詮索と不法侵入


 地獄のような引っ越し作業が終わった夜。ポワゾンが「では配達しておこう」と部屋の座標だとか云云かんぬんに荷物を運んでくれたおかげで、私はサイドテーブルもスリッパもマグカップも手に入れることができた。やったぁ。疲れた。


 先程まではフィオネが扉の前で「イグニ~、メルが作ってくれる晩御飯を一緒に食べない?」と甘い甘い声でお誘いしていたが全力で無視を決め込んだ。部屋の明かりを全て消して布団に包まり、耳栓をして声をシャットアウトして……自室なのに気が休まらないのは何故なのか。


 私は諦めてくれたフィオネに安堵して、耳栓を外した。


【” 部屋でもマスクしてるんだ? ”】


 ベッドから下ろした足が崩れ落ちる。


 あまりにも突然の襲来に身構える隙もあったもんじゃない。


 廊下と繋がる扉の方を見ると、腕を組んだユニが壁に凭れて立っていた。


 何で入って来られたんだ。鍵は閉めていただろ。


【” あ、やっと一回膝をついたね。やったぁ ”】


 笑うユニは我が物顔で部屋を歩き、ベッドに腰かける。私は重たい圧力に負けた体が折れてしまわないよう、ベッドの骨組みを掴んで立ち上がった。


 ユニの青みがかった白い瞳は愉快だ。本当に、心の底から楽しそうである。その楽しそうな理由は、私が初めてユニの言葉で膝をついたからだと読む。


【” ねぇ、不言の世界パンミーメってどんなところ? 本当にみんな喋らないの? 声が最強だと知ったのにどうしてそれを封じて暴力を許したのさ ”】


 体の中でユニの言葉が反響し、内臓にぶつかった。内側から痛めつけられるとはこのことか。


 ユニの言葉は害そのもの。悪の種。これ以上喋らせるな。私が傷つく。ユニの言葉を聞いた誰かが傷つく。


 簪を抜いて火傷の少年に振りかぶり、狙いは喉だと定めてみせた。


 その喉が潰れてしまえば、君はもう喋らないよね。


【” おかしいね、イグニって ”】


 笑ったユニの手が先に動き、私はベッドに押し倒される。広がった髪を掴まれ、腹部にはユニが跨った。もう片手は簪を握った私の手首を押さえつけるので、こちらも負けじとユニの首を掴んでおく。


 指先に触れたのは、あの渦のような模様だ。


 ユニは髪を離し、私の指ごと痣に触れる。撫でる仕草をした少年の声はやはり圧力が減っていた。


【 君の世界では暴力よりも言葉が悪なの? 】


 今までユニの受け答えにまともに答えたことはない。だから彼は同じような質問を繰り返し、何も進まないまま終わってしまった。


 内臓を握られた気持ち悪さに耐えるだけで彼を罰することが私にはできない。だから今は、質問に答える事しかできないのか。


 沢山の声に疲れ切っている頭を働かせ、私は首を縦に振る。私の世界では暴力よりも言葉が悪だよ。


 そうすればユニは目元を染めて笑うのだ。こちらが鳥肌を立てる笑みを。火傷のある頬を歪めて。


【 あぁそっか、そうだよね、そうなんだ。嬉しいなぁ、そんな世界があるなんて。暴力よりも言葉が強い。腕っぷしや金や体格ではなく声が強い。いいな、いいなぁ、その世界 】


 手首に痛みが走り、簪を握る指先が痺れてくる。私の眉間には力が入り、ユニはマスクを撫でていた。


【 教えてよイグニ。俺はもっと不言の世界パンミーメを知りたい。そこで生まれて、パンデモニウムに選ばれた君を屈服させたい 】


 銀髪が近づいた。頬に毛先がかかり、青みがかった白い瞳が私の視線を固定する。


 そこで初めて、どれだけ近づいてもユニが冷たいと気づいた。


 他の守護者ゲネシスはちゃんと温もりがあったのに、ユニにはない。指先も毛先も冷え切って、握り締められた手首と掌の接着面だけが熱を帯びている。


 私は視線で問いかける。どうして私の世界を、喋ることを禁じた世界を知りたいのかと。


 汲み取ったらしいユニは、高い鼻とマスクが触れそうな距離で喉を鳴らした。


【 不言の世界パンミーメを知れば、俺は、俺が正しかったと証明できるから。俺が選んだ道こそ真の暴力だったと胸を張れるから。だから知りたい。それだけさ 】


 彼が育った世界は、暴力の輪バディーロア


 強き者こそ正しい世界。


 そこで生まれ、成長したユニ。


 彼の言葉は、圧倒的暴力だ。


【 声を聞かせてよ、イグニ 】


 目を細めたユニに首を横に振る。私は喋らないよ。喋らないって決めているんだから。


 彼の首から手を離し、軽く肩を押す。察したようにユニは起き上がって隣に座り、私は彼の手を取った。離された手首が痛い。


 ユニの掌は思っていたよりも固かった。それでいてマメもある。メルが言っていたように筋肉があるというか、鍛えている人なのだろう。そこに私は指を滑らせ意思を書く。


 〈私はしゃべりません パンミーメでは喋ることが最大にして最悪の罪でしたから〉


 口角の上がったユニに対し、私はマスクの前で人差し指を立てる。


 喋るな。


 笑顔のユニは観察する目でこちらの指示に従う。だから私は、彼の掌に文字を書き続けた。


 〈かつてパンミーメでは多くの言葉が飛び交い 他者を傷つけ 世界が壊れた歴史があります〉


 そうして私は書き続けた。ユニの様子を伺いつつ、端的に、私が生きてきた世界について。


 喋ってはいけない。そう先代達が決めた。


 喋る者を許してはいけない。言葉が再び飛び交えば、多くが傷つき、また世界が壊れてしまうから。


 喋る者は罰しなくてはいけない。悪の種が芽吹く前に、黙らせるための暴力を。暴力であって、暴力ではない、世界を守るための粛清を。


 〈貴方がパンミーメにいたならば あらゆる方面から殴られ 通報され 死刑まっしぐらですよ〉


【 なら殴られる前に黙らせたらいいね 】


 久しぶりに喋ったユニの言葉に鳥肌が立つ。背中が軋んで頭痛がしてきた。


 白い目を見れば、彼は恍惚と頬を緩めている。


【 そうか、そっか、俺は俺のまま進んでいれば、俺の世界を壊せたわけだ 】


 眉間に力を入れたまま首を傾げる。ユニは私に手を握られたまま、青みがかった白い瞳を煌めかせた。


【 壊したかったなぁ、暴力の輪バディーロア。あぁ、残念だ。あの世界で、もっと証明したかったのに 】


 〈意味がよく分かりません〉


 ユニの掌に文字を書けば、ピンヒールを履いた足が組まれた。鋭い踵がこちらを向く。


【 俺の世界では、弱者は何をされても文句が言えない。だって弱いから。弱い者に価値はないから。喧嘩も事件も日常茶飯事。強ければ許される。弱ければ奪われる。強い奴が世界を回して正しくなる 】


 流れ続けるユニの言葉に吐き気を覚えてきた。凄惨な世界観を想像するのも、彼の声を聞き続けるのも。


 火傷の頬を上げ続けるユニは、いったい誰に対して笑っているのだろう。


【 でも、暴力は一種類じゃないよね。殴る、蹴る、奪う、騙す、潰す……手を出すことだけが暴力じゃない。言葉だって、立派な暴力になり得るんだから 】


 ユニが首の渦を指さす。私は簪を握り直し、軽い調子の少年を凝視した。


【 作りたかったなぁ、不言の世界パンミーメ 】


 立ち上がったユニはピンヒールの踵を絨毯に沈め、出入口に向かう。飄々と手を振った彼は嫌な笑顔で言葉を吐いた。


【 おやすみイグニ。また話そうね 】


 二度と御免だが。


 無駄だと分かりながら簪を投げ、ユニは廊下に出ていく。扉に阻まれた簪は音を立てて床に落ち、私は全身を脱力させた。


 ベッドに倒れて、沈んで、目を閉じる。


 暴力が絶対の世界。


 そこで生き残ってきたユニは、言葉が暴力だと知っている。


 あの声で、喋り方で、彼は強者になったのだろうか。


 瞼が重い。手足を動かすのも怠い。このまま眠ってしまいたい。


 でもお風呂に入りたい。綺麗さっぱりした状態で眠りたい。熟睡したい。なんなら明日一日ベッドにこもって耳を休めていたい。


 痛む頭で体を叩き起こした私は、疲弊しきった体を引きずり、なんとかお風呂に浸かった。その後は倒れた体をベッドに受け止めてもらい、数秒で就寝。というより気絶した。


 誰も彼もが喋る世界。


 異界から生徒を集めたパンデモニウム。


 そこで選ばれた、私を含めた六人の守護者ゲネシス


 全員、個性が、強すぎる。


 ***


 昨日食材を買い忘れたと気づいた私は、結局早朝から食堂へ向かった。談話室に併設されたキッチンを使う気にはならなかったし。フィオネが起きる前にと目覚めた瞬間から急いで身支度を整え、一人地上の校舎へ下りる。静けさは最高である。


 そのまま寮には帰らず、教室で仮眠した。やって来たガイン先生は珍しく笑わずに私の頭を撫でている。


「まさか一日でこんなに疲弊するとはなぁ……お疲れ様、名無しちゃん。いや、イグニちゃんかな?」


 イグニじゃない。


 じとりと視線で訴えれば「名無しちゃんの方がいいみたいだね」と微笑まれた。


「ま、俺も名無しちゃんで通そうと思ってたからいいや。気が合うね」


 違うよ。私は呼ばないで欲しいのだ。声なんてかけず、全て無言で終わらせて欲しいのだ。


 声を聞きたくない。喋らないで欲しい。名の無い私を呼ばないで。


 なんて、パンデモニウムに来てから何度思ったことだろう。


 疲れていても授業は始まった。


 ガイン先生曰く、守護者ゲネシスたるもの魔術が使えなければ話にならない。この世で至高の六体に数えられる内の一体、憤怒のライラを任されているのだから。だったっけ。


 私はライラの守護者ゲネシス。この卵を守る者。でも何から守るの。ライラを害するもの全てって、このパンデモニウムにそんな悪意はないではないか。


 分からないまま今日も火の海に立つ。熱さに慣れよ。熱は味方。私の第一属性は、火なのだから。


 指先から零れる紫の火種。火の粉よりもしっかりと形を持ち、燃やすための種。


 掌が熱い。でもまだ大丈夫。これくらいなら耐えられる。


 汗が流れ出る。しかし前より量は減ってきた。火の中で汗をかき過ぎれば脱水症状で倒れてしまう。そう体が学んで、調整しているから。


 魔力の止め方はどうだっけ。ノアが教えてくれた。呼吸するくらい当たり前になるまでは、集中して。掌から、指先から、こぼれる魔力を止める。蛇口を閉めるようなイメージで。大丈夫、覚えてる。


 息が上がる。マスクの中に汗が溜まる。肩で息をしては駄目だ。焦るな。落ち着いて。火は怖いものではない。この海は私を焼かない。勝手に焼かれるかもしれないと怯えているのは、私なのだ。


 大丈夫、大丈夫、怖くない、熱くない。


 この海よりも掌が熱い。私から溢れる火の方が、熱い。


 集中して、雑音を忘れて。集中して、声を遮断して。集中して、火だけに意識を向けて。


 この世界にどれだけ言葉が溢れていても、火の海に立っている間は静かだよ。


 今、最もうるさいのは自分の呼吸だ。これさえなければ、自分さえ落ち着くことができれば、パンデモニウムに静寂の場所を私は作れるかもしれない。


 火の粉で文字を書くよりも、先に。


 私は、いつも浸っていた静寂が欲しい。


 後から後から増えていく目標が、願望が、私の耳の奥で反響する。怖い言葉も、嫌いな声も、熱さの中では火が爆ぜる音に負けるから。


 私は、静寂が欲しい。


「いい集中だったね」


 火の海が消えて、ガイン先生の声が降ってくる。静けさが奪われてしまう。


 顔を上げた私は眩暈を覚え、先生の手に体を支えられた。


「さぁ、火を止めてごらん。本当に気絶するその前に」


 指摘され、掌の熱さを思い出す。垂れ流しの火種に意識を向け、手にある魔力の放流を止める。体の中に留まっていろと、私の体にいろと意識する。


 そうすれば紫の火種は止まり、私の体は急な倦怠感に襲われた。


 崩れる体をガイン先生に受け止められ、視界がぐらぐら揺れている。


 抱かれた体から汗が噴き出して気持ち悪い。切れた集中によって体が熱の内包に気づき、どうにか体温を下げようとしている。


 私を担いで保健室方面へ歩き出した先生は、口角を上げているようだった。


「いい子だ、いい子。その調子で頑張ろうね、ライラの守護者ゲネシス


 その声は、私の鼓膜を撫でて溶けていく。


 目を閉じた私は、常連となりつつある保健室へ運ばれた。

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