連鎖と進行


 ――愛執のリベールが生まれた。


 豪風の魔人は晴天の元で殻を割り、快晴の台風として高笑いしたのだとか。


 〈ありがとぉ ありがとぉフィー 貴方のおかげでアタシ こうして羽根を伸ばせたわぁ〉


 金の輝きを纏った風がフィオネを撫で、少女を持ち上げたそうだ。竜巻に抱き上げられたフィオネがどんな顔をしていたのか、校内を歩いていた私は知らない。


 ただ、フィオネ曰く。


「美しい台風だったわ。リベールの周りにあった木々が全て倒れて、リベールだけが存在していたの。壮大で爽快、好きよ!」


 らしい。


 ウェストポーチを撫でながら教えてくれた少女は話す間も浮いており、私は彼女の手を掴んでいた。寮での談話室。屋根があろうとも、フィオネはどこかへ行く気がして。


 彼女が床に足を着く時間は数分だけになってしまった。今では浮いている時間の方が圧倒的に多く、脹脛の羽根は大きくなった気がする。妖精ではなく、天使のように。


 フィオネの手を引いても少女はなかなか降りてこない。柔らかく笑うだけで、そういう時だけ黙ってくれるのだ。


 浮いた彼女をどうするかと眺めていると、いつも湊が見つけてくれた。だから彼と私で妖精を地面に引きずり下ろすのが日課になりつつある。


 着地したフィオネは私達を見上げて、静かに笑うだけだった。


 ――野心のフィロルドが生まれた。


 水流の魔人は酷く冷ややかで、孵った瞬間にパンデモニウムの気温が五度ほど下がったそうだ。


 〈感謝しますよユニ 真実を知りたがる貴方の心 たった一つの目標の為に磨き上げた声 それらが俺を育てる野心となってくれました〉


 教室で授業を受けていた私が気づく程度には体感温度が変わった。窓の外へ視線を向けていたガイン先生は、口角を弓なりに上げていたと記憶している。


 私は反射的に体内の魔力に熱を灯し、ウェストポーチからは紫の火の粉がこぼれた。


 〈私 寒いのは嫌いなの だから負けないでね 私のゲネシス〉


 そんなことを願われても、という気分だ。


 寮に戻ると、ユニが談話室のソファに深く腰かけ、天井を見上げていた。


【 俺の感情だ。フィロルドの為じゃない 】


 背もたれに頭を預けて、目の上に腕を置いて。ユニの空気はどことなく、敗北者の匂いがした。


 ユニに近づけばそれだけで冷気を感じ、少年の顔は白く透けそうだ。元々髪が銀色だし、目も青みがかった白。このままいけばユニは消えてしまうのでは、なんて。


 思った私は部屋から持ってきたブランケットをユニにかけた。少しでも温まれば色が戻るかと考えて。


 腕を下ろしたユニの目は微かに丸くなる。かと思えば、まるで馬鹿にするように、目元にシワをたくさん刻んで笑っていた。


【 別に寒くはないんだけど? 】


 〈見てるこっちが寒いから〉


 私は宙に火を綴る。元々冷たかったのに、更に冷たくなる少年の近くに火を灯す。


 銀髪の少年は、得意の水で私の火を消すことはなかった。


 ――悪食のグルンが生まれた。


 育っては枯れ続ける枝葉の魔人は、食堂にあった全ての食材をかっさらった。


 〈満たされぬ 満たされぬ どこまでも満たされぬから 食い続けるぞ メル〉


 食堂は一時空っぽになった。肉も魚も野菜も。食器も机も椅子も。調理器具から部屋の角にあった埃までもをグルンがかき集めて、枝葉で枯らしてしまったから。


 私は思わずテイクアウトの昼食を離して距離を取った。育っては枯れていくグルンは、触れた物を壊し、枯らし、塵にしている。全ての物の栄養を自分のものにせんばかりの勢いに鳥肌が立った。


「それ、私のご飯」


 ただ一人、悪食のグルンに斬りかかった守護者ゲネシス、メル。


 少女の上着から出てきた生態魔具の包丁は、グルンに振り下ろされた。


 しかし刃が口を開けることはなかった。グルンは斬れないと分かっているが如く、伸ばした刃をねじってメルの後ろに隠れたから。メルからは盛大な舌打ちが聞こえる。


 のそのそとウェストポーチに入っていったグルンに感じたのは、おぞましさだった。


 ――虚栄のアデルが生まれた。


 赤黒い砂の魔人はザラザラと形を変え、霧深い林を侵食した。


 〈おはようノア やっぱり僕らは似ているね 脆く崩れる砂の城 崩れる前に周りを崩す 虚栄なんてバレなきゃいい〉


 太くなったノアの狼の尾。その場にいた私は、欠伸をするような仕草をしたアデルを見上げていた。


 ザラザラと、ザラザラと。どこまでも増えて大地を埋めていく砂の魔人。枯れた芝生も青々とした地面も関係ない。


「……やはり、喋れないんだな」


 〈生まれたばかりだからね 口がないんだ 君がライラを見て感じたように 他のきょうだいに思っているように 僕らはまだ未成熟なのさ〉


 大粒の砂が文字を綴り、アデルがノアのウェストポーチに入り込む。体積を考えずに受け入れるポーチに意味の分からない寒気を感じた私は、ノアの肩が微かに揺れていると気がついた。


 伸ばした手で、人外の腕に触れる。上着越しに感じた鱗は固く、勢いよく振り返られたおかげで掌に痺れが走った。


 ノアは私の手を振り払ったらしい。頭で理解した時には掌から血が滲み、鋭い人外の爪にも同じ赤が着いていた。


「あ、ッ! いぐにッ」


 上擦ったノアの声は、私にすがった気がして殴れない。


 大きな鱗の両手は切れた私の手を覆い、肩も頭も、尻尾も項垂れながら治療の魔術を使ってくれた。


「ごめん、ごめん、傷つけるつもりなんてなくて……ほんとに、ごめん」


 祈るようにノアが私の手に額を寄せる。


 とても大きいのに、とても小さく見えてしまった、大事な友人。


 君はごめんと言ったから、私はその言葉を聞いたから、許すよ、もちろん。


 謝らなくたって、君が動揺していたと私は分かっていたんだから。私の方こそ配慮が足りなかった。


 ノアのねじれた角を撫でた私は、大丈夫だよの気持ちが伝わればいいと願っていたんだ。


 〈やったわ きょうだいが生まれていく ありがとうゲネシス達 嬉しいわ 嬉しいわ〉


 私の部屋で猛火の魔人が舞っている。ドレスを彷彿とさせる炎の渦は火の粉を飛ばし、私はマスクを押さえた。


 まだ耐えられる。耐えられる体になっている。


 〈第四階層に行く気はある?〉


 〈まだないわ だって全員生まれてないもの〉


 パチリと弾けた火種が笑う。私の意思を許諾しない。


 指先に熱を溜め続ける私の前で、紫の業火が揺れ続けた。


 〈ねぇ 私のゲネシス かわいい子〉


 火の揺らめきに気を取られた隙に、目の前に業火が迫る。紫炎は私の表皮を乾燥させ、増えた涙が眼球を守る働きをした。


 〈エーラももうすぐ生まれるかしら〉


 私は、何も答えられない。


 軽蔑のエーラ。守護者ゲネシスは最上湊。怪我をしている者こそ優しいとした世界、自己献身社会シャグネスから来たあの子は――。


「……」


 湊は口数が減った。喋らないことはいいことだが、その視線に何を込めているかも分からなくなってしまっている。


 彼は変わらず、生徒に刃を向ける。傷つけて治して、傷つけて治して、傷つけて、傷ついた。


 包帯やガーゼだらけの手はフィオネを地面へ繋いでいる。その時の緑眼を横から見たことがあるが、何の感情も読み取ることができなかった。


 何を思ってフィオネの手を繋いでいるのか。何も考えない為に繋いでいるのか。


 繋いでいない方の手にナイフを持った少年。


 彼の考えは、私では読み切れない。


「湊、見て見て、リベールが褒めてくれたの。私、もっと飛ぶ時間が伸びたのよ」


「そうだね」


 湊が手を繋いでいる時、メルも私も近づかない。フィオネが降りてこなさそうならば手を貸すが、そうでなければ湊が繋ぎ止めていると分かるから。


「……フィオネ」


「なぁに? 湊」


「君はどこまで飛ぶんだい」


「どこまでも! それが私だもの!」


「そうか」


「湊は今日も怪我をしたの? 怪我した人を治したの? 人の痛みを貰えるって素敵ね! 好きよ!」


 湊はフィオネの手を離さない。


 もう片方の手で握るナイフも、離さない。


 その切っ先を妖精に向けないまま、湊は軽蔑以外の感情に目を向けているのだろう。


 私はウェストポーチを撫で、まだ、エーラが生まれるまで猶予があると目を伏せた。

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