適温と不一致
【 ねー、どっちがいいと思うー? 】
音響ショップの店員さん達には誠に申し訳ないと思う。本当にごめんなさい。こんな災害野郎を連れてきて、私に罰する強さがなくて、ごめんなさい。
【 こっちは拡散範囲が広くて面白そうだよね。でもちょっと大きいし形がいまいちかなぁ。持ち運びしにくそうだからそこもマイナス 】
たまたまショップに来ていた魔物達にも本当に申し訳なく思っている。今日この時間、偶然居合わせただけの彼らに罪はないだろう。
【 やっぱこっちかなぁ。マイク小さいし、スピーカーが飛ぶのって面白いよね。これスピーカー三個ついてくる? って、起きてる店員いなかったー 】
店内に容赦なく響くユニの声。出入口が大きく開け放たれていることは幸か不幸か。あぁ、店の前を歩いていた魔物が倒れた。ごめんなさいバルバノット先生。本当にごめんなさい。
床には店員さんもお客さんも入り混じって倒れている。魔物達の荒い呼吸を上書きするユニの声に容赦はなく、彼がいる場所とは正反対の位置で声の響きをチェックさせられている私も地獄だ。そろそろ吐きそう。
今すぐにでもユニの喉にモーニングスターを叩きこんで罰したいところではあるが、現実は無情。
ユニが言った通り、魔術を使われると私は弱い。
私の両足首に巻きついているのは水の鉄球。【 ここ立って音量チェックしてねー 】とユニに立たされ、床に亀裂が入るほどの足枷をつけられたのだ。なんだよこの水どうなってる。おかしいだろ。
ショートブーツを超え、ニーハイも通過して冷たさを感じる。太腿には鳥肌が立っている気がするが確認する気力などなかった。なんでこんなに冷たいんだよ。
【 イグニ 】
耳元でユニの声がダイレクトに聞こえて鳥肌が立つ。いっそ蕁麻疹と表現しても差し支えないレベルで肌が泡立ち、左膝の力が抜けた。
モーニングスターを床に叩きつける。武器を支えになんとか崩れることを防ぐ。
私の顔のあたりには白くて丸くて小さいスピーカーが浮いており、ユニの眼球が飛んでいるのかと錯覚した。悪趣味だ。
【 聞こえてるみたいだし、
ユニの左手首でブレスレットが揺れる。どうやらそこにマイクが内蔵されており、白いスピーカーは自由に宙を飛ぶらしい。
三つの球体はユニの周りをふよふよと浮遊している。おかげでユニから離れた場所にいてもあの声が聞こえるのだ。
鬼が金棒を持ってしまった。
あのスピーカー達の移動可能範囲なんて分からないが、絶対に買うべきではない奴が最低な玩具を手に入れてしまった。
レジらしき所に代金を置き、ユニは長方形の箱を開ける。ふわりと集まったスピーカーは大人しく戻り、ユニは音を立てて蓋を閉めた。
彼の手首で白銀のブレスレットが揺れる。水の足枷は一気に蒸発し、私に自由が戻ってきた。
考えるより先に私の足が床を蹴り、ユニとの距離を一気に詰める。
【 次はイグニの見ようか。いいお店見つけてくれてありがとねー 】
店先で笑うユニにモーニングスターを振り被る。今さら罰したって遅いけど。倒れている魔物達の為にも、これ以上被害を増やさない為にも。やはりこいつは殴った方がいい。頑張れ私。負けるな私。
【 これって威力倍になったりするのかな 】
モーニングスターが地面を砕き、躱したユニの上着が視界に広がる。彼の手の中にあった箱は開き、私の頭を取り囲むようにスピーカーが飛んだ。
【 落ち着けイグニ 】
三方向。
いや、ユニの声も聞こえているから四方向。
ユニの声が私の体内に殴りかかる。人の柔らかい部分を狙って破裂した音声は、私の気骨を折りかけた。
いっそ折れたら楽なのに。背後の魔物達のように私も倒れてしまえたら、ユニは私に興味を無くすだろうに。
それでも。
倒れてしまえない私がいる。
負けるなと、折れるなと、叱咤する自分がいる。
害を振り撒く奴に負けるなんて許せないと、
震えた足の代わりにモーニングスターを地面に突き刺す。勢い余って腕からは紫の火の粉が溢れ、私の額から汗が飛んだ。
肩での呼吸を繰り返す。ワイシャツの袖が焦げたが、上着は無事のようだ。
【 ははっ、本当に魔力の操作下手だね 】
ユニが指を振れば白いスピーカーが箱に戻っていく。私は前髪の先に溜まった汗を拭い、目を眇めた。
【 物理でも魔術でも、イグニは俺に勝てないよ 】
青みがかった白い瞳が喜色を浮かべる。【 それでもね 】と続ける声に動悸は治まらないままだ。
【 イグニを負かすこともできないみたいだね。膝を着いて、その武器を折って、心が壊れた君を俺は見たいんだけど 】
笑うユニの眼前にモーニングスターを突き付ける。棘の数mm先で口角を上げている少年は、避ける素振りすらなかった。
【 強くあり続けてね。
それは一体、どんな願いだ。
理解できない私は、自分に必要な魔具が分かった気がした。
***
【 暑すぎて水がすぐに蒸発するんだけど? 】
〈この程度で音を上げないでください〉
私が探したのは耐火製品を扱う店。路地を三つほど変えて辿り着いたのは灼熱の通りであり、一つ隣の道よりも格段に気温が上がっていた。
道行く魔物の肌質も変わっており、私の隣ではユニが頭上に雨雲を作っている。水を操れると雨まで降らせられるのか、便利だな。
しとどに濡れたと思った銀髪もすぐに乾いてしまう熱気。乾燥している空気も相まってユニの声はどことなく元気がなかった。熱でなら私の方にまだ分があるらしい。
こちらは毎日体づくりという拷問を受けている。ガイン先生の炎の海に比べたらこの程度、という話だ。
体が勝手に熱のレベルを判断して、適応する。発汗、呼吸、体の動かし方。大丈夫、私は問題なく歩いている。
熱のこもったショートブーツが若干不快なので脳内の注文品リストを増やし、私は一つの店の前で止まる。ここなら良さそうではないか。
【 何ここ 】
〈火の魔力に特化した衣服や武具を作っているお店だと思います〉
少しだけ猫背になっているユニにホワイトボードを見せる。ここで予備も含め、持っていたペンのインクは全て乾いてしまった。これからはユニの手に直接書くしかないかな。
店内に入ると外よりも気持ち涼しくなっていた。しかしそれは私の肌感覚であり、隣のユニは【 早くして 】と人のポニーテールを引っ張る始末。頭皮が傷むからやめて欲しい。
「これは、これは! もしや
カウンターから出てきたのは茶色い爬虫類型の魔物だった。
私は深呼吸してモーニングスターをカウンターに置く。深呼吸、深呼吸、罰しない、殴らない。ここで暴れたら話が進まない。課題が終わらない。我慢。
顔を上げた私は頷き、アークさんは上着の裾を確認したようだ。ユニは無言で人の毛先を振り続けているがこの際無視である。
「紫のライン、なんとライラ様の! あぁ嬉しい! まさか憤怒の
小躍りしそうなアークさんにジェスチャーで筆記具を貸してもらう。出てきた羊皮紙っぽい紙にペンを走らせれば、アークさんは顔いっぱいに笑ってくれた。思わず出たらしい細い舌は緑色だった。
「これでしたらすぐに! お待ちくださいね~!」
意気揚々とモーニングスターを持ってお店の奥に引っ込んだアークさん。私は近くの椅子に座らせてもらい、ユニも深く腰掛けた。雨の量も小雨から本降りになっている。濡れた床もすぐに蒸発しているからアークさんに謝る必要はないだろう。
私は上着を脱いで焦げたワイシャツを確認した。右の前腕は布がほぼない。掌以外から火の粉が出たのは初めてだけど、これは成長なのか退化なのか、自信ないな。
【 何頼んだの 】
頭をびしゃびしゃに濡らすユニはしおれた花みたいだ。暑いのは苦手らしい。いいことを知った。
私は乾燥気味の彼の掌に指を滑らせ、ずぶ濡れのユニは何度か瞬きしていた。
【 大変だねぇ、火を使う奴は 】
〈火の魔力を持つ人がみんな必要かどうかは知りませんが 私は赤ちゃんなので〉
【 すっごい根に持つじゃん 】
〈赤ちゃんより熱に対応できてない状況 どんな感じです?〉
元気のないユニに気分が良くなり、顔が自然と笑ってしまう。目の前ではユニが何度か瞬きを繰り返していた。銀の睫毛が水滴を跳ねさせ、雨が彼を冷やし続ける。
黙ったユニは暫し私を凝視するので、負けじとこちらも笑っていた。赤ちゃん呼ばわりした奴が平然と歩ける場所で貴方は苦しそうですね。こちらは晴れやかな気持ちになります。その舌の根も乾かないかな。
【 あー、なるほど。へぇ、だからか。うん、あの人外を手懐けたのはそういう気質か 】
〈何の話ですか〉
まったくもって意思のキャッチボールができていないのだが。熱気にやられて頭が煮えたのだろうか。
【 気を付けた方がいいよ、イグニ。あの人外の心は狭いらしいから 】
〈ノアのこと言ってます?〉
【 そーそー 】
火傷痕を水滴が伝い、ユニの顔に笑みが浮かぶ。一応目元も弧を描いているが、その目が笑ったことなど一度もない気がした。
私は灰色の人外を思い浮かべる。鱗の両手に狼の尾、頭には捩じれた角が後方へ伸び、黒い髪の奥では赤い爬虫類の目が光っている。
彼は私に魔術のオンオフのコツを教えてくれた。そうでなくとも霧の林で静かな時間を提供してくれる。マスクを外すこともなく、私にはいつも砂文字を見せて、呼吸ができる時間をくれる同級生だ。
〈ノアの心は大海だと思うのですが〉
【 猫被った面しか見てないからそんなこと思えるんじゃない? 】
ユニの青みがかった白い瞳が細まる。そこで私は、彼とノアが昨夜騒いでいたことを思い出した。
〈昨夜のノアは 被った猫を取りました?〉
マメのあるユニの手に指を滑らせる。銀髪を濡らしている少年は一瞬だけ目尻を痙攣させると、ゆっくりゆっくり頬を上げた。
【 猫の中には化け物がいた 】
歪んだ火傷痕が視界に入る。
【 アレを倒すには時間がいるよ。体躯も魔術も俺より上だ。声もまだまだ成長させないと敵わないだろうし。あそこまで俺の言葉が効かない奴は初めてだな 】
濁った白い目元には朱が浮かぶ。
【 あぁでも、楽しみだな。
ユニの双眼に光が射す。
強者を倒してこそ生きがい。自分より強い者に敗北を。負かしたい。勝ちたい。平伏す姿を見てみたい。
そんな感情がひしひしと伝わる横顔は、最もユニを人間らしく見せた。
【 あの人外は強いよ、イグニ。それでいて凶暴で、無慈悲で、容赦がない。周りのことをいつでも潰せる虫か雑草かくらいにしか思ってないんだろうね 】
ユニが語っているのは誰のことだろう。
そう疑問に思ってしまう程、私の中にあるノアの記憶と、ユニが語るノアの様子が繋がらない。
私の指が宙を彷徨えば、マメのある掌に強く握られた。
【 言葉をなくしたパンミーメ。言葉を最悪とした君は強い。だからどうか染まらないでね。パンデモニウムの当たり前を許した時、君は喋らないだけの無価値な存在になるんだから 】
白い瞳に覗き込まれ、どこまでも底がない色に悪寒が走る。ユニの声で消耗していた体力をより減らされる感覚に、私は顔に力を入れることで耐え抜いた。
ユニが笑う。
強者を求め、より強者になりたい圧制者が、笑っている。
【 あの人外の中で、君は枯れない花なのかもね 】
意味が理解できないまま手を離される。【 ここ暑い~ 】と雨の量を増やしたユニを観察しても、有益な情報など得られなかった。
私は椅子に座り直し、アークさんが戻ってくるのを待つ。
鼻の奥では、腐葉土の香りを思い出していた。
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