筆談と密談


 〈野心で全てを押し流せ また一番になれなかった でもまだ一番になれる機会が残ってる ユニならきっとやり遂げる〉


 揺れる水が綴った文字は、バルバノット先生から降ってくる言葉だそうだ。


 〈ユニはフィロルドと似ている 大丈夫 君なら相応しい 君こそ相応しい フィロルドも待っているさ 君と触れ合える日を〉


 首にある渦の痣をユニが撫でる。そのまま頭を重たく下げた少年は、深く長い溜息を吐き出した。


 〈野心のゲネシス フィロルドの卵を守る者 フィロルドの殻となる者 君の声はどんな者も平伏すさ〉


 〈ヨドと似たようなことばかり言うな〉


 砂が水に語りかける。顔を上げたユニは気味悪く口角を上げ、青みがかった白い瞳が細められた。


 〈そうだろうよ 教師がしてるのは思考の上書き 俺達にゲネシスという意識を擦り込もうとしてるんだ〉


 〈そうやって 俺達が俺達であるよりも先に ゲネシスであると思わせようとしてる〉


 〈ユニはそれに 気づいてた?〉


 するすると変わる砂と水に置いていかれないよう火を綴る。紫の火は二つの属性の間で揺れ、新たな水文字によって消されてしまった。


 〈気づいてたよ 相手を自分のいいように動かしたい時の定石だ〉


 〈だから 警戒した〉


 〈そう 授業も出ない気でいたけど バルバノットはどこにいても俺を見つけるんだ〉


 〈教育熱心だね〉


 〈まぁね 教室って箱に収まらず 屋内だろうと屋外だろうと どれだけこっちが声をぶつけても 教師として向き合ってるんだから〉


 ガイン先生とは違った教師像だな、バルバノット先生は。


 私の担任は人の神経を逆撫でるのに長けている。いつもいつでも人の気持ちを刺激して、窮屈にして、棘を溜めさせようと笑うのだ。ゲラゲラと響く声が耳にこびりついて不快でしかない。


 だけど、それは彼が憤怒のクラスを任されて、私が憤怒の守護者ゲネシスに選ばれたからだ。


 教師の仕事は守護者ゲネシスの感情を刺激すること。魔術や体だけではなく、内面までも育てようとするのが”教師”だ。


 私は文字を書こうとしたが、疲労がきたのか指先に魔力が安定しない。揺らいだ紫に焦点を合わせるよりも先に、動いたのは砂だ。


 〈その教師が ユニを野心のゲネシスに変えようとしてる〉


 〈刷り込みって怖い手法だよね まるで自分の意思で道を選んだと思い込ませるんだから〉


 鼻で笑ったユニは苛立たし気に首の痣を掻く。あらゆる暴力で溢れた暴力の輪バディーロアを生き抜いた少年は、一体どんな知識を備えているのやら。底は全く見えないので考えるのはまた今度だ。


 〈バルバノット達はゲネシスに 自分の意思でパラスに仕えられるよう仕向けてる〉


 水が綴った事柄を目でなぞる。私は膝に置いていたモーニングスターのグリップを握り、ウェストポーチのチャックが開いていないことを横目に確認した。マスクの中で乾いた唇を舐めたのは、誰も知らないことだろう。


 水は動き続ける。


 〈だけどゲネシスは他の生徒達よりも 我が道を行く性質を持った奴らだ 思考の刷り込みだって簡単じゃない〉


 〈だから授業をしてるんだろ 限定された場所で一定時間拘束し 一対一で考えを流し込む 教師と生徒という立ち位置は思考形成に便利だ〉


 鱗の生え揃った腕が動き、鋭い爪がノア自身のこめかみを叩く。片目を細めたユニは視線で頷き、水を宙で遊ばせた。


 〈ゲネシスと元候補者達を別々の教室に分けてるのも それぞれの役割を擦り込むためだろうね〉


 〈そうして それぞれが自分の役割に無意識になじんだ頃 パラスにとって必要な感情が溜まった時 殻が割れる〉


 赤い爬虫類の瞳と、青みがかった白い瞳がこちらに注がれる。顎を引いた私はモーニングスターの棘を撫で、第三グラウンドの火柱を思い出した。


 轟々と燃える火柱はうるさいだけだった。熱くなければこちらを燃やすこともなく、ただ周りの騒音を火種に燃え上がる。


 〈あの時 思ってた〉


 指先に熱を溜めて、宙を燃やす。火を置いていく。


 紫の火は、私から生まれた感情だ。


 〈彼の火柱は 憤怒じゃない こんなもの ライラにはふさわしくないって〉


 確かに私の脳裏をかすめた考えがあった。


 うるさくて、うるさくて、苛立たしくて、腹の底から感情が燃えてしまって。私に痛い言葉を吐く相手が、自分を正当化して怒っているだけの相手が、憤怒の守護者ゲネシスになれるはずないと、思っていたんだ。


 私はあの時、あの場に生まれた騒音を許せなかった。嘲笑も応援も煩わしくて、静けさが欲しくて、それをくれない火柱に更に苛立って。


 〈絶好の機会だったわけだ〉


 水が目の前で弾ける。視線を上げた私が見たのは、波のない水面を思わせる白の双眼だった。


 〈ガインは気づいてたんだろうね ライラがもうすぐだって アイツ 嬉しそうに声を上げてたから〉


『言っただろう! 聞いていただろう! って! それが今日だった! それが、今だった!!』


 耳の奥でガイン先生の声が木霊する。私は反射的に耳を撫でて、視界の端で狼の尾が揺れる姿を確認した。


 〈一体生まれちゃえば あとは連鎖させるだけ ライラが他のきょうだいを焚きつける 早く生まれるようにって〉


 〈問題は生まれた後だ〉


 ノアの砂がわずかながら固さを孕んだ気がする。


 灰色の人外は赤い双眼を細めて、林の霧が濃くなった気がした。


 〈ゲネシスの意識を擦り込んで 俺達自身を消して それで何がしたいんだ〉


 〈頂点になる素養で選ばれて 魔術も向上させられて 衣食住も完璧 そうした上でゲネシスとしての意識を持たせる さながらここは養成所だった なんて 簡単な言葉ではくくれないだろうね〉


 砂の疑問を止めどなく流れる水が流していく。私は空中で繰り広げられるやり取りを読み込み、背中を冷たい汗が流れた。


 私達には各クラスのトップになる素養があった。それぞれのクラスは、守護者ゲネシスになり得るかもしれないと異界から選ばれた、云わばエリートの集い。その中でも私達は輝く原石とでも例えようか。


 魔術を使えるように育てられた。パンデモニウムの魔術や魔力の相性、今まで知らなかった知識もパンデモニウムでは普通で当たり前だからと、授業をされた。先導者パラスに仕える守護者ゲネシスとして、魔力量と魔術が求められたから。


 あまりにも整えられ過ぎた衣食住。清潔な服。豊富な購買。守護者ゲネシスというだけで与えられるお金。あまりにも美味しい食事。豪奢な寝床。


 刺激される感情。塗り替えられていく思考。適応を余儀なくされた体。


 整えて、整えて……整えられた、私達ゲネシス


 私は数日前のノアの文字と、今の話の中で流れていったユニの文字を思い出し、背中の寒気が増大した。


 〈イグニ?〉


 ノアの砂が私に問いかける。どうかしたのかと。


 これは、嫌な予想だ。消さないといけない。嘘でなくてはならない。


 私はノアからユニへ視線を移し、白い瞳が細められた。


 気づいたか、とでも示すような視線。動きかけた私の指先を水が濡らす。不用意に文字を綴ってはいけないと、水が教えてくれた。


 〈仮説は色々立てた それを確認するためにも 第四階層には行く必要が〉


 そこで、砂が水を食い潰す。


 ユニも私も反射的にノアへ視線を向け、灰色の人外は真っ直ぐ前だけ射抜いていた。


 霧がさらに濃くなる。ノアとユニの姿さえ霞む程に。


「入るのを許可した覚えはない」


 地を這う低音に鳥肌が立つ。ゆらりと立ち上がったノアは、狼の尾を重たげに揺らした。


「学園内で寮以外の個人スペースを許可した覚えもないさね」


 霧が、裁断される。


 鮮やかな切り口はノアやユニの姿を鮮明に覗かせ、気づけば霧が細切りにされていた。


 研がれた刃物の音が林に響き、枯れた芝生を踏む音が一つだけする。


「あ、やっぱり名無しちゃんもここにいたんだ。ユニくんとノアくんと密会かな? 今年の憤怒はやるねぇ。ただし不純異性交友と身体欠損だけはやめてね」


 いつか聞いたような言葉に肌を撫でられる。


 ノアの霧を割いて現れたのは、包帯浮遊教師、モズ先生とガイン先生だ。


 モズ先生は今日もふわふわ浮いている。黒いコートの裾からは包帯の端がチラついた。


 ついでに見えたのは、鋭いハサミの先である。


 足の代わりに生えた大きなハサミ。それがコートから見え隠れした。


 濃くなりかけたノアの霧。しかし瞬きの間に切れ目が入り、モズ先生のハサミが澄んだ金属音を立てた。


「ノアの第一属性は土さね。それを考えればよく出来た霧。上々上々。空が専門のワシが担任をしてやりたいくらいさね」


「ヨドに締めあげられるよ」


「はっはっは、それは勘弁さね。あの白い体を切り刻みたくはないさね」


「埋まるか斬るか、どっちが早いか見ものだけど、それは生徒を卒業させた後にすべきだね」


「最もさね」


 紫の魔物がにこやかにモズ先生を小突く。浮遊教師は裾の中に大バサミを隠し、風船の如く揺らめいた。


 ノアの指先が微かに動きかけて、やめる。


 ユニも私も土のスツールから立ち上がり、腐葉土の香りを拾った。


 ガイン先生は私で焦点を絞り、軽い調子で近づいてくる。


「なんのお話してたのかな? なにか困り事なら先生がいくらでも相談に乗るのに」


 腰を折って私と目線を合わせた紫の教師。


 私はモーニングスターを握り締め、喋る魔族に向かって振り抜いた。


 下から上へ。鋭く振った鈍器は先生をかすめもしない。残像が残る速度で体勢を直立に戻して避けた先生は、人ではないのだとまざまざと突きつけてきた。


「今日も名無しちゃんは苛烈だな。でもそうでなきゃ、ライラの守護者ゲネシスじゃないよね。我が道を進まないと」


【" なら俺達が勝手に密談してるのも、我が道を行く褒められた行為じゃない? "】


 ユニが痣を撫でて声の圧力が一気に上がる。息を止めて気持ち悪さに耐えた私は、こめかみに浮かんだ冷や汗を垂れ流した。


 ガイン先生は微笑みを崩さず、モズ先生はユニの背後に回り込む。


「褒めるかどうかは、話してる内容によるさね」


【" 内緒だよ。思春期なんだ、ほっといて "】


「健全で健康でいてくれなくては困るさね。生徒の体調管理も教師の立派な仕事さね」


【" 過干渉は嫌われるよ "】


「生徒に嫌われるのが教師の仕事さね」


 ユニの言葉をモズ先生はゆらりふわりと躱している。こちとら飛び火した声に内臓が締め上げられているのに、涼しい顔の教師達は流石と思えばいいのか。


「第四階層はライラが行きたいって言えば行けるよ」


 視界いっぱいに紫が入り込む。


 ガイン先生の顔が目の前に迫る。


 瞳孔を細めた魔族は、私のマスクを柔く押した。


「行きたいって、言えばね」

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