集合と違和感
グラウンドで遊びたがるユニを転移教室へ押し込み、寮へ帰還する。どうしてこの道中だけでモーニングスターを振り回し、人の内臓をガツガツに殴る声に応戦しなければならなかったのか。疲れた。もう眠りたい。
疲弊した私と軽い足取りのユニ。対照的な私達が帰った玄関先のスペースでは、残り四人の
「あ! イグニ、ユニ! おかえりなさい!」
床を蹴ったフィオネが浮かび上がる。白い頬は血色がよく、桃色の瞳は今日も輝きっぱなし。目の前に着地した彼女は満面の笑みで今の状況を教えてくれた。
「私とノアが一番に帰ってきたと思っていたんだけどね、先に帰っていたのはメルと湊だったの! あらあらって私思ったわ! だってメルのペアはユニで、湊のペアはイグニだったはずでしょう? もちろん、色んな人と関わって行動できるのは社交性があって好きよ! ノアは二人にどうかしたのかって質問してて、湊が色々なことを考えてペアを変わったって知ったわ! 臨機応変な態度って素敵よね! 好き!」
ふわふわあまあまキラキラと。
身振り手振りを交えたフィオネは踊るようだ。脹脛の羽根は勢いよく羽ばたき、少女の爪先が浮いている。
好意の弾丸をもろに喰らった腹部を擦り、隣のユニを確認する。私はフィオネの銃撃もユニの散弾銃も嫌いなのだが、言葉で真逆の行為をしている二人は互いをどう見ているのか。
フィオネは全力スマイルで第二階層のことを教えてくれる。楽しかった。色んな人がいた。でも頑張って喋らないようにした! スー先生に言われたから! でも買い物をしたお店の人には喋ってしまった!! その度にノアが止めてくれた!!! ……はぁ。
屈託のないフィオネから再びユニへ視線を向ける。青みがかった白い目を細めた彼は、首にある渦の痣を指先で叩いていた。口角は弓なりに上がり、喋るような素振りは見せない。
……観察してるな。
フィオネの底を探ろうとして、弱みや歪みをつつける機会を伺ってる。そんな目だ。ひしひしと伝わってくる。人の目から意図を汲み取ることを日常としていた私からすれば、こんな目をする奴の傍にはいたくないのが本音である。そうでなくとも近寄りたくない。
強さこそ全ての世界で生きてきた少年は、待っているのだろうか。
ここにいる
それぞれの隙を見極めて、叩ける瞬間を。
「あっ、ごめんなさいイグニ、私!」
喋り続けていたフィオネが手で口を塞ぎ、風がふわりと流れてくる。彼女のポケットから出た金色のリボンは宙を舞い、くるくると文字を結んだ。
〈私 またやってしまったわ ごめんねイグニ ごめんなさい〉
フィオネは自分が喋りすぎだと気づくと、シャワーに打たれた猫のように項垂れる。毛先から表情まで元気がなくなり、泣きそうなのではないかと感じるほどだ。桃色の双眼は伏せられるので判断しかねるけど。
私はモーニングスターを入れた袋を担ぎ直し、白魚の手を取った。
〈第二階層で おしゃべり 我慢したんですね 先生との約束を守ろうとして偉いと思います〉
こちらは
目を瞬かせるフィオネと視線を交差させ、私は一度頷いた。
貴方がお喋りな存在だってことも、それが習慣だってことも学んでるよ。私に合わせて静かにしようとして、我慢しきれなくて、気づいてしょぼくれて。台風のような貴方のせいで、こちらは苛立ちの火が灯る暇もない。
フィオネがもっと煌めいていなかったら。何か裏があるんだろうって感じる子だったら。私のモーニングスターが溶けることもなかっただろうに。
この子の顔を殴れないのは、パンデモニウムに染まったからではない。
この子を罰する気が起きないのは、それをした時に私自身が抉られると気づいているからだ。
もしも私がフィオネの言葉を殴ったら、背中の傷が開くかもしれない。
フィオネの手を離し、柔らかな色合いの頭をひと撫でする。予想に反して彼女は静かなままでいてくれた。
……最初に会った時、殴れていればよかったな。
ガジェットと呼ばれた少年が割って入りさえしなければ、私はフィオネを罰していたのに。
浸透する毒のような甘言が、全てフィオネの計算であれば楽なのに。
私はフィオネの横を通り過ぎ、こっちを向いていた湊に照準を合わせた。
肩から下した袋を開ける。グリップを握ってモーニングスターを振る。
湊は口を真横に結んで両手を合わせたので、私のこめかみが痙攣した。
軽蔑の少年の前で立ち止まる。コイツはどうしてやろうかな。
湊は無言で私を見下ろした。その肩には彼の背を優に超える細身の袋がある。調達できたようですね、目的のもの。
私は意識的に目を細めて、爪先で強く床を鳴らした。固い音は玄関先のホールに響き、湊の合わせられた両手がお手上げのポーズに変わる。
「……ごめんなさい?」
包帯少年が、小さく、こちらの様子を気にしながら口にする。
「って、言ったら……いいん、だっけ」
献身こそ生きがいの子どもが、覚えたての表現を使っている。
私の目の下の筋肉は明らかに歪み、自分が書いた言葉を思い出した。
「イグニには、言うより書く方がいいんじゃないのか」
ノアが湊の背後から顔を覗かせる。彼の赤い目は「大丈夫だったか?」と心配していると伝わったので、大丈夫の意を込めて手を振った。
湊はナイフを出して宙に刺す。しかしそこで首を傾げ、緑の瞳に私を映した。
「でも、教えてくれた時、イグニはごめんなさいって言えばいいって……書いて、なかったっけ」
あぁ……なるほど。
道徳的な使い方なんだが、湊はそのまま受け取った訳か。
私はホワイトボードを出しかけたが、ペン先が渇いていたことを思い出して断念する。書ける物を探す仕草をすれば、メルがぬるりと近寄ってきた。
カップケーキを頬張る彼女はシャツの裾をショートパンツから出す。微かに膨らんだ下腹部に触ったメルは、尖った歯を見せた。
「何か欲しいの……? 与えてあげる、出してあげる……だから教えて、イグニ」
脳内で、メルの腹部から出てきた銛が浮かぶ。
眼鏡の向こうで爛々と輝く瞳は拒否を望んでいないだろう。
私は数秒考えた後、メルの掌に〈ホワイトボード用のマーカー〉と綴った。
メルの目元が一気に赤みを帯びる。
「我、望むはマーカー。対価によって顕現せよ」
細い指が下腹部に沈み、赤茶色の液をまとったペンを引きずり出す。滴った液は床に落ちる前に蒸発し、私の手には綺麗なマーカーが置かれた。
メルの下腹部は、元の平たい状態に戻っている。
「あげる……あげるよイグニ。私があげる。なんでも言って……ポワポワの購買に行かなくたって、私はなんでも……与えられるから」
瞳孔を開いたメルに両手を握られる。ペンを持った私の手はいいように包み込まれ、メルの指はギリギリと力を込めた。
【 へー、面白い。メルはなんでも出せるの? 錬金術的な? それ元から持ってる能力? 気になるなー 】
背後から音もなく忍び寄った害悪声帯者、ユニ。私は全身に鳥肌を立て、メルの目元が一気に淀んだ。
「錬金術じゃない……お金だって作っていいし……命をつくることも、ある」
【 詳しく 】
メルは片手の爪を口元に寄せ、音が立つほど噛み締める。鈍く光った目の奥には明らかな苛立ちが浮かんでおり、それでもユニは飄々と笑うのだ。
私は湊とコミュニケーションを取りたい。だからメルとユニが他の場所へ行くか、私と湊が別の場所へ行くかしたほうがいいと思う。とりあえず人の頭の上で喋るのをやめてくれ。不快極まりない。
ふわりと浮かんだフィオネが湊の傍に寄り、包帯少年は彼女の手を取る。風船のように浮かぶフィオネは輝く笑顔を浮かべ、花を飛ばす雰囲気を醸し出した。
「ありがとう湊! 湊の手って包帯がいっぱいで、それがとっても綺麗だわ! 好き! 握り方も優しくて好きだし、ちょっと指先が冷えてるところも可愛くて好きって思っちゃうの!」
「あぁ……うん、ありがとう」
【 ねーぇーメールー 】
「ユニに教えて……いいこと、なさそう」
【 はは、酷いな 】
なんで
私の胃が不快だと痙攣し、俯瞰する目をしたノアの周りでは砂が少しだけ宙を泳いでいる。
徐々に後頭部が熱くなってきた私はモーニングスターを握り直し、爪先を強く床に打ち付けた。
「はいはい
「課題の成果発表をしよう」
玄関を開けて登場したのはガイン先生とバルバノット先生。
ホールの一か所に集まっていた私達を見て、二人は首を傾げていた。ガイン先生の声は変わらず、愉快げだ。
「なんだみんな仲良しじゃん」
こめかみで何かが切れる。
足を踏み出し、肩を回して。
全力投球したモーニングスターは、いとも容易くガイン先生に受け止められた。
「名無しちゃん疲れてるかな~って思ったけどそうでもなさそうだね。元気そうで何より」
「……ガイン、悪い癖だぞ。火に油を注ぐ物言いは」
「火属性なんだから火を大きくするのは得意なんだよね」
バルバノット先生の溜息に、モーニングスターでスイング練習するガイン先生。
察したらしいノアに抱き上げられた私は、同級生を振り切る強さも、先生を罰する力もない、
〈イグニ 相手は先生だから 落ち着こう〉
「名無しちゃん病院嫌がる子魔物みたいだね~」
ガイン先生はいつか殴る。あの軽口を罰してやる。絶対に、絶対に……ッ絶対に!
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