図書と宣伝
無事に買い物を終えた途端、ユニに首根っこを掴まれた。雨でびしょ濡れの少年は【 暑い暑い無理~ 】と口にしながら路地を変え、熱気が一気に消えていく。本当にどうなってるんだ、このエリア。
水が滴るユニは軽く指を振り、濡れていた髪や衣服が渇いていく。宙には水球が作られ、ユニが完全に渇いたところで地面に落とされた。彼が纏っていた水分を集めたのだろうか。魔術ってやっぱり便利だ。
【 あ、赤ちゃんには原理分からないことしちゃったね。説明しようか? 】
目も口も糸のように細めたユニ。嘲笑う声色に神経を逆撫でされ、吐き気を覚えたのは必然だ。アークさんのお店でのことを根に持っているのかな。
私はユニを数秒見つめ、首を縦に振る。私にとって魔術はまだまだ分からないことだらけだ。属性は違えど原理の一端を教えてもらえる機会があるならば便乗するしかあるまい。
このままでは私は
予想に反して私が素直に頷いたせいか、ユニの顔からスッと笑みが消えた。かと思えば勢いよく眉間を押され、私の頭に衝撃と痺れが走る。何故。
【 素直に頷かれると教える気失せるんだよね。だから教えなーい 】
天邪鬼にも程がある。
あまりの身勝手さに私が視線で抗議すれば【 そうそうその目、その目がいいよ 】と頭を叩かれた。真上から。ガイン先生もそうだが、先生やユニは私の頭をボールか何かだと勘違いしていないだろうか。
帰る気分になったらしいユニにポニーテールを掴まれて歩く。手綱じゃないんだ。やめて。
ユニの腰に膝蹴りを入れようとしたら難なく躱され、私の髪が自由になった。何度か頭を振って髪を整える間に、ユニが開けた箱から白いスピーカーが飛び出す。何回見ても嫌な代物だ。
【 今日は良い玩具を見つけたよ。学園に帰ったらこれで遊ぼうよ、イグニ 】
絶対嫌だが?
首を横に振る私に対し、ユニは口角を上げるだけだった。
……絶対遊ばないからな。
***
学園に帰る場合、いくつかある道を使えばいいとガイン先生は指示した。指定された服屋の裏とか、橋の下とか屋根の影とか。どこも分かりづらい陣が隠されており、教職員と生徒以外は使えないのだとか。
私とユニが一番近かったのは肉屋の壁。何の迷いもなく陣に手をついて消えたユニに続き、私も陣に触れた。すると一瞬の光の後にヒールが質感の違う地面を踏み、図書室の書庫だと数秒遅れて理解する。
【 へぇ、肉屋は書庫。本当に色んな場所に通じてるんだな 】
少しだけ感心したようなユニの声に息を吐き、日が射さない造りになっている書庫から出る。今は恐らく授業中なのだろう。誰も利用者がいない図書室はあらゆる本が棚に入れられ、時には逃げ出して宙を舞っている本もあった。
パンデモニウムに来てから驚くという感覚が麻痺している気がする。巨大な虫取り網を持って本を追いかけているのは頭がおかしい司書さんだ。内面的な話ではなく、物理的におかしい。
図書室には三人の司書さんがいる。全員白いパンツスーツ姿で首がない。それぞれ月・星・太陽の模型のような物が人間の頭の部分に浮いている。異形の中でも異形頭に分類される個体だとガイン先生は紹介してくれたっけ。
太陽の先生がふと立ち止まって手を振ってくれる。その奥ではおちょくるような動きをした本を捕まえきれず、月の先生と星の先生がぶつかっていた。大変そうだ。
ここの司書の人達が喋っている姿は見たことがない。まず口があるのかどうかも分からないのだが、彼らだけを見ればノアと同レベルの「喋らない相手」でいてくれる。
しかし、残念ながらここは霧深い林のような安らぎはない。
司書の人達がどれだけ静かでも、収蔵されている本達がうるさいのだ。
「有尾種族も着られる! 服のコーディネート大全! 第一章服の種類! 魔族が着る服には多様性が求められる。その中でも繊細な微調整が必要とされるのが有尾種族で――!」
「歴史学入門書! 第三章 パンデモニウム創立の歴史! 未来創造学園都市を創ったのは
「ちょっと困ったなと感じたら 読んで調べる異種族言葉の表現! はじめに! パンデモニウムには異界者同士が暮らす上で言語理解・自動翻訳の魔術が施されている。しかし、それぞれの世界の表現には違いがあり、誤った交流が起こるのは日常的なことで――!!」
燃やしたい。
自分にはこんなことが書かれている。だから読め。ずっと本棚にいるなんてつまらない。
そう主張する本達はあっちで喋り、こっちで喋り、司書さん達をおちょくって飛び回る。最悪だ。
私は掌が熱くなるのを感じる。基本的に図書室に近づかないようにしているのは、耐えかねた私の魔力が全ての本を焼くかもしれないからだ。ガイン先生は「耐火魔法かかってるよ」とか言っていたが、そんなの知ったことではない。
燃やせないようにされているならば、その呪いを破り、燃えるまで燃やし続けるのだ。
そんな思考を説明すれば「最高!」とガイン先生に指をさされたので、彼の手を叩き落とした。まだ記憶に新しい出来事だ。
【 今日もうるさいなー 】
なんて笑っているユニの腕を掴んで図書室を後にする。司書さん達は騒ぎまくる本に弄ばれており、今度は星と太陽がぶつかった。
耳に残る本のざわめきを消そうと眉間に力が入る。耳栓しておけばよかった。今更したって隣にいるのはユニだから無意味か。
溜まる苛立ちと疲弊を感じていれば、ユニのヒールが軽い調子で床を鳴らした。
【 そう言えば、イグニってどういう経緯で
ユニがスピーカーの入った箱を開閉する。下手な脅しよりも効く動作に、私の胃のあたりが重たくなった。経緯なんてあって無いようなものなんだけど。
ユニの手を取って掌に指を置く。さらさらと、端的に。コイツがさっさと興味をなくしてくれますように。
〈教室に入ったら喋ってたんで 全員罰しただけです〉
【 待ってメチャクチャ面白いんだけど 】
駄目だ失敗。コイツが喜ぶような情報しか提供できなかったらしい。事実しか書いてないのに。
【 一人で全員倒したの? 魔術とか何かしらの力を使う奴もいたでしょ。それを? 一人で? 】
青みがかった白い瞳は私を射抜く。内臓を抉って、内側を晒すことを促す視線だ。見られるだけで痛みが走った気がする。
頷いて肯定を示せば、ユニは堪えきれなかった風に笑った。
【 相手の情報ゼロで殴ったの? そのモーニングスターで? どうすれば絶対勝てるとか、敗北を認めさせられるとか、弱点は何だとか、戦う前に考えることなんていっぱいあるのにさ 】
〈喋っていたので〉
ツラツラと喋るユニに嫌気がさして、思ったままを書く。
教室に入ったら喋っていた。ここが喋ることを許された世界だなんて夢にも思わなかった。
だから殴った。だから罰した。
〈そうしろと 私は教わって生きてきました〉
喋る者は罰しましょう。
世界が壊れるその前に。
悪の芽は、摘みなさい。
それは間違いではないって思う。パンデモニウムに溢れた言葉は小さな棘を沢山隠して、時には鋭利に飛び交って、たまに重たく残るのだから。
『口なしの化け物が』
言葉は痛い。声は痛い。だから喋り続けることを許せば、いつか世界は壊れてしまう。
私がもっと強ければ、ユニのスピーカーを売っていた店にいた魔物達は倒れなかっただろう。
私にもっと力があれば、ユニを罰することだって、ガイン先生を黙らせることだって、何だってできるだろう。
強くなりたい。
強くならなければ、私のモーニングスターはただの飾りに成り果てる。
罰しなさい、守るために。壊さないために、壊しなさい。
罰するという暴力であり、守るという暴力ではない行為を、続けなさい。
【 君は真面目すぎる 】
見上げたユニの両目が、一つの感情では表しきれない色をする。
【 もっと狡くならないと 】
握られた手が痛い。硬いマメが皮膚を圧迫する。
私は思わずユニの胸を指さし、そのままウェストポーチを指し示した。
白い瞳は二回の瞬きの後、いつも通りよく分からない雰囲気で弧を描く。
【 俺はこの声で全員折ったんだよ。最初の頃は喋れない風を装って。ちゃんと観察してからね。耳がない奴はいないかとか、あの人外みたいに耐性がありそうな奴はいないか。確実に全員を倒せる時はいつかって 】
私の手を離したユニは人のマスクを軽く弾く。反射的に目を瞑った私を銀色は嘲笑った。
【 流石は物理の暴君。そのまま魔術については赤ちゃんのままでいてくれたら楽だけど、魔術を覚えたイグニを屈服させてこそかなぁ 】
ユニのピンヒールが床を鳴らす。火傷の頬が歪に上がっているのが見える。
ウェストポーチの中では、卵のライラが笑っている気がした。
【 あ、 】
ユニも腰に目を落とし、鼻で笑う。どうやらフィロルドも揺れたようで、この卵達に会話は筒抜けなのだと実感した。
【 コイツらはいつ孵るんだろうねぇ 】
さぁね。
私は首を傾けてライラを出す。赤紫の卵からは火の粉がこぼれ、マスクをかすめていった。
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