魔具と発表
鎖に縛られることに慣れ始めてしまったのだが、これは成長と表現できるのだろうか。正しく表すなら諦めの方になるのだろうか。もう分からない。
私を横目に見たノアに心配そうな色が浮かぶ。だから「平気」を伝えるために首を振り、ノアは仕方なさそうに立ち上がった。発表の続きだ。
彼が取り出したのは一枚のヴェール。黒く透過度の低いそれを頭から被り、紐を角にくくりつけたノアの顔は、おおよそ見えなくなってしまった。
瞬きする。自然な動作で。そうしないと目が乾くから。
その間に、ノアの姿が変わった。
椅子に座っているのは顔を隠した、人間。
鱗の両手も狼の尾も、ねじれた角も、灰色の肌もない。どこにでもいそうな風貌の少年がノアがいた席に座り、腕を組んでいる。
ヴェールは少年の頭を回る形でくくられており、首から口元を隠すマスクが微かに確認できる。
私の頭からは盛大に疑問符が飛び、バルバノット先生は「ふむ」と顎に手を添えた。
「いい魔具を買ったんじゃないか? ノア」
【 ねぇそれなに? なんで完全な狼になっちゃったの? 】
上体を乗り出したユニの言葉で私の疑問符は増える。次いだのは湊の声だ。
「え、蛇じゃないの。狼の要素どこ?」
【 うん? 】
「……全身鱗……硬そう……ドラゴン、
湊とメルの言葉で全員の疑問符がぶつかっている。
フィオネに視線を向ければ、彼女は口角を上げて桃色の瞳を見開いていた。笑ってるのか判断がつかない表情だ。
「ノアはその姿を見せるのね」
桃色の双眼を細めてフィオネが首を傾ける。金から桃へグラデーションがかったおさげは彼女の首筋を撫で、声に覇気が宿った。
「とっても格好いい翼だわ! どこへでも飛べそうですっごく好きよ、羨ましい!」
やはり噛み合わない。
フィオネは満面の笑みで「好きだわ!」と盛り上がり、桃色の双眼が私に向いた。
「イグニにはノアがどう見えてるのかしら!」
と、聞かれても。
私はノアに視線を向けるが、彼はどう見ても人だ。私と同じタイプの人間。
ガイン先生は鎖を緩めてくれたので、私はホワイトボードに文字を綴った。
〈人間〉
【 狼じゃなくて? 】
「ヨド先生みたいな蛇に見えるけど」
「ドラゴン……」
「怪鳥って感じかしら! 強そうだわ!」
全員、見えている姿が違う。
ノアは左腕で顔にかけていたヴェールを上げる。すると一瞬だけ彼の体にノイズが走ったと錯覚し、次の瞬間にはいつも通りのノアが座っていた。
灰色の肌に鼻から首まで隠したマスク。鱗が生え揃った巨大な両手に、銀色の狼の尾。角は後方に向かって伸び、赤い爬虫類の瞳が周囲を見ていた。
「周りの認識を湾曲させる魔具。つけてる奴がこう見せたいと念じた状態で周りに伝えられる。ユニには狼、湊は蛇。フィオネは鷹で、メルは竜。イグニは人」
赤い瞳が黒い前髪越しにこちらを向く。緩く微笑んだ人外の同級生は、角からヴェールを外した。
「何も念じなければ透明になるか、ランダムか。まだ出来ることを把握しきってない。以上」
「いいね~ノアくん。俺に見せてくれた姿はとっても刺激的だったよ!」
ノアの端的な説明に対し、ガイン先生のテンションは相変わらずだ。紫髪の教師はノアの背後に立ち、模範的な笑みを浮かべている。
「流石は虚栄のアデルを任されるだけあるね。本当の君すら分からなくなりそうだ」
「嫌味か」
「褒めてるんだよ」
ガイン先生は軽快な足取りで隣へ進む。
ノアの鋭い爪は微かに制服に刺さり、腕を組むことで何かを堪えるようだった。
私は無意識的に手を伸ばし、ノアの爪に触れる。そうすれば彼の手が微かに震え、赤い瞳が私を視界に入れた。
ごめんね。
ガイン先生がごめん。あの人は他人の神経を踏み荒らす物言いが得意なんだ。そうと知りながらも罰する強さがない私は、役立たずだね。……本当にごめん。
爬虫類の瞳がふっと力を抜いて笑ってくれる。微かに光が入った双眼は優しくて、私も顔の力を抜いた。いつものノアだ。
「はーい次はメルちゃんだね。何を買ったのかな?」
椅子の後方から身を乗り出して、ガイン先生がメルを覗き込む。
メルは音が立つほど爪を噛むと、散漫な動きで先生を見上げた。
セミロングの赤茶が彼女の肩を滑る。そこから覗いたこめかみには、青筋が立っていた。
「私より、大きい……重い……嫌い」
メルの手がウェストポーチに突っ込まれ、ずるりと出てきたのは
刃渡り六十cmを軽く超えた鉈は部屋の明かりを反射する。分厚い刃に木製の持ち手。研がれた刃はガイン先生に向かって振り下ろされた。
鋭く空を裂いた刃物をガイン先生は容易く避ける。
紫の瞳は愉快気に弧を描き、メルの手にある凶器が
一気に刃が伸びて、広がり、亀裂が入る。
まるで獣が口を開けるような形へと変わる。
食いちぎるのか、磨り潰すのか、丸呑みにするのか。
そんな想像が容易くできる刃に対し、ガイン先生は掌に火を灯した。
青く輝き揺らめく火の玉。それを見た瞬間に刃の獣は動きを止め、元の鉈の姿に戻るのだ。
「メルちゃんは生体魔具を買ったんだね」
紫色の先生は掌を握って火の玉を消す。メルは苛立たし気に爪を噛み、脱力した片手は鉈を握り続けていた。ガイン先生は「はい説明開始!」と浮かれたままだ。
「……包丁、研いでもらってたら、いいのがあるって勧められた……それが、これ」
メルが持ち上げた刃には再び亀裂が入り、口のように裂ける。鉈を椅子の背もたれに近づければ、立派な椅子に刃が噛みついた。
豪快な音を立てて砕かれていく椅子の背もたれ。メルは一切手を動かさず、刃がバキバキと動いている。
獰猛な様子に軽く鳥肌を立てた時、メルは鉈を椅子から離した。背もたれは一部が砕けて悲しそうだ。
「いっぱい食べる……でも私より軽い、いいこ」
メルは鉈を頬に当ててぬるりと笑う。刃は笑うように小刻みに揺れ、メルの空気と混ざることで凶悪に見えた。
「躾、出来るって聞いた……だから、教えるの。なんでも食べてって……怖がるなんて、駄目だって」
細い指が刃に爪を立てる。そうすれば鉈は揺れるのをやめ、メルの瞳が細められた。今度は持ち手の方が軽く震えている気がする。
……怖いご主人様に買われたものだ。
私は鉈に同情し、ぬるりと椅子に座り直したメルを見る。赤茶色の少女は膝に置いた鉈を撫で続けており、私の視線はなんとなく湊に向いた。
緑眼と視線がかち合う。落ち着きを取り戻したらしい少年は肩を竦める仕草をし、私は息を吐いた。
「次はフィオネ、いけるかい」
「いけるわ! バルバノット先生!」
溌溂と立ち上がったフィオネ。軽く床を蹴った彼女は宙に浮き、桃色の毛先が柔らかく揺れた。脹脛の羽の元気も戻ったらしい。
フィオネがポーチから取り出したのは、金色の紙の束。紐で止められた文庫本と例えても良い気がする代物だ。
少女は椅子の背もたれに爪先で着地し、体を風に包ませてバランスを取る。今にも浮き上がりそうなフィオネの手の中では本が一気にめくれ、一つのページが千切れた。
金の紙は風によってくるくると寄られ、鋭い棘のようになる。
その切っ先は私の方を向き、桃色の少女は笑っていた。
「いくわよ、イグニ!」
待って何も了承してない。
抗議する間もなく撃たれた。左肩を。紙の弾丸に。
あまりにも突然のことに体を固めていたが、不思議と痛みは感じなかった。
〈かわいいイグニ、好きよ〉
ふわりとした感情が左肩から流れ込み、言葉となって脳内に反響する。
私は瞬時に鳥肌を立て、風が金の紙を回収した。
フィオネの周りでは金のページが何枚も浮き、風によって鋭くなる。
「メルも、湊も。ノアも、ユニも、はいどーぞ!」
照準を定めた紙が四人に撃たれる。メルの左手、湊の右肩。ノアは喉で、ユニは鋭く手の甲で弾き返していた。反射神経どうなってやがる。
「あら、ユニ、私の言葉を受け取ってくれないの?」
【 得体の知れない物を簡単に刺させるわけないじゃん 】
眉を下げたフィオネはふわふわと浮き、ユニは金のページをピンヒールで踏み抜く。メル達からはページが風に回収された。
「声……聞こえたよ、フィー」
「良かった! 私、もっともっと好きを伝えたくて、沢山の人に届ける為の道具が欲しかったの!」
フィオネの手は本を胸に抱え、弾ける声が説明を始めた。
「これは「
重力を無視した少女が宙で舞う。手放した本は風に乗り、柔らかくページをめくっていた。
「私、沢山の好きを伝えたいの。この本はそれを手伝ってくれるわ。私の言葉も想いも乗せて、触れた相手に感情ごと伝えてくれるなんて夢みたい! いっぱい使って、いっぱい伝えていくの!」
本を掴んだフィオネは床に着地し、椅子に腰掛ける。満面の笑みを浮かべている彼女は本当に「好き」の弾丸を手に入れたわけだ。恐ろしい。
「スーが聞いたらなんて言うかな」
「困り果てるだろう」
「あら、スー先生だって喜んでくれると思うわ! きっと!」
顔を見合わせたガイン先生とバルバノット先生が軽く首を横に振る。本を掲げて笑うフィオネとは対照的だ。
私はユニが踏んだページに視線を落とす。金色だった紙は端から朽ちて、その輝きを失っていた。
「最後は湊、いけるかい」
「はい」
立ち上がった湊は背負っていた物から布を外し、黒く美しい弓を出す。
細い弓は光沢があり、弛みなく張られた弦が空気さえも凛とさせた。
湊は弦を引いて目を閉じる。その双眼に何も映さないで何処を狙うというのか。
「廊下側から、右扉」
弓弦が離され、澄んだ音が部屋に響く。
彼は何も放っていない。そこに矢はない。
しかし、集会室の扉が外側から衝撃を受ける音がしたから、私達は同じ方向へ顔を向けたのだ。
「俺が買ったのは矢を引かなくていい弓。弓弦を引いてる間は俺の魔力が届く範囲が見えるようになるから、狙いを決めて、弦を鳴らす」
私に引っかかっていた鎖が完全に解かれ、ガイン先生が扉を開ける。私達も扉を確認すれば、廊下側の右扉に黒い矢が浅く刺さっていた。
「そしたら矢が生まれるんだ。魔力を結構消費するし、矢が刺さる勢いも俺の姿勢に影響されるから、弓の練習は必要だなって思ってる」
湊の声に合わせるように、火傷痕を歪めたユニが黒い矢を抜く。そうすれば崩れるように矢はなくなり、銀髪少年は肩を揺らすのだ。
【 全員、いい玩具を買ったんだね 】
コイツにだけは言われたくない。
ガイン先生は拍手しており、バルバノット先生は顎を撫でていた。
「第一属性にあった魔具が見つかってよかったね」
「モズは渋い反応をするかもしれないがな」
「モズ先生は……いいです、別に。ちゃんと説明しておくので」
湊はウェストポーチに弓をしまっていく。見えている容量と入っていく質量が合わない光景は頭を混乱させるものだ。
「それじゃあみんな、お疲れ様。これにて第一回の校外学習は終わりだよ」
「明日以降の授業には、それぞれ今日買った物を持参するように」
先生達はそれだけ残して去っていく。来るのは唐突、帰るのも素早い。何を考えているのか分からない先生ばかりだな。
私は扉こ矢が刺さった跡を見て、狼の尾に足を撫でられた。
見上げた先には赤い爬虫類の目があり、視線が合うと柔和に細められる。
その表情とユニが語っていたノアが結びつかなくて、私はやはり、首を傾げてしまうのだ。
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