声圧と膨張


 ゲラゲラ笑うガイン先生に集会室へ行くよう促され、それぞれ集会時に座った場所へ着席する。ユニの隣は嫌なんだけど、この並びはいつ誰が決めたのか。


 不満を飲み込んでいるとバルバノット先生の声が飛んだ。タイムスケジュールくらい貼り出してほしいが、そんな考えは伝わらないと知ってるよ。


「それでは、それぞれ課題の物について説明してくれ。まずはユニから」


【 はーい 】


 ユニが上着のポケットから出した掌サイズの箱。長方形のそれを開ければ空中に三つの白い球体が飛び出し、ユニは楽しそうに指を振っていた。


 バルバノット先生の目に諦めが浮かんだ気がする。フルアーマーの人外だから恐らく、ではあるけど。


 私は無駄な抵抗と分かりつつ耳栓を深く押し込み、ユニは手首につけた白いブレスレットを口元に寄せた。


 もう片方の手は、首の痣を撫でながら。


【” 俺が準備したのは浮遊スピーカーだよ ”】


 や


【” マイクを通して俺の声を遠くまで運んでくれる。スピーカー越しでも俺の声が伝わるのは実験済みなんだー ”】


 は ゛


【” 魔力で繋いでるから操作も簡単、威力は三倍。良い物見つけちゃった ”】


 ぃ ッ


 意識に亀裂が入る。


 頭の中が砕かれる。


 強烈な寒気と圧迫感に体幹がぶれ、気づけば体が横に流れている。


 私はモーニングスターを床に叩きつけることで倒れることを阻止した。顔から噴き出した汗だけが、負けて流れて落ちていく。


 甘く見ていた。


 娯楽エリアはお店の扉を開け放っていたおかげで声の反響が弱かったが、ここは完全な室内。扉も窓も閉まった空間で、ユニの声が四ケ所から出力される。しかも操作者の悪戯によって、壁に反響する位置にスピーカーが浮いていた。


 三倍とか、そんな域ではない。


 反射を繰り返した声はどこまでも圧を強め、私達を潰すプレス機と化した。


 バルバノット先生はユニの口を後ろから塞いだが、時既に遅し。


 湊は常備しているのであろう嘔吐袋に顔を突っ込み、フィオネは胎児のように体を丸めて宙に浮いている。


 メルはウェストポーチから出したお菓子を袋ごと口に詰め、ノアは珍しく深く息を吐いていた。


 私はなんとか正常に座り直したが、未だに背中が重くてならない。異物感を強めるだけの耳栓は外し、開いた足の間にモーニングスターを立てた。床が傷つこうが知ったことではない。


 石突の部分で重ねた両手の甲に額を乗せる。呼吸、呼吸……深呼吸。


 落ち着け。


 負けるな。


 こんな声に、屈するな。


「うっわ強烈。湊くん平気? 次いける?」


「吐いた喉の痛みも優しい人であるために必要だよね。これも経験。ありがとうユニ」


「あ、通常運転だったか」


 ガイン先生が湊の背後に立ったが、声を掛けられた少年はすぐに顔を上げた。焦点が定まり切っていない緑眼はユニに向かい、声帯圧制者は目元に弧を描く。底意地の悪そうな笑みだ。口をバルバノット先生に塞がれたままなのに全く安心できない。


 ユニの目はすぐに開き、平然と歩き続けるガイン先生に向かった。


 紫の毛先を遊ばせた教師は、目と口をぎゅっと瞑って浮いたフィオネを笑っている。


「フィオネちゃん下りておいで~。次は君に課題発表して欲しいんだよね。湊くんまだ胃痙攣させてるっぽいから」


「胃の痛みとか久しぶり。やっぱり内臓の痛さも継続的に学んでいないと忘れちゃうな。ユニもう一回さっきのしてくれる? 俺もまだまだ優しさが足りないみたいだから」


「ねぇバル、これモズの奴連れてきた方がいい? 湊くん一切周りの声聞こえてないんだけど」


「様子を見る。フィオネ、下りられるかい」


 バルバノット先生は顔を上げ、浮きっぱなしのフィオネを確認する。


 フィオネの声は、聞いたことがないほど困惑に濡れていた。


「わ、わたし、私、どうしよう先生、私、私ね、あのね、ちゃんと、ちゃんとしようとしているの。でも、でも出来なくて、見つからなくて、そう、そう。とっても素敵な丸い形、可愛い見た目、自由に飛ぶなんて素敵なスピーカーね。どこまでも声を、届けて、って、ぁ、ぅ、すてき、素敵、すきよ」


 フィオネの体が安定しない。脹脛の羽根は細かく震え、突然体が落下した。


 重さを思い出した体はガイン先生に受け止められ、フィオネの白い顔がより血の気を失う。


 ガイン先生は「うーん」と顎を上げた後、私の方へ振り返った。


 ……嫌な予感がする。


「今日は逆回りしようか。名無しちゃん、次よろしく!」


 無茶ぶり反対だよスパルタ教師。


 私は力の入れ方を忘れた太腿を意識し、無理やり右足を上げる。それは自分を鼓舞する為に。


 床に勢いよくヒールを叩きつける。衝撃が踵から足を這い上がり、私の体に力を入れた。


 鼓舞を糧に立ち上がる。立ち上がれと己に響かせる。


 立て。背筋を伸ばせ。負けるな。声に負けるな。言葉に負けるな。声に屈服なんてしてなるものか。


 横目にユニを確認すると、底の見えない瞳が愉悦を浮かべていた。


 私はウェストポーチから掌サイズのコロンを出し、まずは頭の上から吹きかけた。


 微かに紫の火の粉を纏った霧はすぐに見えなくなり、上着やワイシャツ、ショートパンツからショートブーツの先まで満遍なくかけておく。


 それから私は左手に意識を集中し、皮膚の下を流れる魔力を感知する。


 流れるそれは火の原料。害を与えない私の熱量。


 燃えても私の腕は燃えない。火が私を傷つけることなんてない。


 言い聞かせて、掌から紫の火種をこぼす。その出力範囲は掌から手の甲、手首、前腕まで伸びて、私の左腕は紫の炎を発現させた。


 私がしている、私の魔術。基礎の基礎。炎を纏う。ただそれだけ。


 それでも私の服は燃えない。ワイシャツも上着もそのままで、捲れば燃えた腕が見える。


「耐火香水か」


 バルバノット先生を見て、一度頷く。ワイシャツの右袖は音響機材のお店で焼けたままだ。


 上着を脱いで両腕を見せる。勢いよく燃え続ける左手と、焼け焦げた袖に守られた右腕。


 フィオネを座らせたガイン先生は満面の笑みを浮かべた。


「いつも火に強い靴や体操服を着てたもんね。でもそれがあれば魔力が暴発しようとも、服に耐火魔術をかけなくても大丈夫ってことか」


 意を汲んでくれたガイン先生に頷く。それだけこちらの考えが読めるのなら毎日読んで欲しい。いや、読んでいるけど無視してるんだろうな。そういう先生だ。最低。


「まぁ魔術初心者の名無しちゃんには大事なやつだよね! 買ったのはそれだけ?」


 私はモーニングスターを指さす。ガイン先生は数秒だけ紫の瞳孔を細めると、切り替えたように笑みを浮かべた。この人の表情、上手く読めたことがないんだよな。


「モーニングスターにも耐火性能をつけたのか。靴や上着にもちょっとずつ細工をしてるね。いいよ、名無しちゃん」


 いいかどうかは知らないが、今の私に必要な物はこれしか思いつかなかった。魔力が爆発する度に制服を燃やすなんてこりごりだし。モーニングスター以外の武器は考えられない。


「じゃ、身の周りを強化した記念に一個魔術を使ってみるよー」


 ガイン先生の無理難題に肩が跳ねる。目は勝手に丸くなった自覚があり、そのままガイン先生の声に意識を集中するしかなくなった。


「そのモーニングスターは名無しちゃんの一部だよ。君の腕であり、足であり、拳だ。だからそこにも魔力を通そう。ゆっくり纏わせよう」


 両手でモーニングスターを持ち、喋っている口を見たくないから目を伏せる。喋らないで欲しい。私に声で教えないで欲しい。


「君はライラの守護者ゲネシス。憤怒の炎だ。燃えていよう、熱していよう。その火は守護者ゲネシスである君が開花させて、先導者パラスの為に使うべきものだ」


 喋らないで、言葉で語らないで。それでもこの世界にはそのやり方しかない。知ってるよ。だから我慢して聞いて、我慢して習って、我慢して、我慢して、我慢して――


 ――いつまで?


 いつまで私は、我慢したらいいんだろう。


 この先一生、この世界で、パンデモニウムで、我慢し続けなければいけないの?


 喋り続ける人達に囲まれて、私は喋らないままで。


 ねぇ、待って。


 私の未来は何処へ向かうの。


 私は、何処に向かって歩いているの。


 体の奥底が熱くなる。魔力の流れが早くなる。分かってる、分かってる。制御しないといけない。鎮めないといけない。分かってる。分かってるのに、止まらない。


 私はいつまで……いつまで、


 揺れる。


 ライラが。


 ウェストポーチの中で。


 私の先導者パラスが笑ってる。


 溢れる魔力がモーニングスターを流れていく。


 私が与えられた、罰する為の武器に、火が宿る。


「イグニッ!」


 ノアの鋭い声がする。


 瞬間、持っていたモーニングスターが紫色にほとばしり、爆発した。


 栓を失った火力が爆風を生んで後ろにぶっ飛ばされる。足は床を踏み続けることができず、上体を保つなんて以ての外。


 気づけば椅子を倒して天井を見ていた。


 モーニングスターが床に転がる。倒れた椅子の座面に引っかかった片足は無様だし、上着は肩からずれてるし、一瞬だけ意識も飛んでいた気がする。前髪なんてぐしゃぐしゃだろう。触らなくたって分かる。


 ……大失敗じゃん。


 疲れた体に諦めが加算されて脱力する。もう立ちたくない。このまま寝たい。寝ようかな。


 転がったモーニングスターは傷一つないが、軽く煙を発していた。


「あっははは! だーいしっぱいだね名無しちゃん!」


 腹の底から笑うガイン先生に覗き込まれる。紫の髪を肩から滑らせた教師はゲラゲラ声を上げ、私の脳裏には〈担任変更〉の文字が浮かんだ。バルバノット先生なら受理とかしてくれないかな。それとももっと上の先生? あれ、パンデモニウムの学園長って誰だっけ。


 ガイン先生は私の肩甲骨の間あたりを持つと、細く見える腕で持ち上げた。脱力しきっている私はギリギリ足がつかない高さで笑い声を浴び続ける。地獄か。


「ま、できるなんて思ってないけどね! 名無しちゃんの魔力操作レベルだと難しいこと言っちゃったからね~」


 は?


【 ほんとに赤ちゃんレベルじゃん。無理な背伸びしたって意味ないんだから、まずは掴まり立ちから始めなよ 】


 ユニが組んだ足の上に頬杖をついて口角を上げる。ふざけた顔だ。人を煽る表情をしてはいけませんって学校で習わなかったのか。バルバノット先生、コイツの口は一生塞いでた方がいいですよ。


「イグニって本当に魔力操作……その、苦手だよね。いや、爆発が得意なの? 自ら危険に挑戦して怪我する姿勢はとても良いと思うよ」


 なんだ湊。どうして君まで私に哀れむような目を向けるんだ。さっきまで吐いてたくせに。言葉を選んだ風で選べてないぞ。私はまだその緑眼にモーニングスターの棘を叩き込むつもりでいるんだからな。


「あのくらいの爆発で飛んじゃうの……軽い、軽いねぇイグニ、かわいい……魔術下手なのも可愛いよ……子猫が威嚇してるみたいで、ほんとに可愛い」


 褒めてないよメル。何も褒めてない。何も可愛くない。その言い草からして、もしや前から私が魔術下手だって思ってたのか? 魔術使えるようになったら喉を焼いたりできるのかな。


「凄い爆発でびっくりしたわ! 苦手な魔術を克服しようと頑張ってるイグニの顔好きよ! 努力できる人って大好き!」


 いつの間にか元気になったフィオネが「好き」を撃つ。さっきまでの不調はどこへやら。キラキラ桃色ガールに戻っているようだ。ところでみんなどこで私が魔力操作下手だって知ったんだ。


「……慣れていくと思うから。大丈夫だよ」


 倒れた椅子をノアが起こしてくれる。彼は私の背中と膝裏に鱗の両手を添え、ガイン先生が手を離した。ノアの精一杯のフォローも空しいだけだ。私の傷口に塩を塗り込む行為でしかない。


 ノアは私は椅子に座らせてくれる。かと思えば頭を撫でてモーニングスターを渡してくれたので、もしや私は犬猫ではなく幼児だと思われているのではないかと錯覚した。


 頼むからそうではないと意思表示してくれ。と、願いを込めてノアを凝視したが、彼は首を軽く傾けて微笑むだけだった。……後でちゃんと書いて確認しよう。


 お礼を込めて頭を下げ、視界の端でユニのスピーカーが箱に戻る様子を見届けた。


「大丈夫かい、イグニ。ガインの教え方は雑だから」


「えー、酷くない?」


 バルバノット先生の目の色が同情を表すように曇る。ガイン先生は満面の笑みを浮かべ続け、不意にノアを指さした。


「さ、名無しちゃんが空気を和ませてくれたところで、次はノアくんが発表してみようか」


「……あぁ」


 ……おいおい待てよ。


 私はガイン先生の側頭部を力強く見つめる。なんなら視線で射抜くつもりでガン見する。


 紫頭は振り返ると、あっけらかんと笑うだけだった。


 コイツ、人を場を和ませる道具にしやがった。


 恥と憤りを込めて立ち上がりかけたが、いつも通り、私はあえなく鎖に捕まる羽目になるのだ。畜生……。

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