいに静かであればいいのに。そうすれば私だって、もっと、ちゃんと、頭を働かせられると思うのに。


 ここに来てから、ままならないことばかりだ。


 マスクの中で深く深く息を吐き、目を閉じる。いっそ、ずっと閉じ込められていた方が楽かもしれないな。


 そんな考えに陥りそうになった時、前置きなく檻に亀裂が入り、光が射した。

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