魅了と執心
彼らが善良で、慈愛に溢れ、相手のことを考えた喋り方をする者であったならば、私も我慢しようと思えたかもしれない。
だがしかしそうはいかない。自分が一番だと疑わない者、自分が中心でなくては気が済まない者。他人を自分より下に見ている者。下だと思った者に大きく出る者。
数多の異界から集められようとも、その場に慣れてくれば上下関係ないし私欲や我欲は出てくるものだ。態度に乗せて、視線に乗せて――言葉に乗せて。
パンデモニウムにやって来て早数日。
ガイン先生も「そろそろ慣れてきた頃だしいいんじゃない?」とモーニングスターを渡してくれたから。
さて、さて、さてさてさて。
私は、口さがない者達を罰する生活をしていた。
今は鉄の塊のような異形と、人間っぽく見える奴と、その他数名の男子生徒を罰したわけだが、勿論そこには理由がある。
耳のとがった男子が呻いたのでもう一発モーニングスターを叩きこみ、壁際にいた少女に目を向ける。罰した男子達のラインは青。少女の制服のラインは、黄色。
端的に申し上げて、他クラスの女子に卑猥に絡もうとしていた男子達の言葉が聞くに堪えなかったので罰しました。
ガイン先生にはそう報告することにして、私は少女を確認する。
ふわりとした金色の髪を二つに結った可愛らしい少女だ。毛先にいくにつれて髪は桃色に染まり、両目も同じ桃色。華奢な体躯で、ショートパンツからは生足が伸びている。ショートブーツに踝ソックスを選んだタイプか。
彼女の締まった脹脛からは白い羽根が生えていた。飛べるような大きさではないが、飾りとしては少々目立つくらいの大きさだ。
シャツはノースリーブのタイプのようで、白い肌が上着の隙間から綺麗に見える。だが私が初日に会ったロサ・ハーベストほど露骨ではない。清楚な色気、みたいなものを纏った子だ。
対する私はモーニングスターから血が滴ったので、適当に振っておく。男子達の皮膚や髪も混ざっているので後で念入りに拭かないといけないな。
「ねぇ?」
私が一歩踏み出す前に、掴まれた右腕。掴んだ少女は宝石のような目で私を見上げ、両足は微かに床から浮いていた。……飛べるの?
思わぬ浮遊は一瞬だったようで、すぐに彼女は足を着く。今日はポニーテールにした髪を私が払ったのは、ただただ落ち着かなかったからだ。
少女の綺麗な唇が、動く。
「貴方、とても強かった。武器もかっこよくてとっても好き!」
……は。
「そのポニーテールもとっても似合ってて好きよ。スタイルもとってもいいのね、好きだわ!」
……。
「マスクをしているのはどうして? そのデザイン、貴方をより素敵に見せて好きだって思うし、つけてる理由を教えてくれたらもっと好きになってしまいそう!」
…………。
「あら! 貴方もしかして噂の子? 憤怒のライラの
………………。
「ね、ね、貴方の声を聞かせてくれない? そうすれば、もっともっと好きになっちゃうわ!」
……キラキラと。
キラキラと、ふわふわと。
キラキラと、ふわふわと、あまあまと。
鈴が転がるような可愛い声で喋る少女に対し、私は怖気が立っていた。
これは、ヤバいのに、掴まったかもしれない。
***
「改めまして、私はフィオネ・ゲルデ。愛執のリベールのクラスにいるの! 貴方の名前はなんていうの?」
結局、彼女を振りほどけなかった私は、腕を掴まれたまま教室へ向かうこととなった。昼食が終わった昼休みを、どうしてこんな物理的にふわふわしている子の為に使わなくてはいけないのか。分からない。本当に分からない。
元々、彼女は男子達に色々と言われていたはずだ。
『フィオネは優しいから聞いてくれるよな』『少しでいいからさ、俺らの部屋に行こうよ』『そこでちょっと服脱いでくれるだけでいいから』『痛いことしないし』『ねぇ、フィオネ』
何がちょっとだ虫唾が走る。
罰する直前の男子達の言葉を思い出して吐き気がする。そんな私の顔色に気づいたのか、はたまた力の入った眉間に気が付いたのか。フィオネは「体調が悪いの?」と聞いてきた。やめて、喋らないで。
立ち止まった私にフィオネがぶつかり、彼女のブーツが床に着く。先程から何度か浮いて着地してを繰り返しているが、浮遊時間はごくわずかのようで、飛ぶというよりも跳躍時間がとても長いと考えた方がいいのかもしれない。
私はウェストポーチからホワイトボードを取り出し、文字を書き綴った。
〈憤怒のライラを任されている者です 名前はありません それでは〉
ホワイトボードを真剣に読んだフィオネに背を向け、私は教室へ向かう。午後は体内の魔力を感じる瞑想の時間だ。お昼ご飯を食べた後にすると眠くなると最初は思っていたが、最近は何かが体の中を流れているのを感じ始めて、睡魔もどこかへ行ってしまったんだよね。
「名前がないの? それって珍しいわ。でもその珍しさも好きよ!」
フィオネが私の左腕を掴む。私は隠しきれないため息と共に彼女へ視線を向け、満面の笑みを浮かべる少女に頭痛がしてきた。
彼女にホワイトボードを持たせた私は、ぶっきらぼうな字に諦めを込める。
〈どうして着いて来るんですか 男子達に絡まれていたのをどうこうしたのが理由なら もう忘れていいですから〉
「あら! 私、絡まれていたの? それもとっても刺激的で好きね!」
……文章を間違えたのだろうか。
私はなんとなく違和感を抱きつつ、フィオネを見る。
弾けるような明るさと、可愛いを詰め込んだ容姿。常に上がっている口角と純粋さで輝いている桃色の瞳は、なんともこちらの気持ちをざわつかせた。
ここはパンデモニウム。
私がいた世界ではない。私の中にある「喋らない」という常識は通じない異界なのだ。
ならば、彼女はどんな異界からやって来たのか。
足に生えた白い羽根が、彼女を私とは違う存在だと知らしめる。
目元を染めて笑うフィオネは、私の目線まで、軽く、浮いた。
「彼らは私のことを沢山褒めてくれたわ、だから私もとっても好きって思ったの。相手のことを褒められるなんて良い所を探している証拠でしょ? 素敵よね、素敵よね、好きだわ! 私をお部屋に誘ってくれたのも好き。私の体に興味を持ってくれたのも好き。そこに飛び込んで、彼らを倒した貴方の強さも好きよ!」
鳥肌。
滞空時間が終わり、床に爪先をついたフィオネ。彼女は再び私と同じ高さまで浮かび、金と桃の髪がふわりと広がった。
澄み渡った両目は柔和に細められ、脹脛の羽根が白さを際立たせる。
私はゆっくりとした呼吸を心掛け、彼女に持たせたホワイトボードに触る。フィオネはきちんとボードを固定してくれたので、文字は書きやすかった。
〈私が出たのは 不要な行為でしたか〉
「そんなことないわ! 彼らも好きだし貴方も好き。彼らが倒れてしまったから、立っていた貴方の方へ声をかけたの。私はみんな好きだから。好きで好きで堪らないから。今日出会った貴方のこともとっても好き! そしてもっと好きになる為に、仲良くなりたいの」
屈託なく笑うフィオネが着地する。私は彼女からホワイトボードを回収し、痛くなるばかりの額を揉んだ。
好き、好き、好き好き好き。
この数分で何度この単語を聞いたかな。それって特別な感情ではないの? いや、愛玩動物や嗜好品に対する好き嫌いの度合いの話か。
それにしても、ここまで連呼される好きを聞く日が来るとは、夢にも思わなかった。好きの音を耳にする日がくるなんて考えもしなかった。
言葉は世界を焼いた。喋ることで世界は壊れた。少なくとも私が生まれた世界はそうなのだ。
誰もが言葉の危険性を教えられ、過去の愚行を学び、使わない為にマスクをつけるようになったのだから。
その中には、フィオネのような愛の言葉もあると習った。
愛と嘘を混ぜたことで人の心を掻き乱し、そこから亀裂が生まれた。そんなことはよく教科書に書かれていたことだ。罵詈雑言や批判否定に差別嘲笑エトセトラ。
それらと同じくらい、愛の言葉は強くて厄介。
肯定的で輝く言葉だからこそ、慎重に扱わなければ、やはり誰かを傷つける。
「ねぇ、憤怒の
だってそうだ。この、甘くて可愛い物だけを詰め込んで作りました、と表現されても頷ける少女は、倒れた男子よりも罰した私に照準を合わせたのだから。
彼女の中にどういった線引きがあるのか、どういった価値観で動いているのか。そんなことは一切分からない。私の基準だって他人には分からないだろう。こんな、異種ばかりが集められたパンデモニウムでは尚更に。
「私、貴方のことをもっと好きになりたいわ!」
弾けるように笑ったフィオネ。
私はホワイトボードをしまい、軽く後ずさってから、モーニングスターを振り上げた。
この子の言葉はとても怖い。鋭くなくて、芯も無くて、ふわふわと人の中身を溶かすようで。
これが愛の言葉なら、好意を示すお喋りならば、封じておくのが正解だ。
誰かが傷つくその前に。
私が叩き下ろした鈍器は――全く知らない生徒のこめかみを殴打した。
「ギッ」
飛び出してきたのは白金の髪に翼を持った男子生徒。
突然の登場と罰するべきではない相手を殴った事実に私の肝は冷えたが、即座に違和感が上書きされた。
「フィオネ、大丈夫かい、どこも怪我してないかい」
側頭部から血を流す男子は、自分の怪我よりもフィオネを見る。フィオネは微かに目を丸くした後、人懐っこく笑っていた。
「大丈夫よガジェット、ありがとう! 飛び出してくれた貴方の速さ、とっても格好良かったわ。好き!」
「そ、そっか、よかった、よかった」
私の足が後ずさる。次は罰する間合いを取るためではなく、純粋に、距離を取りたくて。
フィオネは私を見ても、笑っている。罰しようとした私に対し、天使のように微笑んで。
そんな彼女と私の間に、黄色のラインが入った制服の生徒が集まって来た。ガジェットと呼ばれた生徒も、フィオネと同じ愛執のクラスだ。
「フィー、教室にいないから心配したわ」
「ごめんなさいロゼッタ。ちょっと違うクラスの子とお話ししてたの! 私を心配してくれる貴方の気持ち、とっても好きよ!」
「私もフィーが大好きよ」
「フィオネ、次の授業は魔術基礎の前に何か発表があるんだって。そろそろクラスに戻ろうよ」
「そうなのね! ありがとうロコロコ! 貴方の親切で声が優しいところ、今日も素敵で好きだわ!」
「う、うへ、へへへ、ありがとうフィオネ」
「ねぇフィオネ」「かわいいフィー」「フィオネ」「フィオネ」「優しいフィオネ」「僕らのフィー」
「あの子は誰?」
わらわらと、フィオネの周りに集まったのは、十一人の生徒。全員同じ黄色で、私のクラスも、最初は同じ人数だったと思い出した。
フィオネはガジェットの側頭部をハンカチで押さえ、溌溂と笑う。
「彼女は憤怒のライラの
弾んだ声でフィオネが語る。私は既に多くの距離を彼女と取っているが、まるで耳元で賞賛されている気分になった。
数多の瞳が私に向く。
愛執のクラスの生徒達が一心に私を見て、同時に頬を緩めた。「そっかそっか」と頷いて「友達が増えて良かったね、フィー」と笑う。
全員の視線は悪意なく弧を描き、揃った声が私の耳に侵入した。
「「「フィオネをよろしくね、憤怒の
あ――……
気づけば私は、自分のクラスの扉を開けていた。
肩で息をし、額から汗を流す、逃走者の姿で。
「お、何かあったの? 名無しちゃん」
教室で本を読んでいたガイン先生が首を傾ける。そこでちょうど鐘が鳴り、先生は私のモーニングスターにも気づいたようだった。
「ははっ、また喋る生徒を殴ったのかい? 相変わらず名無しちゃんは苛烈だねぇ! 今日はどんな会話を潰してきたのか先生聞きたいな~!」
おどけるガイン先生の言葉を無視し、私は教室のホワイトボードに近づく。ペンを持った手は微かに震え、書く動作はのろまの域だ。
〈愛執の〉
「あれ、耳が早いね、もう聞いたの?」
そこまで書いて先生に遮られる。なんのことか分からない私は眉間に力を入れたが、先生の白い指に皮膚を伸ばされてしまった。伸ばさないでくすぐったい。
ガイン先生は愉快そうに口角を上げた。
「愛執のリベール。その
私の脳裏に、桃色の瞳が浮かぶ。
書きかけの言葉を残して席に着いた私は、ライラをウェストポーチから出し、両腕で抱き締めた。
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