ふわふわとギザギザ


「イグニって本当に喋らないのね。それは喋れないってわけじゃなくて喋らないって自分で決めてるの? そうなの! 凄いわイグニ! その強い意思って格好いいわ! 好き!」


 苦行である。


 どれだけ耳を塞いでもフィオネの声が侵入してくる。


「そういえば今日の髪型はハーフアップなのよね。前のポニーテールも可愛かったけど今日のもとっても似合ってて好きだわ! メルの髪はちょっと癖毛なのね。ふわふわしてて好きよ! 可愛い! その眼鏡はどれくらい度が入ってるの? わっすごく強いのね! 眼鏡って目を大切に補助する為の道具だから好きよ!」


 苦行である。


 彼女のお喋りが止まらない。


「歩いてる時にメルが私の手を握ってくれるのも温かくて好きだわ! 飛んで行っちゃいそうだから? 大丈夫よ、私はまだまだ飛べないもの! それよりメルの手は大きいわね、安心しちゃうわ! 手が大きい人って好き! そうだ折角お友達になれたんだから私のことはフィーって呼んでね! イグニとノアも是非呼んで?」


 苦行である。


 今の会話の中だけでも「好き」って単語が何回出てきたんだろう。


 キラキラの、ふわふわの、あまあまで。


 フィオネ・ゲルデは笑ってる。


 上空の寮から出る時は揃って出られるようだった。玄関を開けると灰色の部屋に繋がり、台座が一つある。そこにメルが朱色の卵――悪食のグルンを乗せると、一瞬全員の体が浮いて着地した。


 私はそのジェットコースター落下開始、みたいな感覚に慣れず、ノアにしがみついてしまった始末。大きな鱗の手は私の背中を撫で、フィオネには「驚いてるイグニって可愛くて好きよ!」と発言された。逆になぜ彼女達は平気なのか。謎でしかない。


 購買に向かう道中、フィオネは私達三人に好きの弾丸を浴びせている。好き好き大好きとっても好き。口の中が砂糖で出来ているのだろうか。


 私は早々に両耳を塞いで背中を丸め、ノアの体に顔を押し付ける。察したらしいノアも私の後頭部を鱗の手で覆ってくれたが、高くて甘いフィオネの声を跳ね返す作用はなかった。


「ノアって尻尾もあるし角もあるしとっても強そうよね! 好きだわ! そのマスクはどうしてしているの? イグニとはまた理由が違うんでしょうけどミステリアスな雰囲気になって好きよ! 素敵! そういえばイグニとノアは知り合いなの? 抱っこされてるイグニって新鮮でとっても好きなの! 可愛いわ、とっても可愛い! ノアはイグニの保護者って感じにも見えるし、素敵な関係の予感がするわ! そういうの大好き!」


 罰したい。殴りたい。喋らないで欲しい。


 でも動く前にフィオネの言葉が耳に入り込み、私の腕を震わせた。


 彼女は純粋すぎる。子どものようで、綿あめのようで、悪意がないから。本当に褒めているだけなのだと伝わってしまうから。


 私の脳裏に白い花が蘇り、背中の傷が引きつった。


 フィオネを罰することは、純真無垢な子どもを罰するようだと思ってしまうから。


 初めて会った時は濁流のように溢れる彼女の言葉を止めるべきだと思った。愛の言葉は悪意の言葉と同じくらい危険だから。


 でも、もう駄目だ。今日は彼女の言葉を聞きすぎた。私が我慢する間にモーニングスターの棘が全て抜かれ、ぐにゃぐにゃに曲げられた気分に陥っている。


 でも罰しないと。こんな湯水の如く喋り続ける子なんて。相手を褒めちぎる言葉であってもそれはフィオネの主観であり、受け取った方は傷つくかもしれない。だから止めて、殴って、黙らせるのが正解で。


 ぐるぐるでぐにゃぐにゃになりそうな思考で右手を動かした瞬間、ノアの凪いだ声がした。


「フィオネ、多分そろそろ、イグニがしんどい」


「え!?」


 そこでフィオネの弾丸が止まる。疲れた頭を上げると、片手で口を塞いだフィオネが眉を八の字に下げていた。私の目線に滞空していた彼女と目が合う。


 桃色の瞳は心配と驚きを浮かべており、ノアは私の髪を撫でた。


「イグニは喋らない世界の出身だから、お喋りを聞くってこともしてきてない。だからフィオネの……勢いのある喋り方は、苦手、だと思う」


 爬虫類の目に見下ろされ、私は一度頷いて見せる。フィオネはサッと顔を青くし、メルの隣に着地した。


 フィオネは見るからに狼狽えており、人差し指を振る。そうすれば落ちていた木の葉や芝が舞い上がり、風に乗って文字を形成した。


 第一属性、風か。


 〈ごめんなさいイグニ 私失礼だったわ〉


 風と植物を使って出来た文字は何度も形を変え〈しんどい?〉〈悲しい?〉〈苦しいの?〉と問いかけてくる。その勢いもまた目まぐるしいのだが、私は呼吸がしやすくなった。


 桃色の瞳を潤ませてフィオネがしょげている。明らかに、しょげている。


 跳躍して浮いた彼女の手をメルが引き、私の隣に可愛い顔がきた。


 ……。


 …………。


 私はフィオネの頭に触れる。柔らかい髪は驚くほど指通りがよく、撫で心地が大変良かった。


 目を丸くしたフィオネの片手を取り、私は彼女の掌に指を添える。


 〈ありがとうございます〉


 私に、合わせてくれて。


 フィオネは自由になった掌を凝視し、私の顔を見て、滞空時間が終わる。メルの隣に足を着いて歩き始めた彼女は、思いっきり顔をとろけさせた。


「イグニって仕草がとっても可愛くてやっぱり好きだわ! あ!! 私ったらまた!!」


 ……。


 勢いのある風が青葉を拾い〈ごめんなさい〉と騒がしい文字を綴った。


 ***


「おやおやこれは、愛執に悪食、虚栄に憤怒まで。仲良しでいいことだね」


「ポワポワ! 今日も可愛くて毛並みがとっても素敵ね! 好きだわ!」


「ありがとうフィオネ。憤怒のレディは大丈夫かい? 顔が真っ青だけど」


 ポワゾンの購買に辿り着き、フィオネが金の鈴を鳴らす。現れた店主は楽し気に尻尾を揺らし、フィオネに抱き上げられた。


 私はノアの腕の中で脱力し、途中からフィオネの言葉を拾うのをやめた。喋らない努力をする素振りが見える分、我慢しきれずに喋ってしまう彼女を罰する気など削がれている。


 戦う前から戦意喪失。愛執のリベール、その守護者ゲネシス、フィオネ・ゲルデ。強すぎる……。


 ノアは私を購買に下ろしてくれる。鱗の手に〈ありがとう〉と記せば頭を撫でられ、腐葉土の香りに安心した。購買の外を見れば、そこにはやはり枯れた道ができている。


 か細く問いかけたのはメルだ。


「ノアは、植物を枯らすの……?」


 彼女はノアを横目に見上げ、目頭に力が入っている。マスクを掻いたノアは私の耳を塞ぐように撫でた。


「そうだよ。どんな花も木も、俺が近寄れば枯れ落ちる」


「そう……」


 メルは視線を逸らし、ノアに耳を触られる私と目が合う。温かく肉厚な掌は私の体調を確認するようで、なるほど過保護とはこのことかと納得してしまった。ノアは面倒見が良すぎる。


「イグニ……」


 ぬめりを帯びた視線と共に、私の手首が握られる。メルは高い背を曲げながら私を見つめ、尖った歯をチラつかせた。


「貴方、軽いのね……とっても軽い」


 骨と皮しかない指が私の手首を撫でる。触れられている場所から体温が引く気がするのに、私はメルから視線を逸らせなかった。


「脂肪も少ない……可哀想で、かわいい……初めて会った時よりも、痩せちゃったね……あ、でも、筋肉はちょっと増えたね……でもまだまだ、軽くて、細くて、かわいい……守ってあげるからね……私がちゃんと、守ってあげる……フィーも、イグニも」


 じんわりと顔いっぱいに笑ったメル。話の読めなさに湊を思い出した私はぎこちなく首を傾けた。これは、モーニングスターに、手が伸びる。


 私の動きを察したメルは「あ、」と眼鏡を光らせた。


「小声も、駄目なんだ……ごめんね……怖くない、怖くないよぉ……」


 メルは自然とノアの手を払い、私の耳を揉む。マスクも撫でて、前髪に指を通し、首を伝って腹部に触れた。


「……ぺったんこだねぇ……」


 肩を揺らしたメルの笑みに鳥肌がやまない。私はモーニングスターを取り出したが、それより早く関節が締められた。


 メルの上着のポケットから蔓植物が伸びている。深緑色の植物は私の関節に巻きつき、動きを封じられた。


 第一属性、木。


 脳裏に浮かんだ答えに掌がひり付く。メルは尖った歯を覗かせたまま、私を抱き上げた。私には足があるのだが。そしてこの植物をどうにかしてほしい。


 〈何が見たい? 何が欲しい? 買ってあげる 与えてあげる フィーも探さなきゃ〉


 蔓植物がぐねぐねと意思を持って形を変え、私に伝わる文章になる。楽しそうな空気のメルからは全く悪意を感じられず、私の動きはぎこちなくなるばかりだ。


 ふと関節の締め付けが無くなり、植物が枯れ落ちる。


 ノアの手がメルの蔓から離れる仕草をする。


 赤い瞳はゆるりと細まり、鱗が私の手首を撫でていった。


 私がノアの感情を読もうとするよりも早く、低い声を発したのはメルだ。


「ノア」


 床に下ろされた瞬間、目の前で橙色のラインが入った上着が翻り、金属の音が響く。


 ノアの鱗にぶつかっているのは平たい刃物――私の世界では出刃包丁と名付けられた物に似たものだ。


「私、貴方のことは嫌いなの……私より背が高い、筋肉もある、脂肪もある。貴方は私より重いの。嫌いよ」


 空いた手の爪をメルが噛む。彼女はもう一度包丁を振り下ろし、ノアは再び手の甲で受け止めた。


「ユニも嫌い。私より背が低いけど、彼、筋肉がちゃんとあるタイプだわ。もしかしたら私より重いかもしれない、嫌いよ。湊はどうかまだ分からないけど、彼も私より重かったらどうしよう。あぁ、あぁ駄目だわそんなのムカついて駄目。切り落とさなきゃ、削がなきゃ、脂肪も筋肉も引きずり出さなきゃ。私より重いなんて……太ってるなんて許せない」


 振り上げられた出刃包丁に、私の足が動く。


 駄目だよメル。


 嫌いって言葉は、痛みを与える音だから。


 私は、喋る少女にモーニングスターを振り抜いた。


 甲高い金属音が響き、出刃包丁が真ん中から折れ、購買の床に突き刺さる。


 メルは素早くこちらに視線を向ける。眼鏡の奥でくすんだ赤茶色の瞳と目が合い、モーニングスターが一気に重たくなった。


 武器を確認すると、植物が巻きついてびくともしない。咄嗟に魔術を使う、なんていう芸当ができない私は目を見開くばかりだ。


「ごめんね……イグニ、ごめんね、怖かったね……」


 メルは私の目元を撫で、毛先に指が通される。先程までノアに向けていた敵意は急速に萎み、殴打した私に対しては蜜のように甘い。


「イグニは、そのまま……私より、軽いままでいてね」


 笑うメルの言葉が、分からない。


 モーニングスターが動かない。


 ひりついた空気を感じて視線だけ動かせば、右手の指関節を鳴らしたノアがいた。


 いつもと変わらない表情で、穏やかな空気で、私からメルへ視線を向ける。


 細くなった爬虫類の瞳孔に、私は初めて寒気を覚えた。


「あらみんなどうして入口に立ったままなの? ポワポワが欲しい棚に続くようにしてくれたの! いっぱいお買い物して楽しみましょうよ! なんだかひりひりする空気も私は好きだけど!」


「店内では穏やかに過ごしておくれよ~」


 棚から顔を覗かせたフィオネとポワゾンに、救われる。


 茨のような私達の空気を甘いフィオネが強制的に溶かしてしまったのだから。


 メルは「フィー」と呟いて微笑み、私の手を引いて歩き出した。


 ノアの方を見ると「気にするな」とでも言うように柔らかく手を振ったので、私達はそれぞれの買い物を進めることになった。

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